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ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

博士の愛した数式 原作本

2006-01-24 16:00:00 | カッチイな本棚
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「博士の愛した数式」にはまってるんで(笑)、今度は原作について。

寺尾聰が主演で、吉岡くんも出るし、監督が、小泉堯史(たかし)が、メガホンを取る。ウハハ(笑)原作があるなら、ぜひ原作をと、映画が封切られる前に、小川洋子氏の「博士を愛した数式」を読んだ。初めて、この作家の本に触れた。

数学を、小説のなかに、取り入れたという着想に、まず乾杯!それをルート母子に伝える記憶が80分しか続かないという天才数学者というキャラクターを作り上げた小説家のイマジネーションに脱帽!

博士には、記憶が80分しか続かないという破綻を与えたのは、必然だった気がする。ちょっと現実離れしている寓話的な人物だからこそ、無垢でいられるのだ。

この浮世離れした数学者のもとに、家政婦母子が、入ってくる。3人をつなぐものに、数学と阪神タイガースを配して、この小説の図式が結ばれる。

原作では、シングルマザーという選択をし、家政婦をしながら子育てをする杏子の目から描かれているが、数学者に対して、淡い恋愛感情が揺れているようであっても、それ以上は踏み込まないように律している。

これも、現実世界では、ありえないのでないか?と思うのだが、息子のルートを抱擁してくれる博士を見ているだけで、彼女は、幸せだというところに留めている。博士の離れでの3人が、暖かな絆を育んでいくのは、擬似家族のようであるが、純粋であるためには、杏子と博士が、生臭く近づく関係あってはならないのだ。

それでは、彼女も、メルヘンのような存在であるかというとそうでなく、彼女の日常を短いが効果的に叙述して、リアリティを与えている

たとえば、博士のところを、問答無用でクビになって、新しい雇用者に振り回される日々、ルートと二人で阪神タイガースの試合を見て、ためいきをついたこと。彼女が、仕事に向かう停留所で、見知らぬ女に金をとられたアクシデント。母の命日に、墓参りをして、子鹿の死骸をルートと見たこと。ルートの父親が、技術研究賞を受賞した新聞記事を見つけたこと。これらの一連のエピソードが、リズム感をもって描写される。

そこから、彼女が、博士が彼女の靴のサイズが24と聞いて「実に潔い数字だ」と誉めたように、りんとして孤独を引き受ける女性であることが読み取れる。

そんな母親に育てられているからか、息子のルートは、実に素直で、思いやりがある。母親がつらいめにあったとき、「ママは美人だから大丈夫だよ」と慰めてくれる。

「キネマ旬報 2月上旬号」に、「原作者 小川洋子について」によると、翻訳された作品も多く、特に欧州で広く知られているということだ。記事の筆者は、「選びぬかれた日本語により紡ぎだされた彼女独特の美しい筆致が、海外にどの程度忠実に伝わっているのか、気になるところではある。」というが、海外の翻訳者が、彼女の作品を取り上げたくなる気持ちはわかる気がする。

「孤高」「潔い」「精明」「安心」など、美しい響きの日本語は、漢字とともに表されるが、ひとつの完成された概念であるので、良い翻訳者にあたれば、意図するところを、間違えることなく翻訳されるのではないかと思うのだ。小川洋子氏の文体は、簡潔で、文章の連なりのなかに、無理のない論理性があるので、多分、ドイツ語にも訳しやすいだろうと思う。

作品から見えてくるのは、煩雑で面倒な毎日の暮らしのなかで見失いがちな大切なものを教えてくれる。それは、どんなに世の中が騒がしくても、数式のように清らかに存在する真理であり、時を超越して普遍的なもの。「Universal」と言い換えられるものだろうと思う。


地球の歩き方「ドイツ」’05~’06

2006-01-17 13:11:00 | カッチイな本棚
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地球の歩き方「ドイツ」の’05~’06版、最新版である。「地球の歩き方」が、若者を中心として、自由旅行者のバイブル的存在になって久しい。

カッチイは現地ガイドをしていた頃からの愛読者だったが、当時、地図は見にくく、読者の投稿に頼り、「私は、こうしてトクをしました」という記事にうんざりしていて、「地球の迷い方」だの「地球の落っこち方」など言って毒づいていた。

しかし、この「地球の歩き方」シリーズは、どんどん扱う国も地域も増え、「ドイツ」も、改定版を重ねて、今年で、17版を数える堂々のロングセラーだ。

現地取材を行い、記事も整備され、データをチェックしている。デザインも改良され、レイアウトも工夫され、格段見やすくなった。毎年改定版が出せるガイドブックは、他にない。売れるから改定版が出せるから、記事のチェックも行える。という良き循環が繰り返されるのだろう。

なんといっても、編集者が、ドイツ・ガイドブックの本を多く出されている鈴木真弓さん(彼女の著書のことは、またボチボチ紹介しよう)なので、信頼性が高い。

カッチイは、この「ドイツ版」は、毎年買い、どこが、前年と違っているかを確かめるマニアックなファンなのだ。
’04~’05版と、どう違うかというと、なんといっても今年は、ドイツで、ワールドカップなんで、その特集が、目玉。

「旅のおみやげコレクション」を挙げたのは、旅行者の購買欲をそそるのだろう。泊まってみたい古城ホテルを、①~③まで、ページを割いたのは、タイアップもあるのかな?

ファンタスティック街道の「テディベアのふるさと ギーンゲン」や、メルヘン街道の「シュバルムシュタット」「バート・ゾーデン・アレンドルフ」「ザバブルク」「トレンデルブルク」などは、姿を消した。やっぱり地味な町は、受けないということでしょう。
やっぱりトレンドに配慮し、マーケットに合う町を紹介しないとね。ガイドブックの宿命です。

「私リスト」にも「カッチイな本棚」を作り、この本を紹介しておいた。



好きな週刊誌

2005-02-15 00:00:00 | カッチイな本棚

勤務先周辺も、最寄の駅も、いきつけの本屋が工事中とかで閉まっている。本屋が近くないのは不便だ。本は、最近「アマゾン」で注文することも多いのだが、立ち読みができないのが困るのだ。雑誌が好きだから。

本屋に行ったら、女性週刊誌をざっと見て、お気に入りの芸能人の動向をチェック!ミーハーだからね。

週刊誌は、だいたい「週刊文春」を買ってしまうことが多い。昔、かの有名な花田編集長のころは、スクープ記事の連続で勢いがあった。今も「週刊新潮」と張り合っているけれど、読み応えは、文春に軍配が上がることが多いと思う。「週刊新潮」の●価学会たたきは、ちょっと見苦しい感じ。「週刊新潮」は、グラビアがいまひとつ記憶に残らないんだよね。

「週刊文春」のレギュラー執筆陣が、長いから、安定感がある。「夜ふけのなわとび」の林真理子さんは、好きな女性作家だが、ダイエットと年中騒ぎながら、精力的に人と会食したり、遊びまわっている日常に驚かされる。結婚されてから、ちょっとセレブになっっちゃってと反発も感じてしまうのだが、そういう毎日もある種取材なのね。都会に生きる女性の心理を巧みに描いた話題作を書いていくパワーは、やっぱりスゴイんだわ。

「すっぴん魂」の室井滋さんは、女優としても好きだが、文章もうまくて才人だ。日常のなかで、人が見逃していまいがちなところに、目をつけて描写するのがうまく、それが私たちの共感を呼ぶ。

「ツチヤの口車」の土屋賢二さんは、女子大の哲学の教授なのだが、よく奥さんをネタに、自分がいかにいじめられているかを書かれるユーモアが卓越している。しかし流れるような文章には、三段論法的なオチが必ずついている。

「さすらいの女王」中村うさぎ嬢は、お買い物中毒症のような生き方そのものが、インパクトがあるので、このまま走り続けてほしい。

インタビュー記事の「この人に会いたい」は、インタビューアーの阿川佐和子さんがゲストのよさを引き出してくれるからね。。ゲストが好きな人だったら、それでその週の「週刊文春」を買う動機になることが多い。今流にいえば「負け犬」の代表な方であるが、お友達の檀ふみさんと共に、あおぎみる先輩のような存在だ。

文芸春秋社だけあって、「文春図書館」の書評は、さすがにしっかり説得力がある。雑誌は、電車の中と、夜ベッドのなかで読むのが好き!


負け犬の遠吠え

2004-03-30 00:00:00 | カッチイな本棚

という本が話題だ。著者の酒井順子さんは、「30代、未婚、子供なしは、どんなに美人で仕事ができても「負け犬」なのであると定義した。著者も含まれるらしいが上記定義にあてはまる負け犬が、勝ち犬(主婦)や社会に向かって遠吠えしているという本なのだが、この本が笑えるかどうかは、センスは、分かれるな。

「人生勝ち負けじゃありません!」などと眉をつりあげて反論するなら、それは、著者の予想範囲以内の反応にすぎない。女性の生き方を、あえてカテゴリーわけしたことに、この本の面白さがある。はっきり、負け犬と言われると、うすうすわかっちゃいたけど、むっとくるいうのが人情というもの(笑)。ところが、負け犬と勝ち犬の生態を、豊富なサンプルを提示して、延々と解説してもらうと、フムフム感が増してくる。

「おわりに」で酒井さんは「ここまで負け犬という単語を連呼してみると、勝ちだの負けだのいうことが、ほとほとどうでもいいことのように思えてくるものです。読者の皆様にも、そのどうでもいい感じが少しでも伝われば幸いです。」と書いている。まあ、ここだよね!読みどころを押さえ間違っちゃいけない。

しかし、負け犬の一匹としては、素朴なギモンも。東京という都会で、華やかなマスメディアの世界などに生息し、専門性のある職を持ち、そこらへんの男性よりも収入があるというのが「負け犬」の定義であるとして話を進められると、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。今月号の、日経「WOMON」の読者アンケートで、の31歳の年収の平均は357万円。300万円代の人は、33.8%。100-200万円台の人が25%に上る。このなかの負け犬と勝ち犬比率は定かでないが、働く女性の2人に1人は、このへんの収入層になる。正直、自活は、ぎりぎりの金額だ。まして美人でもなく仕事も頭打ちとなると、負け犬にもなれないのではないの?地方都市に住むとなると、更なるムラ社会のプレシャーがあるだろう。

酒井さんは、今年「私は、こんなに負けている」と書かれた年賀状をいっぱいもらったそうで、人というのは、けっこう負け自慢が好きなんだと実感したそうだが、自分を笑えたら、いいよね。

Yahoo!ブックス「負け犬の遠吠え」酒井さんのインタビューがある。興味のある方どうぞ。
http://books.yahoo.co.jp/featured/interview/20040204sakai/01.html