ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

旧水戸街道を歩く 第4回 柏から取手宿へ

2011年07月24日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2011年7月24日(日)


「関東ふれあいの道」(茨城)を踏破したメンバーから、次の目標として”「旧水戸街道」を歩く”
が候補に上がり、今回の企画になった。
日本橋から水戸城中までの約120Kmを毎月1回、9回に渡って歩こう、というものである。

出発地に集まるのには電車を利用することから、できれば朝の通勤ラッシュは避けたい。
そのため、本来は月末の木曜日のところを都内・千葉県を抜けるまでは、日曜日に実施することにした。
今回で、千葉県を通過して、茨城県に入ることになる。

第4回のこの日、柏(柏駅)から取手宿(取手駅)までの約13Kmを歩いた。
参加者は、9名。


8時30分、柏駅前を元気よく出発だ。


柏神社
前回はこの柏神社まで歩いたので、今日はここを左折して国道16号線方面へ進む。


巻石堂病院けんせきどうびょういん
産科・産婦人科の病院で、大きな病院という印象を受けた。


明治天皇柏御小休所碑
そごうデパートの立体駐車場の横に建てられている。
明治十七年(1884)女化原で行われた近衛砲大隊射撃演習の天覧に行幸された際の小休所で、
昭和16年には、史跡に指定されているとのこと。


国道16号線の手前に諏訪神社があったので、お参りして行くことにした。


朱塗りの諏訪神社本殿
この日の安全をお祈りした。


国道16号線を渡ってしばらく進むと、道路は常磐線を跨いでいるが、
歩道がないので右側を進んで跨線橋を渡ることにした。
前方に見える尖った屋根の建物は、結婚式場のマリアチャペル マリベール柏(旧柏玉姫殿)だ。


線路脇を進むと前方に跨線橋が見える。


跨線橋を渡っている時、ちょうど”スーパーひたち”が走ってきた。
グッドタイミングである。前方は北柏方面


跨線橋を渡って常磐線沿いに進む。
大きなけやきの木が日陰を作ってくれる。


道端の馬頭観音碑
馬の供養のために建てられたものだ。


国道6号に出て、北柏方面へ進む。


『あらっ 鯉がたくさん泳いでるっ』


手賀沼の浄化効果なのか、水は意外と綺麗である。
昔はもっと汚かった。


国道6号脇の歩道を北柏方面へ進む。


北柏駅北口の直ぐ脇を国道6号線が走っている。
常磐線ホームは国道6号線を跨いだ先になるちょっと珍しい駅である。


東陽寺


やまゆりの花が咲いていた。
春は八重桜やサツキ・ツツジが見事だそうである。


南無大師遍照金剛


真言宗豊山派のお寺で、御本尊は阿弥陀如来とのこと。


小さな竹林だが、手入れが行き届いており、青々とした竹が美しい。
気持ちが落ち着く。


旧水戸街道根戸付近
旧家らしき立派な構えの家や大きな家が多い。


道標のようだ。
成田街道、水戸街道の文字が刻まれた石が、横に重ねられていた。


国道6号を渡る。


我孫子駅方面へ進むと、常磐線を跨ぐ跨線橋がある。


跨線橋を渡り、我孫子駅方面を望む。


我孫子駅前交差点


交差点の角に八坂神社があったので、ここで一休み。


会員の方が持参した冷えたトマトを頬張る。
とてもジューシーで、美味しかった。


真言宗豊山派大光寺への入口
創建は室町時代とされている。度重なる罹災にあい、本堂は、昭和二十二年(1947)に改築されたもの。
嘉永四年(1851)に高野山から夢告大師像を迎え、四十二番厄除大師として信仰され参詣が盛んであった。


我孫子宿本陣跡の碑
この近くに江戸時代の参勤交代のときに大名などの宿泊・休憩場所として使われた「本陣」があった。


萱葺き屋根の脇本陣跡・小熊邸は、見るからに風格がある。


料亭鈴木屋
松花堂弁当、会席料理、お祝膳料理、うな重などの和風料理が有名、とのこと。
まだ10時25分、ちょっとお昼には早すぎる。


成田街道との追分である。
ここを直進すると成田街道で、左が旧水戸街道だ。


Y字路の三角地帯には、いくつもの道標や道祖神などが集められている。


JR成田線の踏切には、浜街道の名が。
旧水戸街道の先は「陸前浜街道」になっている。


前方に我孫子電車区が見えてきた。


常磐線をくぐる。
前方の赤い建物は、我孫子市水道局だ。


我孫子市水道局辺りを進む。


農家の主人らしき人が手招きしている。
何か見せたいものがあるようだ。


立派な瓢箪である。


庭も見て欲しいとのことなので、見ると立派なヒバの木が。
それも綺麗に剪定してある。自慢の木らしい。


お世辞抜きに見事な木である。
みんなで大いに褒めあげたら、満足の様子だった。


11時10分、柴崎神社に到着した。
伊勢神宮にも似た屋根が印象的である。


日本武尊が東国討伐の際に立ち寄り武運を祈り、また平将門の祈願所であったとも伝えられている、そうだ。


体は龍のようだが、亀の甲羅を付けている。
今まで見たことがない奇妙な龍の像である。


神社の石段で1.5mほどのしまへび(青だいしょう)に遭遇した。
蛇に出会うと”縁起が良い”との説もあるが、果たしてどうだろう?


柴崎近辺は、旧街道の名残か、豪華な造りの屋敷が多い。


国道6号へ出ると、遠くに取手のビル群が見えてきた。


青山台交差点


青山台交差点の先、国道6号線の脇道を進む。
途中で右に曲がっているが、細い坂道を真直ぐ進むと、国道6号線に出た。


いよいよ利根川大橋を渡る。
取手の市街地が次第に近くなってきた。
予報では気温は30度近くになるらしいが、川を吹き抜ける風が気持ち良い。


ゴルフ場は大勢のサンデーゴルファーで一杯だ。


県境の標識があった。いよいよここから茨城県に入る。


利根川のゆったりとした流れが気分を癒してくれる。


利根川を渡り、県道11号線へ降り、旧取手宿本陣を目指す。


常磐線ガードには、いろんな絵が描かれている。
東京学芸大の学生の作品らしい。


12時10分、旧取手宿本陣に到着した。
旧取手宿本陣は寛政七年(1795)に建てられている。
染野家は代々取手宿の名主を務めた家柄で貞享四年(1687)に水戸徳川家から本陣に指定された、とのこと。


取手宿は水戸徳川家の参勤交代で使用する水戸街道の宿場の1つで、
本陣では藩主をはじめ上級武士が休息や宿泊に利用した。


藩主だけが使用できる書院造りの上段の間は一段高くなっている。
旧取手宿本陣は茨城県指定重要文化財・取手市指定史跡に指定されている。


取手宿本陣の裏山に水戸斉昭の歌碑があった。
指て行く 棹のとりての渡し舟 おもふ方へは とくつきにけり


八坂神社
8月1日から3日に八坂神社の祇園祭が執り行われる。
文政九年(1826)作の神輿の大きさと重量は関東一だそうだ。是非一度見てみたい。


この日最後の訪問地、堂々とした門構えの長禅寺の山門。


さざえ堂
江戸時代中期に造られた三階建ての観音堂のことで、三世堂と呼ばれており、
平将門の護り本尊十一面観音を安置している。
内部には西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の合計百観音が納められている。
お堂に入ってから出るまで一度も交差することなく三階まで上って出てこられるように設計されている。


長禅寺は、承平元年(931)平将門が創建したと伝えられる。
江戸中期より始まった新四国相馬霊場八十八ヶ所の一番札所にもなっている名刹である。


取手駅に到着して、一応ここで解散とした。
『今日は、大変お疲れ様でしたっ!』
この後、取手駅ビルBox-Hillに向かい、昼食を共にした。



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2 コメント

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脇本陣小熊家 (松本)
2011-07-27 08:05:26
「我孫子宿本陣跡」碑の次「茅葺屋根の農家」は脇本陣小熊家に該当し我孫子市本町3-10にある。
返信する
御指摘ありがとうございました (ウマさん)
2011-07-30 10:17:12
大層立派な家だったのですが、脇本陣跡・小熊家とは知らずに農家としてしまいました。
早速修正しました。
御指摘ありがとうございました。


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