宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

人生は無駄な時間こそが大切だ

2023年12月23日 | 

『六角精児の無理しない生き方』(主婦の友社)に

「今の世の中は(中略)『より賢く、より小ずるく、より要領よくなれ』って世間全体が言っているような気がします。」

とあって、あっほんとうにそうだな、と思った。

ニュースで知る犯罪も、この強迫観念が悪い形で出たものが多いような気がする。

私も、世間の空気を読んでしまい「より賢く、より小ずるく、より要領よく」を意識している自覚があるので、

「でもそんなに打算的に小さくまとまっているだけじゃ人生は面白くならないから、ときには周りから嫌われる覚悟で自分の好きなことを貫いてみるという場面も必要なんじゃないかな。」

というくだりにも、ほんとうにそうだなとうなずく。

「同年代からのQ&A」での「好きな言葉、ためになる言葉を教えてください。」によると、六角さんの好きな言葉は

「人生は無駄な時間こそが大切だ」

(見城徹と藤田晋が出した本のタイトル)「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」

とのこと。

他のページにあった「間違いもまた正解」(正解ばかりが正解じゃない。)もいい。

「物事をすぐに諦めながらそのままツルツルと先に進んでしまうと、自分の骨格を作り上げる『節』ができないんですよ。」

(失敗しても(間違っても)諦めないで、悩んで考えてやっていくことで正解に近づく。ということでいいかな)

ほかにも名言がいっぱい。

この本を企画した編集者さんは偉い。

六角さん自身も「よかったらためしにこの本を手に取って読んでみてはどうでしょう」と語っているし(意外とそんなふうに著者が薦めている本はあまりないように思う)、ふだん本を読まない人でも読みやすいと思うし、お勧めです。六角さんを全く知らない人にはどうか分からないけど…六角さんとは正反対のタイプの人の方が、たまたま読んだら得るところが大きいかも。

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本から離れますが、六角さんといえば

NHKBSの「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」を、放送日に気が付けば観ている。

この番組のナレーションはずっと壇蜜さんがやっていたのだが、今年の夏だったかに放送された富山の鉄道旅では、NHKアナウンサーの方に変わっていた。

けっして悪くない。悪くないのだが何かが違う。

それまでは逆に、アナウンサーがナレーションをやったほうが経費削減になっていいんじゃないのとまで思っていたので、自分ながら意外な感想だった。壇蜜さん起用の理由にやっと思い至ったというか。

お酒に合う声、なのだろうか。ほろ酔い気分になる声というか。

声質が似ていても、微妙なニュアンスや個性があって同じ原稿を読んでいても違うものなのだなぁーとあらためて感じた次第。

検索したら壇蜜さんは春ごろから体調不良で休養中だったそうで、復帰されてよかった。


読んでいる本これから読む本

2023年12月15日 | 

買って読んでいる本があるのに、また買ったり、図書館で借りたりして、1冊をしばらく読み進んでは他の本もめくってみるという今日この頃。覚え書き。

『わたしの香港 消滅の瀬戸際で』(カレン・チャン 古屋美登里 亜紀書房)

(上京のおり何か本を買おうと思ってアンドレイ・クルコフの『侵略日記』との間で迷ったのだけど、周庭さんカナダ亡命のニュースが影響したかも。かなり厚い本なのだけど読み進めずにはいられない。)

『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』(高橋源一郎 斎藤美奈子 河出新書)

『何が何だか』(中野翠 毎日新聞出版)

『語学の天才まで1億光年』(高野秀行 集英社インターナショナル)

『月と散文』(又吉直樹 KADOKAWA)

(図書館で、ずっと貸出中だったのだけど、ふとした折に検索したら貸出可だったので借りてくる)

『六角精児の無理しない生き方』(六角精児 主婦の友社)

(図書館で目に留まらなかったら読むこともなかったかもしれないので^^;ラッキーだった。あっでも良書の予感)

加えて

『戦争と平和 3』(トルストイ 望月哲男訳 光文社古典新訳文庫)

(図書館で借りて、延滞していたのでいったん返却。しばらくしたらまた借りようと。タイトルへの先入観に反してびっくりするほどおもしろい。あらゆる感情が的確に言い表されていて、文豪の呼称に偽りなし(古典あまり読んでないもので^^;)。3巻はアンドレイとナターシャの恋路について。が、裏表紙の惹句によるとナターシャはこの先浮気…? というところまで読んだ。)


言葉に誠実であろうとすると

2023年11月06日 | 

週一更新にならないし、不規則生活のため、どうしても更新日がランダムになってしまう…が、あまり気にせず

おもしろい本を読んだ。

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸 左右社)

最初は、図書館の新着図書コーナーで目にしてちょっと気になったのだが、なんというかライトノベルっぽい感じなのかなと思って、読んでみることはしなかった。ルーマニアという国に良い印象がなかったせいもある。

が、後日書店で「岸本佐知子さん推薦」の帯がついているのを見て(図書館の本は帯がついていない)、にわかに読んでみたくなる。

で、また図書館に行ってみたのだが、すでに新着図書コーナーにはなかったので、検索エンジンで現在の本の状況を検索してみる。

漠然とエッセイの棚にある気がしていたのだが、分類番号によると「その他の国の文学」でイタリア文学の本の隣にあったのが意外だった。

意外だったけど、実際に本を読んでみると、ここの図書館の司書さんはちゃんと本を読んだうえで分類している!と感心した。当たり前かもしれないけど、なぜこの本がここにと思うこともわりとあるから。

今、amazon のレビューをいくつか読むと、期待はずれと書いている人は「エッセイ本」の範疇に収まらない部分が苦痛だったのかなと思われるが、かといって「外国文学」の棚に収めてしまうと、この本が刺さるに違いない人の目に留まらなくて残念なような…と思ったけど、外国文学の棚もついつい眺めてしまうような人にこそこの本は刺さるんだろうから、いいのか。

さて、私個人の感想としては、ものすごくおもしろかった。すごく刺激を受けた。

著者の語学文学そして世界に対する誠実な態度に感服する。

斜に構えたりふざけたりいいかげんだったり、しない。

正々堂々真正面から対峙している。だからこそ、同時代のルーマニア語作家とも、日本におけるルーマニア語翻訳の大家とも、ステキな良い関係がつくれるのだろう。うらやましいな。

最初のほうに、韓国映画好き中年女性への尊敬が語られていたけど、世界に対してフィルターがかかっていると、なかなかそんなふうに気づけないし、素直に語れないと思うのだ。

SNSを駆使した語学学習法はさすが現代の若者だなーと思うけど、フェミニズムとかLGBTQとか、それに絡んだ「言葉」の問題に対しても、昔の若者(たとえば私)はこんなに誠実でまっすぐに向かい合ってはいなかった、そこも現代の若者だなーと思う。

今ふと思ったのだけど、言葉に誠実であろうとすると、現代日本では引きこもり傾向にならざるをえないのだろうか。

心にもないことを平気で言える人は引きこもらないような気がする。

それは社会にとって損失だし、なんとかしたい。

「引きこもりの俺」とあるけど、実際の著者は自分と言葉と世界に誠実に向き合いながら、世界に対して自分を開いている。励まされる。こういう本を出す「左右社」という出版社にも興味が。

単純に語学好きとしては、ロマンス諸語とスラブ語の狭間にあるというルーマニア語、あらちょっと分かるような気が、という発見があって嬉しかった。(もちろんちゃんと学ぼうとするとややこしいのだろうけど)


あと何回の満月

2023年07月10日 | 

週1更新が途絶えてしまったが、あまり気にせず^^;ぼちぼち続けよう。

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6月末に『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(坂本龍一 新潮社)を読了。

坂本さんの生前にはこのタイトルに込められた切実さがよく分かっていなかったな。

・アルバム『async』について、「アルバムのミックス段階では、プロデューサーであるパートナーに諭されて、車上でのリスニングをしてみました。アメリカでは車を運転しながら音楽を聴くひとが多い。だから」云々とあった。

なるほど、当時「設置音楽展」の感想コーナーに「自分が音楽を聴くのは運転中スピーカーにつないだiPhone くらいで」みたいなことを書いたのだけど、その後に聞いた坂本さんの発言が、その感想に呼応しているように感じたのは、そういう経緯があったからなのね、と腑に落ちた。(別に自分の感想を読んだからってわけじゃない糠喜びだったってことだが、でもまぁ全くズレたことを書いていたわけでもないってことで、良し)

・2020年の12月12日のオンラインのピアノ・コンサート、とても親密な気持ちになった素敵な演奏だったのだけど(とブログにも書いた)、それが余命宣告を受けた翌日のことだったとは驚いた。観ているこちら側は何も分からないものだ。

・ちょうど再放送を録画した『スコラ 音楽の学校』ドラムズ&ベース編を観ていたところだったので、予定調和や台本の作りこみへの坂本さんの失望にはまったく気づかなかった。これも観ているこちら側は何も分からないものだなと思ったこと。

本の感想から離れるが

・『スコラ』ドラムズ&ベース編はYMOの細野晴臣さん、高橋幸宏さんが出演しているのだが、その第4回の最後で、幸宏さんが「体が動くうちにナマでどんどんやろうと」「今じゃなきゃできない演奏っていうのがあって、積み重ねて耳が覚えたことを、やっとできるようになった、それを今やりたくてしょうがない」と話し、坂本さんが幸宏さんと冗談で話していたこととして「でも、もうすぐ体が動かなくなるから、動かなくてもできる音楽をそろそろ追求しようかなと。でもそれYMOを始めた当初、30数年前から言ってるんですよね」と言っていて、そこに出演のピーター・バラカンさんが「でも70代、80代で立派にやっている人もいますよ」と返し、細野さんも「若い人には真似できないよね。老人力。憧れる」と話している。これは2010年の放送とのこと。言っても詮無いことだが、切ない…70代80代のお姿も見たかったなー…でもYMOに関しては、わだかまりのない良い形の晩年(?)があって本当に良かったなー…なんて。

この本にしても、本当に周到に、あらゆる面において語るべきことを語り、後の人々が参照できるように形として残していることに、改めて感嘆する。

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『街とその不確かな壁』(村上春樹)に、ちょっと文脈から逸脱してなぞらえてしまうと、私にとっての坂本龍一さんは、この小説の中の「子易さんの図書館」みたいな感じだったかなと思う。

田舎者にとっての「知への入り口」というのもあるし、親しみやすくウェルカムだが奥は深い。そして、亡くなったはずの子易さんが館内を軽やかに歩いている。話を聞こうと思えば、できる。でもたぶんきっとその姿はだんだん薄れていく…のかな?


翻訳とモノマネ

2022年09月19日 | 

読んだ本の覚書

「『その他の外国文学』の翻訳者」(白水社編集部編)

図書館でたまたま借りた。

すごく面白くて思いのほかあっという間に読了した。

日本でメジャーとは言えない言語で書かれた文学作品を翻訳するということは、使命感とやりがいもいっそう大きくなるわけで、うらやましいなぁと思った。

語学と外国文学にシンパシーを持つ自分は、「文芸翻訳、いいな」と思った過去もあって、「ありえたかもしれない自分」を投影して読んだ面もあった。

と同時に「やっぱり自分はこうはありえなかった」とあらためて検証したりもして。

理由としては「一分野にしぼれず拡散していく性向」「縁がなかった」「勤勉でない」「我が強い」というところか。

「我が強い」というのは、ほかのことではそうでもないのだけど、文章においては断然「人より自分」、俺様なのである。

…というところが、この本の感想にもあらわれているなぁ(中身には触れず、自分事だけ書く)。

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「カニカマ人生論」(清水ミチコ 幻冬舎)

購入。すごく面白くてこれまたあっという間に読了。

この面白さはどこから?と思うに、「美は細部に宿る」というか、普通の自伝には描かれないような小さな思い出がクローズアップされる所がいいんですねー。

小さい頃の話は「ちびまる子ちゃん」をほうふつとさせるような。冷静な観察眼とこどもならではの思考回路。

クローズアップの一例として、「ジァン・ジァン」での、チケットを忘れての「善と立ち聞きは黙って行え」のところ、こういうのほど覚えてるんだよねーふだん忘れていてもふとしたときによみがえる。

あと、ミッちゃんが愛される理由があらためて分かったような。モノマネは対象になる人をありのままに愛することだから、無私なのよねー「私が私が」じゃない。普段から周りの誰に対しても「人の関心に関心を注ぐ」態度なんだろうなー(これは以前読んだ「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」にあって考えさせられたキーワード)

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2冊並べて、ふと「翻訳とモノマネは似ている」と思う。

対象への愛、細部へのこだわり、完全一致はありえない、特徴をつかむことが大切、やり方によって、本物(原作)関係者およびファンから怒られたり喜ばれたりする…?


恥ずかしながらロックについて

2021年10月06日 | 
『日本のロック名盤ベスト100』(川﨑大助 講談社現代新書)を読む。

この本は前から図書館にあって、ちょっと読んだことがあったのだが、その時の印象としては
・10位までは、疎い私でもなんとなく納得のランキング。その中ではフィッシュマンズの8位が異様に見えた(知らないから)。
・自分が雑誌コラム好きというのもあるかと思うけど、限られた文字数の中でずばっとストライクを取りにいく筆致に好印象
・なんとなく著者はフェミニスト?女「性」を前面に出したアーティストには辛い印象。
第一部のベスト100の知っている人のところだけぱらぱら読んで、第二部は読んでいなかったのだと思う。

『僕と魚のブルーズ』を読んだ後、にわかに読みたくなって、図書館から借りてきた次第。
返す前に、基本的な覚え書きを。

・「ロック」と「ロックンロール」は同義。
・ロックンロールはアメリカ英語。きわめてアメリカ的な特産品。
・(本書で使用の言葉)「ポップ音楽」の「ポップ」は「ポピュラー」の略ではない。
・ポップ音楽=ロックンロールそのもの+その影響下にある大衆的な商業音楽の全体
・「ロック」も「ロール」も「実際の動き」と「そうなるような気分」の両方を表すための言葉。
・ロックンロールは「人工的」な音楽。「実現せねばならない理想」
・「歌謡曲」「ニューミュージック」「Jポップ」は、分からない多様なものを一束ねにして体制側に取り込み、現状を肯定するために何者かが(あるいは集合的無意識が)広めた呼称。
・ロックンロールは、冷戦を背景にして生まれ、その終結をもって歴史的役割を終えた(?)
・男尊女卑はロックじゃない。

全般に知らないことばかりなんだけれど、言葉だけ知っていたパンクやニューウェイヴがどういうものかとその流れが分かったのもよかった。

第一章ベスト100決定において5つの指標「ロック追求度」「オリジナリティ」「革新性」「大衆性」「影響度」の説明があった。ものを知らない私が違和感を持つとすれば「大衆性」で、これは辺境の地の子どもにまで届くということではない。コアなロックファンが支持しているとか海外の目利きに発見されるということが重要なんだな。
確かに、映画や文学で考えると、評価基準における「大衆性」とはそっちのほうかと納得したり。あらたな発見とかあって、年月を経て変わってくる部分でもあるなと思った。
サブスクリプション(apple music)内で検索すると、聴けるものが結構あってわくわく。

「おわりに」にある、ロックンロールとは「どんな動き」や「気分」をあらわしたものだったのか?の例がステキなので書き写してしまおう。

「クールな気分。その逆にホットな気分。わくわくするような、胸騒ぎがするような感じ。腹の底がカッと熱くなる……エネルギーの渦が生じてくるような感じ。反発力の起点。それら一切合切の、湧き上がってくるエモーションの波を最初に生み出してくれる。水晶体のようなもの。およびその振動を受けたことを全身の至るところで表現する、という行為そのものーーこれらすべてを『ロックンロール』のたった一言で表すことができる。」

中学生の頃よりも今のほうが、この感じを欲しているような気もする。損失補填のため・・・かもしれない?

ゆっくり進む秋の日差しを2

2021年09月21日 | 
『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』(川﨑大助 イースト・プレス)を読む。

おもしろくて一気に読んでしまった。

以下「フィッシュマンズを知らなかった私」の感想。

『映画:フィッシュマンズ』で初めて個々のメンバーのことを知って、こういう人たちがこの音楽をつくっていたのかとたちまち好感と親しみを持ったのだったが、肝心のフロントマン佐藤伸治については、焦点が結ばれず、よく分からない感じがあった。
それが、この本を読むことで、具体的な像が立ち現れたことがまずおもしろかった。
書かれているエピソードや会話、インタビュー記事の言葉が、映画で知ったあの容姿とあの声で再現されて「知っている人」になった。

次に、90年代のライブ事情や音楽産業周辺のこと、「渋谷系」の萌芽について読めて興味深かった。疎いながら私も当時の若者だったので、当時の空気を思い出したりもした。

年代を追っての、フィッシュマンズ作品についての感想、解説はもちろん興味深かった。サブスクリプションや歌詞検索ですぐに確認できるのも、こういう本を読むには便利な時代だ。もとからのファンの人は自分は違うと思うこともあるのだろうけど、私は初心者なので、なるほど、と。

映画の中で、テレビドラマの主題歌だったのにヒットしなかったと言っていた「100ミリちょっとの」、どんな駄作?だったのだろうと聴いてみたら、すごく良くて私には懐かしい感じもあった。著者も高評価でやっぱり、と。このドラマ主題歌枠、前作はオリジナル・ラヴの「月の裏で会いましょう」だったそうで、91年は私大学卒業の年で、そこから数年間がいちばん知らないことが多いのだな・・・

欣ちゃんファンだからというわけではないけど印象に残った描写。
「いかれたBaby」発表前のラジオ番組で、こういう感じの曲?の問いかけに「そういうんじゃ、ないんだなあ」とにやにやしながら「ほんと、佐藤さんってさあ、すごい才能だと思うよ!」と嬉しそうに言う欣ちゃん・・・

「いかれたBaby」について、このサイトで、インタビュアーが女の子だからか、しれっと欣ちゃんが、当時の佐藤さんの恋人MariMariの影響を語っている。やっぱりね、そりゃそうだ。
しかし、この本の中ではそういうことは書かれていない。(映画もそれに倣ったのではないかと思ったり)曲解釈の幅を狭めてしまうからというのもあるだろうし、分かる人には分かるだろうってことかな? そのあたりをナマに書かないところにも著者に好感を持つ次第。

終章「さらに、それから」でのフィッシュマンズ=めざすべき目的に向かう少年チーム(映画「スタンド・バイ・ミー」のような)という見立て、私は腑に落ちたし、この章で、佐藤伸治という人のことがさらに「知っている人」になったように思った。

まとまらないし、なにか違うことが書きたかったのだけど、とりあえず。

人の不思議

2021年09月18日 | 
『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(佐久間文子 新潮社)を読む。

読み終わった後、検索したら、あらタイムリーかも? 中野翠さんと著者佐久間文子さんとの対談が。
「考える人」対談ページ

個人的にこの本を読もうと思った経緯
『サンデー毎日』連載をまとめた中野翠さんのコラム集『いいかげん、馬鹿』の2020年1月の項に、坪内氏の逝去について書かれており、あらためて思い出す。

図書館にあった福田和也氏との対談集『羊頭狗肉 のんだくれ時評65選』を読んで、あらためて興味を持つ。
(2012ー2014年頃の内容だけど、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞を予言(待望)していてびっくり。当時そういう話題がすでにあったのかな。あと、東京オリンピック開催決定まであれこれがあらためて興味深い。)

近くの図書館で検索したら貸出中だったのだが、休館明けに行ってみたら目につくところにあり、ありがたく借りる。

坪内氏の著書については、中野翠さんの影響もあって、2000年代の初めごろまでは意識して読んでいたような気がする。『ストリートワイズ』は図書館で借りたような気がする。家の中をみたら『古くさいぞ私は』があった。雑誌『en-taxi』の創刊号もあった。『週刊SPA!』の対談は知っていたけどあまり読んだことはなかったような。2018年まで続いていたとは知らなかった。ここ10年くらいは『文藝春秋』内の「人声天語」と、『週刊文春』内の文庫本紹介ページを読んでいたくらいかなぁー

なんとなくうっすらと「細かいことにこだわる」「粘着質」「執念深い」「公に人の悪口を書く」「公に怒りを撒き散らす」といった負のイメージも半分くらいあって(具体的になにがどうというのは不明だが)、敬遠するようになったような気もする。書いてみると「おたく第一世代」の他の人たちへの認識とも共通するなぁ。

と前置きがすごく長くなってしまった。
本を読んで思ったのは、その人がどういう人であるかは、本人の自己認識よりも、周りの人がその人のことをどう見たかの総体なんだな、全然知らない第三者にはそっちのほうが説得力があるなということ。
坪内さんは愛されて幸せ者だ。
著者はさすが元新聞記者、記述に抑制が効いていて、見方が公正。
思うに、坪内さんみたいな人とつきあえるのは、基本的にいい人、おおらかな人、人間ができている人でないとだめなような。
恋愛となるとまた別の要素が入るのだろうけれど。
そもそも卑近で身も蓋もない感想だが、突然死は勘弁してと思った。
佐久間さんは気づいてあげられなかったと自責の念にかられているようだけれど、関係ない読者としては、勝手に死なないでよーと思ってしまった。残された者の負担も考えろ。
私も医者嫌いだけど、警察沙汰にならないためには、具合が悪くなった時に診てもらっておくことが大事なのね。

神藏美子さんの『たまもの』についてや、第十一章の「『ロマンティックなエゴイスト』のこと」は、表面的に評論やコラムを読んでいるだけではうかがい知れない坪内氏の別の側面が立ち現われて、なんとなく心細く怖くなる。
人生や人間について分かってきたつもりでいたけど、恋愛でこそ踏み込める深淵というのがあって、私は見ないようにして逃げている。
この本はそこも見つめていることによって、作品としての深みが増していると思う。
人それぞれの運命だと思うけど、私は人とこういう関係はつくれないな・・・

ともあれ、坪内氏の著作にまた興味がわいてきたので、追って読んでみたい。

これからの日本社会に

2021年09月05日 | 
図書館から返却の督促がきてしまったので、借りていた本について取り急ぎ。

『つまらない住宅地のすべての家』(津村記久子 双葉社)
これは傑作だった!
個人的には『ディス・イズ・ザ・デイ』に続く、これからの日本社会のあり方を示唆する大事なことが描かれている小説だと思う。
同時に借りた本に『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚史 佐藤直樹 講談社現代新書)があり、鴻上さんの「世間」についてのお話は他書でも読んでいたのだけど、津村さんの小説は、まさに壊れかけた世間で、どう人と人が緩やかに繋がりあっていけるかということが、希望を持って描かれている。
知らないだけかもしれないけど、「個人」「家族」「恋愛」「友情」以外の、人との関わりに重点を置いた小説というのはあまりなかったように思うのだ。
おもしろく読ませるための技巧もすごい。
派手な事件が起こるわけではないのだけど、読んでいくうちに点と点が繋がって「そういうことか!」と合点する快感ポイントが次々にあって飽きさせない。
そして、最後まで読んでちょっとほろっときてしまった。
登場人物も実に魅力的。
個人的にはオンラインゲームとか、二次元アイドル(?でいいのかもよく分からないが)とか全く未知の世界だが、それが好きな人の目線に立ってなんとなく分かるように描かれている。
そうそう(ブレイディみかこさんの本にあったが)シンパシーは感じないけど、エンパシーは得られるというのは、これか。
エンパシーの醸成は小説の大切な役割で、それが存分に得られるこの小説はやっぱり傑作なのだ。

『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』(阿佐ヶ谷姉妹 幻冬舎)
エッセイは当然のようにおもしろいのだけど、お二人による小説がまた上手で印象的でおもしろくびっくり。「神は細部に宿る」ということで、お二人それぞれの個性とか愛着とかが細かい設定とか小道具とか会話とかに反映されているのがいいのかな。
そして私は阿佐ヶ谷姉妹お二人のことを、一見老成して見えるけど実は年齢は30代くらい?と思っていたのだけど、自分よりは年下だけど実はそんなにも下ではないということを初めて知り、なるほど。
エッセイに出てくる例えも、私は共感しきりだが、お若い層には「?」なのではというのもあり(^^;

格付けしない

2021年05月28日 | 
『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』(小川さやか 春秋社)
読後、なんだか明るい気持ちになったので、読書記録を書いてみる。

この本を知ったきっかけは、新聞の書評。チョンキンマンションといえば香港、香港映画的なイメージで書評を読んだら予想と違った内容で印象に残ったのだろうか。機会があったら読んでみようと思っていたら、図書館で目に入ったので借りてみた。

詳しく感想を書こうと思ったのだが、「経済」はもちろん「人類学」のこともいまいちよく分かっていないためか、思いのほか難しく時間がかかるばかりなので、箇条書きに。

これは、香港在住タンザニア人たちの経済活動についての学術的エッセイである。(でいいのかな?)

明るい気持ちになった理由
今を生きている。
恩を着せない。
借りを感じなくていい。
遊びと仕事を分けない。
従わなくていい。
じめじめしていない。
いざというときに助けがある。
「ついで」でwin-win
数値化できない個性が活きる。
社会的に偉い人もダメな人も同じネットワーク

合わせて
自分が知っている世の中の仕組みが全てではない。
よりよい経済、社会の仕組みを考えている頭のいい人たち(学者)がいる。

といったところかな?

個人的には、自分の先祖が農民だからか、後年になって知った「商売人」メンタリティへの憧憬があり、また「故郷を離れた土地での居住年数が各々違うコミュニティ」は風通しがよくて良さそうだなと感じていたので、著者が注目するシステムの源泉がちょっと分かるような気もする。

スワヒリ語を駆使して、日本語話者の多くには未知であろう世界を開示する著者には感嘆するばかり。すごいなぁ。この本を「ボス」のカラマ氏ほかタンザニアの人に見せたら、わけわからない言語の羅列の中に、自分たちの写真や理解できる(スワヒリ語の)数行を見つけて、すごく不思議な気持ちになっただろうなぁー。

この本の発行は2019年なので、その後の香港民主化デモや新型コロナウイルスの流行で、タンザニア香港組合がどうなっているのか気になるところだ。