2007年11月8日、
豊臣秀吉や室町幕府将軍が寺社の領地を保証した「安堵状」を巻物にまとめた古文書を、山形大の松尾剛次教授(日本宗教史)が京都市西京区の浄往寺で発見した。発見例が少なく「重要文化財級」の史料という鎌倉時代の寺社の境内図が添えられている。秀吉の安堵状には花押(署名)とともに「関白」とあり、通常は「秀吉」が多いことから珍しいとされる。 松尾教授は、寺社の領地内にある建物を記した境内図は、寺が領地保全を願い出る際に“証拠”としたと考えられると指摘。「境内図と安堵状が併せて見つかったことは、中世の領地保証の仕組みを解明する手掛かりになる」としている。 松尾教授によると、古文書は、秀吉と室町幕府の9代足利義尚ら3将軍が同寺の領地を保証したそれぞれの安堵状を切り張りして1巻の巻物としている。包紙には秀吉を表す「関白」の墨書きと朱印が押されていた。
浄往寺はもともと律宗の寺で、後に黄檗宗に変わりましたが、松尾教授は律宗の資料を探している際に思わぬ幸運に出逢ったようです。実際発見したのは、助手のKさんで、教授共々住職に祇園の接待を受けたそうです。何しろ発見した安堵状は鑑定すると1千万は下らないらしく、住職はすこぶる上機嫌になったのも頷ける話です。現在本物は、浄往寺に、レプリカが山形大学にあるそうです。
豊臣秀吉や室町幕府将軍が寺社の領地を保証した「安堵状」を巻物にまとめた古文書を、山形大の松尾剛次教授(日本宗教史)が京都市西京区の浄往寺で発見した。発見例が少なく「重要文化財級」の史料という鎌倉時代の寺社の境内図が添えられている。秀吉の安堵状には花押(署名)とともに「関白」とあり、通常は「秀吉」が多いことから珍しいとされる。 松尾教授は、寺社の領地内にある建物を記した境内図は、寺が領地保全を願い出る際に“証拠”としたと考えられると指摘。「境内図と安堵状が併せて見つかったことは、中世の領地保証の仕組みを解明する手掛かりになる」としている。 松尾教授によると、古文書は、秀吉と室町幕府の9代足利義尚ら3将軍が同寺の領地を保証したそれぞれの安堵状を切り張りして1巻の巻物としている。包紙には秀吉を表す「関白」の墨書きと朱印が押されていた。
浄往寺はもともと律宗の寺で、後に黄檗宗に変わりましたが、松尾教授は律宗の資料を探している際に思わぬ幸運に出逢ったようです。実際発見したのは、助手のKさんで、教授共々住職に祇園の接待を受けたそうです。何しろ発見した安堵状は鑑定すると1千万は下らないらしく、住職はすこぶる上機嫌になったのも頷ける話です。現在本物は、浄往寺に、レプリカが山形大学にあるそうです。