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ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

湖岸の風が心地良く 霞ヶ浦ウォーキング

2012年04月15日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2012年4月15日(日)


第8回「かすみがうらウォーキング」に参加した。
2009年以来、3年ぶり2度目の参加となる。

08時から土浦駅で受付が開始されるため、荒川沖7時46分発の臨時列車に乗った。
6分ほどで土浦駅に到着。
同時に開催される「かすみがうらマラソン」の参加者でホームは人で溢れた。


階段とエスカレータにはびっしりと行列が出来た。
土浦駅でこれほどの行列が出来るのは、秋の”花火大会”くらいのものである。


受付が終わると、バスで出発地の「歩崎公園」へ向かう。
既に何台か出発済みだったが、バスも満員の状態だ。
出発して5分ほど経った頃、フルマラソン出場者が間違ってバスに乗ったことに気づき、
あわてて途中でバスを降りる、というハプニングも。


30分ほどで「歩崎公園」に到着。
既に大勢の「ウォーカー」達が集まっていた。
大会本部の説明によると、この日の参加者は、389名とのこと。
自分の所属する「健康ウォーキング同好会」からは4名の参加である。
閉め切りに間に合わず、参加を見送った人も何人かいた。


9時30分からの開会式に続いて、準備体操。


「歩崎公園」からゴールの「川口運動公園」までは約19Kmとかなりある。
入念に準備をしておくことに越したことはない。


出発に先立ち、地元有志による”よさこいソーラン踊り”に勇気づけられる。


10時ちょうど、「茨城ウォーキング協会」の旗を先頭に出発!
人数が多いため、最初の5Kmは5つのグループに分けて進む。


「よさこいソーラン」の人達のエールを受け、我々最後の第5グループも出発だ。
『元気に行ってらっしゃぁい』


地元の「あゆみ太鼓」の力強い太鼓の囃子でさらに元気が湧いてきた。


スタートのゲートをくぐり、


霞ヶ浦湖岸に出る。
地震の影響で損壊した堤防の修理が行われている最中だった。


堤防の上は急遽ビニールシートで覆われ、歩き易く補修されていた。
昨日の雨でビニールシートの下はかなりぬかるんでいた。
大会関係者の気苦労が伝わってくる。


しばらく湖岸の堤防と並行する道路を進む。
一段下の道路からは殆ど霞ヶ浦が見えない。


10分ほどで堤防の上に出た。ここからは霞ヶ浦が良く見える。
左手に霞ヶ浦を臨みながらの歩行は気持ちが良い。
湖岸を吹き抜ける風が心地良く感じる。


のんびりと釣りを楽しむ姿が見られる。
”我関せず”の心境なのであろう。


長い隊列が続く。
もはや先頭は見えない。


鯉のぼりが風に棚引いているのが見える。
あと半月もすると”端午の節句”、孫の顔が脳裏をかすめた。


ときおり、堤防の上を車が通る。
県道はマラソンのため交通規制されているので、仕方なく堤防上を走るのだろう。


これは、赤十字社の車だ。
気分が悪くなったりした人を搬送するために用意されているのだ。


出発して約5Kmほど歩くと、前方に水資源機構霞ヶ浦用水管理所が見えてきた。
11時10分を少し回ったところでほぼ予定通りの時間である。


おにぎり2個とスポーツドリンクを受け取り・・・


霞ヶ浦用水管理所内に入ると、あちこちで弁当を広げている。


適当な場所を探すが、先に到着したウォーカーでどこもいっぱいだ。


霞ヶ浦用水管理所の裏に回ってようやく弁当タイム。


11時35分、マラソンランナーが走る方を見つめるウオーカー達。
トップ集団は既に通過したようだ。
その後に次々とランナーが続いているのが見える。


弁当も終わり、我々ウォーキング集団も再出発。


ここから約10Kmは、グループに関係なく、自由歩行である。
「茨城ウォーキング協会」の旗も中間より少し前を進む。


歩行速度は前半よりやや早くなった。
とりあえずこの旗を目印に付いて歩くことにした。


前を歩いている人に遅れまいと歩いていたら・・・


いつの間にか協会の旗を追い越していた。
旗が遅れだしたと言った方が正しいかも。
風の中を大きな旗をかざして歩くのは大変である。


県道側はマラソンランナーが走っている。
あのランナーは何番目あたりなのだろう、などと考えながら歩く。


集団がバラけて長い列になってきた。
先頭は遥か先で、まるで見えなくなった。


霞ヶ浦湖岸の道と県道が最も近くになる地点。
大勢のマラソンランナーが見える。


後方のウォーキング集団。
旗はかなり後の方になっていた。


かすみがうら市の加茂辺りで道は直角に曲っている。
湖岸から300mほど奥まったところにある橋を折り返すように進まなければならない。


自分ではかなり速足(時速6Km程度)で歩いているつもりだが、なかなか追いつかない。
それどころか次第に離されていく。


西浦中岸から8Kmの地点。


前方に土浦駅周辺のビル群が見えてきた。
集団の先頭が見えるが、追いつくのはとても無理な距離だ。


水神宮であろうか? 土浦市の沖宿辺りと思われる。


臨時のトイレが設置されている、ということは休憩所は近い。


13時30分、約10Kmの自由歩行を終え、休憩所(と言っても小さなトイレしかないが)に到着。
既に先着の人達は軽いストレッチで身体をほぐしていた。


体調を整え、水分補給の後、再び隊列を組んでゴールを目指す。


今度は集団での歩行のため、比較的ゆっくりとしたペースだ。
いつもの散歩と同じくらいのペースなので少し楽になった。


土浦市街のビル群が次第に大きく見えるようになってきた。


西浦中岸から4.5Kmの地点。
ゴールの川口運動公園まで約2.5Kmほどであろうか。


木田余(きだまり)ポンプ場付近


土浦駅前へ通じる道は、大勢のマラソンランナーで埋め尽くされていた。
ここからゴールまではマラソンランナーと並んで歩く。


『頑張って!!』『ゴールはもうすぐだよっ!!』
疲れ切ったランナーを元気づける大きな掛け声が飛ぶ。
我々ウォーカーも励まされる。


ゴールまで約1Km地点。


通常のランナーに混じって視覚障害者も走っていた。
『頑張れっ!』思わず声をかけた。


ゴールまで約600mの地点。凄い人数である。
右側を歩くウォーキングの人達が少なく感じる。


ゴールまであと残り約500mの地点。


ウォーキングの一団は、時間調整?のため、土浦港入口の橋で一時停止。
マラソンランナーの応援に回る。
『最後の頑張りだぁ~』『ゴールは目の前だよ~っ』


川口運動公園前の信号を左折すると、運動公園は目の前だ。


「かすみがうらマラソン」のゴールゲート。


「かすみがうらウォーキング」のゴールが見えてきた。


マラソンの表彰会場も準備万端のようだ。


「かすみがうらウォーキング」のゴールゲート。
14時30分、「健康ウォーキング同好会」の4人全員、元気でゲートをくぐった。
『今日は、大変お疲れさまでしたっ!!』


この後、名前入りの”完歩証”と参加賞のオリジナルTシャツを受け取り、川口運動公園を後にした。
この日の「かすみがうらウォーキング」は、19Kmという比較的長い距離ではあったが、
最初に参加した時に比べてさほど疲れたということはなかった。
これも一つは「健康ウォーキング同好会」で、毎週のように歩いているおかげと言えるだろう。


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富士山はどこ? 曽我丘陵ハイキング

2012年02月26日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2012年2月26日(日)


「健康ウォーキングの会」の仲間からお誘いが掛かり、曽我丘陵から富士山・梅林を愛でる
ハイキングに参加した。
当初は1週間前に予定されていたのだが、曽我梅林の梅は全く咲いていない状態のため、
この日に延期されたものである。

日曜日となったのは、”少しでも負担を軽く”という提案者の心配り。
ホリデーパスを利用すれば、半額以下で行けるので、これはありがたい。
(停車しているのは特急スーパーひたちでこれはパス)


荒川沖駅06:16発の電車に乗り込んだ。
土浦から乗車した有志5名と合せて計11名の参加者になった。
毎週金曜日の例会のいつものメンバーである。


日曜日のため、この車両に乗っているのは我々一行の他数人のみ。
早速曽我梅林の話に花が咲き、その賑やかなこと。


山の手線、東海道線と乗り継いで国府津駅で御殿場線に乗り換える。


9時11分発沼津行きの御殿場線は3両編成だ。


御殿場線車内
本数が少ない割には空いている。
観梅目当ての人の出足はやや鈍いようだ。まだ梅の見頃ではないということ?


この日のスタート、国府津から2つ目の上大井駅に到着。
ホームが濡れている、ということは少し前まで雨が降っていた?
少し不安になってきたが、予報(曇り時々晴れ)を信じるしかない。


上大井駅前
普通であれば、駅前で準備体操、ということになるのだが、
ついつい気持ちが焦るのか、直ぐに出発となった。
9時20分、時間はたっぷりある。


この日のコースを推奨した二人が先頭を歩く。
『2年前に来た時は満開だったのよねぇ』
『富士山もきれいに見えたのよね~』


ハイキングコースに差し掛かる。


コースの案内が分岐点や角には必ずと言っていいほど立てられており、道に迷うことはない。


昨年喜寿を迎えますます元気なTさんも参加している。


力強く颯爽と歩く姿は格好良い。
実は女性陣に一番人気があるのである。
『決まってル~!』


のどかな田園風景の中を進む。
ひんやりした空気の中を歩くのは気持ちが良い。


9時45分、了義寺に到着。
案内板によると、
了義寺は、貞治六年(1367)八月、足柄地頭和田宗時が飛龍山了義寺と号し、
鎌倉から古先印元禅師を招いて開山した寺である。

と記されている。
臨済宗建長寺派の寺である。


皆さんが一休みしている間に本堂へお参りして行くことにし、石段を上る。


真新しい鐘楼
木の香りがするようだ。


飛龍山了義寺の本堂


本堂内部は凛とした空気が伝わってくる。
案内板にはまた、本堂には十二枚の杉の板戸絵があり、竜虎、竹林図など見事な墨絵で、
寛政六年(1794)秋、穐山桜氏雪保「秋山桂月」という女性が四十歳の頃、了義寺に
招かれて才筆をったと伝えられ雪舟派の流れをくむ近世漢画の貴重な資料である。
と記されていたが、格子の隙間から撮ったため、周りはよく見えなかった。


了義寺を後にして「いこいの村あしがら」を目指して進んでいると、


道端にふきのとうが芽を出していた。
春を感じさせるひとコマである。


平地は畑、斜面はみかん畑というのどかな風景が広がる。


少しばかり坂道になってきた。
次第に身体が温まり、首筋・額に汗が滲んできた。


一休みして水分補給していくことに。
『お茶が美味しいわねっ』


またしばらく坂道を上って行く。
水仙の花が咲いていた。


いこいの村あしがら」横の大井町農村公園で体調を整える。


おおいゆめの里」から富士山方面を望むが全く見えない。
果たしてこの方角が合っているのかも分からない。


俳句会の大御所、野村浜生の俳句の碑があった。
春の雨 一村やわらかに 沈む


CALFORNIAナンバーを付けたトレーラータイプのキャンピングカーが
何故こんなところにあるのだろう?
このタイプのキャンピングカーは日本では殆ど見ることはない。


いこいの村あしがら


「いこいの村あしがら」の向かい側に”お山のひなまつり”の看板が。
中にはおひなさまが飾られていた。


お地蔵さん前を右に曲がり、浅間山電波塔を目指す。


なかなか見晴しが良い。


曽我丘陵は殆どが舗装されている、また急な坂道はないので歩き易い。
皆さん、元気いっぱいである。


曇っているので時折視界が開けても、方角が分からない。
こちらは相模湾方面?


あちこちに梅林があるが、丘陵の梅はご覧のとおり。


まだ1分咲き程度か?


『この辺りはまだちょっと早過ぎたわねぇ』
『今年は異常なのよっ』


浅間山の無線鉄塔を通過。


曽我丘陵の尾根に沿って進む。


NHKの新しく出来たばかりの無線鉄塔前で一休み。


不動山頂上への入口の標識があったが、頂上は視界が全く効かないため、素通りだ。


見事な杉の林だ。


曽我丘陵一帯はアオキの木がたくさん自生している。
アオキは日陰でもよく育つのが特徴だ。
雌雄異種で、冬に真っ赤な実がつくのは、雌株である。


不動山を過ぎると、ずっと下りが続く。
そろそろお腹が空く頃だが、弁当に適した場所が見つからない。
『梅林までお昼は我慢しようねっ』
まだまだ元気である。


曽我丘陵中腹の南に面した一帯は早咲きの梅が5分咲きの状態といったところ。
まもなく満開を迎えそうだ。


山を下ると眺めが良くなってきた。
『素晴らしい景色ねぇ』


相模湾が望める。


梅林を縫うように下る。


もう少し晴れて富士山が望めれば申し分ない眺めなのだが・・・


六本松跡の碑
ここは5本の道の分岐になっている、とのこと。


どちらへ行けば良いのか分からなくなったので、一本松を目指すことにした。
国府津方面と書いてあるし、次々と人が上ってくるので、こちらへ行けば何とかなるだろう。


お腹が空いているのに、元気いっぱいの笑顔が良い。


ほどなく一本松に到着。
六本松の代替わりだが、随分と若い木である。
”別所梅林への近道”と記されているので一安心。


急な坂道が続く。


こちらは小田原方面
真ん中を走っているのは「小田原厚木道路」である。


曽我丘陵を下りきると一段と梅の花が咲いている状態になってきた。
満開の梅の花はやはり美しい。


二宮尊徳像と遺髪塚
尊徳二宮金次郎の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛であった。
当時、川久保家は父太兵衛の才覚で繁栄していたが、兄太兵衛の代になると、
分をこえた生活と病災にみまわれて家運も傾きはじめた。
天保十一年(1840)尊徳は川久保家の再興をはかるることになり、市太郎、
民次郎、常次郎の三人の子息に無利息の報徳金を貸与し、復興の指導を行った。
その結果もっとも優れた成果をあげた民次郎が川久保家を継ぐことになった。
この民次郎は下野国桜町(栃木県二宮町)仕法時代から、長らく尊徳に従者として
仕えており、尊徳の死去にあたり、その遺髪を得て曽我へ帰った。
この遺髪塚は民次郎の遺言によるもので、孫の與三郎が昭和十三年にその遺志を継いで
建てたものである。



別所梅林
出店が並んで賑やかだ。


見事な梅の盆栽
買って帰るのも大変なので、写真で我慢することにした。


12時35分、梅の木の下で弁当を広げる。
殆どの梅はまだ蕾の段階だが、花より団子である。
別所梅林・梅まつりは3月6日まで延長することになったそうだ。
梅まつり期間中は梅の木の下への出這入りは自由だが、農家の方々が農作業に入るため、
出這入りはできなくなる。観梅は自由である。


日曜日ということもあって、大勢の人で賑わっていた。


郷土芸能が始まるそうで、特設舞台前には既に大勢の見物客が
陣取って開演を待っていた。


寿獅子舞の様子
笛・太鼓・鐘の拍子に合わせて獅子が舞うところ。
小田原市の無形文化財に指定されている。


ひょっとこ? が出てきた。


二人のひょっとこのパントマイムのような軽妙なやり取りが面白い。


案内板前の紅梅は見頃になっている。
案内板には、曽我の梅林は、曽我別所梅林、曽我原梅林、中河原梅林からなり、
その規模は90ヘクタール、約30,000本の白梅が植えられており、小田原梅の産地で・・・
毎年600~650トンの生梅が収穫される・・・
と記されている。
神奈川県の景勝50選に選ばれている。


下曽我駅に向かう。


これは蝋梅、既に満開は過ぎて終期を迎えているが、まだ独特の香りを漂わせている。


20分ほどでこの日のゴール、下曽我駅に到着。
次の電車まで40分ほどある。


駅前で、みかんや梅干しが売られていた。
みかんはどれでも1袋100円ということで、上々の売れ行きだ。
自分は土産に梅干しを買っていくことにした。


1時間に1本の電車のため、ホームは人で溢れた。
このような状態になるのは梅まつりの期間だけかもしれない。


国府津で東海道線に乗り換え、帰路に就いた。
早くも次はどこにしようか話し合ってる?


この日は、予報に反して曇りだったことから、”梅の背景に富士山”という絶景を
楽しむことはできなかったのは残念ではあった。
曽我梅林の満開はもう少しの状態だったが、早咲きの白梅十郎梅は見頃を迎えていたので、
1週間遅らせた効果はあったというもの。
提案した二人も何とか面目を保って一安心といったところだろう。
いろんな場所に出かけているお二人の新たな提案に期待したい。


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雨もまた楽し? 房総高宕山ハイキング

2012年02月06日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2012年2月6日(月)


「まゆみの会」事務局を務めている方から、貸切バスに空きが出たから、と誘いがかかり、
特に予定はなかったので、参加させてもらうことにした。

今回の行く先は、「房総半島・高宕山」ということである。

「まゆみの会」は朝が早いことは、前回にも触れた。
集合時刻より15分前に荒川沖国道6号つくば銀行前でバスを待つ。
この日は前日に比べて少し暖かいとの予報だが、やはり寒い。


6時30分、予定どおりにバスが到着。
28人乗りの小型バスは石岡・土浦と回って来て、既に満席に近い。
おなじみの顔が温かく迎えてくれた。


この後、牛久駅から常南交通本社と回って、定員いっぱいの27名が乗り込んだバスは、
圏央道稲敷ICから国道408号を通り、成田ICから東関東道・館山道と走り、
館山道市原SAで小休止。
予報では昼過ぎから雨だったが、早くも小雨がパラつき出した。
『予報とは違うんじゃないの?』


高宕山登山口に近い「植畑上郷バス停」へ到着したのは既に9時50分。
道端で早速雨具の準備に取り掛かる。


約10分で、準備が整った。


10時5分、高宕山目指して出発!!


「石射太郎山コース」(いしいたろうやま)の案内標識に従って進む。
この日のコースは、千葉県「関東ふれあいの道」(ニホンザルと出会うみち)にも指定されている。


しばらくはアスファルトの平坦な道が続く。


田園風景が広がる。
雨のため、遠くの山々は余計に霞んで見える。
なかなか風情のある風景だ。


”パンッ””パンッ”と弾ける音がしたので、猟でもしてるのかと思ったら、竹を燃やしていた。
熱が道路脇まで伝わってくる。
暖をとるにはちょうど良い火加減だが、先を急ごう。


道路脇の崖には、つららが下がっていた。
房総半島とは言っても結構寒いのだ。


頭上注意の看板が。
コンクリートを吹き付けた崖の途中が崩れ落ちている。


車は全く通らない田舎道を進む。
『登山口はまだ遠いの?』


バス停から40分ほど歩くと前方にトンネルが見えて来た。
トンネルの右側が石射太郎山・高宕山への登山口になっている。


トンネルは通行止めになっている。車が通らない理由だ。
このトンネルは怒田沢へ通じているが、怒田沢から先は行き止まりになっているため、
車は通らないのだ。


山登りに備えて、準備を整えて・・・


いよいよ山登り開始である。
有難いことに、雨は殆ど止んでくれている。
しかし、この天気もいつまで持ってくれるやら。


薄暗い杉林の中を色鮮やかな一団が進む。


薄暗い林を抜けると明るい場所に出た。


あいにくの雨で、眺望は全く望めない。


登山口から20分ほど登ると「石射太郎山」の伝説が書かれたパネルに到着。
昔、台田久保という巨人が高宕山北方の高い山の上にある大きな石に向かって、
鹿野山から強引に矢を射った。
すると石は遥か南方半里の谷間まで射飛ばされた。
その時台田久保は鹿野山で「石射たろう」と言ったそうな。
その時の言葉をとってこの山を「石射太郎山」というようになった
そうだ。


石射太郎山の前には柵がしてあって、その先は入れないため、横目で見ながら先へ進む。


石射太郎山から目指す高宕山までは約2.2Km。
しばらくは尾根沿いの上り下りの道を進む。


杉林の中を進む。


高宕山の登山道は泥岩で出来ており、軟らかい。
雨で濡れると滑り易いので下りは特に注意が必要だ。


『注意してっ滑り易いよっ!』


『おっと 危ないっ!』
(別に狙って撮ったわけではないのでご理解を)


山道は細いので一列縦隊で進む。


高宕観音の参道入口に烏帽子の形をした石があった。
何かを祀ったものであろうか? 単なる石がそこにあるとは思えない。


両側に狛犬に続き、石の仁王像が建てられている。
顔や頭の部分は一部崩れかけていたり、また、腕や片手が壊れている。
相当旧い造りなのだろう。歴史を感じる。
ここから150段ほどの石段が続く。


参道横に石の塔があった。
「宝暦八年つちのえとら」と刻まれている、そうだ。
(宝暦八年=1758年)


石段を上りきると、観音堂があった。
12時を少し回ったところである。


先ずは観音様へお参りしよう。


金色の観音様は観音堂の小さな祠に祀られていた。


辺りは乳白色の霧に包まれてきた。
『まるで墨絵の世界だねぇ』
雨に煙る高宕観音も捨てたものではない?


12時を過ぎてお腹も空いてきたので、雨宿りも兼ねて観音堂で昼食を摂ることに。
『観音様、前で失礼しますっ』


観音様の前では恐れ多い、ということなのか、岩屋で弁当を広げる組も。


昼食後は、いよいよ高宕山を目指す。


高宕観音堂の先の岩のドンネル潜る。


高宕観音から高宕山までは、険しい上りが続く。


『ロープにしっかり掴まって~』


梯子もある。
雨で滑り易い。思ったより厳しい道のりだ。


『たかが330mと聞いたけど、甘く見ちゃだめだねぇ』
同感である。


頂上への最後の階段を上ると・・・


頂上は狭い。
全員が登れる広さはないため、交代で登頂だ。


高宕山頂上(330m)を記す標識


山頂からの眺望は全くきかない。
本来なら遠く富士山・筑波山が望めるとのことだったが・・・残念!!


登頂も大変だが、下りはさらに厳しい。


『気を付けてっ!!』
何人かが転倒した模様である。
木の根っこや石が雨に濡れて滑り易くなっているのだ。


20分ほど下ると、いくらか平坦な道に出た。


雨の影響で、薄暗くなってきた。


1時間ほど下ったところで、小休止。


さらに5分ほど下ると、八良塚(はちろうづか)コースと国道410号の分岐点に差し掛かった。


この雨では、八良塚コース往復を望む声はなく、国道410号バス停を目指すことに。


『こっちの方向だね』


林の中は夕暮れ時のように暗い。


最新の注意を払いながら下る。


分岐点から30分で、急に視界が開けた。


林の中ではさほど感じなかったが、雨はかなり強く降っていた。


「関東ふれあいの道」のゴール「下の台バス停」まではまだ1.3Kmの表示だが・・・


貸切バスは目の前に既に到着しており、我々の到着を今や遅しと待っていた。
『ありがたいねぇ、これだからバスハイクは止められないんだょ』
毎回満席に近い理由が分かった気がした。


『雨の中、大変お疲れ様でしたっ!』
労いの声が飛び交う中、高宕山を後にし、帰路に就いた。
雨中のハイキングということで期待した富士山の眺望は望むべくもなかったが、
変化に富んだ房総半島高宕山の自然を堪能した一日であった。
主催者から、墨絵の世界に浸れたことに大満足しているとのコメントがあった。
雨のハイキングでも「墨絵」を楽しむという違った楽しみ方がある、ということであろうか。
「関東ふれあいの道」ということもあり、また歩く機会があるかもしれない。


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三浦半島大楠山・衣笠山ハイキング

2012年01月09日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2012年1月9日(月)


昨年暮れに「まゆみの会」の会長を務めている方からお誘いがあり、同会の新年例会
「三浦半島・大楠山ハイキング」に参加することになった。
同会は、主に関東周辺の山々や北アルプスを初め東北方面などにも
足を延ばしている、”山大好き”人間の集まりである。

今回は、”正月”ということで、三浦半島の大楠山をハイキングすることにしたそうである。
また、通常の例会は貸切バスでの遠征であるが、この日は『たまには電車も良いだろう』
ということで、電車にしたとのこと。
祝日のため、ホリデーパス(2,300円)が利用できるのも決め手の一つになったようだ。

何といっても、「まゆみの会」は朝が早い。
この日乗り合わせた電車は、石岡(5:46)・土浦(6:10)・荒川沖(6:16)と
まだ真っ暗な中の出発となった。

日暮里から京浜東北線に乗り換え、品川駅横須賀線ホームで電車を待つ。
この日の参加者は、自分も含めて23名。
「関東ふれあいの道」や「旧水戸街道を歩く」などで、2/3以上の人が顔馴染みというのも心強い。


9時ちょうど、横須賀線逗子駅に到着。


逗子駅からバスに乗り換える。


30分ほどバスに揺られ・・・


この日の出発地、前田橋に到着。
料金360円は、関東鉄道より安いかも。


「まゆみの会」会長から、この日のコースについて説明があり・・・


先ずは、出発前の準備体操である。
「健康ウォーキングの会」と一部異なる個所もあるが基本的には同じだ。
号令を掛けているのは、「健康ウォーキングの会」の会員でもあるKさんだ。


9時43分、元気よく『出発!』


ほどなく「前田川遊歩道」起点に。
”前田川遊歩道の清掃活動はボランティアが定期的に行っています”の看板が目に入った。


『ブログに載せてっ』と一斉にこちらに顔を向けられたのには正直驚いた。
それでは、と出発の記念に”パチリ”


遊歩道起点から前田川上流を見たところ。


魚が溯上可能な魚道?


歩き易いように飛び石が置かれている。


小さな滝もある。
ここを魚が溯上するのは、難しいのではないだろうか。


右岸に渡ったり、左岸を通ったり、きれいな流れを縫いながら歩くのは楽しい。


前田川を歩くこと15分、遊歩道も終わり、ここから山道に入る。
山道といっても、コンクリの丸太の階段で歩き易い。


20分ほど上ったところで、休憩だ。
真冬ではあるが、この日の三浦半島の予想最高気温は10℃超。
風も弱く、上りが続くと次第に身体が温まり、額に汗が滲みだす。
堪らず上着を脱ぐ人も。


『まゆみの会』のベテラン会員。
かつては日本中の山を歩き回った山男たちである。
昨年11月に念願の”ヒマラヤトレッキング”を経験した、という強者も。


大楠山ハイキングコースには、適当な間隔でクイズ板が立てられている。
簡単なものから三浦半島のことをかなり知らないと回答できないものまである。


芦名の浄楽寺には約800年前に仏師運慶によって造られたと伝えられる、
国指定有形文化財の仏像があるという。その仏像とは?
分かるかな?

答は”1”(木造阿弥陀三尊像)である。

岩が剥き出しの山道を上る。


また、クイズのようだ。


クイズの設問に真剣に見入る皆さん。
『答えは”2”かしら?』



ピンポーン、見事正解!!
正解のが丸で囲んであるが、無粋なことをする輩がいるものだ。

灯台のような建物が見えてきた。
『こんなところに灯台???』


実はこの建物、国土交通省の「大楠山レーダー雨量観測所」だった。
全国に26個所設置された雨量を測定する施設で、関東地方をカバーする4か所の一つである。
レーダアンテナから発射された電波を雨にあて、跳ね返される強さを計算して雨量を計算するそうだ。


展望台へ上ってみた。


湘南鎌倉方面


江の島が霞んで見える。
残念ながら富士山は見ることが出来なかった。




大楠山まであと0.1Km。


直ぐ目の前が大楠山だ。


11時15分、大楠山山頂に到着した。
山頂は、思ったより広い。


三角点もあった。


記念撮影などしているうちに11時25分、ここで弁当タイム。


『おにぎりが一番だねっ!』


大楠山からの眺望
よく晴れているので、東京湾の眺めが素晴らしい。


大楠山からの眺望
横浜のベイブリッジが見える。


大楠山からの眺望
小田和(おだわ)湾には、釣り船らしきものが浮かんでいる。




昼食後に、次回の説明がなされ、


下りが始まる。


ほどなく「葉山国際カンツリー倶楽部」の脇を通る。
このゴルフ場は、大楠山付近の葉山町と横須賀市にまたがる山間コースで、
このホールは、かなり急な打ちおろしになっている。


金網越しにゴルフを楽しむ人が見える。


大楠山を境に「前田川コース」から「衣笠コース」に変わったが、ここにもクイズが。


「衣笠コース」のクイズ
横須賀に残る年中行事のうち、小正月の行事として須軽谷、野比、長沢、久里浜などで
行われる行事は何?

答えは”1”(おんべ焼き)である。
地方によっては、”どんど焼き”、”どんと焼き”とも言われる。

橋の上から何が見えるのかな???


三浦半島を縦断する「横浜横須賀道路」だ。
衣笠IC方面を望む。


高速道路を渡ると今度は少し上りになる。


12時10分に下り始めて約20分、人家が見えるところに出た。


衣笠城址への道を上る。


大善寺の本堂
大善寺は、三浦一族の学問所だったと云われる。
三浦不動明王第2番、三浦地蔵尊第2番札所となっている。


横須賀市重要文化財に指定されている、阿弥陀三尊像のうちの阿弥陀如来像だろうか?


大善寺の裏をさらに上って行くと・・・


衣笠城址に辿り着いた。
大谷戸川と深山川に挟まれ、東に突き出た半島状の丘陵一帯が衣笠城跡となっている。
三浦義明の居城ということで知られている。
山頂には衣笠城址の碑が建てられている。


一休みして・・・


衣笠山公園を目指す。


なんと一本足の高下駄を履いてハイキング?している人を見かけた。
我々が通り過ぎる間、杖に掴まってじっと待っていてくれたのだ。
『お気をつけてっ!』


衣笠山公園を目指す。


暫く上りが続く。この辺りの上りがこの日のコースで一番堪えた。
女性陣はさっさと先に行ってしまうし、男性陣の休憩リクエストも無視され、
『もう直ぐよっ、頑張って』の冷たい返事が却ってくるだけだ。
ここは意地でも上るしかない。


14時5分、やっとの思いで「衣笠山公園」に到着した。
(正確には、頂上はもう少し上にある)
一足先に到着した女性陣は腰を降ろして余裕の表情だ。


少し上ると、衣笠山展望台が見えてきた。


早速展望台に上ってみると・・・・


衣笠山展望台からの眺望は素晴らしかった。


猿島も見える。


こちらは、大楠山だ。
『あそこから下りて来たんだねっ』


ここからは、下るだけである。


20分ほどで、衣笠市街に出た。衣笠駅は近い。


線路下のトンネルををくぐり抜けると・・・・


いきなり商店街に出た。


14時43分、衣笠駅に到着。


『いやぁ皆さん、お疲れさんでしたっ!』
『けっこう歩いたわねぇ』
万歩計は20,000歩を越えていた。


成田空港行き上りの電車が入ってきた。


「まゆみの会」の皆さんは、何やら真剣に議論の最中。
疲れの表情など全く見えないところはさすがである。


品川で山手線、上野から常磐線に乗り換え、荒川沖に着いたときには真暗になっていた。
ほぼ12時間に及ぶ長い一日であったが、天気にも恵まれ、三浦半島最高峰からの眺望を存分に
楽しむことが出来、満足の一日であった。
機会があれば、また「まゆみの会」の例会に参加してみたい。


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快晴に恵まれて 尾瀬沼ウォーキング

2011年10月10日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2011年10月10日(月)


久しぶりにかみさんを誘って尾瀬沼に出かけた。
『一度尾瀬に行ってみたい』とかねてより言っていたのを想い出したからである。
最近は、自分のウォーキングだけで精いっぱいになり、かみさんと出かけることがめっきり減ったこともあって、
少しばかり気になっていたところでもあった。

尾瀬沼は、7月29日に「健康ウォーキング同好会」で遠征しているが、どしゃぶりの大雨に見舞われている。
この時の印象としては、高低差も少なくコースとしては楽だったので、日ごろ運動不足のかみさんでも大丈夫だろう、と思った次第。

前日は、桧枝岐村の”キリンテオートキャンプ場”に一泊
3連休のためだろう、林の中にはかなりの車やテントが見える。
日ごろは”道の駅”しか利用したことがないので、オートキャンプ場は初めてだ。


この日(10日)は早めに起床し朝食を済ませた。
朝7時ちょっと前、やや肌寒い中、御池駐車場に向かって出発。


最大450台収容可能な御池駐車場には既に半分以上の車が駐車していた。
沼山峠行きのバスは、朝5時30分から営業しているとのこと。


御池ロッジ


ロッジの中はストーブが焚かれていた。
この時期朝夕はかなりの冷え込みになるので、バスを待つまでの僅かな間とは云え有難い。


バスは7時30分に御池駐車場を出発し、沼山峠に向かった。
途中ブナの原生林が見えるところでバスはいったん停止。
せっかくバスを停めてくれたのだが、残念ながら日が差していないため紅葉の状態はよく分からない。


戻るときにバスの中から見たブナの原生林
きれいに紅葉し始めている様子が分かる。
何故か戻りのバスは一時停止しない。


7時45分に沼山峠に到着、50分に尾瀬沼を目指して出発だ。
8時前ということで、清々しさが漂う針葉樹林の中を進む。


沼山峠を過ぎて下りになると、林は広葉樹に変わり、あちこちに紅葉を見ることが出来る。


黄色の葉が主体だが、朝日を受けて眩しく輝いて美しい。
かみさんも満足の様子だ。


木道の先に見覚えのある大江湿原が見えてきた。


森を抜けると大江湿原が目の前に広がる。
湿原というより草原である。


紅葉もあちこちに見ることが出来る。
ななかまどが彩りを添える。


二人揃って記念撮影


燧ケ岳がくっきりと見える。
青い空と高い雲が美しい。
地元のボランティア説明員によると、このような天気はめったにないそうだ。『ラッキー!』


右から俎(まないたぐら2,346m)、中央に柴安(しばやすぐら2,356m)と御池岳2,260mとミノブチ岳2,210mが、
そして一番左に赤ナグレ岳2,240mの5つのピークが並んでいる。
これらを総称して燧ケ岳と呼ばれている。


動画で観たところ。



尾瀬沼が見えてきた。
中央付近に見えるのが三本カラマツだ。


9時ちょうど、長蔵小屋に到着。
無料休憩小屋はまだ準備中で戸は閉まっていた。少し早すぎた。
コーヒーでも注文しようと思っていたが、持参のコーヒーで我慢。


湖畔で休憩し、しばし尾瀬沼と燧ケ岳に見入る。
尾瀬沼に映った燧ケ岳がまるで絵葉書のようだ。
かみさんも大満足である。


動画で観たところ。



湖畔から三平下辺りを眺めたところ。


鯉に似た魚が群で泳いでいた。
人の気配がしても逃げる様子はない。


湖畔を一周するには時間が足りないため、三平下まで足を延ばすことにした。


森の中を進んで行くと、視界が開けた。
かみさんがカメラを構えている。


三平下の少し手前に小さな草原があり、対岸の燧ケ岳をはっきりと見ることが出来る。
絶景のビューポイントである。
熱心にスケッチブックに水彩画を描いている。


動画で観たところ。


ここで引き返し、尾瀬沼ビジターセンターへ。
続々と訪れる人でベンチが占有されていた。
尾瀬沼の人気の高さを実感した。


今度は三本カラマツの脇を通って尾瀬沼の北側湖畔へ向かった。


少しの間、森の中を進む。
この辺りの木道は一本道になっているため、すれ違う時は道を譲り合うことになる。


熊笹と紅葉のコントラストが美しい。


浅湖湿原あざみしつげん)に出た。
ここで記念撮影し、引き返すことに。


浅湖湿原の右手に燧ケ岳が見える。


再び三本カラマツ脇を通り、長蔵小屋方面へ戻る。


お腹も空いてきたので、適当な場所を見つけて早めの昼食を済ませた。


まだ11時半を少し過ぎたばかりだが、帰宅の時間を考えて、引き返すことに。


大江湿原を沼山峠方面へ引き返す。
真っ青な空の色が美しい。朝とはまた違った景色を楽しめた。


次から次へとハイカーがやってくる。
団体さんのようだ。


戻る途中、沼山峠展望台から見た尾瀬沼


美しい針葉樹の林に気持ちが癒される。


13時ちょうど、沼山峠休憩所へ到着した。
8時前に出発してから約5時間、万歩計は19,000歩を越えていた。
日ごろ殆ど運動をしないかみさんにとっては、ちょっときつかったようだ。


バスの車窓から見た紅葉の様子(1)


バスの車窓から見た紅葉の様子(2)


バスの車窓から見た紅葉の様子(3)


バスの車窓から見た紅葉の様子(4)


13時30分、御池駐車場に到着。


御池駐車場から桧枝岐村に至る途中の紅葉も見頃を迎え素晴らしかった。
尾瀬の紅葉を印象付けた景色である。



”これ以上ない”というほどの好天に恵まれ、尾瀬沼の景色を堪能した半日であった。
かみさん念願の尾瀬に連れて来ることが出来て、先ずはめでたし、めでたしだ。
水芭蕉が大好きというかみさんだけに、次は「尾瀬ヶ原」にでも誘うとしよう。


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