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宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

時間がかかるの

2022年03月30日 | テレビ・ラジオ・映画など

「日々鍛錬し、いつ来るとも分からぬ機会に備えよ」

NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の登場人物「伴虚無蔵(ばん・きょむぞう)」の台詞である。

ここに書いておいて座右の銘にしよう。

さて、この『カムカムエヴリバディ』、関連のラジオ番組『ラジオで!カムカムエヴリバディ』も聴いている。「NHKゴガク」アプリで一週間遅れだが。

ドラマの中の登場人物や事物、出来事を英語で説明してみるというのが前半のメインコーナー。聴く読むばかりで(ってそれもやってないけど…)常に受け身になりがちな私には、能動的に英語で考えようとするきっかけになっていい。後半は歴代ラジオ講座のスキットの再現があったり、安子やロバートの中の人がゲストで来たことも。途中、ドラマで英語が全然関係なくなってきて「ひなたの代わりに英語を学ぼう」という苦肉のタイトルになったりもしたが(^^;

歴代ラジオ講座のスキットは、平川唯一先生、東後勝明先生ときて、ついに、われらが(この番組の講師)大杉正明先生の講座紹介である。

1993年のルート66でアメリカ横断の話は聴いていた覚えがある。「ルート66」自体をこの講座で知ったような…?

そして1997年度の伝説の(?)講座はもちろん覚えている。と言いつつ今回のラジオで「そうだったこんなだった」と思い出しているわけだけど。「コレオグラファー」という職業名はこの講座で初めて知ったのだった。当時の人気の証左として、毎月のテキストは読者からのお便りページが大盛況だった。(SNSとか無かったせいもあるかもだが。)ロンドン留学中の鴻上尚史さんからのお便りにお便りコーナー係の人が興奮していたなぁ。

それにしても今回のラジオ番組の英文テキスト作成はご苦労なことであったと思う。(話の脈絡が見えなくなって)テキストの内容が進行中のドラマとまったく関係なくなってしまい、ちょっと苦しいなと思うこともあった。ドラマ終盤、やっと伏線回収が進んで、カムカム平川先生も出て来てよかったよかった。

ドラマとしては、伏線回収のあまりの遅さに、批判があったように思うけど、実人生では、何十年も何もなかったのに、ある時急にぱたぱたっと物事が動くことって、あるよなぁ。そういう意味ではリアルなドラマとも言える。

(でも過去のあれこれが全く無かったことになってるわけじゃないですよというちょっとしたエピソードはほしかったなとは思うけど)

それどころか、一向に伏線が回収されないまま一生が終わることだって、ままある。

大きな出来事でなくても、あの時のあれにはこういう意味があったのか、と、ふと悟るような気持ちになることが、ある。早死にしないで生き延びることの意味がある。

ずいぶん前にほうりなげてどこかに行ってしまったボールが、ある日ふと、手元にぽたっと落ちてくるようなことが、この先もあるんじゃないかと思ってみる。

うまく書けないなぁ…


通訳は重要よー

2022年03月26日 | にわかフィギュアスケート

フィギュアスケート世界選手権2022@モンペリエ(フランス)

男子シングル最終グループの演技をテレビ中継で観た。

最終滑走は宇野昌磨選手。

もうこれは完璧演技で宇野選手金メダルだ!

と思うと、ものすごくどきどきしてくる。

特にファンでもない一視聴者の私がこうなのだから、長年のファンやコーチの心境はいかばかりか。

ひいては、選手本人への尊敬の念があらためて増してくる。こんなものすごいプレッシャーに打ち克てる精神力は、やはり並の人間にはない。

そして、感動の瞬間が!おめでとう!

真の完璧とまではいかなかったけど、ま、それは挑戦ゆえで、今後のモチベーションにもなるもの。4種5本もの4回転ジャンプをすべて決めてみせるという気迫を感じる演技であった。そしてこの編曲の「ボレロ」、気持ちが前向きになるいいプログラムなんだわー。

そこまではいいんだけど、直後の優勝者インタビューが、なんだかちょっとどうなんだと怒りにかられて書いてみる次第。

質問(英語→日本語)→宇野選手回答(日本語)→通訳(仏語→英語)という流れだったのだが。

宇野選手の発言は非常に明瞭で、地頭の良さを感じさせるものであった。

(誤解が生じないように意識しているのだと思う。文章の骨格がしっかりしていて外国語に訳しやすいと思う。)

それなのに、通訳者ったら。

「ステファン・ランビエールコーチが納得できるような演技をしたいと思っていて、それをかなえることができた。そこに優勝という結果がついてきて嬉しい」

という趣旨の発言と

「2019年?のフランスでのグランプリシリーズが自分の中での分岐点だったが、再びこの舞台で(会場は違うが同じフランスの地で)すばらしい成績がとれたことに感謝しかない」

という現地観覧者にも嬉しい発言を、まるっきり無しにしていた。

ああもうほんとうに信じられない。ちょっとちょっと!特に英語通訳者の訳ぐらいだったら宇野選手本人だって言えると思うよー(ずっとがんばってきてついに優勝できてうれしい的な定型文)。込み入った内容を正確に伝えたいと思うからあえて通訳者を通しているわけで。これじゃあ宇野選手のすばらしい人間性が全然伝わらないじゃないのよー。

と、ぷんすかしてしまったが。

日本語が分からなくても宇野選手の発言を知りたいと思う人なら、彼が発音した「ランビエール」(はどうか分からないが「ステファン」「フランス」は聞き取れるのでは)とか固有名詞を通訳者が言わないのはヘンだと思っただろうし、日本語ができるフィギュアファンがきっと正しい訳を広めてくれるだろう。各国テレビ局の二次映像には正しい字幕がつくことを願う。


暗闇で弾く

2022年03月21日 | 日常の記録

自分は「音楽の人」ではないなとあらためて思い出したエピソード。

 

3月14日(月)

録画していたNHKEテレ「星野源のおんがくこうろん」第4回「中村八大」の回を観る。

それまで番組は観ていなかったんだけど、中村八大は興味があって。

ジョージ・ガーシュウィンの回もあったのね、再放送やらないかな。

さて、ジャズ・ピアニストにして作曲家・中村八大のエピソードで、戦後まもない頃の計画停電時、暗闇でピアノを弾きまくっていたというのがあった。

鍵盤が見えなくても音を頼りに弾けるものなのねー。

(などと驚いてしまったが当たり前のことなのか...そういえば矢野顕子さんも視力が悪かったから見なくても弾けるようにしていたとどこかに書いてあったような)

ふと思い出したのが、私が小学生の時の宿泊学習だったかなんだかのキャンプファイヤー。

皆で歌を歌うひとときがあって、私は何人かいたアコーディオン伴奏係のひとりであった。

事前に練習して(たぶん暗譜もして)ばっちり弾けるはずだったのだが、陽が落ちて手元が見えなくなることは全く予想していなかった。

辺りが暗くなって鍵盤が見えなくなると、全然まともに弾けなくなって、ひどくうろたえたことが、後々まで記憶に残っている。

思い起こせば、私は聴覚よりも圧倒的に視覚に頼ることが多かった。ひいては言葉でも楽譜でも解読するものがあればまずそちらを頼っていた。まず音声に耳を傾けることにもっと注力してみようと思う。


久しぶりのイベント

2022年03月21日 | 音楽

いつも遅れてしまうが、3月のあれこれをさくっと書き残しておこう。

3月13日(日)

富山市民プラザでの「大人の音楽談義」10周年記念シリーズのひとつ、「佐橋佳幸トーク&ライブ~佐橋佳幸の”渋谷と僕と音楽と”」に行ってきた。

前日のピーター・バラカンさんのも行ってみたかったのだけどかなわず。というか、この「大人の音楽談義」、今回はじめて参加したのだけど、この10年でもっと行っておけばよかったな。これからも続くことを願う。

そもそも私の居住地は富山市から離れているので、同一県内といえども、なかなか気軽に行けないんである。

今回も新型コロナウイルスオミクロン株の流行におびえて、結構迷った末のチケット購入だったのだが、休日の街中は普通に(中心地の空洞化が言われているが意外と)にぎわっていた。

会場ホールは、やはりコロナ禍で参加を控えた人が多かったためか、ちょっと寂しい感じだったけど、ともあれ、イベント自体はとても楽しかった。

佐橋さんのトークは快調、ここでしか聴けない話もあったということだけど、うろおぼえで書いて間違ってたら困るので控えておこう。

聴いていて印象に残ったのは「ヤマハ」の存在感。そういえばポプコンってヤマハ主催だった。道玄坂のヤマハのお店での、楽器、レコード、フリーライブ、そして店員さんからの佐橋さんへの影響はすごく大きかったようだ。

そして、佐橋さんは楽譜を読めなかったと(うろおぼえだがたしか)言っていて、とにかく聴いて弾いてギターを身につけられたようだ。なるほどなー音楽家ってそういうものなんだなーだからアレンジとかアドリブが効くんだなーと、あらためて自分は「音楽の人」ではないなと思った。

さて、後半は佐橋佳幸 feat. SETA のミニライブ。

全然知らなかったのだけど、実はこちらのほうが主だったのかな。

SETAさんは、佐橋さんと今回の進行役庄司明弘さんがつくったレーベルに所属しているらしい。渋谷駅で、佐橋さんと毎月「うたのカレンダー」というフリーライブを行っているそうだ。

今回カバー曲5曲と自作曲2曲を披露。

カバー曲は「遠く遠く」「Rain」、アンコールに佐橋氏選曲の「すばらしい日々」と、私の偏愛曲が3曲も含まれていて(あとの2曲はルクプル「ひだまりの詩」小田和正「たしかなこと」)、歌声もすばらしかったのだけど、でもオリジナル曲のほうが圧倒的によかったな。

佐橋さんのギターはもちろんかっこよく、カバー曲を歌うことで表現力の幅が広がると思うし、今は月一で新曲をつくっているそうで、修業というか鍛錬の時なんだろうなと思う。

けど、ゆくゆくは同世代でつながっていったほうがやっぱりいいと思うなー。

20代女子の本領は、おじさんのプロデュースでは活かしきれないと思うんだよねー。私もおじさん側だが感性のギャップを感じる。

などと、考えさせられてしまった・・・


4年ごとに振り返る(3)

2022年03月06日 | にわかフィギュアスケート

もはやオリンピックを回顧するような状況ではなくなっているけど、4年後にまた振り返るために、書き残しておきたい。

ということで、北京オリンピックフィギュアスケート競技について続き。

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先日NHKBS1で「バレエの王子になる!~”世界最高峰”ロシア・バレエ学校の青春~」という番組を、なんとなく録画して観たのだけど(2019年?の再放送らしい)、そこで、男性が女性を持ち上げる「リフト」の技術についてちらっと言っていた。

なるほど、フィギュアスケートのペアやアイスダンスにおける重要技「リフト」ってバレエからきているんだなーと今更ながら。

スケートにリフトなんて要らないんじゃないか、リフトがなければ、日本でカップル競技に参入するスケート男子も増えそうなのにと、シロウト考えでいたのだが、バレエが元にあるということならば納得。

フィギュアスケートとバレエの関係についてもいろいろ考えたけど、まとまらないので、オリンピックの感想に戻る。

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女子シングル:坂本花織選手の伸びやかなスケーティングと健康美に尽きる。晴れやかな笑顔が会場の不穏な空気を吹き払っていた。

樋口新葉選手とのツーショットも良かったな。坂本選手じゃなかったら素直にお祝いできなかったような気がする、私が樋口さんだったら。邪気がまったく無いっていうのかなー。周囲を明るく健全にするパワーがあるね。

ジャンプに関しては、坂本選手ならばこれからでも高難度を目指せるはず。10代なかばがピークで後は引退というトゥトベリーゼコーチ方式は間違っていると実証してくれたら嬉しいな。

中野園子コーチの名言

メダルは「運だと思います」

「その運を引き寄せているのは努力だと思います」

「メダルを首にかけて、過去を振り返って生きてほしくない。これから先どんな人間になっていくか素敵な女性になってほしいと思います」

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男子シングル:ネイサン・チェン選手の完全優勝、鍵山・宇野両選手の表彰台がほんとうに嬉しい。

次の世界選手権に話題が移っている今、とりあえずの感想はそれくらいかな。

羽生選手のプログラムということでじっくり聴くことになった「天と地と」(冨田勲)、ほんとにいい曲なんですよね。曲中でジャンプが入る位置とかすごく考えられていて名プログラムだと思う。

それだけに・・・

いつだったか、コラムニストの中野翠さんがフィギュアスケートのことを「変種の芸能として楽しんでいる」と書いているのを読んで、その時は納得いかなかったのだが、今回つくづく「変種の芸能」という言葉になるほどなぁと思わせられた。

「変種の芸能」と考えれば、羽生君がワイドショー番組や女性週刊誌の話題の中心であることに異存はない。

思い出したけど、キーガン・メッシング選手(カナダ)に続いての羽生選手の滑りを見て評価に違和感を感じない人は、「フィギュアスケート」を見ているのではないと思う。

そういえば、今回カナダはフィギュアスケートには力を入れてなかった(ロビー活動も何もしていない?)ような。メッシング選手以外はベテラン勢引退で新旧交代という感じだったからしょうがないか。

カナダといえばアイスダンスのラジョワ/ラガ組のラガ選手にちょっと注目してしてしまった。演技直前の不穏さと、演技始まってからのはじけ方が印象的で。きっと彼はオタク気質?などと

・・・と、まだまだ書きたくなってきたけど、とりあえずこれで締め。