ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

またもいじわるな雨 清里高原ハイキング

2011年08月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2011年8月26日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第27回「清里高原ハイキング」に参加した。
暑い夏を真っ盛りのこの時期に、少しばかりの涼を求めて、貸切バスでの避暑ハイキングというのが当会の恒例となっている。

朝5時40分、予定より20分も早く貸切バスがやってきた。(荒川沖駅東口)
市民会館、天川団地、桜ケ丘COCO'Sと回って6名を乗せてきたにしては早過ぎる気もするが、皆さんちゃんと乗っている。
相当早い時間にバスを待っていた証拠、大したものである。
ここで8名が乗り込み、最後の乗車場所である谷田部の常南交通本社へ向かった。


常南交通本社で最後の5名が合流し、総勢19名が揃った。
定員25名のバスなので、比較的ゆったりだ。
会のメンバー以外の4名が応援参加したが、顔なじみで和気あいあいである。


早速、配られたいつもの朝食弁当を食べる。


快調に常磐道を走ってきたが、首都高に入ったとたんに渋滞に巻き込まれた。


八潮南から堤通りにかけては、連日のように渋滞が発生する有名な場所だ。
この日も例外ではなかった。


天気はスカイツリーがはっきり見える良い天気。
この日の清里方面の予報は、曇り時々雨ということだが、この分なら何とか持ってくれるかも・・・
いや、何とか持って欲しいものである。


首都高4号新宿線を抜ける辺りで、この先の”中央高速で重大事故発生”の情報が入る。
昭和IC~韮崎IC間が通行止めとのこと。嫌な予感がした。
(普通乗用車にタンクローリーが追突し塩酸が漏れて運転手が意識不明の重傷とのこと)
9時25分、談合坂SAに到着したが、入口でこの状態。SAに入るにも渋滞待ちだ。


談合坂SAは、人と車が溢れて大混雑。
運転手さんによると、双葉ICで弁当を受け取る予定であったらしいが、通行止めで行けなくなったため、
一つ手前の昭和ICで受け取るように弁当屋と確認したところだと言う。


昭和ICの一つ手前の甲府南ICでは、ここで高速を下りる車が長蛇の列を作っていた。
高速を降りるにも一苦労、先が思いやられる。
時計は10時15分を指していた。本来ならそろそろ清里高原に着く頃である。


甲府南IC出口では、交通整理が行われていた。
抜け駆けを阻止しようというのであろうか?


甲府南ICの次の昭和IC手前6Kmほどからは、一寸ずりの状態となった。
これでは、午前中に清里高原に到着するのは不可能に近い。


談合坂SAから1時間20分以上かかって、ようやく昭和ICに到着し、弁当を受け取った。
昭和ICを降りる直前に、車の流れが動き出したところをみると事故処理が終わったようだ。
昭和ICで弁当を受け取った後、再び中央高速に乗り、須玉ICを目指した。


途中何度か渋滞に遭いながらも、11時35分須玉ICに到着。


しかし、天女山まではまだ40分以上はかかる。
相談の結果、急遽行き先を昨年と同様の「美し森」に変更することにした。
「美し森」は、休憩所もあり、雨よけもできるからだ。


清里高原「美し森」登山口に到着。
既に12時を10分ほど過ぎていたこともあり、「羽衣池」までを往復するコースに設定変更だ。
予定より2時間近い遅れと午後から雨の予報に皆さんも納得である。


早速準備に取り掛かる。


準備体操をして、12時20分出発!!


いきなり階段から始まる。


つづら折りの階段を進むが、さすが1600mの高地、汗はあまりかかない。


素晴らしい景色だ。


まだ雨は降っていないが、雲が次第に厚くなってきた。
何とか戻るまでこのまま持って欲しいと願うばかりだ。


間もなく「美し森展望台」だ。


12時30分、「美し森展望台」に到着。


早速、雨が降らないうちにと弁当を広げる。
おにぎりが2つとおかずが少々。朝食とあまり変わりない感じだ。
味はまあまあといったところで期待したほどではない。


ずらりと並んで食事する女性陣。


皆さんの弁当の評価は今一と言ったところ。


食事の後は、記念撮影だ。
出来あがったばかりの会旗をかざして『はいっポーズ』
この直後から、大粒の雨がポツリポツリと降ってきた。


素早く雨具に着替えて、羽衣池を目指す。


熊笹が生い茂る林は幻想的でもある。
好きな風景のひとつだ。


丸太で囲った道は、水が溜っていて歩き難い。
真ん中を避けて歩く。


13時20分、美し森展望台から30分ほどで、「羽衣池」に到着。


近くに東やがあったので、しばし雨宿りだ。
会旗もずぶ濡れである。


小降りになったのを見計らって、せめて池を一回り。


数分で一周してしまうほどの小さな池である。
湿地帯のように水が溜まっていて、ところどころにある白樺の木が高原の雰囲気を醸し出している。


残念だが今回はここで引き返すことにした。
恨めしげに地図を確認する皆さん。


丸太の上だけを歩くのは滑って危険である。


先ほどの大雨で、遊歩道の真ん中は水溜まりになってしまっていた。水が溜まり易い造りなのだ。
しかし、わざわざ水溜りの中を歩く気にはならない。
『今度来る時は長靴持って来なくっちゃ』


真ん中の木道の丸太を避けて歩く。


これでは、せっかく作った歩道であるが、なんのための歩道だか・・・


20分ほどで、先ほどの美し森展望台に戻ってきた。
”日本一のソフトクリーム”を楽しみにしていたが、
雨はいっこうに止まないし、ここはパスして下山することにした。


雨に煙る清里高原


黙々と下山する皆さん
『雨が恨めしいわねっ』


土砂降りの中、バスは待っていてくれた。


高速に乗る頃には、先ほどの雨は嘘のように晴れていた。
いじわるな雨である。


笹子トンネルを抜けると、一転激しい雨に見舞われた。
トンネルひとつでこうも天気が変わるものなのか?


首都高も雨、雨、雨。あげくの果てに超ノロノロの大渋滞だ。
後で知ったことだが、この日は、都内各所で時間当り80mmを越え猛烈な雨量を計測したそうだから
この程度の雨は大したことないのだろう。


渋滞は山手トンネル入口、


山手トンネル内も延々と続いた。
箱崎回りの方が早かったかも・・・



常磐道矢田部ICを降り、出発地の荒川沖東口に到着したときには20時を過ぎていた。
朝6時に出発して約14時間、その殆ど(約12時間)がバスに揺られての”旅行”であった。
『今日は大雨の中大変お疲れさまでしたっ!』

今年も”避暑ハイキング”と銘打って、昨年に続き「清里高原」を訪れたが、思わぬ大雨に遭ってしまった。
雨だけならまだしも、大事故で交通止めのハプニングにも遭い、現地到着が大幅に遅れ、コース変更を余儀なくされてしまった。
首都高経由の遠征バスハイクは、再検討が必要、ということを今回のバスハイクは教えてくれたのかも知れない。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次

旧水戸街道を歩く 第5回 取手宿から牛久宿へ(その1)

2011年08月18日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2011年8月18日(木)


「関東ふれあいの道」(茨城)を踏破したメンバーから、次の目標として”「旧水戸街道」を歩く”
が候補に上がり、今回の企画になった。
日本橋から水戸城中までの約120Kmを毎月1回歩こう、というものである。

第5回のこの日、取手宿(取手駅)から牛久宿(牛久駅)までの約17.8Kmを歩くことにした。
今までで一番長い距離である。
集合場所は、取手駅東口。参加者は8名。


8時20分、元気よく出発だ。


奈良漬で有名な新六本店
早くも気温は30度を越えていると思われる中、一瞬だが打ち水が涼しさを誘う。


八坂神社は、前回お参りしたので今回はパス。


街道沿いには古そうな家が見られる。
宿場町の面影が残っている、ということだろう。


旧水戸街道は取手小学校入口交差点を左折している。


直角に曲がっている角の民家のような入口を入って行くと、阿夫利神社があった。


小さな神社である。
神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社の分神で、昭和十三年の建立というから比較的新しい。
この日の安全を祈った。


吉田地区付近


吉田神社
八幡大神の額が懸かっている。


吉田神社(八幡神社)拝殿


吉田神社からほど近いところにある大清山心光院本泉寺


新四国相馬霊場(我孫子・柏・取手にまたがる88箇所霊場)の第7番札所である。
御本尊は、阿弥陀如来。


徳川家康の家臣、本多作佐衛門の葵の紋
地元の人の話では、徳川家康から譲って欲しいと請われ、葉の部分のみ譲った、そうである。


吉田地区辺りから旧水戸街道はほぼ真直ぐに藤代宿方面へ続く。


樹高17m、幹回り2.3m、推定樹齢202年(昭和63年当時)のサイカチ(まめ科)の大木
樹齢は現在625年を越えていることになるからすごい。
さやは30Cmくらいになり、若いさやはつぶして洗剤に、トゲは利尿薬や解毒剤として利用された、とある。


道標
水戸与利十八里十八丁(約73Km)、反対側には江戸与利十里二十二丁(約42Km)と記されている。


ここからは、しばらく一直線の田んぼ道が続く。
日を遮るものは何もない。
風向きと同じ方向へ歩いているので、風を殆ど感じない。
『暑いっ!!』


相野谷川に架かる”どばし”のたもとに道標が見える。


来應寺七丁(約760m)江戸十一里(約43Km)水戸十八里(約71Km)と記されているので、
サイカチの大木から十八丁(約2Km)歩いたことになる。


相野谷川の”どばし”から150mほど先にも碑があった。


旧陸前浜街道の碑
側面には、「この街道は水戸街道とも呼ばれ、脇街道の中でも重要な街道であった。文政五年(1822)
の記録によると、二十二藩の大名が参勤交代に用いており幕末期は、とくに頻繁を極めていた」と記されている。


何らかの日除けなしでは歩けたものではないが、傘を差しても暑い!!
(全国各地で今年の最高気温を記録したことを帰宅して知った)


大きなけやきの木があったので・・・


堪らずに休憩だ。
再び歩き始めるのが躊躇われるほどの暑さである。
アスファルトの上は40度を優に越えているだろう。
このまま牛久駅まで歩けるのか、少々不安になってきた。


ようやく常磐線踏切が見えてきた。


旧陸前浜街道踏切の標識が見える。
明治五年(1872)以降、旧水戸街道が「陸前浜街道」と呼ばれるようになった。


踏切を過ぎると国道6号線だ。


国道6号線を渡ってしばらく進むと藤代宿の相馬神社に到着だ。
建立は元亨元年(1321)と古い。
安政二年(1855)に火災で焼失し、應応三年(1867)年に再建されたそうである。


洋風建築の眼科医院だが、先の地震の影響で屋根が大分壊れていた。
この先修理して存続させるのだろうか? そうなれば修理費はばかにならないだろう。
他人事ながら、心配である。


近代的な藤代中央公民館
かつての藤代宿本陣があった場所で、代々飯田三左衛門の子孫が管理していた、とのこと。
少しばかり休憩していくことにした。


本陣の玄関前にあった老松が公民館脇に植え替えられている。


この老百日紅(さるすべり)も本陣の玄関前にあったそうだ。


節電のためか、冷房の入ってない中央公民館で休憩している最中に、数人が『今日は、藤代駅で止めたい』と言いだした。
さらに何人かが、『次の佐貫駅までにしたい』とのこと。

自分としても最後の牛久駅まで行ける自信は正直云ってなかったし、無理はしたくない。
相談の結果、この日は佐貫駅まで行って終わりにすることにした。
『藤代駅まで』だった人も『それならばっ』と皆と一緒に佐貫駅を目指すことになった。


藤代駅近くの愛宕神社
鳥居の上部(島木と貫)が完全に落ちたままで、柱だけが残っている。
社殿は見えないし、鳥居がなければ、神社とは気が付き難い。


正面の突き当りが藤代駅だが、ここで駅に向かう人はいなかった。
この日のコースを次の佐貫駅までに変更したこともあり、
『何とか次の佐貫駅までは頑張ろう』という気力を奮い立たせているのだろう。


小貝川脇の熊野神社
屋根の瓦が大きく壊れたままになっている。
修理はまだ先のようだ。


石の鳥居は先ほどの愛宕神社同様、上部(島木と貫)がない。
木製の仮の鳥居が添えられている。
当面の措置ということなのだろう。


旧水戸街道を少し外れるが、小貝川の土手へ上がってみた。


風は気休め程度、対照的に日差しは次第に強くなっている。


文巻橋(ふみまきばし)を渡ると常陸国だ。
当時の小貝川は下総国と常陸国の国境であった。その国境越えのための宮和田の渡し場がこの宮和田宿にあったそうだ。
この暑さの影響だろう、河原のゴルフ練習場に人影は見えない。


牛久沼揚水機場辺りで、再び常磐線の踏み切りを渡る。
ここでは竜ヶ崎街道踏切の名が書かれている。


治水の碑
小貝川・鬼怒川・利根川周辺にはこのような”治水の碑”や”決壊の碑”などをあちこちに見ることができる。
この辺りは、長い間水との戦いだったのだ、と当時に想いを馳せる。


竜ヶ崎街道の向かい側に見えるのはスーパー”ストッカー”だ。


馴柴小学校入口の屋根付の道標
「左わかしば・水戸」方向(正面)に進む。


関東鉄道竜ヶ崎線の踏切だ。


踏切を渡ると馴柴小学校が見えてきた。
なかなか立派な建物である。
夏休みのため、あいにく子供達の元気な姿は見えない。


馴柴小学校脇の道標に見入る。


道標には、水戸十六里(約63Km)江戸十三里(約51Km)布川三里(約12Km)と刻まれている。
初期の水戸街道は、布川を経由して我孫子へ至る布川街道と、
藤代宿・取手宿を経て小へ至る二つの道があった。その合流点にこの道標が建てられている。


片側2車線の”けやき道路”を佐貫駅方面へ進む。


佐貫駅が見えてきた。
今回のコースは、ここ佐貫駅で一応終了とした。
ここから先若柴宿から牛久宿へは、次回に挑戦することにし、この日は解散した。
『今日は暑い中、お疲れさんでしたっ!!』


当初の計画であった牛久駅までを佐貫駅に短縮したのは、今思えば正解だったと思う。
帰宅して分かったことだが、この日は各地で今年の最高気温を記録する猛暑となった。
このまま無理をして歩き続けていたら、熱中症で救急車のお世話になっていたかもしれないのだ。
次回の9月中旬は佐貫駅から牛久宿を目指すことにしたい。その頃には大分涼しくなっていることだろう。


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続関東ふれあいの道(茨城)No.2 杉林の美を満喫

2011年08月11日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2011年8月11日(木)


一昨年から1年3カ月をかけて「関東ふれあいの道」(茨城県18コース全255Km)を踏破し、
県から認定証と記念品を受領したのは2011年2月初旬のことである。
その時の参加者のほぼ全員から、『季節に相応しいコースをもう一度歩きたい』という声が上がり、
「続関東ふれあいの道を歩く会」と称して月1回コースを選定し、歩くことにしたものである。

第4回目となる今回は、杉林の美を堪能する、ということで、
「関東ふれあいの道」コースN0.2(塩子支所バス停から道の駅「かつら」まで)を歩いた。
昨年は道の駅「かつら」から塩子支所バス停を歩いたので、今回は逆のコースを歩くことにした。

集合場所は、那珂川沿いの城里町の道の駅「かつら」 だ。


道の駅「かつら」は、この日のゴールでもある。
後方に見えるのは御前山(154m)


車に乗り合わせ、30分ほど離れた出発地の塩子支所バス停へ向かった。
Yさんは既に到着して待っていた。
後ろに迫ったダンプから逃れるため、思わずハンドルを切ったら、こちらに来てしまったとのこと。
結局この日集まったのは、7人である。


9時55分、道の駅「かつら」を目指して出発だ。
予報では、この日は全国的に35度を超える猛暑日になるとのこと。
傘を差して熱中症に備える。傘は意外と効果がある。


この辺りの歩道は殆ど歩く人がいないためか、草ぼうぼう。
盆も近いし、草刈りくらいやっても良いと思うのだが。


30分ほどで最初の訪問地、佛國寺が見えてきた。


岩谷山清浄院佛國寺と称し1300年以上の歴史を有する真言宗の古刹である。


200段以上あると云われる階段を上る。
昨年はコースの後半だったため、この階段はきつく感じたが、この日は楽に上れた。


佛國寺は古しえから関東の女人高野として知られる。
常陸第33番札所の第33番結願寺であり、また県内屈指の観音霊場でもある。


『熱中症になりませんように!』


鐘楼で記念撮影を済ませ、一息入れる。


木喰五行明満聖人終焉ノ地見学のため、車道側の坂道を下る。


木喰五行明満聖人終焉ノ地の碑


道標に従って小径を上ると・・・


覆い被さるような大きな崖下に小さな洞穴のようなものが見える。


三昧洞穴の跡とある。
人が横になって屈まないと入れないほどの小さな洞穴だ。
首が取れたような数体の仏像が並んでいる。首から上は後で付け足されたようだ。


反対側の岩の下は本尊安置所跡となっているが、子授け地蔵がポツンと建てられている。
子授けの御利益があるのだろう。


自衛隊七会訓練場の南通用門付近
杉木立が美しい。国有林ということもあるだろう。


自衛隊七会訓練場入口
固い扉で閉ざされている。


杉林が暑い日差しを遮ってくれる。


殆ど車が通らないので歩き易い。


ところどころ木陰が途切れ、強烈な日差しが注ぐ。
傘が手放せない。


杉林に囲まれ、日差しが遮られるとほっとする。


こまねぎ峠への分岐点に到着。
ここから20分ほどでこまねぎ峠だ。


ここで一息
風がないのでうちわは欠かせない。


なだらかな坂道を進む。


12時5分前、こまねぎ峠の分岐点に到着だ。


ちょうど昼時、ここで昼食を摂ることに。
昨年もまさにこの場所で昼食を摂った。


弁当をいただく時は帽子は脱ぐのが当たり前。
『大変行儀が良いですねっ!』
『暑くて堪らないだけよっ』


後半も見事な杉林が続く。
このコースで一押しの場所である。


『素敵だわぁ!』


砂利道から再び舗装道路(赤沢林道)に出たが杉林は続く。
日差しを遮ってくれるので、本当にありがたい。
気温はおそらく30度未満、5度以上は低いのではないだろうか。
快調なペースである。


御前山(154m)への西登山口


御前山はパスして真直ぐ道の駅「かつら」を目指す。
赤沢林道の傍らを流れる皇都川こうとがわ)のせせらぎを聴きながらの歩行は、気分が爽快になる。


最後の杉林


まもなく赤沢林道も終わりになる。
ゴールの道の駅は直ぐその先だ。


13時50分、道の駅「かつら」に到着した。
しかし、何という暑さ。杉林を抜けてこの日の厳しい暑さにあらためてびっくり。


この日はここで解散。『暑い中お疲れ様でしたっ!』
この後、出発地の塩子支所バス停まで送ってもらい、帰路についた。

全国的にこの夏一番の暑さとなり、熱中症が心配されたが、無事最後まで元気に歩くことが出来、一安心。
”杉林の美”を堪能するとともに”傘とうちわは必携”を認識した一日だった。


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