ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

120207:作家桐島洋子、カナダの「林住庵」・・「林住期」五木寛之、幻冬舎刊

2012年02月07日 | アフターセブンティ

 ろうばいや 花の名知らず 妻苦言

 NHKラジオを聴いていたら、えらい早口で桐島洋子さんと娘さんの桐島かれんさんがゲストでしゃべりまくっている番組があった。桐島さんはシングルマザーで3人の子供を育て、作家活動を続けているキャリアウーマンの走りみたいな人で、今75歳になり、なお東京で森羅塾を主宰し、中高年のライフスタイル活性化にとりくみ、カナダに林住庵(50歳の時購入)と名付けた隠れ家をもっていて沈思黙考する場所、あるがままに生きる場所と位置付け塾生などを招集して楽しんでいる。今時のあたらしい?女の生き方スタイルの先導者であったらしい。

 実は「林住期」なる言葉を知ったのは定年後、嘱託として新幹線通勤になる前によく読んでいた作家の五木寛之氏の「林住期」なる幻冬舎文庫を読んでからである。退職時、これからは林住期を自由に生きますと挨拶をした(この言葉を何人が知っていたかわからないが)
仏教発祥の地インドでは人生を4つに区分、四住期(しじゅうき)という考え方があった。日本では今や100歳を超える人が3万人近くいるらしいが人生を4区分して最初が学生期(がくしょうき、25歳まで)、庇護され学ぶ時代。次が家住期(かじゅうき、結婚し、働き、家族を養う50歳まで)、そして林住期(りんじゅうき、仕事、家族から解放されて生きる意味を問う75歳まで)、最後が遊行期(ゆぎょうき、ひとり静かに人生を終了する整理期100歳)というわけである。中国では青春、朱夏、白秋、玄冬と区分されている。50歳まではすばらしい林住期にはいるためのホップ、ステップ(準備期)であり、勇躍、解放されたライフステージにジャンプせよということ。

 現実的には家住期は私の場合65歳まで伸びたが現在は完全リタイアした身で、一人阿蘇の麓で山小屋生活をしようと思えばできないことはない。しかし、いったい死ぬまでの十数年間、私は何がやりたいのか? 宮本武蔵のように山にこもって兵法書をかきしたためるのか、軽のキャンピングカーで全国縦断、写真を撮り続けるのか、ケセラセラで適当に生きるのか?
今、思っているのは、私が先に逝くとして、ベッドサイドにいるであろう妻に「ありがとう、楽しかったよ」と言って、生涯を閉じればそれで万々歳なのではないかと・・・
そうなるように妻には求めず、自分のできることをやっていく。どうでしょうか?


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