宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

8月末日記/例えてみよう2

2021年08月31日 | 音楽
日記
8月29日日曜日、映っていたテレビでたまたま観た「ちびまる子ちゃん」、「夏休みがあと72時間しかない」「宿題が終わってない」とか言っていて、すごく懐かしい気持ちになった。

さかのぼって
8月24日火曜日 パラリンピック開会式 最初のほうだけ観たのだけど、国旗入場時の辻井信行さんの音楽、佐藤ひらりさんによる「君が代」、清浄な雰囲気で、好みは別として式典ってこういうものだよなーと清々しい気持ちになる。後半のパラ楽団での坂本美雨さんの歌もステキだった。(これは矢野顕子さんのツイッターで知ってネットで観たのだけど)

同日帰宅前、久々にイオンモール内HMVを訪れる。あったーよかったー矢野顕子さんの新譜「音楽はおくりもの」。ブルーレイ付きを買いましたよ。正式な発売日は25日だけど、フライングゲットというやつである。店員の女の子はなんとなく不思議そうな顔をしていた。まぁいまやこのHMVもK-POPとジャニーズとあといくつか固定層向けの品揃えだからねぇ。

ということで「音楽はおくりもの」について。

なんとなく今回の新譜は「やわらかい」というか、矢野さんの形容に(意外だがわりと)使われる「ほんわか」なほうのイメージかなと思っていた。
「ゴリゴリ」「鋭い」「エッジが効いている」ほうが一般的にはカッコイイとされているよねと思ったりしていたのですが。
やっぱり、いいな。違うんだな。
やわくない。
まさに、曲名にあるけど魚肉ソーセージ的弾力というべきか。

このアルバム全体を例えてみると
・心がすさみそうなときにぎゅっと握る「お守り」
・「北極星」= (ほとんど)ブレない。道しるべ。
・「夏休みの肝油」(昭和50年代の肝油は夏休みの任意注文。給食がない間のサプリメント的役割? もはや栄養が行き届いて肝油の存在自体がなくなるまでの過渡的形態だったのだと思うのだけど。おいしくてつい1日に決められた量以上食べてしまっていた)
食べ物についてはもうちょっと気が利いた例えがしたいのだが思いつかない。
「1日1服(聴)」「滋養強壮」「おいしい」というところで「青汁」というのも考えたのだが、好みが分かれるかな。おいしい青汁はおいしいと思うのだが。
グリーンスムージーにするべきか。
(ちなみに突然だけど今日8月31日は「野菜の日」なのだそうだ。8(ヤ)31(サイ)・・・日本語がいとおしい。)
またいいのを思いついたら書いてみよう。

「わたしのバス」村田有美さんのバージョンも聴いてみた。ちょっと違うけど長距離バス版「津軽海峡・冬景色」みたいな感じも? ちょっとクールに強がっている感じが、私憧れの80年代初頭の女性像っぽい。Version2はなんとなくトトロのネコバスを思い浮かべてしまう。乗りたーい。
アルバム最後の「Nothing In Tow」、夏休みの終わりが、人生の夏にも重なるような。朱夏から白秋へという感じかな。(五木寛之さんの説がネットにあがっていてなるほどと)。夜明け(dawn)を待っているということで希望も感じる。nothing in tow って、夏バカンスの風物詩、車に牽引されるトレーラーをもう見かけないということなのだそうだけど、引っ張られることのない(引きずるものがない)心の状態も掛けているようで(「明鏡止水」という言葉が浮かぶ)詩としてもすばらしいなと思った。

私的開会式感想

2021年08月14日 | 日常の記録
オリンピックについて総括する記事をいろいろ読んで頷いている
全然まとまらないながらも自分でもやっぱりなにかしら書いておこう。

2016年8月、リオオリンピック閉会式での日本のプレゼンテーションがすばらしく、「未来が楽しみに」なんてタイトルでブログを書いていた。
これなら大丈夫そうと安心していた開閉会式がこんなことになるとは。

遅ればせながら、今日図書館で週刊文春のバックナンバー(3月25日号、4月1日号)を読んできた。
演出辞任に至るまでのMIKIKOさんの心境を思うと胸がつぶれそうになる。
本当にもったいない。たとえコロナ禍で規模縮小となっても、彼女だったら元案を凝縮してより良いものにしていたと思う。

とはいっても、無観客で開催の賛否も分かれる中だったし、簡素な形でよかったのにねーというのが正直なところ。大体1964年には93か国だったかの参加国が2021年には200以上の国と地域が入場行進しなきゃいけないんだから、それだけでも倍以上の時間がかかるわけで。

実際の開会式での、映像やあのピクトグラムのパントマイム(好き)とかは競技放送の合間にCM的に挟めばよかったんじゃないかと。

以下、個人的に開会式関連で。
2016年8月のブログを眺めると、ああワールドハピネスで初めてMETAFIVEを聴いて格好いいなーと思ったのだった。知らなければ、今回の辞任騒動もほとんど無関心だったはずだが・・・
2016年8月は上原ひろみさんも観ている。開会式での上原ひろみさんにはあらためてすごい人だと思った。あんな広い国立競技場をたった一人とピアノで完全に支配していた。カメラの映し方のせいかもしれないけど、海老蔵氏がかすんでしまっていたなぁー。
2017年になるけど、タップダンサーの熊谷和徳氏の公演も観ていた。他の騒動と比べると扱いが小さいが、共演するはずが排除されたというラティール・シー氏の抗議にも考えさせられた。ヤフーコメントも結構冷たいものが多くて地味にショックだった。ラティール氏の見た目が韓国人や中国人だったら何も言われなかったんだろうなと思うと、それはそれでどうなのかと思うし、逆にアフリカ系の人たちのイベントに日本人が一人混じっていても、違和感なく溶け込んでいそうな気がするんだよねー。「江戸時代の大工に有色人種はいなかったから」と言われると、そうだなと思ってしまうけど、でもチームの一員として参加していたのに見た目が違うから拒絶されるというのはやっぱり悲しい。

と書き出すと他にもいろいろあるのだけど、とにかく式典が大過なく終了したことはよかった。未来に向けて考えろという八百万の神様?からのおぼしめしなのだと思う。

「上を向いて歩こう」は

2021年08月12日 | 音楽
Olha pro ceu feat. Emicida/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA


Olha pro céu / 上を向いて歩こう / TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA with Friends


オリンピックについてはいろいろ考えてしまったけど、ここでは手短に。

東京オリンピック閉会式について。
東京スカパラダイスオーケストラの登場にはびっくり。
野田秀樹さん率いる「東京キャラバン」のほうに関わっていたから、開閉会式は出ないと思って油断していた。

演奏曲は以下のとおり
Call From Rio
花ふぶき ~愛だろ、愛っ。~
上を向いて歩こう
火の玉ジャイヴ
紅蓮華(アニメ『鬼滅の刃』主題歌)
Paradise Has No Border
愛の讃歌
歓喜の歌

このうち「紅蓮華」をのぞいて、「愛の讃歌」も「歓喜の歌」もスカパラの既存のアルバムで聴ける。
演出家がスカパラの全アルバムを聴いて選んだとは想像しがたいので、最初にこのセットリストを提示したのはスカパラ側なのだと思う。

という前提で「上を向いて歩こう」について、ひとこと言いたい。
この曲をスカパラは2016年ポルトガル語タイトル「Olha pro ceu」で、ブラジル人ラッパーEmicidaとコラボしている。
2020年、コロナ禍で、世界中が身動き取れなかった時に、Emicidaはじめ他国のミュージシャンたちとリモートで一緒に演奏もしている。
閉会式でこの曲を選択したのは、単に昭和の世界的ヒット曲を入れておけばいいだろうとかいう安易な理由ではないはずなのだ。
どうして、Emicidaのラップが入ったバージョンにしなかったんだろう。
映像でEmicidaが参加することも可能だったはず。
若者には断然こちらのほうが喜ばれたと思うし、年配者にとっても、今もこの曲が世界中で愛されていることが実感できていい気分になれただろう。
坂本九さんの歌声はもちろんすばらしいけれど、ここで元祖の歌声を乗せたことで、単なる昭和ノスタルジーに堕してしまった。
そしてそれはスカパラ本来の意図ではなかったはず。

坂本九の歌声を乗せるというのは演出家の指示(組織委員会からの指示かも?)だと思うのだが、それでスカパラが「主体的意志のないバックバンド」「昭和的演出に与する御用ミュージシャン」とかいう印象を持たれたとしたら演出家の罪は深い。
ミュージシャンの活動への敬意がないんだよー。

ネットの意見を見るとスカパラ登場を喜ぶ声はたくさんあったけど、スカパラと「上を向いて歩こう」の関係については見かけなかったので書いてみた。

ついでというのもなんだけど、コラボしてリボンスクリーンに映し出された都立片倉高校吹奏楽部の生徒たち、ざーっとでいいからテレビ画面に全員しっかり映してあげたらよかったのに。あれじゃ全然分からないと思った。

他にもいろいろ書きたいところだが、ひとまず。

2年越しの「いだてん」最終回

2021年08月03日 | テレビ・ラジオ・映画など
2年越しにNHK大河ドラマ『いだてん』最終回を観る。

当時、オンタイムで観られなくて録画していたのだが、観ないまま月日が経ってしまっていた。
最終回は1964年東京オリンピックの再現で終わりだろうから、ま、いいか、という気持ちもあって。
(2019年末はいろいろあったせいか、他に、この年末のNHKドラマ『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』も今年に入ってやっと観た。遠因として『大豆田とわ子と三人の元夫』の後、ちょっと松田龍平ロス?になり、そういえばこれは彼が主役だったと思って。淡々とした描写の中に当時の中国の様子から現代の日本のことも考えさせられて、意外と興味深く観たのだった。)

嘉納治五郎(役所広司)の幻影が問う「これが、君が世界に見せたい日本かね」からの、田畑政治(阿部サダヲ)の表情、続いて彼の右腕「岩ちん」(松坂桃李)とのやりとり、今観るからなおさらなのだと思うけど、屈指の名場面だった。
役柄が乗り移ってないとあんな表情できないよ。阿部サダヲ氏はあらためてすごい俳優だ!
その演技に感化されたような松坂桃李氏の一瞬の表情も実にいいんですね。
今回のオリンピック関係者にこんな表情がみられることはあるんだろうか・・・
嘉納治五郎の「オリンピックはやる」発言は1940年招致の時のだと思うけど、この時の役所広司氏のような表情で訴えられれば、2021年、少なからぬ国民の感情は動いたのではと思ったり。

それはそれとして、1964年東京オリンピック開会式当日に、古今亭志ん生の名人会があったというのは史実なのかな。当時も、「オリンピック」よりも「自分の関心=寄席(志ん生)」という一定層はいたんだなぁ。そりゃそうか。

東京オリンピック開会式の経緯への関心で、「文春オンライン」から、久しぶりに「週刊文春」を買ったのだけど(いつのまにか小林信彦さんの連載がなくなっていて残念)、宮藤官九郎氏のコラムに、今、ミュージカルの準備が佳境でオリンピックの競技をテレビで見ることもできないとあった。
「自分のドラマをつくっている最中の人は、人のドラマを見ているヒマがない。」
というのは、いろんな状況に当てはめられる普遍的真実と思う。