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宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

5月の私

2025年06月03日 | 日常の記録

世の中、頭痛腰痛その他、慢性的な不調を抱えている人は多いようだけれど、皆さん、おおげさに嘆いたり愚痴ったりすることなく、普通に日常を送っておられる、ようにみえる。つくづくすごい。

本来の意味合いとはまるっきり違うが「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」という気分である。

自分はといえば、たぶん単純に「老化」による不調なのだけれど、「ちょっと前だったらこんなことは」と過去に執着したり、できない今にわーんと泣いたり。事故や病気から気持ちを切り替えて前向きに工夫している人の偉大さをあらためて感じる。お恥ずかしい。

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そんな日々だったが、5月11日は「矢野顕子×上原ひろみ Tour2025 Step into Paradice」@NHKホールを観に上京した。

最初の共演は、矢野さんが今のひろみさんくらいの年齢の頃だったとかで、そこから今、3度目の共演を高いクオリティで果たすことができるって、本当にすごいことだ。皆が次の共演を望んでいるようだが、脂の乗り切った充実期のひろみさんと対峙するためには、どれだけの体力がいるんだろうーー 人は年齢では測れないし、体力以外に補う力はいろいろあるとは思うけれどもー

(関係ないが、先日テレビで尾藤イサオ氏(81歳!)が往年と変わらぬ印象で「あしたのジョー」を熱唱する姿を見て、年齢というものの不可思議さを思った。)

どの曲もすごくて圧倒されたが(後半の「ドラゴンはのぼる」から「Polaris」にかけての「宇宙組曲」は、まさに宇宙に解き放たれたような感覚と、でもじんわり涙したりもして、特に印象的だった)、それぞれのソロ曲で、矢野さんの「いもむしごろごろ」が始まった時は、「そうそうこういうピアノが聴きたかったの」と思ったのだった。

矢野さんといえば、ひろみさんとの公演の後に、上妻宏光さんとのユニット「やのとあがつま」のツアーもあったのだが、行くのを断念したのは残念だった…「TIBETAN DANCE」聴きたかった…

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なんとか無事に行って帰ってこれたわけだけれど、NHKホールに辿り着くまでがなかなか大変であった。

今回のチケットは電子チケットではなくて紙で発券しなくてはいけなかったのだけれど、その作業をしないままに渋谷まで来ていた。

コンビニならいくらでもあるだろうと思っていたのだけれど、意外や、ない。

いや、ファミリーマートは見つけたのだけれど、今回チケットが発券できるのはセブンイレブン限定なのだった。

そのセブンイレブンが見つからないったら、ない。地図アプリ上にあった店2店は閉店していた。

そんなわけで渋谷の街を右往左往。なんとかかんとか発券して、開演時刻ぎりぎりに汗だくで駆け込むはめになったのであった^^;

まぁよろめきながらもなんとかたどり着けたことで、まだ大丈夫と自信にもなったのでよかった。


知らない国

2025年05月01日 | 日常の記録

昔読んだ外国旅や外国留学などの体験記では、現地の人が日本のことをまるで知らないことに著者が驚き、認知度を上げるべく奮闘する話が結構あったと思う。

日本が地図の中のどこにあるかも知らないし、フジヤマ、ゲイシャ、スシ、テンプラ…のオールドジャパンを思い描いているならまだ良いほうで、まったく何の予備知識もない現地人に著者が呆然とするというような描写もあったと思う。対象の国はだいたいアメリカかイギリスの英語圏先進国だったと思う。

私がそういう本や記事を読んだのはたぶん中学高校時代、1980年代のことで、「日本に無知な現地の人」の話はたぶん1960年代、70年代のことだったのだと思う。

当時の私の感想は「大昔ならともかく、今の時代日本のことを知らないなんてその人が田舎者で無教養なだけなんじゃないか。勉強してないんじゃないの」というものだった、と思う。「ジャパンアズナンバーワン」の時代だったからか「日本を知らないなんてありえるの?」くらい思っていたかも。あと「田舎の人は知らないかも」と、都会と田舎の落差はあると思った。

「思う」「思った」ばかりだが、それは情報化が進んで世界中のことがリアルタイムで分かるようになると、ほんとにそんな時代があったのかと半信半疑になってきたもので…

が、情報化が進んだ現代においても、今度は立場が逆になって同じことが起こってる!と思ったのが、この項を書き始めたきっかけなのであった。

今、アジア各地から外国の人が来ているが、「その国はどこにあるの?」「首都は何と言うの?」と、周囲の日本人善男善女はごく普通に悪びれず聞くのであった。田舎の老人だからかもしれないけど、都会の若者だって似たようなものなのでは…? かく言う私も、地図上の正確な位置を示せと言われたら正解できないし、首都の名前も分からない… たとえばミャンマーの首都は今もヤンゴンだと思っていませんか? 正解はネピドーなのだ。

(昔は覚えていた他国の首都名も今言ってみようと思ったら出てこなくて焦った…伊東四朗氏は世界中の国と首都名を暗記しているそうだが、私も見習おう。)

その国の人たちは、日本人の無知に唖然としたりすることなく、にこにこと自分の国について説明してくれるが、内心はがっかりしているかもしれない。

でもその1人のおかげで周囲の人の母国への認知度がぐーんと上がるのだから、これはすごいことだ。


口ずさみたくなる歌

2025年04月22日 | 日常の記録

富山テレビ制作の「ダイブツのイマダ!」という番組がありまして、先日の放送で大和百貨店のテーマソングを取り上げていた。

「大和」は「だいわ」と読み、本社は金沢だが、富山でもデパートといえば大和である。

このテーマソングというかコマーシャルソングというかは、昭和47年に制作され、1988年まで流れていたそうだ。

(私の中で、1972年は昭和47年というほうがしっくりくるが、昭和63年のことは1988年と言う方が自然な感じ…不思議だ)

作詞者はたしか不明とあったと思うが、

作曲:小林亜星 歌:芹洋子 コーラス:デューク・エイセス

だそうで、いやー豪華だ。

番組では、わざわざ芹洋子さんに大和百貨店富山店にお越しいただき、この歌1曲だけのリサイタル?を開催していた。店内そんなにお客さんが集まっている感じもなかったし、自分が歌手だったらムッとしそうだが、芹洋子さんは笑顔で、往時と変わらぬ歌声を披露しておられた。

yahoo知恵袋に歌詞を書いている人がいたので拝借すると

カーネーションの花びらが 

あなたと大和の愛の花

心と心 笑顔と笑顔 

明るい豊かな暮らしを開く

大和 大和 ♪

大和の包装紙は赤いカーネーションの柄だったのだった。

私はメロディーも歌詞も懐かしくて、口ずさんでしまうけれど、30代40代だと大和の社員さんでも知らないようだった。

逆に、親に聞いても記憶がないと言っていて、大人になってからだとそんなに関心が向かないのかもしれない。

昭和47年ー63年(1972ー1988)といえば、私の幼小中高時代がまるまる入っているわけで、小さい頃はなんでも覚えてしまうものだし、その後もデパートがまだ花形だった時期だから愛着あったんだろうなー

大和にかぎらず、そういえば、たとえばイオンの前身「ジャスコ」にも「ジャスコで会いましょう♪」という歌があって、なんとなく歌えたりする。

今もいろんな場所であらたなコマーシャルソングが生まれているのかもしれないが、やっぱり大人になってからだと、自分になじんでいるものは、ない、なぁー

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このgoo ブログもサービス終了になるそうで、なんにでも始まりと終わりがあるものだ。11月までと、余裕をもってのお知らせというところが、さすが大手だ(?) 

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コマーシャルソングではないけれど、春からの連続テレビ小説「あんぱん」の主題歌、毎日のことだから耳馴染みになってきて、歌いたくなっている。特に「人生訓」から「超絶G難度の人生を」に至るまでのところ。

リズムとメロディーは入ってきたが、ぎゅっと詰まった歌詞がなかなか覚えられない。けど、半年間流れる主題歌としては、耳に残るけど完全マスターまでに時間かかるというのは、あり、かも。

(録画で観る時にオープニングはスキップすることがよくあったので。意識していなかったが先日録画で観た「あんぱん」のオープニングは飛ばさすに観た。)


青春の始まりの歌

2025年04月06日 | 日常の記録

あっという間に4月である。

なんていうこともないけれども、ちょっと記憶しておきたいあれこれを、なるだけ書いていきたいと思うー

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先週のことになるけれども、日曜日のお昼、NHK「のど自慢」を見ていたら、中学生の女の子2人組が、郷ひろみの「男の子女の子」を歌っていた。

これが、なんだかすごくよかった。

これから「青春」が始まる人が歌うのにぴったり。いい歌だ。

なぜこの曲を選んだかという質問に(字幕の紹介には郷ひろみの歌声に引き込まれたとあったと思うが、それに加え)女の子は

「『幸せさがすのは まかせてほしいのさ』とか、歌詞が前向きでエールを送ってもらえるようで」と言っていた。

うんうんたしかに。いい歌詞だ。

作詞は岩谷時子さん なるほどそうだったのかー。

作曲は筒美京平さん

もしかしたらおばあちゃんがひろみファンだったのかもしれないけれど、気軽に昔の動画を見られる現代だからこそ、今中学生の女の子にも、この歌が届いたんだと思う。歌詞もすぐ検索できるし。文明の進歩ってすばらしい。

そして、自分は今まで「男の子女の子」の映像を見ても、ビジュアルの印象しかなかったのだけど、彼女たちが歌ったことによって、この歌の良さが初めて分かった。

そして、週明けの車の中では apple music 「はじめての郷ひろみ」プレイリストを聴くことになるのだった。あらためて郷ひろみリスペクトである。


Back to 90's

2025年01月29日 | 日常の記録

遅まきながら2025年初のブログである。

2024年はとにかく「まさかの年」を乗り越えたという安堵の感で、個人的には十分に良い年だった。

年越しに観ていたNHKEテレ「2355-0655年越しをご一緒にスペシャル」での「新春たなくじ」によると、2025年今年の私は

「DAPPI大吉 ひと皮むける1年になるでしょう」

「スター大吉 スポットライトの当たる一年になるでしょう」

おお。

(「新春たなくじ」とは、パラパラ切り替わる画面をスマホ撮影でキャッチするおみくじ。ついつい2回撮影)

番組内で発表される干支ソング、巳年の今年はヘビのメタル「DAPPI」(歌:大槻ケンヂ)。たまたま検索したら1月22日から配信リリースしているんですって。ヘドバンしちゃうね!

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紅白歌合戦はナマで観ていたのだが、家事その他で中座したりもして、B’zの登場とか盛り上がった場面も、ネットニュースを見てから録画で確認となると、驚きがなくて残念だった…。MISIAの伴奏で初出場の矢野顕子さんがエンディングでも楽しそうにしていたのは良かった。

矢野さんのさとがえるコンサートについても書かないうちに日が過ぎてしまった…ネット上のセットリストや皆さんの感想を見てニコニコするのみ。またそのうち書くかも。

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12月、中山美穂さんの訃報には意外なほどショックを受けた。

中山美穂さんは1970年生まれだが3月生まれなので、学年は自分と同じ。

私が20歳の頃、「卒業」というテレビドラマがありまして。

中山美穂、仙道敦子、河合美智子の3人が短大卒業を控えた同級生という設定で。

私はまだ卒業ではなかったけれど、なんといっても同い年、オルタナティブ自己とまでずうずうしく思うことはなかったが、こうあるべき理想の20歳、みたいな目線で観ていたのかなー…

なんといってもミポリンは本当にかわいかった!

ちょっと前の「ママはアイドル!」でのコメディエンヌぶりも好きだったし、その後の「Love Letter」とか「東京日和」とか映画のスクリーンでも本当に美しかった。

好きな芸能人だと雑誌の長文インタビューとか自著のエッセイとかで人となりを知りたくなるものだけれど、ミポリンに関しては全然そんなことは思わなかった。辻仁成さんとの結婚には「えっ!」と思ったけど、プライベートなこととか思想信条とか知りたいという気持ちは全然わかなかったなー。テレビや映画の中の虚像のミポリンで十分というか、それこそが大事というか。

昔、出席した数少ない結婚式で「世界中の誰よりきっと」歌ったんだよなー…とか、もはや忘れかけていた青春のある一部分を象徴していたのが中山美穂さんだったのだった。「ある一部分」というのは、個性とは別にある「90年代のお年頃の女子」という属性の部分か?

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元SMAP中居くん(と「くん」付けしてしまうが)の事件について、つい雑誌やネットの記事を読んでしまうが、真相は分からない。ふと、残してあった雑誌「Myojo」1995年10月号(SMAPのCDデビュー5年目突入特集記事)を見ると(後で見たら面白いかなとずーっと取ってあった^^;)

「CDデビューしたときには、憧れの歌番組が、ほとんど消えていた。事務所の先輩たちは、新曲出せば1位が当然だったのに、俺たち、3年くらいパッとしなかった。量や枚数だけで判断したくないけど、やっぱあせったよ。そのときに、ファンやスタッフが、SMAPをあきらめなかった。”SMAPがダメならほかのもので頑張ろう”じゃなく、”ダメなSMAPを、頑張って何とかしよう”と考えてくれた。本当に、感謝してます。」

とあって、自分の記憶もこのころの奮闘する中居くんの印象が強い。最初から国民的アイドルだったわけではないのだ。

近年は出演番組も観ていなかったけど、まぁあんまりいい人相ではなくなっていた、なぁ…そして、性癖についてはいかんともしがたいがー

今思うのは、瀬戸内寂聴さんて、つくづく貴重な方だったなーと。寂聴さんに今いてほしかった。

しでかした人に寄り添い話を聴く。昔はなんで?と思ったが、誰にでもできることではない。

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と、書き始めると自分にまったく関係ないことをずるずると書いてしまうのであった…


59-60

2024年11月06日 | 日常の記録

はや11月である。

10月は1回もブログを書かずに過ぎてしまった。無念。

10月27日(日)は奥田民生ソロ30周年記念ライブ「59-60」ライブ・ビューイングを観に、県内映画館に赴いたのであった。

ライブ・ビューイングは26日(土)もあったのだが、残念ながらこちらは参加できず。(26日は「ひとり股旅スペシャル」、といいつつゲスト多数だったそうだが。27日は初期のバンドメンバーによる「GOZ LIVE」)

館内は結構お客さんで埋まっていた。まったり観ていればいいやと思っていたけど、ぐーっと没入、やっぱりライブはいいなあ。

ファンには馴染みなんだろうけれど、いわゆる代表曲じゃない曲が、おもしろい。歌詞にじっくり聴き入ったりして。なぜか「ワインのばか」がいまだに私のツボに入っている…

とにかく全22曲、ほとんど休憩なしで(前日はトイレ休憩があったと見たので待っていたのだが、なさそうなので自分はすみません中座して全速力でトイレに走った…)演奏し歌い上げた胆力がすごい。前日にもライブやってるわけだし。

最終の「愛のために」では、ちょっと声が出なかったところもあったけど、力業で歌い切った感。いや、そこもちょっとぐっときた。個人的に「愛のために」の歌詞とも重ね合わせて。

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11月5日、NHK『ワルイコあつまれ』の「にっぽん歌謡合唱団」に奥田民生氏登場。草彅剛さんの草滝廉太郎でしたっけ?おもしろすぎる! 子供たちの合唱による「イージュー★ライダー」には、思わず涙が。なんなんだろう。子供たちにはまだ未知の感情を歌っているから、歌詞がまさに「無垢に」伝わるのかな…

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著書『59-60 奥田民生の仕事 友達 遊びと金 健康 メンタル』も読了。

自己啓発本の体裁だからこの文体で正解なのだと思うけど、個人的にはKADOKAWAやロッキン・オン的な(?)喋りがそのまま文字になったような聞き書きスタイルがよかったな。

でも普通に、いろいろ人生の参考になる、と思う。チーム論とか。

「あんまり時間がない」「身体は痛む」というところは、共感しかない…

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民生氏の本には「でも俺は、実は今日死んだとしても後悔はない。」とある。

いつだったかのNHK「あさイチ」の「教えて先輩」だったかで、YOUさんも同じように言っていた。

私もそう言えるようになりたいー今自分が死んだら絶対化けて出る、と思う…


あきらめる/あきらめない

2024年08月10日 | 日常の記録

たぶん「細野晴臣ソングライター」というapple music のプレイリストから流れてきた「しらけちまうぜ」(小坂忠 作詞松本隆)を聴きながら「当時の人はあきらめがよかったんだな」とふと思う。

演歌によく歌われていた「未練」に対するアンチテーゼか。

70年代の歌謡曲を思い出すと「勝手にしやがれ」(沢田研二)とか、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)なんかも、別れに際してすっぱりあきらめることを志向する歌だなと思う。ダンディズムとはこういうことを言うのかな。どちらも阿久悠作詞。

しかし、あきらめの美学を歌うのはもっぱら男の人で、女の人はあきらめない。

ぱっと思いついたのは「待つわ」(あみん)とか、「まちぶせ」(石川ひとみ)とか、80年代のヒット曲。「未練」の演歌は「あきらめたいけど、あきらめきれない思い」を歌っているのだと思うが、これらの歌の主人公はきっぱりと「決してあきらめない」。

「あきらめない」歌の頂点は「何度でも」(ドリームズカムトゥルー)と思う。一万回やってもあきらめないのかと、初めて聴いたときは震え上がったものだ。

もっとも、「何度でも」で歌っているのは、かならずしも対人関係のことではないようなので、自分の理想を実現するためということであれば、まぁ時間と労力が許す限りの挑戦は、あり、かと思う。

もしこれが恋愛の歌だと思って力を得ている人がいたら、心底怖い。

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「あきらめる」とは「明らかにする」ことでもある、そうだ。

明らかに駄目なことはあきらめるべきだし、実現可能性ありということが明らかならば、あきらめずにがんばることが推奨される。

「恋は盲目」とも言うし、恋愛関係で「明らかにする」ことは難しいのかもしれない。ストーカーになってしまいそうな人はちょっと「しらけちまうぜ」を聴いてみるといいかもしれない。でも気質が違うと響かないかな…

今回のパリオリンピックでは「あきらめない」がキーワードの成果をいくつか聞いた。これは良い方の「あきらめない」。

「あきらめる/あきらめない」がどうして自分は気になるのか。対人関係ではないのだけれど。自分の場合は、いろんなやりたいことの実現可能性について思うことが増えてきたからか。

体力とか環境とかいろいろ以前のようにはいかなくなってきて、いつでもできると思っていたこともそうではないということに遅まきながら気づいたということもある。

具体例でいえば旅行。どうしてもっと若くて円高で世界の治安もよくてオーバーツーリズムという言葉もまだ聞かれていなかった頃に、もっと海外を旅しておかなかったのか。…と悔やんでも仕方がないので過去のことは「あきらめる」として、これからはどこまでをあきらめて、どこからをあきらめないべきなのか、いろいろ考えてしまうのであった。


今、何時にいるか

2024年03月19日 | 日常の記録

手持ちの「ほぼ日5年手帳」3月21日のページに

「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」

という言葉があった。

(「読者メールより」ー中学校を卒業するにあたっての、ある先生からの言葉とのこと)

すなわち、中学3年生は 15歳÷3=5時

で、人生の夜明け前、午前5時にいる、と。

なるほど。

これに倣うと、36歳が真昼の12時ということで、私の認識とも大体合う。

そこで私の現在の年齢を3で割ってみると

…午後6時…

ああまさに黄昏!

と嘆いている暇はない。

例えば仕事帰りなら、買い物をして一刻も早く夕食の支度をしてくつろぎたい、いちばん忙しい時間。

また考え方を変えると

コンサートの開演が19時からならば、18時は開場時刻間近、うきうきわくわくいちばん楽しい時間ではないの。

ブルーノートのように2部制で、第2部を楽しもうとするならば、まだ時間はある、とも言える。

この「年齢を3で割ると人生の時間」という考え方でいくと、夜中の0時は72歳となるが、飲み屋ならばまだまだこれからという人もいるだろうし、オールナイトという考え方もある。

どう過ごすかは結局は人によりけり、ですな。


クールでホットでWin-Win

2023年11月21日 | 日常の記録

どうにもタイムラグが生じてもどかしいが、

11月18日は

「清水ミチコアワー~ひとり祝賀会~」@富山県民会館ホール

へ行ってきた!

月曜日は矢野顕子

土曜日は清水ミチコ

なんと贅沢な1週間。

当日はあいにくの荒天。駐車場は満杯だわ、紙チケットを発券せねばならないのに会場近辺にファミリーマートがないわで、ぜいぜい言いながらギリギリに入場。「お席に案内します」とにこやかながらも有無を言わさぬ案内係の人に伴われ即着席。若干お手洗いに行きたかったような気もするけど、ま、いいかー

と、開演を待つ間はやや冷え冷えとしていたのですが(お手洗い行く時間あったかも)

終演後はスパイスいっぱいのカレーを食べた後のようなホットな気持ちに!

川谷絵音さんの件でも思ったのだけど(と、いまだに思い出す)、取り扱いが難しい事件事象を笑いに昇華するミッちゃんの技術ってすごい!!「笑っていいんだ」とほっとして、世の中を憂えて暗くなる気持ちもやわらぐというか。一流料理人のごときネタ選びとさばきの技術(うまいこと例えたと思ったけどもう誰か言ってたかな)。

ネタバレしてもさしつかえなさそうな範囲で好きだったところ

「ネコふんじゃった」YMO編

瀬戸内寂聴さん(故人のモノマネはもはや懐かしく嬉しい。関係ないようだが、松村邦洋さんがラジオで言っていた、津川雅彦さんが亡くなった後に娘さんにお会いして、津川さんのモノマネをしたらとても喜んでおられたという話を思い出す。そうだろうなぁ。年を取ってくるとモノマネってもはや「ありがたいもの」になっているような)

弟の清水イチロウさんはピアノも上手。音の感じが好きだなと思った。ミッちゃんとはまたタッチが違うな、と。武部聡志さんに寄せたわけでは…ない?

「生きてりゃ死ぬわ」

結婚の歌はどちらもほほえましい

レモンでもミカン(←これが言いたかっただけ?)

作曲法、お若い方のはちょっと大丈夫かな当人が知ったら傷ついたりしないかなと心配だったりもするけど、批評にどう反応するかが一流へのバロメーター(?)だからいいのか。

全体に、ネタになった人も、このツアーのために呼ばれた人も、みんながWin-Win になっているところが、また、ミッちゃんすごい!と思った。

そうそう、私の座席位置からの画角が、先日の矢野さんのコンサートの時と同じ(若干背中側)だったのが、超個人的にツボだった。

アンコールでは不覚にも涙が。曲の力とパフォーマンスの力。

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私が清水ミチコさんのライブを観るのはこれが2度目。

前回は、なんと2007年クロスランドおやべにて。20周年記念とチケットに書いてあった。目マンとか、覚えてる。

会場での挙手アンケートによると、太客(ふときゃく:何度も参加している人)の方も結構いて、ほっとした。

ほっとしたというのもヘンだけど、ミッちゃんは富山は苦手なのではないかなと思ったりしたもので。

機会があったら行こうと思っても、富山および北陸での開催はずーっと無かった(と思う)ので、避けているのかなと思っていた。(が、ブログを読んでいたら今年黒部市でやっていたらしいのだが、全然情報がなかったような)

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終演後、通常よく見るアンケート用紙ではなく、QRコードが入った用紙を渡される。わーデジタル。私もうまいこと形容して次のライブで読まれるぞと、カメラにかざしてアクセスしたら、「カニカマのゆうべ青森公演」のアンケート(期限切れ)だった…デジタル…


願再訪南国土佐

2023年10月26日 | 日常の記録

10月15~17日は高知市へ行ってきた。

(恥ずかしながら…と前置きしなくてもいいか)東京スカパラダイスオーケストラのツアーがあることをきっかけにして、思い切った!

「思い切った」と書く理由は、富山から四国各地へは非常にアクセスしづらいから。

東京、大阪、名古屋まで出ないと飛行機もバスもない。

鉄道は乗り継ぎスムーズだったけど、7時間以上かかるのである。

しかしながら列車に乗るのは苦にならず楽しかった。

車ならば、高知市以外も広範囲に楽しめたのだろうけれど、いたしかたなし。また行きたい。

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さてさてスカパラのコンサートですが、皆さん前日夜遅く高知入りしたそうなのですが、当日朝にジョギング(沖さん)、サーフィン(北原さん)、酒蔵で試飲(川上さん)とか、どんだけの体力と行動力!!

舞台上でも疲れや衰えはみじんも感じられずひたすら楽しそう。

今回ホール内の音響もあるかもしれないけど、楽器の音も冴えわたっていて印象的だった。

いやほんとに「奇跡の9人」は過言ではない。でもでもどうかご自愛ください~。

個人的には、スマホ懐中電灯の演出に無事(というよりも率先して)参加できて雪辱を果たした(?)

とばした眼鏡も拾っていただいてすぐ戻ってきた。よかった…

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観光では、桂浜の景色と波の音には思いがけず大感動。

坂本龍馬にそこまでの興味はなかったのだけど、にわかに「時代は再び龍馬を求めているのでは」という思いがわきあがる。

そういえば道中読んでいた「週刊文春」でも「竜馬がゆく」の漫画が連載中だったなー(関係ないがこの週の「週刊文春」、宝塚とNHK大河「どうする家康」の記事で気持ちが暗くなった…)

司馬遼太郎の小説は読んだことがないもので、私の龍馬に関する知識は、ほとんどNHK大河ドラマ「龍馬伝」からきている、ということを今回認識した。山内容堂(近藤正臣)、吉田東洋(田中泯)...と俳優さんの顔が浮かんでくる。強烈だったなー。2010年の放送だったのねー。

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NHK連続テレビ小説「らんまん」主人公のモデルとなった植物学者牧野富太郎博士ゆかりの「牧野植物園」も広々と素敵なところだった。

開園は昭和33年とのことだけど、私含め、来園者数の朝ドラ効果はそうとう大きいのではなかろうか。

日曜市(着いたときはほとんど撤収作業中だったが…)でも植物の店が結構あったし、たまたま通った高知城の城西公園もとてもきれいで、高知の人には植物好きの一面もあるのかなと思った。

城西公園を通ったのは、地図でたまたま「寺田寅彦記念館」とあるのを見て、行ってみようと思って。旧宅で入場無料なんだけどここもよいところだった。

「ひろめ市場」がある一帯とはまた違って、この記念館周辺は高知のまた別の一面を見た感があった。

長くなったのでここまで。

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↓写真を撮るのが下手なことがよく分かる一枚^^;

夕日が美しかったのでシャッターを押しただけで、決して「献血ルーム」を撮りたかったわけではない。

左手に居酒屋「葉牡丹」があったかと。(You Tube の食べ歩き動画などを見ると必ず名前が挙がっていた。お店の方が優しく居心地よくお料理もおいしかった。また行きたい)