ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

牛久大仏と乙戸川を歩く

2009年11月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2009年11月27日(金)

毎週金曜日に地元土浦市周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する「牛久大仏と乙戸川」を歩くウォーキングに参加した。

地元土浦市周辺を歩くと言いながらも、このところ地元以外を歩く機会が多かったので地元を歩くのは久しぶりの感じがする。

この日、第二集合場所の牛久大仏駐車場には、23名が集まった。


大仏様を見上げながら準備体操をして・・・(大仏様に万歳しているよう?)


10時10分前に出発!


しばらくは公園内(牛久浄苑)を歩く。
きれいに手入れされていて気持ちが良い。


いろんな形のお墓が立ち並んでいる。形だけでなく、色や大きさなどまちまちである。
宗派によってもそれらは異なるのだろうか?


牛久浄苑を抜けるとのどかな田舎道に出た。


この辺一帯の代表的な風景。
天気も良く少し汗ばむくらいである。


乙戸川を渡る。
この季節としては、水の流れが多いような気がする。
今朝ほど見た乙戸沼の水位がやや下がっていたが、放流しているのであろう。
 

今回のコースには載っていないところに出てしまった。
どうやら道を間違えたようだ。


"少しぐらい間違っても何とかなる"、がこの会のモットー?である。
兎に角進むしかない。


道端に、売れるものは何でも売ろうというような店が・・・。
装飾品・食器・骨董品らしき物・農作業用道具・果物類などなど、一体何屋というべきか。


牛久大仏を出発して約1時間、とりあえずここで最初の休憩。
後ろに見えるのが先ほどの店だ。


休憩と言っても、腰を下ろすほどでもなく立ち止まって喉を潤す程度である。
最後尾の人には気の毒だが、追い着いたと思ったら一息付く間もなく出発である。


真直ぐ進むと、何となく見覚えのある、牛久第二中学校交差点に出た。
この辺りは「鎌倉権五郎景政物語コース」の時に歩いたところだ。
予定のコースからかなり外れている、ということになる。
昨年もそうだったらしいが、鎌倉権五郎景政ゆかりの地辺りではコースを外れてしまうようだが、これも権五郎景政のたたりなのか?

牛久第二中学校交差点を左折してしばらく歩くと、広い歩道のある県道34号線に出た。
前方に大仏様が見えてきて、ほっと一安心。


ここの焼き芋は美味いとのこと。そのうち買って味わってみよう。


2度目の休憩。ここでも軽く喉を潤した程度。


道路を横断して、大仏様の方角に向かって進む。
道の両側には杉林や雑木林が続く。
 

地元の人によると、ここの八坂神社は長寿の神様を祀っている、とのこと。
神社横の鮮やかな紅葉が最後の彩りを見せる。
(実際には艶やかな色なのだが、空が急に陰ってきて色合いがいまいち)


つい最近、TVで福島などで銀杏を栽培しているのが紹介されていたが、地元で栽培している銀杏を見るのは初めてだ。


出発してちょうど2時間、12時10分前に牛久浄苑に到着した。
大仏様が出迎えてくれているようだ。


いつもの整理体操をして、解散となった。
この日の歩数は約12,000歩、お疲れさまでした。


この日は、途中で道を間違えてしまったが、ずっと大仏様が目印となり、何事もなく予定時間どおりゴールできた。
鎌倉権五郎景政のお墓近辺は道に迷うことが多いようだが、大仏様のお陰?で安心して歩ける、ということだ。
合掌!


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人・人・人真っ盛り 高尾山ハイキング

2009年11月24日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2009年11月24日(火)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「多摩御陵・高尾山ハイキング」に参加した。
今回は「健康ウォーキングの会」からは、会長と2人のみの参加である。
12月第2週には同会の「高尾山ハイキング」が計画されているので、今回下見を兼ねての参加ということになる。

40人乗りの大型バスは満席であった。
知人が11月中旬頃に申し込んだ時には既に満席で、断念せざるを得なかった、というから人気のほどが分かる。
守谷SAにて


首都高三郷料金所に入ったとたんにご覧のような渋滞だ。
いつものこととは言え、この渋滞は何とかして欲しいものである。
圏央道の完成が待ち遠しいが、「民主党」に代わって、完成はさらに先延ばしになりそうな雲行きである。


この日は、最初に「多摩御陵」に寄ることになっていたが、高尾山の人出を予想して、添乗員の判断で急遽高尾山に登ることになった。
高尾山ケーブルカー登山口に向かう参道はぞろぞろと人の列が続く。
ケーブルカー登山口前は大勢の人でごったがえしていた。


添乗員が切符を買っている間にケーブルカー乗車口に並んで待っているが、後から後から人が押し寄せてくる。
連休明けの平日でさえこの状況である。土日ともなれば想像を絶する混雑になるのだろう。


山上駅までは6分足らずとのこと。
通常は15分間隔での運行だが、この日は7分間隔のピストン輸送である。


並んで待つこと20数分、やっと乗ることができた。定員は70人ほどだろうか。
常南バスの客は既にバラバラ、全員は乗り切れていないようだ。


かすみ台」からの眺望。
空気が澄んだ日は、都心の高層ビル群、横浜・江の島まで見えるそうだが、あいにく曇りの天気で名のとおり遠方は霞んでいる。


「かすみ台」を過ぎると、「たこ杉」がある。
道の邪魔になる根を切られそうになった杉が、一夜で根をぐにゃりと曲げたという言い伝えがあるそうだ。
人が触ったり撫でたりするのを防ぐためなのか、金網に遮られている。


高尾山薬王院の入り口「浄心門
ここからは参道の両側に灯篭が並んでいる。
 

浄心門からほどなく、道が二手に分かれる。
左側の「男坂」を進むことにした。右側は「女坂」で、数百mで合流する。
 

108段の石段を登ってしばらくすると女坂との合流点に達した。
ところどころに紅葉が最後の彩りを見せる。
 

ケーブルカー山上駅から15分ほどで、「高尾山薬王院」の「四天王門」に到着した。


四天王門をくぐると天狗(山伏)の像が並んでいる。
高尾山は修験道根本道場として知られており、山伏修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達となり、山伏の姿が天狗と同一視されることも多いのであります。(高尾山HP参照)


急な石段の上に厄除開運と書かれた鮮やかな朱塗りの「仁王門」があり、その先が本堂となっている。


朱塗りの仁王門とは一変して、荘厳な様式の「本堂」は線香の煙が立ち込めていた。
御本尊は、衆生を救済する徳を備えた仏神で、不動明王の仮の姿をした飯縄大権現(いづなだいごんげん)ということである。
  

さらに本堂左側に石段があり、本社へと続く。鳥居が構える。
真っ盛りの紅葉が美しい。
 

本社拝殿」。高尾山の頂上へは本社拝殿の右奥の石段を進む。
 

奥の院」と、奥の院の隣にある小じんまりとした「富士浅間神社
 

10分ほど山道を進むと・・・高尾山の山頂(599m)に到着。
 

人・人・人である。
今までに山頂でこのような人出を見たことはない。


ちょうどお昼時のため、東屋も人でいっぱいである。


運良く空席を見つけたので、急いで確保し、昼食にした。
この日の昼食は、おにぎり2個と鮭・鳥肉・海老天・煮物など。
お腹が空いていたので美味しかった。


昼食も食べたし、時間もあるのでゆっくりとしたいところだが、席を探して右往左往している人に悪いので、席を譲って山を下ることにした。
ルートはいくつかあるが、4号路を下ることにした。木の階段が続く。
 

途中は木の根が多く、つまづいたりするので、注意が必要だ。


高尾山唯一の吊り橋を渡る。多少揺れる程度だ。
 

4号路は工事中で、階段を登ることになる。登りと下りは専用の階段になっている。
意外にきつく、後ろに人が続いていて立ち止まると迷惑をかけると思い、一気に登ったら足に堪えた。


再び「浄心門」に戻り、1号路に合流。


ケーブルカー高尾山駅・リフト山上駅を通り過ぎ、1号路を下る。
途中「金毘羅台」の見晴らし台を経由して高尾山口に向かうことにした。
まだ紅葉が素晴らしくきれいだ。


晴れていれば新宿方面まで見えるらしいが、この日は霞んでいて見えない。
12月中旬の例会頃ともなればくっきりと見えることだろう。


高尾山口に着き、バス発車までには時間があったので、名物の「とろろそば」(892円)をつまにビールで喉を潤した。


帰りに「多摩御陵」に立ち寄った。
多摩御陵は高尾山口から車で5分ほどだ。
ここには、大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4つの陵が造営されている。
こちらは大正天皇のお墓。


こちらは昭和天皇のお墓



今回は下見を兼ねての参加ということだったが、残念なことに、その日はあいにく私的な用事で、参加できなくなってしまった。
「健康ウォーキングの会」の会員で、高尾山は初めてという人にとって、今回の報告が少しでも参考になれば幸いである。

事前に、毎週のように高尾山に登っているという同会のKさんに貰ったガイドMAPが、大いに役だったことを付け加えておきたい。

Kさん、ありがとう!! 


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観光客で大賑わい 4番札所「長谷観音」

2009年11月22日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年11月22日(日)


「安養院」の次にお参りしたのは、鎌倉の4番札所「長谷寺」通称「長谷観音」である。

参道から山門にかけて大勢の観光客で賑わっていた。
江ノ電の長谷駅から近いからでもあるが、人の流れが絶えない。
それも外国人が大半を占めているのは鎌倉ならではであろう。


拝観料は300円と他の寺院と比べると高い。
緑に混じってかすかに色付き始めた紅葉が美しい。後ろのやや小高いところに観音堂が見える。
それにしても人が多い。先にお参りした2番札所「岩殿寺」3番札所「安養院」とは大違いである。
 

豪華な「観音堂」昭和60年に再建されたものだ。


1本50円の太い線香が所せましと並べられているが、こちらは持参の線香だ。


観音堂の中は撮影禁止となっている。
奥に進むと、全身が金箔でおおわれた木造の十一面観世音菩薩立像が輝いていた。
高さ三丈三寸、9.18mにもおよぶ巨大な観音様には圧倒される。


観音堂を出るとすぐ左手には、出世開運授け大黒天が祀られた大黒堂がある。


経蔵」まわり堂は、中央に輪蔵という回転式の書架があり、この中に一切経が納められている。
時計方向に一回転させると、この一切経をすべて読んだ事になるそうだ。
毎月十八日に廻せることになっており、この日は廻せなかった。


経蔵前の「見晴台」という展望台に向かおうとしていた時、後ろで悲鳴が上がった。
振り返るとバサッという羽音とともに大きな鳥が舞い上がっていくところだった。
お昼時だったので、近くのテーブルでおにぎりを食べていた人が、とんびにおにぎりをひったくられたようだ。
まさに一瞬のできごとである。
柱には注意書きが貼られているのだが・・・ 見上げると、上空にはとんびがゆうゆうと舞っていた。
 

経蔵」の裏山は眺望散策路になっている。
約10分で回れる。


経蔵前の「見晴台」より高いところなので、そこからの眺望は素晴らしい。
鎌倉市街から由比ヶ浜海岸が一望できる。


順路に沿って行くと、「地蔵堂」があったので、お参りしていった。


さらに下って出口の反対側に進むと「弁天窟」がある。
壁面には弁財天と、その眷属として弁財天に協力する十六童子が刻まれている。


洞窟の中は、参拝者が上げたロウソクが灯っているのでさほど暗さは感じない。
燃え上がるロウソクの炎で気温も高い。
背を屈めていたが頭をぶつけてしまった。注意が必要だ。
 

参拝を終わって駐車場に戻る途中に饅頭屋があったので、食べて行くことにした。
黒餡夫婦饅頭は1個120円、黒豆大福が1個160円である。



この日3寺をお参りし、神奈川県の坂東観音霊場全てを回ったことになる。
後は、33番札所の「那古寺」が結願として残っているのみである。
今年中にはお参りを済ませたいものである。

2009坂東33観音霊場巡りの目次

北条政子が静かに眠る 3番札所「安養院」

2009年11月22日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年11月22日(日)


「岩殿観音」の次にお参りしたのは、鎌倉にある3番札所「祇園山安養院」(通称田代観音)である。
鎌倉金沢街道脇にあり、この日最初に訪れた岩殿観音から2Kmほどのところだ。
JR鎌倉駅からも1Kmほどである。


きれいに手入れされた「安養院」の山門
安養院は北条政子の法号から取られたものとのこと。
ここでも拝観料100円を箱に納めて門を入る。
 

観音堂本堂
安養院は、長楽寺・善導寺・田代寺が統合されてできた寺で、本尊は阿弥陀如来。
田代寺にあった千手観音が安置されているところから「田代観音」と称される。
 

本堂の屋根は社殿造りにも似た重厚な造りである。


山門を入るとすぐ左側にそびえる樹齢700年の鎌倉市天然記念物の槇の大木。


本堂裏手には、国の重要文化財に指定されている、2基の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
左は安養院開基、また鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室「北条政子」の墓と伝えられる。
今でも供養の花が絶えない。
右は浄土宗名越派開祖尊観上人の墓と伝えられ、関東様式宝篋印塔の典型で、鎌倉に現存する最も古い塔、と記されている。
徳治三年(1308年)に建てられたもの。
 


北条政子に由来する寺だからであろうか、ここを訪れるのは女性が圧倒的に多いような気がする。
鎌倉時代に想いを馳せた寺でもあった。


2009坂東33観音霊場巡りの目次

ひっそりとした佇まい 2番札所「岩殿観音」

2009年11月22日 | 2009坂東33観音霊場巡り
2009年11月22日(日)


鎌倉周辺の坂東33観音霊場巡りに出かけた。
愛車のNAVIに従い、常磐道・首都高・湾岸高速を経て横浜新道・横浜横須賀道路を通り、1時間半余りで朝比奈ICに到着した。

この日最初にお参りしたのは、逗子にある2番札所「海雲山岩殿寺」(がんでんじ)通称岩殿観音(いわどのかんのん)である。

地元の人に教えて貰って、住宅地に囲まれた車1台がやっと通れるほどの狭い道を行くと、奥まった所に、目指す「岩殿観音」が見えてきた。
それにしても狭い道である。四国八十八か所の難所並みと言っては失礼だろうか。


二人分のお心志し(拝観料)の200円を箱に納め、合掌一礼して小さな山門をくぐると石段が続いている。
日ごろ運動不足気味のかみさんには堪えるようだ。
  

左に折れてさらに石段を登ると観音堂の屋根らしきものが見えてきた。
屋根からは想像がつかないほど観音堂の建物は古い。享保十三年(1728年)に建てられたものとある。
御本尊は十一面観世音菩薩。
香炉が無いので持参したローソク、線香をお供えすることはできなかった。
 

屋根は昭和63年に萱葺きから銅版葺きに葺き替えられた。
この観音堂は逗子市の重要文化財に指定されている。


観音堂の真後ろに「奥の院岩殿観音」と書かれた祠がある。
行基菩薩の彫る、石の十一面観世音菩薩立像が祀られているらしいが暗くて中は良く見えない。


観音堂裏の左側には、小さな稲荷明神社が祀られている。
ここで一拝、奥の院を後にして山門脇の納経所に向かった。
 

観音堂からの逗子市街の眺望はなかなか素晴らしい。
手前に鐘楼の屋根が見える。


岩殿寺本堂で納経帳に御朱印してもらい、岩殿観音を後にした。



岩殿寺到着から40分近くはいたであろうか、日曜日にもかかわらずこの間一人の参拝者にも出会わなかった。
あの狭い参道で車と鉢合わせしたら、と考えるとぞっとするが、幸いにも1台の車にもすれ違うことがなかったのは幸運であった。


2009坂東33観音霊場巡りの目次