ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

「関東ふれあいの道」(神奈川)No.7 「大磯・高麗山のみち」

2013年07月07日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2013年7月7日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を歩いた。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画した。

コースNo.7(大磯・高麗山のみち:約7.6Km)は、2013年5月12日の第五回目に実施済みである。
この時は、前日になって前から痛めていた足の痛みがひどくなり、当日になって参加を辞退することになり、
私を除く13名が歩いているのである。
このところ足の状態が大分良くなってきたので、この日あらためて歩くことにした。
このコース2度目となるMさんとNさんの二人が同行してくれると言うのでその好意に甘えることにした。

8時15分発の熱海行きに乗車。


先ずはしっかりと腹ごしらえ。
この日同行を申し出てくれたMさん(右)とNさん(左)。


平塚には9時14分の定時に到着。
改札口前は、七夕飾りで華やかな雰囲気。
7月7日は平塚の七夕祭りの最終日、日曜日と重なって大勢の人出が予想される。


しかし、平塚駅南口には七夕飾りなどは全く見当たらない。
七夕飾りの様子をカメラに納めておこうと思ったが、七夕飾りは北口だけらしい。


9時24分発の神奈中バスで西海岸に向かう。
乗客は我々3人の他は数人だけ。殆ど貸切状態だった。


9時35分、西海岸に到着。
ここまで全く予定どおりに乗り継ぐことができ、ほとんどタイムロスはない。
「関東ふれあいの道」の案内板でコースを確認し、9時40分出発!


金目川の下流の花水川に架かる下花水橋を渡る。


花水川の先に目指す高麗山(167.3m)が見える。
一昨日関東地方の梅雨が明け、この日はかなり気温が高くなるとの予報である。
熱中症には十分に注意したい。


下花水橋を渡り、花水川に沿って上流に進む。


東海道線手前を左折し、線路に沿って進む。
この日案内役を買って出てくれたのはMさんだ。


東海道線下り電車がすぐ真横を通り過ぎた。


東海道線の線路下をくぐって案内板に従って進むと・・・


国道1号線(東海道)に出た。
高麗交差点付近。


高来(たかく)社
鳥居の両側には提灯が飾られ、夏祭りが近いことが伺える。
Webで調べたところ、今年は7月13日(土)、14日(日)に行われるとのこと。


二の鳥居をくぐって進むと・・・


夏祭の準備が行われているところだった。
町内会ごとの提灯灯篭の飾りつけをしていた。
『御苦労さまです』思わず声を掛けた。


この日の無事安全を祈念して高来神社に参拝。


本殿の中には夏祭りの飾りつけ最中の神輿が鎮座していた。
この後、大鳥(鳳凰)などが取り付けられるのだろう。


本殿の裏に回ると高麗山への上り道が始まる。
女坂(右)、男坂(左)に分かれている。前回は女性の参加者もいたことから女坂を上ったそうだ。
今回は男3人のみ、距離が短い男坂を上ることにした。


いきなり急な上り坂が始まった。
けっこう厳しい上りは、男坂たる所以であろう。


『男坂だけあって、きついねぇ』
『女坂にしときゃ良かったかな』


Nさんはマイペースでゆっくりと、確かな足取りで続く。


上り始めて約20分、男坂と女坂の合流点に到着。
高麗山山頂まであと300mとある。


合流点のところで一息入れ、先に進むと・・・
今度は急な石段が待ち構えていた。
ここは頑張って上るしかない。


高来神社から約30分で、高麗山山頂(167.3m)の大堂跡に到着した。
山頂の説明板には次のように書かれていた。
奈良時代のころ高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く、
その中に高句麗王族のひとり高麗若光(こまじゃっこう)もいた。
若光は一族をつれて、海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもと化粧坂(けわいざか)あたりに住み、
この地に大陸の文化をもたらした。
高麗若光と高句麗人が住んでいたことから、この地が高麗(こま)と呼ばれるようになった。


山頂には高麗山神輿保存会が建てたと見られる小さな神様が祭られていた。


高麗山山頂は高来神社の上宮造営所で、神輿保存会の倉庫があった。
夏祭用の道具などが納められていると思われるが、ここまで神輿が上ってくるのだろうか?


証明写真用撮影ポイントに指定されている湘南平を目指す。
かつて高麗山は相模平野一帯を見渡せることから、古くから軍事上の要衝として重要な地域であった。
山中にあった寺の建物が軍勢を収容する城郭として使われるようになり、多くの武将が陣を構えた、そうである。
今でも当時の空掘りが遺構として残っている。


湘南平まで0.8Kmの表示
「関東ふれあいの道」コースNo.7にはこのような道標がいたるところにあり、道を誤ることはない。
また距離が示されているので心強い。


湘南平まで0.6Km付近
尾根伝いの道には大きな椨(たぶ)と思われる木などが育っている。


紫陽花の花が咲いていた。
高麗山から湘南平に至るコースの中で、紫陽花の花が見れたのは、ここだけだった。


ところどころに樹高が20mほどもある大木も見られる。
これは椨(たぶ)の木だ。


浅間神社
ステンレス製とみられる鳥居は初めて見た。


浅間神社の祠の後ろに一等三角点があった。
標高181.2mと書かれた文字が見える。


ハム愛好家と思しき年配の人が交信中だった。
アンテナは自分で運んだもののようだ。


しばらくすると、TV神奈川の鉄塔の真下に出た。


高麗山公園に到着した。
公園は、とても山頂にいるとは思えないほど広い。
近くに大きな駐車場もあり、気軽に車で上って来れるようになっている。


TV神奈川の鉄塔をバックに証明写真を撮影し、「記念に」と鉄塔へ上ってみることにした。


鉄塔には危険防止のため金網が張られているが、そこには沢山の鍵が取り付けられていた。
”愛の絆の記念に”ということなのだろう。
よく見ると、全て今年取り付けられたものだった。
昨年以前のは全部取っ払われてしまったのだろう。


高麗山の右手には湘南海岸が見える。
これまで歩いて来た藤沢・茅ヶ崎方面だ。


望遠で覗くと遠くにぼんやりと江ノ島が霞んで見えた。


丹沢大山
秋から冬にかけて上ることになる山である。


時計は11時45分を指していた。
ここで、お昼にしよう。


湘南平に向かう途中、猫がベンチで気持ち良さそうに昼寝をしていた。


湘南平の高麗山公園レストハウス


高麗山公園レストハウスの屋上から見た景色も素晴らしい。
TV神奈川の鉄塔
高麗山公園の全景が一望である。


湘南海岸茅ヶ崎方面


これから向かうことになる大磯海岸方面
青い海が美しい。


動画で見るとこんな感じ。


12時25分、「大磯海岸こゆるぎの浜」を目指して下山開始である!


前にMさん、後ろにNさんの順に下る。


下りきったところに善兵衛池があった。
案内板(概略)によると、
この辺りは水が乏しく荒れた山田であった。
土地で人望のあった、善人善兵衛がその困窮を聞いて農地の開発を志し、全て自分で事業を行った。
1,600人の労力をかけて、東西24m、南北16m、深さ4-5mの用水池を作り、水利を整えて立派な良田にすることができた。
文政二年(1819)この功を賞して、老中から白銀5枚が送られ、名字帯刀を許され、三宅姓を名乗った、そうである。
今は葦が茂っていてよく見えないが、水はまだ溜まっているようだ。


静かな住宅地を進む。


次第に高級な住宅が増えてきた。


『いやぁ、どこも凄い門構えだねぇ』


JR東海道線は地下道を進むことになる。


地下道内部
『可愛らしい絵だよねぇ』
絵の効果だろうか、通常見られる落書きは影をひそめている。


国道1号線(東海道)は横断陸橋を跨ぐことになる。


東海道の松並木が続いている。


この10月から「東海道を歩く」を始めることにしている。
そのうちこの松並木を歩くことになるだろうが、一足先に歩くことになった。
本格的に歩く時が今から楽しみである。


松並木の途中で左に曲り、大磯海岸を目指す。
目の前に青い海が見える。
『きれいな海だねぇ』


新国道1号線のトンネルを抜けると・・・


海岸に出た。
『いやぁ気持ちが良いねぇ』


「小淘綾(こゆるぎ)の浜」と云われる砂礫の美しい海岸だ。


さざれ石とよばれる様々な色や形をした小石が無数に敷き詰められている。
永い年月をかけて波に削られて、洗われて丸みを帯びている。


『記念になるような石はないかなぁ』
行く先々で記念の石を拾って持ち帰るというMさんに倣って石を探しているところ。


『じぇじぇじぇっ!』である。
石ころを探して下ばかりを見て歩いていたので通り過ぎるまで気が付かなかった。


釣り師もちらほら。
「東京サーフ」に所属しているそうで、遠投の距離は200mにもなるそうだ。
ただし、この日は南からの風が正面から吹いているので150mくらいだとか。


『石の上に寝転ぶ気分って分かるなぁ』


海岸を歩くのもここ(国道1号線大磯西IC)で終わりである。


住宅地を旧国道1号線(東海道)へ向かう。


こんもりした森は旧吉田茂邸跡か?


14時7分、城山公園前(じょうやまこうえんまえ)バス停に到着。


14時15分発の大磯駅行きを待っていたところ、14時10分発の平塚駅行きのバスが来た。
大磯駅経由とある、これはグッドタイミングである。
おかげで、14時15分には大磯駅に到着することができた。


14時23分発の東京行き電車にも間に合って、めでたしめでたし、である。
『Mさん、Nさん、今日は同行ありがとうございました』
横浜駅を過ぎる辺りから東京駅に着くまでの短い間だったが、ひと眠りしてしまった。


この日は二人のおかげで、遅れていたコースNo.7を歩くことが出来、嬉しい限りである。
二人にはいつもお世話になりっ放しで、感謝、感謝に尽きる。
次回(9月)からは、いよいよ本格的な神奈川県の山コースを歩くことになる。
最後まで無事に歩き、神奈川県の踏破認定賞受領目指して頑張りたい。


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「関東ふれあいの道」(東京)No.7 「山草のみち」

2012年06月10日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年6月10日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第五回目となるこの日は、コースNo.7「山草のみち」(清東橋~御嶽駅)を歩いた。
順番からすれば、一番距離が短いコースNo.4「歴史のみち」ということになるが、
距離の長いコースNo.7「山草のみち」は、日が長いときに歩いた方が無難、ということで、
最後の11月に予定されていたコースNo.7を今回歩くことにしたものである。


常磐線荒川沖を朝一番(5時27分)の電車に乗り、上野から山手線(京浜東北線)で東京駅へ。
到着したばかりの中央線高尾行きの快速に乗り込む。
この日の参加者は9名だ。


日曜日で7時前の始発のため、車内は空いている。
『今のうちに朝ご飯を食べちゃおうっと』
朝から食欲旺盛だ。


立川で青梅線に、青梅で奥多摩線に乗り換え、出発地の川井駅には8時50分に到着。
川井駅の近くを流れる多摩川に架かる吊り橋。


吊り橋から川井駅を見ると、ちょうど奥多摩行きの電車が発車するところだった。
手前の青梅街道と鉄橋のアーチが並んで見えるのが印象的だ。


バス停に行儀良く並んで清東橋行きバスを待っているところ。
9時27分発しかないため、30分以上も待つことになる。
最初に並んだのは我々と数人のハイカーだけだったが、そのうち次々と人が増えて、40人ほどが列を作った。
殆どハイキングの客だ。


13分ほどで終点の清東橋へ到着した。
歩けば1時間近くかかるだろう。料金は250円である。


バス停向かい側の空き地で準備体操をして、


9時52分、棒の折山(棒の嶺)目指して出発!


しばらく舗装された道を進む。


多摩川を流れる清流の音が心地良く響く。


中茶屋キャンプ場
この辺りはキャンプ場がいくつか点在している。


この日は曇りで夕方には雨の予報だが、時折陽が差すまあまあの天気となった。
女性陣の暑さ対策は万全なようだ。


百軒茶屋キャンプ場
街道の旅籠のような雰囲気がある。


棒の折山への登山口
棒の折山(棒の嶺)まで1.8Kmの表示になっている。
1時間程度かな? と思ったが甘かった。


多摩川の支流を渡ると、いきなり急な上りが始まった。
上りはじめると直ぐに全身に汗をかき始めた。


昨日の雨の影響ではないだろうが、あちこちに小さな沢のような流れがある。
濡れた石は滑るので、気を付けないと危険だ。


沢の清流を利用したわさび畑が続く。


道は狭い。一人がやっと通れるくらいの道である。


10時21分、水分補給で最初の一休み。
道を塞ぐ形となったが、我々が一番最後なので後続を気にする必要はない。


葉っぱの上にヒルがいた。
このような状態でいるのを見たのは初めてである。


しばらく上りが続く。ところどころに階段が設置されている。


「関東ふれあいの道」の標識が現れた。
ここまで約30分経過していた。
半分は歩いた筈、と思ったが、わずか700mしか進んでいないのに、少々がっくり。


この標識を境に杉林になり、急な坂道が続く。


杉林の斜面の階段が延々と続く。


この日は「山草のみち」ということなので山草らしきものをいくつかをカメラに収めた。
うつぎ(空木)の白い花びらが美しい。


筑波山「薬王院コース」と比較してしまうが、このコースもなかなか厳しいものがある。


Oさんは少し遅れ気味である。
『大丈夫ですかぁ』
『大丈夫だよ~っ』


「関東ふれあいの道」の石の標識が現れた。
11時を少し回り、既に1時間10分を経過していたが、百軒茶屋からまだわずか1.4Kmしか歩いていないことになる。
茶色をした部分が歩いた割合を示している。
愕然とした、というのが正直な気持ちだ。
「山草のみち」は甘くなかった。


気を取り直して上るしかない。


まむし草
まむしが鎌首をもたげているように見える。
大きいものは1mを超す背丈になるとのこと。


ヒトリシズカがポツンと静かに咲いていた。


11時25分、棒の折山まで残り0.2Kmの表示となった。
上り始めて既に1時間半以上経過したことになる。


清東橋バス停を先に出発した若い一行に追いついたことからすると我々がそんなに遅い訳ではない。
やはり坂道が急なうえに、気温が高く暑いせいだと思う。


最後の坂道を葉をくいしばって上る。
『頑張ってるわよっ!』


11時36分、ようやく棒の折山山頂(969m)に到着した。
広々とした山頂である。


山頂からの展望は素晴らしい。
それまでの疲れを忘れさせてくれる。


山頂には大勢の人が上って来ていた。
昼ちょっと前だが、あちこちで昼食の弁当を広げていた。
目の前の大パノラマを観ながらの弁当は格別なのだろう。


棒の折山の標識をバックに全員の証明写真を撮影した。
今回の撮影ポイントは惣岳山の青渭神社前も指定されている。


”ここで昼食”といきたいところだが、まだ先は長い。
少しでも距離を稼ぐために黒山まで進むことにした。
コースを確認している。棒の折山から約30分ほどである。


棒の折山を過ぎると、殆どが下りになる。


大きなリュックを背負って上ってくる女の子たちの一団と出会った。
東京家政大学ワンダーフォーゲル部とのことで、リュックの中見はテントとのこと。
総重量は20Kg以上もあるそうだ。
『なかなか逞しいねぇ』
『頑張ってねっ』


10分ほどでゴンジリ峠を通過。


ひたすらに黒山を目指す。


杉林が続く


黒山まであと0.1Kmの標識。
しかし、急な上りのためわずか0.1Kmがなかなか大変なのである。
普通に歩けば数分だが、倍以上はかかるのだ。


黒山へ至る最後の急斜面が待ち構えている。


12時22分、黒山山頂(842m)に到着した。


お腹も空いたところだ、ここで弁当にしよう。


ちょうどうまい具合にベンチは空いていた。
『美味いっ!』


12時50分、昼食も終わり、次の岩茸石山目指して出発だ。
岩茸石山まで3.3Kmと表示されている。


『これは何の花だろう?』


ガクアジサイか?
まだ見頃には少し早いようだ。


13時10分、逆川丸(841m)を通過。
山頂とも峠とも思えないような場所である。


下りの道が続く。


「関東ふれあいの道」の道標を見ると、ゴールの御嶽駅まで7Kmの地点。
随分歩いたような気がするが、まだ半分も歩いていないのだ。
この時点で13時15分ということは、15時41分発のホリデー快速には到底間に合わない。
あせっても仕方がないのであわてず・あせらずに進むことにしよう。


富士山が展望できる絶景のポイント、との張り紙があった。


しかし、あいにく雲が遮って富士山は全く見えない。
富士山は簡単には姿を見せてくれないものなのか。


木の根が網の目のように張った坂道を上る。
階段の役目をしているが、昨日の雨で濡れているので滑り易い。


大きな岩も待ち構えている。


黒山を出発してちょうど1時間、ここらでひとまず小休止。
1時間歩いて休憩5分のペースである。


岩茸石まで0.7Km、惣岳山まで2.2Kmの地点


下ったり、


上ったりが繰り返される。


薄暗い林を抜けると、視界が開けた。
『良い景色ねぇ』


東京方面か?
なかなかの絶景である。


14時30分、岩茸石山に到着した。


岩茸石山頂(793m)


『東京スカイツリーが見えるっ!!』の歓声が上がる。


岩茸石山頂では小休止としただけで、直ぐに次の惣岳山を目指す。


遠くに棒の折山が見える。
『あそこに登って来たんだねっ!』


岩茸石山を出発して10分、高水山への分岐点を通過。


まき道を行きたいのはやまやまだが、惣岳山、御嶽駅方面の本道を進む。
惣岳山は撮影ポイントに指定されているので、避けて通る訳にはいかないのだ。


惣岳山まであと0.1Kmの筈だが、なかなか辿り着かない。
かなり疲れが出て来た証拠だろう。


最後の力を振り絞って木の根っこを踏みしめながら上る。


15時23分、惣岳山頂上(756m)に建つ青渭神社奥宮に到着。
この日2つ目の証明写真を無事撮り終えた。


一息入れて、下山開始だ。
下り始めて直ぐに、しめ縄が張られた2本の杉の大木があった。


杉の大木のすぐ傍に水が湧き出ている井戸のような跡があった。
惣岳山の山頂近くには真名井という霊泉がある。青渭の井とも呼ばれ、社名の由来になったといわれている
とのことなので、ここがその場所と思われる。


惣岳山からはずっと杉林が続く。


突然桧と思われる3本の大木が現れた。
かなりの樹齢であることが分かる。
表示札には”しめつりの御神木”と書かれている。
縄を境に青渭神社からこの御神木までが御神域ということらしい。


しめつりの御神木”を境に俗世の領域に入り、御嶽駅を目指して進む。


杉林が続く


突然、送電用の鉄塔が現れた。
このような山の上に建てるのは、大変なことだったろう。


立浪草(たつなみそう)
他にも数株見掛けたが、あまり多くはないようだ。


根っこの張った杉林を進む。


木々の隙間から御嶽の家並が見えてきた。
ゴールは近い!


残り1Kmを切ったと分かり、俄然元気が出て来たK子さん。
(ピンボケで失礼)


16時48分、ようやく山を下り終わった。
真言宗豊山派の寺院慈恩寺の前に出た時には正直ほっとした。


踏切を渡り、線路脇を右折し100mほど行くと・・・


御嶽駅に到着した。
時計は既に16時50分を指していた。
予定より1時間半ほど遅れたが、全員無事ゴールして何よりだ。


御嶽駅ホームで電車を待つ。


17時12分発のホリデー快速がホームに滑り込んで来た。


うまい具合に空席があり、全員座ることができた。
15時41分のホリデー快速の場合は、多分座れなかっただろう。
遅れて下山したのは正解だったのかもしれない。


立川を過ぎる頃には、ご覧のような状況。
皆さん、お疲れの様子である。
『今日は本当にお疲れ様でしたっ!!』


この後の予定としては、7月8月は暑いので休止とし、9月から再開することにしている。
夏休みは充分に休養を取って、9月からの「関東ふれあいの道」に備えることにしたい。


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「関東ふれあいの道」(東京)No.3 「富士見のみち」

2012年05月13日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年5月13日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第四回目のこの日は、コースNo.3「富士見のみち」(陣馬高原下~上川乗)を歩いた。

常磐線荒川沖を朝一番の電車に乗り、上野から山手線で東京駅へ。
上野駅の京浜東北線ホームで電車を待っているところ。


東京駅の長いエスカレータで中央線のホームへ向かう。


到着したばかりの中央線高尾行きの快速に乗り込む。
ゆっくり座って行けるのが良い。


高尾駅北口から陣馬高原下までのバスは、40分以上も待たなければならないため、
タクシーを利用することに全員異論はなかった。
参加者は12名なので、タクシー3台でちょうど良い。
バスで行くよりも一人600円ほど高くついたが、40分近く早く着くので、その分時間を有効に使える。


8時40分、陣馬高原下バス停に到着。
準備体操で身体を解し、


8時45分、先ずは約3Km先の和田峠を目指して出発!!


和田峠までは、舗装された緩い登り坂の道路が続く。


この日の先頭は、いつものようにベテランのKさんが務める。


道路脇を流れる小さな川のせせらぎ音が谷会いに心地良く響く。


この道はロードサイクルの人気が高いようだ。
緩くも無く、さほど急でもないのが良いのだろう。
息を上げながら懸命に坂道を上るサイクラーには、思わずエールを送る。
『頑張って!!』


スタート直後は空気がひんやりと感じられたが、歩きだして直ぐに、首筋に額に汗が滲んできた。


休憩の合間に上着を脱いで調整だ。
『暑いっ!』


杉林が続く道を進む。
一枚脱いだら、快調なペースだ。


途中1か所だけ視界が開ける場所があった。
ところで、こちらは何方面?


出発して1時間5分、和田峠に到着。
休憩を除くとぴったし1時間、さすがにKさん、ベテランである。


『どうぞ、どうぞ』
『よく冷えてて美味しいよ』


先にバスで到着していた一団が、一足先に出発するのを見送る。
(我々と同じコースを歩くというバスツアー客だ)


いきなり急な山道が始まった。


先に行った一団の後を追いかけるように進む。


杉の林を歩くのは気持ちが良いものである。
汗をかくが、冷たい風が心地よい。


前(下)ばかりを向いていたので、気が付かなかったが、
後ろを振り返った仲間の女性が、『あれ、富士山じゃないっ?』と教えてくれた。
杉の木の間から、雪を被った富士山がくっきりと見えた。
さすが「富士見のみち」と思ったのだが、結局富士山が見えたのは、ここだけであった。


醍醐峠
醍醐丸まで、0.5Kmと案内されている。


”花いかだ”を見つけたので一枚。


醍醐丸には、先の一団が休憩していた。
醍醐丸の標識の回りは満席状態である。一団は23名ほどいるらしい。


我々も少し離れたところで、休憩することにした。


バスツアーの一団が生藤山への本道を進んだのを見て、我々はまき道を進むことにした。
本道で、一団を追い越すのは楽ではないからと判断したのである。
まき道は狭いが、上りも少なく、他に誰にも通る人はいなかったので、早い。


再び本道に戻り、生藤山を目指す。
バスツアーの一団は、既に追い越していた。


時々、駆け足で追い越していく人がいる。
『お先にどうぞっ』 『元気が良くて羨ましいわねぇ』


この辺りは、上ったり、下ったりの連続である。


大きな木が倒れて横たわったままだ。
『よっこらしょっと!』


岩だらけの道は上るのが大変だ。


一息入れよう。お茶で喉を潤す。


まだまだ上りが続く。


撮影ポイントの生藤山まで、1.6Km付近。


11時50分、連行山(れんぎょうさん)(1003m)に到着した。


ベンチが4つあり、ちょうど先客が発ったところだったので、我々もここで弁当タイムだ。


数分ほど遅れて、バスツアーの一団がやってきた。


彼らもここで弁当タイムのようだ。
あいにくベンチは満席のため、ベンチの周辺にビニールシートを敷き、昼食を摂り始めた。


昼食も終わり、一足先に生藤山へ向かって出発だ。


ここから熊倉山までは、下りと上りが交互に続く。


生藤山方面からの一団とすれ違った。
『こんにちわぁ~』


生藤山まで残り1Km付近


まき道を通ったため、このコースの最高地点茅丸(1019m)は通り過ごしてしまった。


生藤山への最後の急な上りを進む。


『頑張ってぇ~』


生藤山の最高地点と思える一段高い小さな山頂を通過。


生藤山(990.6m)で、全員の証明写真の撮影を済ませた。


三国山(960m)
和田峠から生藤山までは、東京都と神奈川県の県境を歩いていたが、
三国山(三国峠)から浅間峠までは東京都と山梨県の県境を歩くことになる。


時折、展望の良い場所があるが、どちらを向いて歩いているのか、見当がつかない。
『富士山はどっち?』
どうやら富士山は木々が邪魔になって姿を見せてくれないようだ。
しかし、この雲では午前中のように見えるかどうか。


この日のゴール、上川苔(乗)まで、あと5.7Kmとある。
『もうちょっとだね』


軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)への最後の急な坂道を上る。
息が切れる。


軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ
この地は、日本武尊が休憩し、軍を整えた場所とのこと。
軍刀利神社の創建は永享三年(1049)に三国山頭に勧請されたのが始まりと伝えられている。
周辺領主からは軍神として崇敬され、たびたび戦勝祈願が行われている。
ここは元社で、約40分ほど下った山梨県上野原市棡原というところに奥の院と立派な本殿が鎮座している。


新鮮な緑一色の中、上川乗を目指して下る。


熊倉山(966m)で休憩しているところ。
配られたチョコに満足の表情が溢れる。
『いただきま~す!』『ありがとうっ』


晴れ渡っていたのは午前中まで。雲が出てきて、眺望は今一つ。
依然として富士山の姿を見ることが出来ない。
木々の枝が邪魔をして見え難いのかもしれないが、「富士見のみち」としてはやや疑問である。


歩きながら身体を解しているところ。
こうして歩くと気持ちが良いそうだ。


ヒトリシズカ(一人静)が咲いていた。
ブラシ状の花びらが特徴だ。


緑がきれいな雑木林が続く。
今の時期は緑が一番美しいのかもしれない。


14時8分、栗坂峠を通過。
浅間峠まで0.5Kmのところである。


緑の中を落ち葉を踏みしめながら下る。


14時15分、浅間峠の東屋に到着。


陣馬高原下までタクシーで来た分早く着いたので、ゆっくりと休憩を摂ることにした。


2本の旧い大きな杉とその奥に小さな祠がある。
根元に空洞があり、どことなく神秘的な雰囲気のする杉である。


14時30分、上川乗バス停を目指して浅間峠を出発。
ここで、東京都と山梨県の県境とも別れ、ここからは東京都に入る。


下るに従って、次第に回りの木々が我々を包み込むような風景に変わってきた。
気持ちが癒される景色である。


急な斜面に植えられた杉林の中、緩やかなつづら折れの道を進む。


イカリソウ
花は赤紫色で、4枚の花弁が距(きょ)(がくや花弁の基部にある袋状の突起)を突出し、
錨(イカリ)のような特異な形をしているためこの名がある。


祠がポツンと建てられていた。
名前は特に分からない。


小さな沢に架かる橋を渡ると・・・


県道33号線(桧原街道)に出た。


桧原街道を上川乗バス停へ向かう。


秋川に架かる南秋川橋を渡って数百m行くと・・・


上川乗バス停が見えてきた。


バス停横の駐車場で、整理体操だ。


かなりの乗客がバスを待っていた。
行儀よく並んで”今や遅し”とバスの到着を待つ。


バスは時間通り、やって来た。
日曜日のためか、3台連らなって来たが、どのバスも空席は見当たらない。
車内は、ご覧のような状態である。
ここからJR武蔵五日市駅まで立ちっ放し、楽ではない。


バスに揺られること約40分の16時40分、武蔵五日市駅に到着。


武蔵五日市駅からは、”ホリデー快速”東京行きに乗車するも、これも空席はなかった。
立川駅で、かなりの客が降り、ようやく全員が座れた。
『今日は本当にお疲れ様でしたっ!』


次回はコースNo.7「山草のみち」である。
距離が長いので、時間がかかることが予想される。
順番からすれば、11月の一番最後になるところであるが、日が長いときに歩いた方が無難、ということで、
6月のコースNo.4「歴史のみち」(最短のコース)と入れ替えることにしたものである。


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「関東ふれあいの道」(東京)No.2 「鳥のみち」

2012年04月08日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年4月8日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだったし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第三回目のこの日は、コースNo.2「鳥の道」(小仏バス停~陣馬高原下)を歩いた。
小仏バス停から景信山を経由し、陣馬山を経由して陣馬高原下バス停へ至るコースである。


常磐線荒川沖を朝一番の電車に乗り、上野から山手線で東京駅へ。
長いエスカレータで中央線のホームへ向かう。


到着したばかりの中央線高尾行きの快速に乗り込む。
この日の参加者は新たに「まゆみの会」の3名が加わり計15名。
これまでの最高の参加者となった。


高尾駅北口から小仏行きバス発車場に向かうと、既に大勢のハイカー達が並んでいた。
『凄い人だねぇ』


バスは1台では乗りきれないため、2台連ねて出発する。
2台目に乗ったがこちらも満員である。のんびり座って行ける状態ではない。
人気のコースなのだと、改めて感じさせられた。


満員バスに揺られること約20分、小仏バス停に到着した。
ここまでほぼ予定どおりだ。


とりあえず出発。
右手には、中央高速が見える。


バス停から10分ほど進むと、小佛山寶寿寺こぼとけさんほうしゅうじ)がある。臨済宗南禅寺派のお寺だ。


この寺の駐車場で準備体操をすることに。
『うぅ~んと空を見上げて~ぇ、今日は空が眩しいねぇ』


準備体操も済ませ、8時45分、あらためて景信山目指して出発だ。


この日先頭は「まゆみの会」会長のKさんにお願いした。
早くもなく、遅くもなく、ベテランのペース配分は”疲れない”と好評である。


しばらく舗装された道路を進み・・・


8時50分、景信山への直通登山道の上り開始だ。
小仏峠を経由して景信山へ至る道を上る筈だったが、前回この道を下ってきたので、
今日はこちらから登山開始することにした。
小仏峠を経由するのに比べ、30分近く時間短縮できるのは魅力である。


時間が短縮される、ということはそれだけ坂が急、ということであろう。
いきなり急な坂道が続く。


つづら折りの坂道をゆっくりと時間をかけて登る。
後から来た人達が次々と我々一行を追い抜いて行くが、気にしない。
『お先にどうぞっ』


15分ほど上ると、次第に身体が温まってきた。
このまま上り続けると、汗が噴き出してくる。上着を脱いで調節する。


杉林を過ぎ、尾根に出ると美しい雑木林になり、周囲が明るくなってきた。


落葉樹の雑木林と杉林を交互に通り抜けると・・・


9時35分、小下沢(こげさわ)との分岐点に到着。
あと20分ほどで景信山だ。
ここで一息入れて、


女性陣が先頭を進み、


男性陣が後ろに続く。


手入れされたきれいな杉林を過ぎると・・・


景信山の小屋らしき建物が見えてきた。
建物は、”お茶屋”かと思ったら実はトイレだった。
こんな山頂に立派なトイレがあるのには驚いた。


9時55分、景信山の茶屋に到着。


茶屋の前の眺めはなかなか素晴らしい。


『あれが富士山?』
幟の右手に雪を被った富士山の山頂がちらりと見える。


茶屋の前に景信山山頂(727m)と書かれた標識があったので、その前で証明写真を撮ったのだが、
裏の一段上に別の茶屋があり、その裏が正式な山頂だったことが判明。


慌てて移動し、あらためて証明写真を撮り直した。


10時15分、陣馬山を目指して出発!


ここからは、下りが続く。


走っている人をたくさん見掛ける。


圧倒的に若い人が多いが、時たま年配の人も走っている。
女性も見掛けた。


この日は時間もあるので、”まきみち”の誘惑にも負けず、迷わず”本道”を進む。


高尾山から陣馬山一帯は杉林・桧林が多い。
毎年のように花粉症に悩まされる一人だが、杉林は好きな風景である。
手入れされている杉林を歩くのは気持ちが良い。


11時25分、一息入れると、すかさず『どこでお昼にするのぉ?』
そろそろ昼時だ。朝早く出発したため、お腹が空くのも早いのだ。
『もうすぐですよぉ』


とりあえず明王峠を目指すことにした。


時折、視界が開けて遠くの山々のシルエットが美しい。


『明王峠まであと0.6Kmだって、もうすぐだねっ』


11時45分、明王峠に到着した。


元”お茶屋”の裏に回り、思い思いに弁当を広げた。
『上野駅の駅弁、なかなか美味いよっ』


『お腹が空いていたから美味しいねっ』


昼食も無事済ませ、12時15分、陣馬山目指して明王峠を後にした。


明王峠からは、少しばかりの下りの後、1時間ほどの上りになる。


明王峠から10分ほどで奈良子峠を通過。
小さな標識が一つしかなかったので、気が付かなかった人もいたようだ。


奈良子峠を過ぎると、


次第に上りになってくる。


20分ほど上ると、


木の階段が現れる。
わざわざ避けて通るのは、歩き難いためか。
このような木の階段はあちこちで見かける。
しかし、せっかく造られたのにあまり評判が良くないのが現実なのだ。


山頂に、白い馬のモニュメントが見えてきた。陣馬山である。


13時ちょうど、陣馬山山頂(854m)に到着した。


山頂は、大勢の人で賑わっていた。


陣馬山からの動画


『筑波山は見えるかな?』
『こっちの方じゃない?』
どこまでも茨城県人である。


スタンプハイクのスタンプ押印に余念がない。


陣馬山山頂でしばし休憩の後、陣馬高原下バス停を目指した。


「陣馬高原下バス停」の標識に従って下る。


急な下りの連続で、膝に負担がかかるし、つま先が痛くなってきた。


和田峠を通らずに陣馬山からいきなり陣馬高原下バス停への道(陣馬山新ハイキングコース)
を下ってきたことに途中で気が付いた。
道理ですれ違う人が少なくなったわけである。
時既に遅し、今さら引き返す訳にも行かず、そのまま一気に下るしかない。


陣馬山から下ること45分、陣馬高原下バス停近くの沢を通過。


舗装された道路に出て、つま先の痛みから解放されて一安堵。
『やっぱ、平な道は歩き易いよねっ』


『家が見えてきたよっ!』
『もうすぐだねっ』


14時20分、予定より30分以上早く陣馬高原下バス停に到着してしまった。
何はともあれ、先ずスタンプを押す。


バス乗り場には、既に行列ができていた。
しばし待つことに。


14時35分発の臨時バスがあることを車掌さんから聞いた。初耳である。
高尾駅北口まで急行するらしいが、5分後の14時40分発に正規のバスもあることから、
急行バスは見送ることにした。


14時40分発の正規のバスはすぐに来た。しかも2台続けてである。


『ゆっくり座って行けるのは嬉しいねっ』


約40分で高尾駅北口に到着。


15時30分の高尾始発の東京行き”中央特快”に充分に間に合った。


全員揃ってひと固まりで座れるのが嬉しい。
『楽に座って帰れるのが良いよねっ』満足の笑顔が車内に溢れる。
さすがに東京都、バスと電車の交通の便が非常に良い、ということをあらためて感じた。


神田までの約1時間、今日のハイクを振り返っての話しで盛り上がる。
『皆さん、今日はお疲れさんでしたっ』


次回はいよいよコースNo.3、「富士見のみち」である。
きれいな富士山が見えることを祈ろう。

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「関東ふれあいの道」(東京)No.1 「湖のみち」(その2)

2012年03月25日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年3月25日(日)


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだったし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第二回目のこの日は、コースNo.1「湖の道」の残り半分(梅の木平~小仏城山)を歩くことにした。
梅の木平から小仏城山を目指し、小仏峠を経由して小仏バス停までを歩こうと言うものである。
高尾山口からコースの始発点「梅の木平バス停」まではバスの便が悪いことから、歩くことにした。

常磐線荒川沖を朝一番の電車に乗り、上野から山手線で東京駅へ。
東京駅からはちょうどうまい具合に中央線快速高尾行きがある。
高尾までの約1時間5分、ゆっくり座って行けるのが嬉しい。
この日の参加者は11名。
「健康ウォーキング同好会」と「まゆみの会」のメンバーが半々だ。


高尾から京王線に乗り換え、8時16分、高尾山口駅に到着。
『今日の天気は最高ですねぇ』
皆さん、天気同様笑顔に溢れている。


準備体操ができる適当な場所を求めて国道20号線を進む。


高尾山入口交差点脇に小さな駐車場があったので、そこで準備体操をすることに。
この日は久しぶりの快晴で、見上げる空が眩しい。


両会のいつもの体操なので、息もぴったりである。


8時25分、先ずは「関東ふれあいの道」出発点の「梅の木平」を目指して出発!!
高尾山口から梅の木平までのバスは本数が少なく、ちょうど良いのがないため歩くしかないが、
軽い準備運動のようなものだ。


前方に高速道路の複雑な造形が見えてきた。
今日(3月25日)の15時に”圏央道高尾山IC”が開通するとの電光表示が見えた。


式典会場の看板
今日ここで、式典が催されるのだ。


高速道脇の地下道をくぐると・・・


前方に本来の出発点、梅の木平バス停が見えてきた。


『1日3本しかないんだ』
『利用する人がそれだけ少ないということなんでしょうねぇ』


「関東ふれあいの道」は、道路の反対側である。
横断歩道が見つからないため、車の来ないのを見計らって反対側へ移動。


国道20号線脇に「関東ふれあいの道」の標識があった。
大垂水峠まで8.3Km、小仏城山まで10.1Kmとある。


しばらく歩くと、会席料理「うかい竹亭」の前に差しかかった。
自然の風情が残る静かな佇まいは”奥高尾の隠れ里”と言われているそうだ。


南浅川の支流のまた支流に沿った道を進む。


前回、雪でぬかるんだ山道に悪戦苦闘したため、今回もスパッツを付けて、準備は万全だ。


杉林の中を進む。


高尾グリーンセンターの看板が。
蛇のマークは何を意味しているのだろう?
この先蛇が出るとでも言うのだろうか?


高尾グリーンセンター
自然とのふれあいや学びの場に適した環境で、グループ各種研修のための施設として、
宿泊や日帰りの施設利用(バーベキュー等)が可能、とのこと。
門は閉じられていた。


一般車両通行止の先に、東屋があった。
先ほど我々を追い越したグループが休憩していた。
『何? そっちは埼玉から? こっちは茨城だっぺよ~っ』


高尾山口を出発してかれこれ1時間、早めの小休止で水分補給だ。


『オレンジ? それともパインにする?』
『いやぁ これはどうも、ご馳走さま~っ』


しばらくは緩やかな上りが続く。


身体が温まり、息が上がってきた。


9時50分、高尾山口から1時間25分で梅の木平分岐点(三沢峠)に到着。
左側は神奈川県の「関東ふれあいの道」”峰の薬師へのみち”となっている。


三沢峠の指導標をバックに証明写真を撮り、次の撮影ポイント”大洞山”へ向かった。。


道が二つに分かれているところが何か所かあった。
一方は本道で、やや上りのある道だが、上りが苦手な人は、もう一方の”まきみち”を選ぶ。
大して距離は違わないので、どちらを進んでもあまり変わらないようだ。


三沢峠を過ぎると杉の林が多い。


杉林が途切れ、木々の隙間の向こうに雪を被った丹沢の峰が見える。


城山湖も見える。


杉林の様子(その1)


杉林の様子(その2)


杉林の様子(その3)


杉林の様子(その4)


行儀良く一列縦隊で進む。


突然視界が開け、このコース最高のビューポイントに。
丹沢の峰々と津久井湖が美しい。『素晴らしい眺めだわぁ』
しかし、道は人一人がやっと通れるほど狭く、後ろに続く人を”とおせんぼ”するため、
ゆっくり立ち止まって見惚れている余裕はない。
ベンチが並べられてあったが、あいにく先客で満席だった。
先に進むしかない。


11時ちょっと前に中沢峠に到着し、小休止。
大垂水峠まで2.4Km、城山まで4.2Kmの表示がある。
弁当は大垂水峠で摂ることにした。あと1時間ほどだ。


中沢峠を過ぎた辺りから上りが少し急になった。
『息がきれる~ッ』


『大垂水峠はまだなの~?』
まだ中沢峠を出て10分しか経っていない。


コンピラ山(514m)だ。


”リュック掛け”なるものを初めて見た。


熊笹に覆われた道を進む。


この坂を上れば大洞山(536m)だ。


撮影ポイントは大洞山の標識前が指定されている。
全員の証明写真を撮り終え一安心だが、うまく撮れているかは定かではない。


大洞山から大垂水峠へは下るだけである。


何と、自転車で登山している人に出会った。
駆け足している人は何人か見掛けたが、自転車を押している人は初めて見た。


大洞山から15分ほど下って行くと、眼下に国道20号線らしき道路が見えてきた。


大垂水峠橋を渡る。


大垂水峠橋は、国道20号線を跨いでいる。


弁当を広げるに相応しい場所を求めて、さらに進む。
『まだ弁当にしないのぉ?』 皆さん相当お腹が空いてきたようだ。
『もう直ぐですよぉ』


沢沿いの日当りの良い場所を見つけて、早速弁当を広げた。


カップ麺を美味しそうに食べるKさん。
『身体が温ったまるよ~っ』


お腹を満たし、12時30分、小仏城山を目指す。


大垂水峠から小仏城山までの約1時間は上りの連続である。


平なところに出ると、一息つけるので嬉しい。


美しい杉林と、


急な登りが交互に続く。


振り返って見るとなかなかの眺望に気づかされる。
『なかなか良い眺めだねぇ』


最後の階段を上ると・・・


小仏城山に到着だ。
『やっと着いたわねっ』


小仏城山山頂(670m)で一休み。


2週間前は深い雪で真白に覆われていたが、この日はその面影すら見られない。
『やはり春なんだなぁ』、と感じさせられた。


天狗の彫り物の後ろは高尾山だ。


遠くに見える高層ビル群は東京方面か?


本来の指定コースは、高尾山口方面へ進むことになるが、小仏城山から高尾山口は
前回歩いているので、小仏峠経由で小仏バス停へ向かうことにした。


小仏峠経由で小仏バス停は下りのみである。


下りは予定時間より早くなることが多いので、急ぐことはない。
ころんだり膝を痛めたりするので、ゆっくりと下る。


小仏峠付近の茶屋跡から、


相模湖とほんの少しだけ富士山が見えた。


雪を被った頂上付近の富士山だったが、やはり美しい。
『今日は、天気にも恵まれて、来て良かったわねっ』


小仏峠560mとあるが、地図では548mと紹介されている。
信楽焼の狸の置物が印象的である。


視界が開けた場所からは、都内の市街地が見える。


霞んでいて分かりにくいが一段と高いのはスカイツリーだ。


小仏峠から小仏バス停への下りはかなり急で、つま先が痛くなってきた。


採石をばら撒いた道は歩き難い。


小仏峠から25分ほど下ると舗装された道路に出た。
ここは山登りする人専用の駐車場になっているようだ。


やっぱり舗装道路は歩き易い。
後はバス停まで下るだけである。


14時40分発の高尾駅北口行きバスがちょうど出発するところだった。
直前に1台出たのでこのバスは増発便らしい。
それだけ利用者が多い、ということである。
30分後のバスでも良かったが、せっかく間に合ったので乗り込んだ。


20数分で、高尾駅北口に到着。
駅は大勢のハイカー達で混雑しており、適当な場所もないので整理体操は省略。


15時15分発の特別快速で東京へ向かった。
神田までの約1時間、ひと眠りする人も。
『今日は、朝早くからお疲れ様でしたっ!』

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