宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

ゆっくり進む秋の日差しを3

2021年09月23日 | 音楽
おとついのNHK「うたコン」で、デビュー25周年というPUFFYの出演に関連して、1996年の年間CD売り上げランキングの上位19位までがミリオンセラーだったという話があった。

90年代中期が音楽CD販売の最盛期だったのだなというのは、自分が久保田利伸さんの「La・La・La LOVE SONG」やら、globeのアルバムやらを買っていたという事実からも実感できる(^^;

当時は(今も似たようなものだが)評価の定まった人以外では、全国ネットのテレビ番組を通じて知った音楽だけを聴いていたのだと思う。
そんな程度の、熱心な音楽ファンでもなんでもない、90年代にはフィッシュマンズのこともまるっきり知らなかった私が書く戯言なので、以下、もしかして目にして気を悪くする方がおられたらすみません。

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フィッシュマンズの「IN THE FLIGHT」で気になるフレーズは、なんといっても、
「あと10年たったら なんでもできそうな気がするって」だ。

「10年たったら」で私がまっさきに思い出すのは奥田民生「愛のために」だ。
「10年たったら空行こう」というフレーズがある。
「10年たったら、なんでもできる」と言っている。
「そんなのウソさ」という心の声を振り払って、あえて高らかに宣言している。
(と私は思う。)

奥田民生は地に足が着いた人だ。翻って、佐藤伸治は「いつまでも何も出来ない」かもしれないが、奥田民生が10年たったらと言っている空の中にすでにいる。空の中にいるからこそ地上の事柄については何もできないと思うのだろうけど。

ふたつの曲を並べたら、「IN THE FLIGHT」冒頭のギターの囁くような音も、「愛のために」のジャーンというギターの対比として聞こえてきた。

佐藤伸治詞で回避されている「愛」の文字を、奥田民生が堂々と使っているところも両極だ。

しかしながら二人が見ている景色、心情はすごくよく似ていると思うのだ。
要は忙しくしたくない、なにもしないでただゆったりとこのまま、好きな人と一緒にいたい、といったところでしょう、身も蓋もない言い方だが。
(「全然分かってない」と反発されそうだが、まあいいや。その奥にあるものは今書けそうにないので)
「10年たったら」でもう一つ思い出すのはユニコーンの奥田曲「服部」だが(10年たてば 君も晴れて仲間入り)あれも現状のマッチョな社会への違和感あっての詞で、それを忌避するかあえて突っ込むかの違いで、強いひっかかりを感じているという点では同じだと思うのだ。

そして佐藤伸治は奥田民生と同学年だ。

実際、佐藤伸治が奥田民生を意識していたかは知らないけど(今のところそういう意見は見かけないけど)、とりあえず、初期フィッシュマンズがヒットに恵まれなかったのは、ユニコーンが先行していたからではないかと思った。
共通する心情を持つ者を受け止めてくれる音楽として、ユニコーンがすでにあった、と。
しかも、音楽的な違いとか全然知らない一般庶民にも届くくらいヒットしていた。世の中に受け入れられていた。

これはまったく個人的な印象なのだけど、『映画:フィッシュマンズ』で初めてギターの小嶋謙介さんを見て「あっなんだかユニコーンにいそうな感じ」と思ったのも連想につながった(^^;

そしてソロ活動を始めた奥田民生の初シングル「愛のために」、リリースは1994年10月とのこと。
『僕と魚のブルーズ』のこの年の頃のページをめくると小沢健二のアルバム『LIFE』について書いてある。この本には元フリッパーズ・ギターの二人が並列して取り上げられていて、東京という現場から見たらそうだったのかなと思うけど、佐藤伸治が意識すべきはユニコーンと奥田民生ではなかったか、というのが地方在住一般庶民の見解。

94年(もう95年だったかも)の私は「愛のために」を聴いて涙ぐんでいたのだった。

フィッシュマンズファンの方にはとんちんかんなことを書いてしまって申し訳ないような気がしてきた。
「10年たったら」のフレーズにひっかかって長々書いてきたが、「100ミリちょっとの」の歌詞を見ていたら
「100年 過ぎたら きっと 浮かびあがるだろう」というフレーズがあって、うわあ、そうかもと感嘆したことを書いて終わりにしよう。


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