ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

旧水戸街道を歩く 第3回 松戸宿から柏へ

2011年06月26日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2011年6月26日(日)


「関東ふれあいの道」(茨城)を踏破したメンバーから、次の目標として”「旧水戸街道」を歩く”
が候補に上がり、今回の企画になった。
日本橋から水戸城中までの約120Kmを毎月1回、9回に渡って歩こう、というものである。

出発地に集まるのには電車を利用することから、できれば朝の通勤ラッシュは避けたい。
そのため、本来は月末の木曜日のところを都内・千葉県を抜けるまでは、日曜日に実施することにした。

第3回のこの日、松戸宿(松戸駅)から柏駅までの約12.5Kmを歩いた。

松戸駅西口に集まった参加者は、9名。


9時ちょうど、柏駅目指して出発!!
駅前から旧水戸街道(流山街道)へ通じる道。


神輿だ。しかし、夏祭りにしてはちょっと早いような気がする。
調べてみると、例年6月30日に、秋葉神社(松戸神社)の例大祭が行われる、とのことなので、その準備かもしれない。


旧水戸街道(流山街道)を柏方面へ曲がって進む。
通りは日曜日のためか、車・人通りは少ない。
この辺りは古い家などは全く見当らず、宿場町の面影はない。


2歳10ヶ月になる孫が、我々一行を見つけて大はしゃぎ、愛嬌を振りまいていた。
事前に通過時間を知らせてあったので、出迎えに来てくれたのだ。


歩道橋が見えてきた。かつては、ここに踏切があったらしいが、今は歩道橋になっている。
車専用道路はこの先にある。


歩道橋を通って、常磐線を跨ぐ。
下を常磐線の電車が頻繁に走り抜ける。


孫とはここでお別れし、旧水戸街道を進む。
『バイバ~イ』


歩道橋を渡り終えて数分、この日最初の訪問地、「雷電神社」だ。
雷神信仰の神社で、祭神は別雷命(わけいかづちのみこと


鳥居の下に不動明王らしき庚申碑があった。
後ろに天保十三年(1842)壬寅年が読み取れる。


先ずは「雷電神社」にこの日の無事をお参り。


常磐線を跨ぐ道路
左側は山崎製パン松戸工場へ、右は国道6号へと通じている。


5分ほど歩くと国道6号に合流した。
ここからしばらくは国道6号を歩くことになる。


北松戸駅前交差点を通過。


ここで左に曲がり、旧水戸街道は馬橋駅方面へ向かうことになる。


栢日庵立砂の居宅跡”の碑が建てられている。
栢日庵立砂(はくじつあんりゅうさ)は、馬橋の俳諧人油屋(大川)平右衛門のことで、別号を栢日庵(はくじつあん)と云う。
一茶のよき理解者であり、また庇護者でもあった、そうである。
一茶が15歳で江戸に奉公に出て、20歳の頃に馬橋の油商を営む俳人大川立砂(おおかわりゅうさ)の許に奉公しながら
俳諧の道に入った、そうである。


萬満寺の山門
松戸市馬橋の萬満寺は臨済宗大徳寺派の寺院である。
創建は建長八年(1256)というから古い。


仁王門
仁王様の股くぐり”が有名とのこと。


仁王像(金剛力士像)は鎌倉時代の作と云われ、国の重要文化財に指定されている。
毎年3月27日~29日と10月27日~29日にかけて行われる祭礼の日に仁王様が御開帳される。
この期間に仁王様の股(両足の間の隙間)をくぐれば、病魔災害を防ぎ丈夫になるというのである。
かなり窮屈そうな感じがする。


立派な本堂。
本尊は、阿弥陀如来である。


萬満寺を過ぎて旧水戸街道を進む。
この先でまた国道6号に合流する。


国道6号脇にぽつんと道標が建てられているのを他の会員が発見。
道路の反対側の歩道橋の脇だったので、危うく見過ごすところであった。
八ケ崎交差点の歩道橋から国道6号を見たところ。
正面が国道6号(松戸方面)で、右が旧水戸街道(馬橋萬満寺方面)、左が印西道。


ちょうど水戸街道と印西道の分岐点である。
この碑は、今から200年以上前の文化三年(1806)に建てられたもの。


左水戸街道、右印西道の文字が刻まれている。


しばらく国道6号を進む。
軽やかな歩きだ。


蘇羽鷹神社そばたかじんじゃ


創建以前、この地には千葉孝胤が治めた三ヶ月(みこぜ)の馬橋城が建っていた。
馬橋城の廃城後に千葉氏の加護を受けてこの神社が創建された、とある。
千葉氏は陰陽道に則り、本城の亥鼻城(千葉市立郷土博物館)の鬼門に曽場鷹大明神を祀って
災難除けにしていた、とのこと。曽場鷹が転じて「蘇羽鷹」と呼ばれるようになった、そうである。


昭和五十一年(1976)に火災で焼失したが、同五十五年に再建されたそうだ。


境内の片隅に三十八貫(約140Kg)の力石があった。
江戸の昔、若者が力比べをして持ち上げていた。


蘇羽鷹神社前の国道6号を反対側へ渡って右へ進むと、JR武蔵野線が走っている。


焼き物の甕が石垣のように積まれている。
常滑市の”やきもの散歩道”を思い起こさせる風景である。


道端の庚申堂


『いやぁこれは見事な木だねぇ!』
きれいに剪定されている。何という木だろう?
この辺りは旧水戸街道の小金宿で、良く手入れされた立派な庭の家が多い。


虚無僧寺一月寺
松戸市小金に所在する日蓮正宗の寺院で、山号は金龍山(きんりゅうさん
普化宗の関東総本山という地位にあって、正嘉年間(1257-1259)に金先古山禅師によって創建されたと伝わる。
徳川幕府の庇護もあり、隆盛を極めたとのことだが、明治政府の方針により、幕府と縁の深い普化宗が廃止されたため、
僧侶は僧侶の資格を失ってしまった、そうである。
普化宗は、虚鐸(尺八)を吹きながら旅をする虚無僧で有名。


小金宿の旅篭「玉屋
小金宿は、江戸時代より旧水戸街道の宿場町として栄え、成田街道でもあったことから、旅篭が多かった。
鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉屋の屋号で江戸後期の旅篭の原型を留めているとのこと。


表の案内板によると、
『当時の小金宿では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊が役職に従事していたが、未だ姓は現存している』
とのことである。
この近くには、ここに紹介された名字の家が多いのだろう。


東漸寺とうぜんじ
東漸寺は、浄土宗のお寺で、今から約530有余年前の文明十三年(1481)、経譽愚底運公上人により、根木内に開創された。
その後約60年後の天文年間に現在地に移され、江戸初期に関東十八檀林(浄土宗の僧侶養成機関・学問所)の1つ
とされた名刹である。
前方に見えるのは、総門。


総門の先にもまだ長い参道が続く。
参道は掃き清められ、緑に包まれた広大な境内に感嘆の声が上がる。
『こんな立派な参道は初めてだよ。素晴らしいねぇ』皆感心するばかりである。


山門
文化元年(1804)に楼門造りとして再建され、昭和五十二年に営繕されている。


山門の先に中雀門が続く。
紅葉の時期(12月初旬)の中雀門は、それは見事だそうである。
あらためて紅葉の時期に訪問してみたい、と思う。


中雀門を通ってようやく本堂に辿り着いた。
徳川家康の加護を受け、十八檀林というだけあって、立派である。


本堂前の松の枝ぶりも素晴らしい。


小金宿に生まれ育った明治維新の志士 兄竹内廉之助(左)と弟哲次郎(右)兄弟の碑が建てられている。
兄弟は、幕末天保年間に小金宿に生まれ、父に学問・剣術を学び、やがて二人で江戸に出て、漢学や剣術の修行に励んだ。
哲次郎は、尊皇攘夷思想に目覚め、水戸天狗党の筑波山挙兵に兄と共に参加したが、1864年24歳で死亡。
兄廉之助はその後、新政府の赤報隊幹部になるなど、明治維新で活躍した。1868年、31歳で死亡、と案内されている。


東漸寺を後にして、北小金駅方面へ向かう。


スーパーイオンの前に道標があった。
一つは右水戸道中と記されていたが、もうひとつは読めなかった。
(右水戸海道と記されているそうである)


そろそろお昼時である。
昼食は柏駅に着いてから、と考えていたが、柏駅まではまだ少し距離がありすぎる。
適当な店を探しながら進んでいると、国道6号との交差点に牛丼の「吉野屋」があった。
グッドタイミング、迷わずここで昼食を摂ることにした。


昼食後、国道6号を横断し、根木内城址へ。


根木内城址(ねぎうちじょうし)は、今は鬱蒼とした空堀と、


土塁くらいしか残っていない。
盛り上がっているのが、土塁だ。


土橋を渡ると、その先には広場があり、今は公園となっている。


城址の説明に見入る皆さん。


かつての城址は国道6号建設で真っ二つにされてしまったことが分かる。
右の昭和24年当時の城址は、現在の倍近い広さがある。
斜めの直線は国道6号に予定されていることを示している。
左が平成15年の城址だが、国道6号線で真っ二つになっており、左側半分は既に住宅が建てられてしまっている。
そのうちここも無くなってしまうのだろうか?


根木内城址から少し進むと、道路の右手に庚申塔があった。


バス停の名前も「庚申塚」になっている。


しばらく進むと香取神社があった。
香取神社は、江戸時代初期創建の旧向小金新田の産土神(うぶすながみ)である。


青面金剛(しょうめんこんごう
人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。
そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は、
人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習があった。
青面金剛は、三尸虫の昇天を押さえ、人を助けてくれる、ありがたい神なのだ。


一里塚碑
かつてはここに一里塚があり、榎の巨木あったが何年か前に枯れてしまい、植え継がれている、とのこと。


香取神社の真っ赤な鳥居と拝殿


南柏駅付近
車の往来が多くなってきた。


今谷上町稲荷神社


茅葺きの屋根が特徴だ。屋根の形も少し変わっている。


八坂神社
水戸街道は、水戸藩士の通行や旅人の往来に使われていたが、広大な原野である「小金牧」を通過するため、
道に迷うことがあったそうだ。
そこで、水戸藩から資金を与えられ、街道に千本の松を植え、道しるべの役割としたのが、松並木の始まりと云われている。
昭和50年代までは、当時をしのぶ松並木が見られたが、付近の環境が変わり、松も老木となったりして切られ、
現在では残っていない。(案内板より)


南柏駅前交差点を過ぎ、数百m行くと、別雷神社・稲荷神社わけいかづちじんじゃ)がある。
ここは豊四季、柏駅も近い。


豊受稲荷ゆたかいなりじんじゃ
豊受稲荷本宮は全国でも珍しい神仏習合の稲荷神社である。
地鎮祭や七五三、神前結婚式、お祓い、人生相談、占い、各種祈願護摩など何でもござれだ。


本宮と名乗るからには、さぞや大きな神社かと想像していたが、境内?は極めて狭い。
拝殿の半分は普通の家屋に隠れている。
どうしてこのような窮屈な建て方になったのだろう?


表から見ると半分しか見えないが、奥まで行くと、このような具合だ。


白蛇弁財天もあった。


東武野田線の鉄橋を過ぎると、柏駅はもう直ぐだ。
霧雨が降ってきたが、大して気にならない。


だんだんビルや家が建て込んできた。


柏神社
羽黒神社と八坂神社を合祀した神社である。
大きな銀杏の木が印象的である。枝はかなり切り詰められている。
柏のど真ん中と云う場所柄、伸び放題にしておく訳にはいかないのだろう。


途中で足がつって痛くなってきたので最後まで歩けるか内心心配していたが、無事到着して一安心。
とりあえず無事到着を報告した。


歩行者天国の突き当りが柏駅だ。


目の前に柏駅が見えてきた。


次回の紹介を周知し、再会を誓い合って、この日は解散とした。
『今日は大変お疲れ様でしたっ!!』




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