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板書

2003-11-16 00:00:00 | インポート
「板書」とは「黒板」に教師が書くことを指す。専門学校で教えはじめて、すぐ気がついたことは、学生は、カッチイがクチでしゃべったことを、要領よく自分でノートに、取ることはできないということだった。

だから、授業は、穴埋め式のまとめのプリントをあらかじめ作っておいて、その解答を黒板に書いて、解説していくことで進めていく。
私語をして騒がしい学生も、教師が黒板に書こうとすると、とりあえず写さなくっちゃと思うらしく、静かになる(笑)

カッチイが、高校で好きだった日本史の先生の板書は、カンペキだった。あとで、写したノートを見れば、日本史の流れが鮮明にわかる仕組みになっていた。先生は、解説も上手かったから、授業は飽きることはなかったが、私たちの意見が求められることはなかった。

はーいと手をあげて、「センセーあててー」なんて言うのは小学生まで。自分から意見を授業中言うなんて、中学生以降、日本の授業ではなくなる。ディスカッションなんていうトレーニングは皆無と言っていい。

レジメとか要点を作るのは、日本人は、すごく上手いと思う。一番の例が、受験参考書。最近のは、ビジュアル的に、色づかいも美しく、ぱっとわかるように出来ている。それを覚えることが、「勉強」だと多くの学生は思っている。知識量を問う試験レベルは、受験の有名校になると相当に高い。

ドイツの語学学校で、日本人学生は、文法のテストは、できてしまうから、中級のクラスに放り込まれるのだけど、全然しゃべれないから、先生も本人も困ってしまうという例を見聞きした。ラテン系の学生は、文法は、めちゃくちゃでも、口八丁手八丁で、コミニュケーション能力を、抜群に発揮してしまう。

カッチイ自身も、ドイツの大学のディスカッションの授業で、一言も発言できなくて、つらい思いをよくした。相手の意見に反論を唱えることが、怖かった。その人の意見に反対することは、その人自身を批判してしまうように思い込んでいたのだ。

批判するというのは、ドイツでは、とても肯定的というか、すべきものだと捉えられている。議論を戦わせてこそ、よりよい意見を出していけるということのなんだ。頭ではわかったけど、実は最後まで慣れなかったなあ。日本の教育の欠点に思いをはせながら、授業で、今日も板書する。


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