明大8位、43年ぶりシード/箱根駅伝
1月4日8時2分配信 サンケイスポーツ
第85回東京箱根間往復大学駅伝・復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場発-東京・大手町着=5区間109.9キロ)7度の総合優勝を誇る古豪・明大が、往路7位に続き、復路でも9位と健闘。総合順位で8位に食い込み、上位10校に与えられるシード権を1966年大会以来、43年ぶりに確保した。16年ぶりの総合Vを狙った往路2位の早大は最終10区の追い上げも実らず、41秒差で2年連続の2位。往路15位の駒大は復路でも7位に終わり、総合13位。前年優勝校が途中棄権以外でシード権を失う史上初の屈辱を味わった。
喜びを爆発させた顔が待っていた。明大のアンカー・卜部(うらべ)淳史(4年)が息絶え絶えで大手町に帰ってきた。11位・国士大との差は51秒。区間12位ながら、無我夢中でゴールに飛び込んだ。
「もう前しか見てなかった。ゴールしたと思ったら宙を舞ってました」
もうろうとした意識の中、仲間たちの手で3度胴上げされた。古豪が43年ぶりにシード権を確保した歓喜の儀式だった。
オールドファンには何とも懐かしい紫紺の復活だ。明大は1964年の第40回大会までに優勝7回(3位以内は18回)を数える超名門だった。だが、41回大会の8位を最後にその後は2ケタ順位が続き、最後にシード権を確保したのも10位だった42回大会。受験戦争が激化し、東京六大学の看板大学と箱根との縁は徐々に遠くなっていった。
最大の転機は03年に全学部で導入されたAO(アドミッション・オフィス)入試だ。以前のスポーツ推薦枠では全競技200人の募集に毎年400人超が受験。約半数が落ちる現実に「学力も必要で有力校からの入学希望者が激減した」(松本穣部長)。だが、AO入試で“明大命”の学生が増加。往路の4区3位でエースの松本昂大(3年)も「明大を強くしたかった」と練習でも月間1000キロを走り抜いた。
昨年は予選会突破もできず選手は補助員として箱根に“参加”。4区で観客の整理に努めた松本も「出世しました。同じ4区だったからあの時の悔しさを振り払って走りました」。01年に就任した西弘美監督(56)の茶髪&ピアス禁止、門限22時、起床5時55分という「文武両道の考え」もAO世代の選手に浸透した。
「今年はけがや風邪の選手もいた。まだ80点です。シード権はうれしいですが、来年はもうちょっといけると思います」
復活だけでは終わらせない。西監督にはしっかりと『常勝軍団』のイメージがわいている。
私の母校「明治」が43年ぶりに箱根駅伝のシード権を獲得しました!いつも正月はラグビーに夢中でしたが、今年はテレビの前で明治の走りに声援を送っていました。抜きつぬかれつのデットヒートを演じた5区の早大三輪と東洋大の柏原にも興奮を禁じえず、著しく魅了されてしまいました。来年以降も母校に熱いエールを送りたいと思います。けれど、けれどもラグビーの明治の不甲斐なさが気にかかるところではあります。
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