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ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

関東ふれあいの道(茨城) 認定証受領記念ウォーキング

2011年02月24日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2011年2月24日(木)


先月末に関東ふれあいの道(茨城)を踏破した6人だが、直後に認定証の申請を行い、
県から”認定証”と”記念バッジ”と”記念品”が送られてきた。


記念品は、保温保冷両用のボトルである。


その後次々に”認定証”受領の連絡が寄せられた。
そこで、この日かねてから予定していた認定証受領記念の祝宴会を催すことにした。
ウォーキングの集いに相応しく、祝宴を挙げる前に軽く汗をかく(ウォーキング)ことにした。
荒川沖駅から牛久シャトーまでの約10Kmを歩こうというものである。

この日荒川沖駅に集まったのは、現在踏破を目指している3名を含め9名。
あと3人は直接現地(牛久シャトー)で落ち合うことになっている。

予定通り、9時45分に牛久シャトー目指して出発!


新土浦バイパス、最近交通量が増えた。


牛久方面へ10分ほど行ったところで、車の通らない乙戸川の土手を進むことにした。
田んぼの草を燃やすのは、この時期には欠かせない作業なのだろう。懐かしい風景である。


舗装されていない土手はでこぼこしているが、気持ちが良いものだ。
小春日和のような陽気に汗ばむほどである。


”踏破”した喜びは隠せない? 自然に笑みが溢れる。


1時間ほどで、牛久運動公園に到着した。


ここで、軽い休憩を摂ることに。
しばし、ベンチで一休み。


牛久運動公園の外周は広くて気持ちが良い。


約10分で1周できる。


今度は小野川に沿って進む。
小雨がパラついてきた。傘をさすほどではないが、体が冷えてきた。


無理やり傘を奨められたYOさんはちょっぴり照れくさそう。
『ピンクの傘が似合うわよっ!』 


12時15分、ほぼ予定通りに牛久シャトーに到着。
直行の3人は既に到着していた。
タフなYKさんは、常総市岩井の自宅から牛久シャトーまでの30Kmの道のりを歩いてきた、というから驚きである。


12名全員が揃ったところで、さっそく乾杯だ。


バーベキュー料理に舌鼓を打ち、お互いの健脚を讃え合った。


踏破した全員の”認定証”と”記念バッジ”を並べて証拠写真をパチリ。


最後はこの日集まった全員で記念の撮影だ。


この後、牛久駅に向かい・・・


再会を誓って別れた。



次の企画は、日本橋から水戸までの”旧水戸街道を歩く”に決まった。
この日集まったほぼ全員が参加を表明しており、また賑やかな道中膝栗毛が繰り広げられそうだ。


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関東ふれあいの道(茨城)No.9 西光院から旧真壁駅まで

2011年01月27日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2011年1月27日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

「関東ふれあいの道」は、今回が19回目で、とりあえず最後の歩きとなる。
最後に残ったのは、コースNo.9の残り半分、西光院 から旧真壁駅 までの約13Kmだ。

コースNo.9の撮影ポイントは、筑波山麓の路傍休憩所の大石が指定されているが、
昨年12月9日に歩いたときに撮影済みのため、今回は記念撮影はなく、歩くだけである。

この日最初の集合場所真壁第一体育館(真壁城址)には、9名が集まった。
ここから車2台に分乗し、出発地の西光院に向かった。



峰寺山西光院
で、先着の2名と合流し、合計11名。


先ずは西光院にお参りをし、この日の安全を祈願することにした。


西光院は立木観音像が有名である。
立木観音像を納めている建物。一見何かの倉庫のようだ。


入口の鴨居は低く、中に入らないと、立木観音像は見えない。


立木観音像
像高5mを超える一木造の巨像。
「立木観音」の名で茨城県指定文化財に指定されているが、実際は十一面観音像である。


西光院本堂
数年前に来た時には、地震の影響で廻廊への立ち入りが禁止されていた。
今日は天気も良いし、絶景が観れそうだ。期待が膨らむ。


本堂は茨城県では類例のない懸造りで県の文化財に指定されている。


廻廊からの眺めは本当にすばらしいの一言、まさに絶景である。
”関東の清水寺”の名に恥じない。
むしろ清水寺より眺望は良いのではないか。


『あっちに見えるのは雪入りの浅間山でしょうかねぇ?』


『素晴らしい眺めだわっ!』 感嘆の声が上がる。




しかし、そういつまでも景色に見とれているわけにもいかない。
素晴らしい景色を脳裏に焼き付け、西光院を後にした。

東筑波ユートピア
猿の園芸で知られているが、ライオンや熊もいる。
真冬の平日のためか、人影は見えなかった。


東筑波ユートピアを過ぎると直ぐに、球状花崗岩の案内標識があった。


珍しいものらしいので、ちょっと覗いて行くことに。


鉄製の階段を数十mほど下る。


階段を下りきったところの右側に高さ5m程の断崖状の岩があった。


切り立った岩の中腹が剥がれ落ちてしまっているのか、一部あばたのように窪んでいる。
これが球状花崗岩の原石跡?
世界でも極めて稀で、日本ではここ筑波の峰寺山、愛知県猿投山付近、下伊那郡喬木村の毛無山の
3ヶ所が知られているのみ、とのこと。
県の天然記念物に指定されている。


次の目的地、きのこ山を目指す。


峰寺山の看板で位置を確認する。


県道7号線の上曽峠付近に出ると、とたんに車が増えた。


400mほどで、県道7号線上曽峠のきのこ山への分岐点に。
きのこ山への道は、時折ハンググライダーを運ぶ車が通るくらいだ。


小さな駐車場で最初の休憩。


上曽峠からずっと坂道が続いたので、少々汗をかいた。
お茶が美味しい。


きのこ山を目指して進む。坂道が続く。


きのこ山頂上付近のハンググライダー離陸場
真壁の町がはっきりと見える。なかなか良い眺めである。
ハンググライダーからだと、もっと素晴らしい眺めなのだろう。


ちょっと早かったが、「関東ふれあいの道」の休憩所で昼食にした。


『美味しそうですねっ!』
『恥ずかしいわっ』


昼食も終わり、あとは下るのみである。


身の丈を超す熊笹に覆われて、道がよく分からない。
あまり人が通らないようだ。


これが夏だったら迷子になるかも知れない。


急な下りが続く。
木の階段があるが、落ち葉に隠れてほとんど見えない。
『滑るから気を付けて下さいっ!!』


松の倒木が道を塞ぐ。
この辺りの赤松は、ほぼ全滅状態で、今にも倒れそうな大木があちこちに。


昔は松が生い茂っていた筈なのだが、無残な姿に。
松喰い虫、恐るべしである。


「つぼろ台」への道もご覧のとおり。
一苦労である。


「つぼろ台」に横たわる巨岩
小さな石が支えているだけで、何かの拍子で動きそうな感じである。


『動きゃしないよ、それじゃぁ。無理だよっ』


巨岩からの眺めが素晴らしい。
『記念の一枚を』 はいパチリッ!


正面右側は加波山(709m)、その左側の山頂に鉄塔が見えるのが燕山(701m)


『こっちからの眺望も良いねぇ』


「つぼろ台」からは、直線的な山道は危険、とのことで、裏道(林道)を通ることにした。
日が当らないため、雪がそっくり残っている。


裏筑波とは言え、雪が解けずに残っているとは驚きであった。


林道は、本来の「関東ふれあいの道」(山道)に比べると数キロは長い。
やや疲れが見え始めた感じ。


「真壁城址公園」内のレストハウス
こんな山中にこのような立派なレストハウスがあるとは・・・
テニスコートやゲートボール場も整備されている。
真壁城址公園は、現在発掘調査が行われている真壁城の前の真壁城で、真壁城址から約1.5Kmほど離れた山中にある。
現在は公園として市民に開放されている。


しばらく下ると、ようやく人里に出た。
道は平坦になった。


『あんなところから下りてきたんだねぇ』
きのこ山方面を見返り、感慨一塩である。


こちらは、筑波山方面
いつ観ても癒される風景だ。


最後に道を間違え、引き返すのも面倒なので、仕方なく畦道を進む。
ご愛嬌である。


時計は間もなく15時になろうとしていた。
最後の力を振り絞って真壁駅に向かう。
後方は、右から丸山、加波山、燕山


真壁城の発掘調査が進められている。
後ろに見えるのは筑波山


14時50分、この日のゴールである旧真壁駅に到着だ。


万歩計を見ると、軽く20,000歩を越えていた。
この日の予定13Kmよりもかなり歩いたことになる。
しかし、疲れのなかにも、『歩き切った』という満足感が漂う。


終点を確認し、ここで解散となった。
この後、西光院まで車の回収に向かい、帰路についた。



「関東ふれあいの道」(茨城)も今回で全18コースを踏破したことになる。
(コースNo.18を2回に分けて歩いたために19回実施した)
早速、証明写真と感想文を送付し、踏破認定証を受けることにしたい。

今後の予定としては、これまで歩いた「関東ふれあいの道」の全18コースの中から、
季節にあったいくつかのコースを選び、再び皆で歩くことにしている。
共に歩いた仲間とのふれあい、そして自然とのふれあいを大切にしたい、との
思いからである。


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関東ふれあいの道(茨城)No.14 中央青年の家から旧田土部駅まで

2011年01月13日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2011年1月13日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が18回目で、この日は、コースNo.14の中央青年の家 から旧田土部駅 までの
約15Kmを歩くものである。
永井バス停から中央青年の家までは、昨年6月24日に既に歩いているので、今回は
中央青年の家からのスタートとした。

今回の撮影ポイントは、「小町の里」の水車前が指定されている。


この日は、8時30分にゴール近くの国道125号線沿いの「山田うどん」に車4台が集まり、2台を残して
スタート地点の中央青年の家に向かった。
中央青年の家には、先に到着していた6名と合せ、全部で12名が集まった。
最初は難色を示していた中央青年の家であったが、「はつらつ百人委員会」主催の旨を告げると、
快く駐車場を提供してくれた。
”県主催”という共通点が受け入れられたようだ。


9時15分、ゴールの旧田土部駅に向けて出発だ。


しばらくは砂利を踏みしめながら山道を下る。


正面から浴びる太陽が眩しい。


開けた視界の先に、土浦市街と太陽に反射して輝く霞ヶ浦が見える。


付近に強烈な匂いが漂い始めた。
山中の一角に養豚場がある。豚の飼育が盛んな所である。
そういえば茨城県は養豚の数が全国一、と聞いたことがある。
それにしても、臭い!
豚がぎゅうぎゅう詰めにされている。これから出荷されるのだろうか?


30分余り山道を下ると、平坦な舗装道路に出た。
立派な道路だが、車は殆ど通らない。


茨城県企業局の県西水道事務所新治浄水場
新治地区の飲料水を供給している。霞ヶ浦の水を引いているそうだ。
ここで、いったん小休止。


出発して1時間5分、フルーツラインに出た。
そのまま真直ぐ「清滝観音」に向かう。


道端のお地蔵さんと石碑
この辺りには、このような石碑があちこちに見られる。
「清滝観音」に近いからなのだろうか。


清滝観音」の山門への石段を上る。


「清滝観音」の山門
坂東33観音霊場の第26番札所である。


本堂へのお参りの前に、祈りを込めて鐘を撞く。
芯を外したためか、何だか割れたような音色が境内に響く。


本堂へのお参りも済ませ・・・


山門を迂回して、次の目的地へ向かう。


朝日トンネル工事の真っ最中。来年3月15日に完成予定とのこと。
このトンネルが完成すればフラワーパークへはかなり便利になる。
そうなれば、この辺りの静かな佇まいも変わることになるのだろうか?


「向上庵」の参道
鬱蒼としているが、このくらいの方が却って風情があって良い、と言う人もいるかもしれない。


ひっそりと佇む「向上庵」本堂
お賽銭箱が見当たらなかった。珍しい寺である。


境内の梅の木には、早くも可憐な花が咲いていた。


向上庵は枝垂れ桜が有名だ。樹齢350年とのこと。
境内の一角に碑が建てられている。
石段の 古きをつくしみ 登るとき 頭上に咲くは 大樹の桜


見上げると、まさに大樹がそびえていた。
満開の枝垂れ桜を見たいものである。


向上庵を後にし、10分ほどすると「小町の里」に到着だ。


今回の撮影ポイント、水車小屋である。
以前はここから5分ほどにある小野小町の墓前であったが、最近になってこの水車小屋に変わったそうだ。
めいめい、記念撮影を済ませた。
「関東ふれあいの道」の記念撮影もこれが最後になる。
感慨深いものがある。


満開に近い梅を見上げ、『きれいだわねぇ』
宝筺山の南側山麓で日当たりが良いので開花が早いのだ。(小野小町の墓近辺)


東城寺」の山門が見えてきた。


迫力がある仁王像だ。
白っぽいのは埃である。


「東城寺」の参道は、木々が覆い被さるようで、昼でも薄暗い。
城のような石垣が続く。この先に城があるような錯覚を覚える。


最後の200段余の急な石段を登ると・・・


目の前に境内が広がった。
正面は本堂


広智上人坐像
鎌倉時代嘉禎三年(1237年)の作で、桧材の木造である。
上人は、慈愛の心をもって広く人々を救済し、あたたかく導いていたので、
後世広智菩薩と呼ばれ、東城寺再興の師と仰がれた、とある。
県有形文化財に指定されている。


お参りを済ませた後は、少し早かったが、昼食に。


昼食後、日枝神社に向かった。
帰りの「東城寺」の山門近くで犬がやたら吠えてうるさい。
カメラを向けると一層牙を剥きだして吠える。
何もしていないのに、可愛げのない犬である。


日枝神社は、毎年4月の第1日曜日に催される、”山王様流鏑馬祭”が有名である。


ここを流鏑馬の馬が走るのだが、矢を射るときは停まるのだ。
”逃げ回る大猿を確実に仕留める”のを目的とするため、馬を静止させて射るのだそうだ。


第一の矢を放つ場所。第三まである。


第一の鳥居から神社本殿を望む。
直線で300mほどはあるだろうか。随分と長い参拝道である。


日枝神社を過ぎて、田んぼの中を進む。
後ろの鉄塔が見えるところが宝筺山(小田山)


沢辺地区辺り


多様な姿を見せる宝筺山(小田山)
先端部は採石場になっている。


庭先に咲いた見事な蝋梅の花
周囲が蝋梅の甘い匂いに包まれる。


国道125号線に出た。
さすがに交通量が多い。


法雲寺
墓のような石がびっしりと建てられている。
異様な感じである。


ようやく「つくばりんりんロード」に出た。


間もなくゴールだ。
最後の直線を力強く進む。


宝筺山(小田山)が見守ってくれている感じだ。


14時ちょうど、旧田土部駅にゴール
出発して約5時間弱、ほぼ予定どおりであった。


「山田うどん」で何か温かいものを食べて行くことにしよう。
車2台を長時間停めさせてもらったせめてものお礼である。


この後、全員中央青年の家に移動し、次の最終回の集合場所を確認し合った。


『お疲れさまでしたっ!!』
次回の再開を誓い合い、それぞれの車で帰路についた。

関東ふれあいの道(茨城)も今回で18回目となり、残すところあと1回で、全コース踏破となる。
残っている最後のコースは、コースNo.9の西光院から旧真壁駅までである。
次回もしっかりと歩き、最後を飾りたいものである。


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関東ふれあいの道(茨城)No.10 & 11 ユースホステル跡から北条大池まで

2010年12月23日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年12月23日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩くウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が17回目で、この日は、コースNo.10のユースホステル跡 から筑波山の山頂を経て、コースNo.11の北条大池 までの
約12Kmを歩くものである。

今回の撮影ポイントは、2つある。
最初の一つは、コースNo.10の筑波山頂近くのカタクリの案内板、もうひとつはコースNo.11のケーブルカー沿いの
男女川解説板が指定されている。


この日の集合場所は、桜の名所でもある”北条大池”横の「筑波総合体育館」だ。
後ろに筑波山が見える。


この日筑波総合体育館に集まったのは、初参加の3名が加わって11名。
後ろに見えるのは宝筺山だ。
車2台に分乗して、出発地点のユースホステル跡地に向かった。


ユースホステル跡地には、工事車両も含めてたくさんの車が並んでいた。
祝日(天皇誕生日)ということもあるのだろう。


ユースホステル跡地で2名が合流し、合計13名。各々、軽い準備運動をして、10時45分出発だ。
ユースホステル跡地はかなり高いところにあるため、山道が凍った場合に備えて
集合時刻をいつもより1時間遅くした。その分出発は約1時間遅くなったのである。

       
登り始めて僅か5分、コース10の撮影ポイント「カタクリの案内板」に到着した。
あまりにも早く、あっけなく到着したため、危うく通り過ぎるところだった。
一番大事な”記念撮影”を省略してしまっては、洒落にもならない。
ここで、めいめい最初の記念撮影を済ませ、山頂を目指した。


下山中の人の中には顔なじみの人もいたようだ。

       
水道管の工事中。
こんな山の上にまで水道管が引かれるとは便利な世の中になる筈だ。
導水管は埋設はしないとのこと。

              
ショベルカーの脇を通って・・・・

                     
山頂を目指す。


11時25分、御幸が原に到着。
前回歩いておいた効果で、登り始めてから40分ほどしか経っていない。
筑波山にはユースホステル跡からが一番楽なコースであろう。

       
この日、健脚のYさんの姿が見えなかったので、気になっていたが、
なんと、北条大池側から逆コースを登り、先回りして既に到着していた。
その上、「めをと茶屋」で豚汁を注文して待っていてくれたのだ。

              
Yさんの厚意に甘えて、豚汁をいただくことにした。
冷えた体に、温かい豚汁は美味かった。
『御馳走さまですっ!!』

                     
昼には少し早かったが、弁当も一緒に。


この日は雲ひとつないほど晴れ上がり、御幸が原からの展望は最高だ。


これまで歩いてきた岩瀬方面から加波山・燕山・丸山・きのこ山などが一望できる。


いろいろな想いが胸をよぎる。感慨に浸ったひと時である。


筑波山の下りは、長く急な自然石の階段が続き、登りよりきつい、と言われる。

       
ところどころにある木の階段に、ほっとする。



ほどなく、「男女川の案内板」に到着した。
この日2個所目の撮影ポイントである。
小休止も兼ねて、めいめい記念撮影を済ませて、ほっと一息。


急な下りはまだまだ続く。
『足元滑るから気を付けてっ!!』


”筑波山の野鳥図鑑”の看板に見入る。
実にいろいろな野鳥が棲んでいるものだ。


ケーブルカーもフル運転だ。


下り始めて1時間半、「筑波山神社」に到着。
少し早いが、初詣のつもりで賽銭を上げておいた。


三猿の彫刻がある、というので筑波山神社拝殿の裏手にある、日枝神社に案内してもらった。
左は春日大社。


やや小さくて見え難いが、デジカメの望遠で撮った1枚。
日光東照宮より数年古く造られたものと伝えられている。
左甚五郎の作かどうかは不明である。


仁王門には、”謹賀新年”の大文字が。
そういえばもうすぐ正月である。


北条大池まではあと5Kmほど。
『頑張ろう!!』


筑波山中腹の「筑波山郵便局
昭和の雰囲気が漂う、古い郵便局だが、今も営業している。


この辺りは南向きのため暖かいのだろう。
早くも蝋梅の花が咲いていた。顔を近づけると蝋梅独特の良い香りがした。


大分影が長くなってきた。
脚に疲れを感じながらも、筑波山に見守れながら北条大池を目指す。


旧家が立ち並ぶ、北条の家並み。


最後の休憩として「普門寺」へ立ち寄った。


こじんまりした中門をくぐると・・・


本堂は、1年前に火災で焼失したとのこと。
かつての本堂の姿。


前方に宝筺山が見えてきた。


ゴールは近い。足取りにも次第に力が入る。


前方に見えるのは、奈良時代から平安時代にかけての群役所の食糧保存倉庫である。
この場所(つくば市平沢)に常陸国筑波郡の郡役所があり、農作物などの食糧保存倉庫群がここにあったと考えられるとのこと。
昭和55年に国指定の史跡として復元され、保存されることになった。
左から、校倉造(あぜくらづくり)高床倉庫、高床土壁塗双倉(ならびくら)、板倉造高床倉庫とのこと。
いずれも高床式となっているが、湿気などを防ぐためと思われる。


ようやく北条大池に到着だ。


夕日を顔一杯に浴びて、皆さん満足そう。


15時20分、無事「筑波総合体育館」にゴール。
この後、ユースホステル跡地へ向かい、車を回収し帰路についた。


この日、2か所の記念撮影を終えたことで、残りの撮影ポイントはあと1か所である。
年明け最初に予定されているが、今から”最後の記念撮影”が待ち遠しい。

実は、コースNO.9の西光院から真壁駅まではまだ未踏となっている。
完全踏破を目指す当会にとっては、最後に残ったこのコースを歩いて完歩となる。
「関東ふれあいの道」を歩くのも残すところあと2回となった。
完歩を目指して最後まで頑張りたい。


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関東ふれあいの道(茨城)No.9 上曽峠から筑紫湖まで

2010年12月09日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年12月9日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が16回目で、この日は、コースNo.9途中の上曽峠 からコースNo.9の筑紫湖 までの
約12Kmを歩くものである。
撮影ポイントは、筑波山麓の路傍休憩所の大石が指定されている。


この日の集合場所は筑紫湖だ。
ちょうど筑波山の裏に当り、朝は日が当らないのでちょっと寒い。

       この日は、11名が集まった。
       
              出発地点の上曽峠へ移動し、この日のコースを確認、
              
                     9時25分、先ずは湯袋峠を目指して出発だ。
                     
                         
湯袋峠までの道は舗装されており、歩き易い。
快調なペースだ。

       国有林であろうか、よく手入れされていて美しい。
       民間の杉林は手入れする余裕(お金)がないので荒れている、そうだ。
       
              45分ほどで湯袋峠に着いた。
              県道7号線は結構車が走っている。後方は八郷方面
              

車に気を配りながら県道7号線を真壁方面に進む。

       途中から山道に入り、ようやくハイキングらしくなってきた。
       
              沢伝いに緩やかな山道が続く。
              沢の音が心地よく響く。
              
                     「ふれあいの道」の標がところどころに建てられているので心強い。
                     

小さな沢だが、このところの雨で結構な水量が流れている。

       ”箱根山椒魚”の看板に見入る。
       県内には筑波山塊や県北山地に分布しているそうだ。
       他にも”東京山椒魚”や”黒山椒魚”が生息しているが、水環境の悪化により、
       数が減り、いずれも絶滅危惧種、危急種に指定されている、とのこと。
       これ以上環境の悪化をもたらさないよう願うしかない。
       自分も気を配ってはいるつもりだが、一層気を付けたい。
       
              杉木立から木漏れ日が差し込む。
              
                     他の季節にも歩いてみたいコースである。
                     ただし、夏は除いたほうが良さそう。
                     

苔むした長い石段が続く。
気温はそれほど高くないが、汗が噴き出してきた。

       歩き始めて1時間半、一息入れよう。
       
              木の皮や材に油を多く含むので”アブラチャン”と呼ばれる。
              生木でも焚火が容易だそうだ。
              
                     急に視界が開け、明野方面が眼下に広がる。
                     なかなか素晴らしい眺めだ。
                     

出発してちょうど2時間、筑波高原キャンプ場に到着した。

       日向ぼっこをしながらおにぎりを頬張る。美味い。
       

これまで歩いてきた道を確認しているところ。

       この辺りはカタクリの群生地になっている。
       立ち入り禁止の看板が建てられている。
       
              これは4月2日に訪れた時に撮ったもの。
              この時は可憐なカタクリの花がところどころに咲いていた。
              

キャンプ場からは、下りが続く。              

       余裕の笑顔が返ってくる。
       皆さん、タフである。      
       
              筑波山の女体山を源とする”女の川
                    
                     こちらは、”男の川”、筑波山の男体山を源としている。
                     両方が合流して、”男女川”(ミナノガワ)となる。
                     
                     
次回の出発地となる旧Y.H跡に向かい、場所を確認。
Y.Hは撤去されて跡形もない、石のテーブルがあるだけだ。

       この日の撮影ポイント、路傍の大石に到着。
       ここで、めいめいに記念撮影を済ませた。
       
              後方に筑波山がそびえる。
               

この辺り一帯は日当たりが良く、蜜柑が栽培されている。
びっしりと実をつけた蜜柑。
一つ味見をさせてもらったが、程よい酸味で、美味しかった。
とても北限の蜜柑とは思えない。

       みかん狩りは大人一人300円。一袋(5Kg?)500円で売られていた。
       リュックが重くなるので、買うのを諦めた。
       今ではちょっぴり後悔している。
       
              収穫の真っ最中だ。
              

薬王院」に寄って行くことにした。
回りの木々に融け込むように建つ薬王院の山門。

       山門に奉納された大きな下駄が印象的である。
       人と比べるとその大きさが分かる。
       
              山門横には、樹齢500年を越える椎の木が。
              県の天然記念物に指定されている。
              椎尾山と言われる由縁である。
              

山門の先に急な石段が続く。
本堂が少しだけ見える。最後の頑張りどころだ。              

       約王院本堂。実に立派な構えである。
       
              本堂と三重塔
              
                     三重塔は、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手により、
                     宝永元年(1704年)に完成した、とある。
                     安信は、7年後に成田山新勝寺三重塔を完成させている。
                     県の文化財に指定されている。
                     スズメバチの巣が造られていた。
                     
  
薬王院を後にし、筑紫湖を目指した。

       薬王院を下る途中、綺麗に色づいた紅葉が。
       今年最後の紅葉になるだろう。
       
              15時10分、筑紫湖に到着。
              『皆さん、お疲れ様でしたっ!!』
              


今回、常連の一人が、風邪のため参加を見合わせるというハプニングがあった。
”皆で認定証を”を合言葉にこれまで一度も欠かさず頑張って歩いてきた人だ。
年明けにでもこの日のコースを一緒に歩こうと思っている。
同行したい、との声も聞こえる。これほど嬉しく、心強いと思ったことはない。

次回は、いよいよ筑波山越えである。
今年最後となるが、頑張って歩きたい。


ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次


コメント
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