ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120223:二年ぶりの大阪、葬儀に参列、母の見舞い

2012年02月23日 | マイ家族

 大阪の弟から電話があり、奥さんの御母さんが亡くなった。91歳、消化器系疾患で入院しておられたが肺炎を発症させ急逝された。2年近く帰阪していないこともあり葬儀に出席することにする。パソコンで宿泊パックの新幹線格安チケットをさがしたが3日前予約でダメ。EモールのJTBに電話すると格安パックがあるという。外は雪がふっていたが夕方出かけ調達。24200円なり。団体で確保している余裕分があるらしい。
 葬儀は11時半。久しぶりに朝6時半のバスでJRへ。10時20分新大阪着、大阪環状線人身事故で不通。何があるかわからない。最寄りの駅まで地下鉄でいく。11時10分。タクシーに乗る。めざす葬儀会場しらないという。なんてこった。3台目でやっと乗る。5分前着。親戚あつまり写真どり。すぐ葬儀。ばたばたはいかんね。喪主である奥さんの最後のあいさつ。涙ながらに泣き母親の想いでばなし、ひたすらがんばってきた母親にみならい自分も頑張って行きたいという心に響く挨拶だった。葬儀が終わりお棺に花束をいれ最後のお別れ。感極まる時。火葬場に向け出棺、そして火葬。食事を挟んでお骨あげ、還骨勤行、初七日の法要。16時半に終了、弟の家にひきあげる。病院での死去、葬儀準備、残された老親のショウトステイへの預け入れ、お通夜、葬儀とさぞかし疲れたであろうことがうかがえる。

 しばし休憩の後、弟とわれらの母親をショウトステイ先に見舞いに行く。節電をしているのか夕方6時半、薄暗く、うすら寒い感じのする部屋にいく。同じような老人たちが車いすにのり、おしだまって集まっている。母親に2年ぶりに会う。名前を言っても認識できているのか、ただなにか独り言を言い続けている。過去のいつのことなのか定かでないがなにかを話続けている。弟の家にいるときは割と意識がはっきりしてるらしいが環境が変わると周りへの拒否反応を示すのか、話かけても反応が鈍くなるらしい。1時間ぐらいいてステイ先を辞去。3年前胃漏の処置をしたのが今となっては悔やまれる。親子双方にとって望ましくないようだ。

 8時前戻って弟家族と食事。生老病死は人間にとってさけられないこと。いろいろ思い出話をしながら9時過ぎお開きにして、予約してあるホテルに向かう。三井アーバンホテル大阪淀屋橋。地下鉄淀屋橋12番出口から3分と書いてあったが北浜界隈のビジネス街は夜は人通りも少なく暗くて目指すホテルがわからない。目がうっとおしく余計にわかりづらい。11時前やっと到着。風呂にはいり、1Fのコンビニでワンカップを買い込み、喉を潤した後、眠りにつく。疲れました。

 8時、バイキングの朝食をすませ、中之島界隈を散策。ホテルのそばに大昔の漫才師、花菱あちゃこの店という赤壁の串焼きの店、派手な作りにおどろく。超高層ビルのそばにレトロの喫茶店。証券取引所のある北浜界隈、緒方洪庵旧宅や中之島公会堂など古の雰囲気を漂わす建物がいろいろある

 浪速八百八橋といわれるように大阪は水都でもある。中之島公園の土佐堀川沿いにはハクセキレイなど野鳥も結構いる。
北浜に事務所を構えている友人に電話したがつながらず。1時間ほど散歩したのちホテルに戻る。その友人からTEL。西宮で昼食を約束。2年ぶりの再会。もう65歳になったらしいがコンサルの現役でがんばっている。しかし聴覚の衰えやその他、体力、知力の維持強化は大変らしい。お昼はごちそうになってしまったが再会を約し別れる

 テレビ報道などできいていた大阪ステーションシティにでかける。博多シティの2~3倍の規模か立派なものだ。鉄骨の城と言った感じだね。ばちばち写真におさめる。

 周辺は高層ビルの工事が何箇所か続行中。クレーンが大空で仕事をしている。壮観だね。福岡と比べると大阪は大都市、一日も休みなく動き続ける大商都だね。筑紫野の自宅に帰ったのは夜の10時であった。
コメント
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