ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

2010年 最近の釣果情報(3)

2010年11月30日 | ウマさんの釣り三昧
前回の”最近の釣果情報(2)”から、2ヶ月ほどしか経っていないが、
今年3回目の釣果報告をしておきたい。


2010年11月30日(火)

この日は、釣り仲間とスケジュールが合わず、一人で出掛けた。
11月末というのに、寒さを感じるどころか、
夜中になっても時折吹く南からの生暖かい風で、
防寒具を着ていると汗ばむほどだ。

       この日の釣果は24匹。
       周りの人はもう少し数釣っていたようだが詳細は不明。
       
              型は24Cm~28Cmとサイズも大きくなってきた。
              持ち運びに便利に、と小型のクーラーボックスを買ったが、
              直ぐに満杯になってしまう。
              痛し痒しといったところ。              
              
                     これは28Cm級で、30Cmにはあと少し届かなかった。残念!
                     

帰宅後直ぐにご近所にお裾分けし、夕食分を捌いた。残りは開きに。
こうしておけば、いつでも美味しく食べることができる。

       夕食には、たたきと塩焼きが食卓を賑わした。
       いつもと同じメニューだが、これが一番簡単で美味しい。
       (たたきは省略)
       
              我が家には欠かせないメニューの一つ、アジ寿司は翌日(2日)食べた。
              紫蘇の香りが一段と味を引き立てる。
              


目標の30Cm超の尺アジは釣ることはできなかったが、日増しにサイズアップしている感じなので、
これからも期待が持てそうだ。
年内にもう一度挑戦して、何とか1匹でも尺アジを釣り上げてみたい。


2010年11月6日(土)

前回からちょうど1ヶ月ぶりに釣りに出掛けた。今回は、釣り仲間2人と一緒だ。
毎日サンデーの自分にとっては、平日のほうが空いているので都合がいいのだが、
友人の一人は現役で、土日にしか行けないため、一緒にとなると週末になってしまう。

釣果は、12匹と数は伸びなかったが、まあまあの型を見ることができた。
夫婦二人には、十分である。

       近所の知り合いに少しばかりお裾分け。
       夕食にたたきと塩焼きにしていただいた。
       
              やはり自分で釣ってきた魚は新鮮だし、美味い。
              
       

行き先は、このところずっと同じ南房某所である。
外房も数は釣れるが、型がやや小さいので、南房まで遠路はるばる出かけている。
ガソリン代、高速代、餌代などのコストを考えると、とんでもなく高いものになるが、
そんなことを言うのは野暮と言うもの。
これからも美味しい魚を求めて、釣りに出掛ける自称”釣りキチ”なのだ。



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牛久自然観察の森と女化神社

2010年11月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2010年11月26日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第42回「牛久自然観察の森と女化神社」を巡るウォーキングに参加した。


牛久自然観察の森に集まった会員の皆さん。

       昨夜の雨で出足が心配されたが、23名が集まった。
       予想を超える人数だ。
       
              会長の掛け声でいつもの準備体操。
              

9時45分、先ずは自然観察の森を歩いてみよう!

       すっかり葉が落ちて寂しい感じ。
       やっぱり緑一杯のときに歩きたいところである。
       
              ”ヒグラシの林”に入ると・・・野鳥観察処が。
              『野鳥はどこ?』『何も観えないわねぇ』
              『大勢で来たから隠れちゃったのかもね』
              
                        『見てみてっ! あれ、何かしらっ?』
                        残念ながら撮影者には、見えなかった。
                        

タマムシの林”を通り、

       枯れた葛のトンネルを抜けると・・・
       
              藁(わら)ぼっちがデンと構えていた。
              わらぼっちは、刈り取った稲籾を収穫した後、その茎を積み上げて作ったもので、
              筵(むしろ)や俵、縄を作るための藁(わら)を保存する方法だ。
               
                     その先に農家風の観察舎が。
                     中(畳敷き)は自由に休むことが出来る。
                     寒いときには、中で弁当なんかを食べるのもいいかも。
                     
              
観察舎を後にし、コナラやクリなどが生える里山を歩く。

       里山の野ネズミ、”アカネズミの観察処
       ネズミは夜行性のはずだが? 誰が観察するのだろう?
       素朴な疑問である。
       
              最後の紅葉が映える”カッパの沼”辺り。
              

自然観察の森を後にし、”ビートルズトレイル”を歩く。

       一転、開放的な田園風景、里山風景になった。
       
              小野川べりを進む。
              

ここで突然雨が降り出した。
天気予報は、日中は”晴れ”だったのだが・・・
しかし、心配ご無用、全員雨対策はばっちりである。

       うまい具合に行く手に倉庫が現われた。
       一言断って(誰もいなかったが)しばらく雨宿り。
       
              小降りになるまで休憩だ。
              

10分ほどで小降りになったので、ウォーキング再開である。

       傘をさしているが、雨はもうほとんど止んでいる。
       
              真っ赤に色づいた紅葉が目を引く。
              
                     広域農道カントリーラインを渡る。
                     農道なんてものではない。交通量が多いので注意が必要だ。
                     

案内図に従ってヘルスロードを進む。

       のどかな田園風景が続く。
       
              ドイツのクルップ式鋼製大砲八門の性能をテストする実弾発砲演習が、
              陸軍近衛砲兵大隊によって、明治18年11月27日から女化原において行われていた。
              12月8日、明治天皇は大元帥(総大将)として近衛師団の大演習を観戦するために
              この女化原を訪れた。
              
                     大正十年(1921年)に建立された”明治天皇駐蹕之地”の碑
                     

何を覗いているのかと思い・・・

       自分も覗いてみると、見事な竹林だった。
       


これほどきれいに手入れされた竹林は観たことがない。
『素晴らしい』の一言。



女化神社の最初の鳥居が見えてきた。

       二番目の鳥居
       
              三番目の鳥居
              
                     まだまだ続く。
                     

やっと本殿にたどり着いた。

       いつ観ても立派な神社だと思う。銀杏も黄金色に輝いて見える。
       

本殿にお参りを済ませ、奥ノ院に向かう。
昨年は前を素通りしただけだったので、鳥居をくぐるのは初めてである。

       薄暗い参道を進んだ先に、どんな社が祀られているのだろう、と
       興味深深だったのだが・・・
       奥ノ院には小さな狐の像と祠があるだけだった。
       
       本物の奥ノ院はどれ?
       
                        奥ノ院の正体を観て、満足したのかな?
                        

落花生の「いしじま」の前を通ると、なにやら良い匂いがしてきた。
時計は既に12時30分を回り、レストランは客で賑わっていた。
ゴールまであと少し。

       カメラを向けると笑顔が返ってきた。
       まだまだ元気そうだ。
       

12時50分、出発地の「牛久自然観察の森」に到着。

       皆さん、さすがに疲れた様子。
       
              整理体操をして・・・
              
                     『はいっ、お疲れ様でしたっ!!』
                     

この日は途中で突然雨に降られたが、雨宿りできたのは、運が良かった。
女化神社の奥ノ院は、見なかったほうが良かったのかも知れない。
これまでのように、『どんなところなのだろう?』と期待を持たせ続けるべきだったか。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次

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関東ふれあいの道(茨城)No.18 古渡橋から妙岐ノ鼻まで

2010年11月25日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年11月25日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると認定証が交付されることになっている。
今回が15回目で、この日は、コースNo.18の約半分にあたる古渡橋(ふっとばし)から妙岐ノ鼻までの約14Kmを歩くものである。

集合場所は、この日のゴール地点妙岐ノ鼻の野鳥観察舎で、ここから車2台に分乗して、出発地点の古渡橋に向かう。
今回の撮影ポイントは浮島園地内の「関東ふれあいの道」案内板前になっている。

この日のコースは、過去3度(2月18日、4月22日、10月28日)も雪や雨で延期になっている因縁のコースである。
この日は4度目の挑戦ということになる。

妙岐ノ鼻の野鳥観察舎
時折、野鳥好きの人が訪れて、双眼鏡を覗いていた。

       この日は、全部で9名が集まった。
       この会にしては珍しく、女性が4名と約半数を占めた。
       
              車2台に分乗して、出発地の古渡橋(ふっとばし)に到着。
              

10時ちょうど、妙岐ノ鼻の野鳥観察舎を目指して出発だ。

       古渡橋の上からの眺望
       
              管理人より、この辺りは淡水の真珠養殖が盛んなことを聞かされる。
              淡水真珠は、池蝶貝という淡水生の大きな二枚貝で養殖される真珠で、
              直径5ミリ程度で2~3年、10ミリに育つには10年の歳月がかかる。
              霞ヶ浦や新利根川で養殖される淡水真珠は、茨城県の推奨品の指定を受けている、とのこと。
              

霞ヶ浦湖岸に出て、空気を胸一杯に吸い込む。
広々として実に気持ちが良い。

       霞みがかかったような筑波山が見える。
       
              道は平坦で歩き易い。
              
                     暑くもなく寒くもない。
                     
                            歩くのに快適な状態である。
                            

歩き始めて約1時間5分、最初の休憩。
土手の上なのでベンチなどなく、立ったままの休憩だ。
持ち寄ったお菓子が振舞われ空気が和む。

       そこに、音も無く自転車が近寄ってきた。
       何と、ベテラン会員のYさんではないか。
       トレーニングのため、霞ヶ浦を一周している最中であった。
       
              朝7時に土浦を出発し、時計周りに霞ヶ浦をほぼ一周してきたとのこと。
              本物の鉄人である。
              
                     土浦に向かうYさんとは別れ、妙岐ノ鼻を目指すことにした。
                     

「関東ふれあいの道」は指示していないが、
あえて霞ヶ浦の砂を採取している工事現場を抜け、湖岸を歩く道を進む。

       砂採取の工事現場
       砂の山があちこちに見られる。
       この辺りは良質の砂が採れるそうだ。
       
              砂を運ぶダンプカーがひっきりなしに走るため、
              アスファルトの道は危険で歩けない。
              一段高い土手の上を進む。
              
                     途中から一段高い土手の道が途切れ、
                     田んぼの畦道を進むことに。
                     でこぼこして歩き難い。
                     

何か白いものが干してある。
霞ヶ浦で獲れたものらしい。釜揚げシラス?

       珍しがって観ていると、女主人が出てきて、試食を奨めてくれた。
       白魚とのこと。
       
              茹でた後、薄く塩の味付けがしてあり、驚くほど美味しい。
              
                     中に案内され、次ぎは海老を奨めてくれた。
                     お腹が空いていたせいもあったのか、これもなかなか美味しかった。
                     

昼食前で、兎に角お腹が空いていたので、先ずは軒先を借りて
弁当を広げた。

       この日は天気も良いし、外での昼食を想定していたのだが、
       
              思いがけずに佃煮屋さんでの昼食となった。
              

昼食後、あらためて店の中を覗いてみると・・・
白魚、海老の煮干しをはじめ、ごり(はぜ)、海老、公魚(わかさぎ)
などの佃煮が市価よりかなり安く売られていた。
佃煮が大好物な私にとって、これを見過ごす手はない。

       それぞれ、たっぷりと試食をして味を確かめ、
       土産に、とリュックに入りきれないほど、買ってしまった。
       ほぼ全員が買いもの、というのはこれまで記憶がない。
       女主人も大喜びである。
       
              ついでに佃煮の作業場を見せてもらった。
              
                     大きな釜が並んでいた。
                     今でも霞ヶ浦で漁をし、佃煮にして売られているのを見て
                     少しばかり感動を覚えた。
                     
                            帰り際に、女主人が『みんなで食べてっ!』と公魚の佃煮を
                            気前良く分けてくれて、益々感激。
                            パンフレットには、「伊藤商店」と書かれていた。
                            

浮島園地を目指す。

       和田岬の浮島園地はかなり広い。
       みんなで手分けして撮影ポイントを探した。
       
              やっとのことで撮影ポイントを探し出し、
              それぞれ記念撮影を済ませた。
              
                     松の木に生えた緑色の苔について説明する管理人。
                     
                            苔は、雨水や腐りかけた古い樹皮からしみ出す養分で育つため、
                            苔が松の木から養分を吸い取ることはなく、
                            樹皮に張り付いているだけ、とのこと。
                            そのままにしておくのが一番のようだ。
                            

和田岬の入り江には、”あさざ”が植えられており、
あさざプロジェクト」の看板が。
あさざが湖岸を埋め尽くすほど育って欲しいものである。

       和田岬を回ると、野鳥観察舎は間もなくだ。
       
              まだまだ管理人の説明が続く。
              毎回、いろんなことを教えてもらって勉強になる。
              
                     14時40分、出発地の野鳥観察舎駐車場に到着。
                     

帰路の途中、景行天皇が東夷征伐の帰路に立ち寄った、
とされる碑があるというので寄ってみた。

       ”お伊勢の台”と言われる小高い丘を登ると、
       小さな碑が建てられていた。
       
              景行天皇は、『日本書紀』に書かれている十二代天皇で、
              紀元51年に天皇になり、以後60年間即位していたと言われている。
              日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である。
              景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたと言われている。
              常陸国風土記「信太郡」には、東夷征伐の帰路に浮島に立ち寄り、
              30日余り滞在された、と記されている、とのこと。
              

今から二千年ほども前、天皇が都を離れて30日余りも滞在する、
と言うことがどのような意味をもつのか全く想像ができない。
遠い風土記の世界に想いを廻らせながら、帰路についた。



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谷津田は次回に! 牛久遠山保全林散策

2010年11月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2010年11月19日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第41回「遠山保全林谷津散策」ウォーキングに参加した。


第二集合場所の「女化分教場」(女化青年研修所)
女化原開墾の中心的役割を果たした人物に杉本民蔵というクリスチャンが居た。
彼は徳島県からの移住者で、村づくりの柱として教育、宗教の重要性を強調した。
彼の呼びかけによって明治24年に、教会を兼ねた化成学館という私立の小学校が開校した。
しかし、宗教色が強く開拓者仲間からの反発もあり2年で廃校となった。
しかし、民蔵の教育に対する熱意は失せる事なく寄付を募り、明治31年新たな小学校、
私立女化尋常小学校が化成学館の隣敷地に開校した。
その後学校関係者は村当局と度々折衝を重ね、岡田村立尋常小学校となる。
移住者にとって、幾多の困難の中で出来た小学校は喜び一入で、心のよりどころとなり、
学校教育だけでなく、移住者の集会所として使われ、相互の絆を深めていった。
その後校名は村立岡田小学校女化分教場となり、昭和47年まで存続し、
現在は牛久青年研修所として使用されている。
本校?の岡田小学校は、5Kmほど北の牛久市岡見にある。

       晴れ男、晴れ女のおかげ?で 素晴らしい好天に恵まれたこの日、
       集まったのは全部で19名だ。
       
              会長の元気な掛け声で準備体操をして・・・
              
                     9時40分、元気よく出発。
                     

実は、この日のコースはまだ会員の誰も歩いた人はいない。
牛久ヘルスロード」の簡単な地図が頼りだ。
少々心もとないが、まあ何とかなるだろう!?

       県道48号線、ピーナッツのモニュメントが印象的な「いしじま」辺り。
       
              一歩県道を外れるとご覧のように周りは畑になる。
              
                     車が走らないのは安全で良い、と言うことにしよう。
                     
                            恵泉キリスト教会みどり野チャペルの前を通り、
                            

蕎麦処「志波田」を過ぎ10分ほど行くと、
ようやくここから「遠山保全林」に入る。

       これまでの景色とは一変、自然の林が続く。
       ”癒しの空間”に入り込んだ、という感じ。
       
              出発して45分、ここで一息入れる。
              
                     水分補給に余念がない会長。
                     
              
林を抜けると道の両側に田んぼが広がる。
典型的な里山の風景だ。

       『素敵なご趣味ですねぇ』『好きでやってっからぁ』
       
              こちらは、真鮒釣りを楽しむ会? 
              『餌は何を使ってるの?』『グルテンだぁ、グルめな餌なんだょ』
              のどかな風景である。
              

田んぼの中にはいくつかの休耕田状態のものが見られる。
続けられるものなら続けて欲しい、と願うのは素人の身勝手か?

       天気にも恵まれ、気分は最高だ。
       
              いつものメンバー同士は会話も弾む。
              

ヘルスロードの先にある散策路まで足を伸ばし、「遠山城址」を目指したが、
常磐線の踏み切りを越えたところで、道を間違っていることに気づき、
止む無く引き返す。

       遠山城は常磐線や水戸街道を挟んで牛久城と対峙する、
       台地に築かれた城であるが、現在は土塁が僅かに残るだけで
       保存状態もいまひとつ、とのことである。
       
              遠山城址らしき辺りをバックに記念撮影をして・・・
              

成井一理塚
永禄四年(1561年)には既に存在していたと言われている。
水戸街道が整えられたのは、慶長年間(1596年〜1614年)末年から
寛永年間(1624年〜1643年) 初年にかけてであり、
この一里塚はその頃築造されたもの、と考えられている。
牛久市の指定文化財(史跡)に指定されている。

       保全林への入口が見当たらず、住宅街に迷い込んでしまった。
       ”ヘルスロード”の案内板は途中から見当たらなくなっていた。
       道に迷うのは当然か。
       左側(林)が牛久市で、右側の住宅地は龍ヶ崎市になる。
       
              住宅街の一角で最後の休憩だ。
              
                     気温が上がり、汗ばむほどになってきた。
                     出発してちょうど2時間が経過したところ。
                     会話が少なくなってきたのを見ると、やや疲れが出てきたようだ。
                     

旧女化街道を進む。
女化行きのバス停だ。

          さらに進むと女化神社へあと500mの大きな看板が。
          
                 最後の直線、まもなくゴールだ。
                 

12時15分、出発地の女化青年研修所に到着した。
”弁当なし”にしては、まあまあの時間だろう。
いつもの整理体操をして・・・
『はいっ、今日もお疲れさんでしたっ!』



途中で”ヘルスロード”の案内板が見当たらなくなり、
道を間違って住宅地の中を歩くはめになってしまった。
それはそれで、悪くはなかったのだが、
遠山保全林の残り半分の景色(谷津)を見れなかったのは、やや残念ではあった。
次ぎの機会にはしっかりとフルコースを歩きたいものである。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次

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同期の会 2010秋の伊那旅行(2)

2010年11月15日 | ウマさんの気ままなドライブ
2010年11月15日(月)


同期の会 2010秋の伊那旅行(1)”より続く。

翌日は、出立前にとりあえず宿の前で記念写真の撮影だ。

       先ずは宿からすぐ近くの「ヘブンスそのはら」に向かった。
       
              富士見岳高原ロープウェイ
              全長は2,500mあり、結構長い。山頂駅まで約10分である。
              
                     3段に渡って紅葉を味わうことが出来る、と謳われている。
                     
                            ロープウェイの窓越しでしか見えないが、なかなかのもの。
                            もう少し赤い紅葉が欲しいところだ。
                            

ロープウエイの次ぎは600mの緩やかなリフトが続く。
センターハウスまでは、歩いても5分とかからない。
スライダー(すべり台)が併設されているが、別に300円が必要。

       展望台へ上る二番目のリフト
       センターハウスの標高は1376mで気温は8℃ほど。
       この時期、上着を1枚余分に着たほうが良い。できれば手袋も。
       
              リフトの途中には、カメラが待ち構えており、『はいっピース!』
              カメラで顔が隠れてしまっているが、なかなか可愛い子だった。
              
                     記念にと買ったのがこの1枚(1,200円)
                     友人がスキャナで読み取り、メールで送ってきたものだ。
                     
                            5分ほどで山頂駅(1,583m)に到着した。
                            


山頂(1,602m)からの眺望


相変わらず黄砂の影響で、眺望はあまり良くない。



「ヘブンスそのはら」を後にし、妻籠宿に向かった。
予報どおり、途中から小雨が振り出した。

       平成15年(2003年)9月以来なので7年ぶりである。
       
              見覚えのある風景だ。
              

妻籠宿を一回りして折り返す頃には、雨も上がった。
黄砂が洗い落とされて何だかすっきりした感じである。

       昼は、妻籠宿の蕎麦屋の一軒に入り、ざる蕎麦を注文。
       
              月曜日であいにくの天気だが、妻籠宿を訪れる観光客は結構多い。
              

変わった吊るし柿だ。
皮のまま藁に包んで吊り下げている。
どんな味がするのだろうか?

       水車のある風景を見ると気持ちが癒される。
       
              こちらは、普通に見られる干し柿。
              

妻籠宿を後にし、旅の締めくくりとして、
庭園で有名な木曽福島の興禅寺に向かった。


興禅寺は、木曽氏と山村氏の菩提寺で、木曽三大寺の一つ、とされている。

       山門から参道を見たところ。
       
              
境内の紅葉はまさに見頃を向かえていた。

       
              
                     

枯山水の石庭(看雲庭)は、東洋一の広さを誇る。
信州のローカル色を出すために雲海上に浮かぶ山岳が表現されている。
雲紋は、雲海の雲が流動する構成を意図しており、
従来の庭園には見られない独創的な試み、とのこと。

       石庭は全て紀州沖ノ島産の青石(緑泥片岩)が用いられている。
       





石庭の裏には、江戸中期に作庭された池泉観賞式の万松庭がある。

       こちらも石庭に劣らず、なかなか素晴らしい。
       
              寺の裏は墓地になっており、木曽義仲公の墓が建てられている。
              平安時代末期の信濃源氏の武将で、河内源氏の一族、源義賢の次男。
              源頼朝・義経とは従兄弟にあたる。
              


木曽義仲公の墓にお参りし、帰路についた。
天気にも恵まれ、今回の旅行では、信州伊那の秋をたっぷりと味わうことができた。

談合坂SAに差し掛かる頃には日もとっぷりと暮れていた。
同期の旅行は楽しみの一つだが、次ぎはもう少し近い場所にしてはどうだろうか?
運転を担当した人には、『本当にお疲れさん!』とお礼を言いたい。


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