ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

関東ふれあいの道(茨城)No.2 御前山バス停から塩子支所バス停まで

2010年08月26日 | ウマさんの「はつらつ百人委員会」
2010年8月26日(木)


県南高齢者はつらつ百人委員会主催の「関東ふれあいの道(茨城)」を歩く
ウォーキングに参加した。
足かけ2年間をかけて茨城県の「関東ふれあいの道」18コース(全255Km)を歩こうというものである。
全コースを踏破し、コース毎に定められた撮影ポイントでの本人写真を送付すると、県から認定証が
交付されることになっている。

今回が11回目で、この日は、コースNo.2の 御前山バス停 から 塩子支所バス停 までの
約12Kmを歩くものである。
集合場所は、この日のゴール地点塩子支所バス停で、ここから車2台に分乗して、
出発地点の御前山バス停近くの道の駅かつらに向った。
今回の撮影ポイントは仏国寺の銅鐘が指定されている。


この日のスタートは、道の駅「かつら」からである。

       この日は新規に1名が加わり、10名が集まった。
       10時17分、少し遅めの出発である。
       
              「関東ふれあいの道」の案内板で道を確認。
              ”杉並木の美しいみち”と案内されている。
              

歩き出して直ぐに、美しい杉並木が迎えてくれた。

       杉木立があるので直射日光は遮られるが・・・       
       
              8月下旬だというのに連日の猛暑、この日も朝から暑い。
              こまめな休憩が必要だ。
              

こまねぎ峠までは、緩やかな砂利道が続く。

       熱中症を避けるためにも、水分補給が大切。
       皆さん、冷たいお茶やスポーツ飲料で喉を潤す。
       いつもより多目に持ってきたお茶がみるみるうちに減っていく。
       
              周りを山で囲まれているので、眺めはよくない。
              ひたすらに砂利道を進む。
              

12時ちょっと過ぎ、こまねぎ峠の分岐点へ到着。
ここからゴールの七会村塩子まで6Kmと表示されている。
ここまでで、ちょうど半分歩いたことになる。

       お昼になったことでもあるし、何はともあれ道端に腰を下ろして昼飯だ。
       
              こまねぎ峠からは舗装になり、下りになるので、歩き易い。
              
                     道に迷った車に道を訊ねられ、地図を示して教えているところ。
                     どうも七会村(現城里町)は道に迷い易い所のようだ。
                     自分も過去に何度か道に迷ったことがある。
                     
                     
道の脇を小さな清流が流れる。

       そのせいか、この辺りはトンボが多い。
       帽子に止まったりしてなかなか逃げないので、ちょっと撮影。   
       
              立派に育った杉並木がなかなか素晴らしい。
              
                     日が差し込んでいる景色はなんとも言えない美しさがある。
                     
                            杉木立の中でこの日最後の休憩。
                            あとは、この日の撮影ポイント「仏国寺」を目指すだけである。
                            

陸上自衛隊の「七会訓練場」が現われた。
勝田駐屯地の演習場であるが、どのような訓練が行われているのかは
窺い知ることはできない。
2008年8月に、新人隊員24人が爆発物の取り扱い訓練中、プラスチック爆弾
を舐めて中毒となった事故があったことが知られている。

       陸自七会訓練場から20分ほど進むと・・・
       
       
目指していた「仏国寺」に到着した。
「仏国寺」は、天平年間(729年~748年)、行基菩薩の開基と伝えられている。

       高野山宝性院を本山としており、古くからの関東の高野山、
       女人高野山として信仰を集めてきた。
       
              疲れはあったが、力を振り絞って、一気に204段の石段を登る。
              
                     左手に「仏国寺」の本堂があった。
                     建物は新しい。
                     
                            思い思いにお参りをして、
                                                        
                                   県指定重要文化財の銅鐘の前で記念の撮影を済ませた。
                                   


200余段の石段を登ったところにあるためか、心地よい風が吹き抜ける。
疲れが幾分和らいだ感じだ。



石段とは別にある銅鐘脇の坂道を下る途中、”木喰五行明満聖人終焉の地 奥ノ院三昧洞穴入口
なる標識があったので、見ていくことに。
標識の示す矢印に従って数十m登ると、三方を崖に囲まれた空間が現われた。

       右手の覆いかぶさるような大きな崖(岩)下に小さな洞穴がある。
       
              洞穴はとても小さく、屈まないと中は見えない。
              
                     中は狭く、人一人がやっと横たわれるほどの広さである。
                     ここが明満聖人の終焉の場だったのだろうか。
                     小さな仏像2体が安置されていた。
                     
                            洞穴の向かい側の崖下には、お地蔵さまが一体建てられていた。
                            

記念の撮影も済ませゴールを目指すが、「仏国寺」を過ぎてからは
木陰がないので、容赦なく太陽が照りつける。
じりじりするほど暑い。

       15時ちょうど、ゴールの塩子バス停に到着して一安心だ。
       一応ここで解散となり、車のある道の駅「かつら」まで送ってもらった。
       


この日のコースは、きつい上りもなく半分以上は舗装されていて比較的歩き易い。
しかし、猛暑日の炎天下の道は、結構堪える。
多めに持っていったお茶だったが、足りないくらいだった。
帰りにコンビニで500mlのお茶を2本買ったが、瞬く間に飲み干してしまった。


ウマさんの「はつらつ百人委員会」の目次
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工事中のスカイツリーを見てきました

2010年08月24日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2010年8月24日(火)


工事中のスカイツリーを見る機会は二度とない、ということで、
KDD遊歩会のメンバーと別れた後、言問橋に向かった。

隅田川の手前からスカイツリーを見たところ。
向島方面を見ると言問橋のちょうど真ん中にスカイツリーが見える。
ちょっと離れた所から見るのには、最高の場所ではないか。

       言問橋から隅田川を望む。
       
                       言問橋中央付近から見たスカイツリー。
                       首都高6号線がはっきりと見える。
                       

       スカイツリーに向かって進むこと15分、東武伊勢崎線「業平橋駅」に着いた。
       駅の近くに小さな運河があり、運河に架かる橋の上が一番のビューポイントのようだ。
       たくさんの人がファインダーを覗いていた。
       土日ともなればもっと大勢の人が押し寄せるのだろう。
       
              橋の上から「業平橋駅」を見たところ。
              ちょうど浅草行きの電車が入ってきた。
              

青い空に向かってスッと立つ姿はなかなか美しい。
 
                     上に載っかっているクレーンが小さく感じる。 
                     




東武線のホームから見たスカイツリー



スカイツリーは2011年12月の完成予定である。
そのときはもう一度来て、展望室からの眺めを味わってみたい。


気ままなウォーキングの目次”へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三ノ輪から吉原・浅草周辺を散策

2010年08月24日 | ウマさんの「KDD友歩会」
2010年8月24日(火)

KDD遊歩会」の8月定例ウォーキングに参加した。
今回は、三ノ輪から吉原・浅草周辺を散策する歩程約6Km(予定)のウォーキングである。

この日の集合場所は、明治通りと日光街道の交差点に位置する日比谷線「三ノ輪駅
明治通りと日光街道の交差点のため交通量が多い。

       「三ノ輪駅」は現在改修中で、駅前は狭い。
       
              集合場所を向かい側の交差点にしていたのだが、
              ちょうど日陰になっており、大勢の人が集まってくるため・・・
              

急遽三ノ輪駅からほど近い、最初の訪問地「浄閑寺」に変更である。

       浄閑寺は、安政二年(1855年)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が投込み同然に
       葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった、とある。
       埋葬された遊女は2万人を超え、その平均年齢は21.7歳だったというから哀れである。
       
                 東京はこの日も朝から35度近い猛暑にもかかわらず、30人が集まった。
                    

生まれては苦界、死しては浄閑寺」と花又花酔の川柳に詠まれた
新吉原総霊塔」にお参りをすることに。
本堂横の小さな門をくぐり・・・

       本堂裏手に回ると、「新吉原総霊塔」が建立されていた。
       
              線香をあげて、合掌!
              
                     新吉原総霊塔の前には文豪永井荷風の詩碑が建てられている。
                     永井荷風は、遊女の暗く悲しい生涯に思いを馳せて、しばしば
                     この寺を訪れていたそうだ。
                     

次に向かったのが、「目黄不動尊
目黄不動は、江戸五色不動の一つで、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のこと。
徳川三代将軍家光が、天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定した
と伝える、とある。
目白、目黒、目赤、目青の各不動尊は1箇所だが、目黄不動尊はここ永久寺の他に
江戸川区の(最勝寺)がある。

       頑丈な鉄製の門は硬く閉まっていたが、横に小さな入口があり、そこから中に入ることが出来る。
       周りをビルに囲まれた小さな不動尊が祀られていた。明治通りのすぐ脇だが、意外と静かである。
       不動尊の目が黄色かどうかははっきりとは確認できなかった。
       

目黄不動尊の後、明治通りを渡って10分ほど南に向かうと、「一葉記念館」がある。
かつて一葉が住んでいた龍泉寺町(現竜泉町)である。

       より一葉の理解を深めるために、同記念館の古参職員の方からその生い立ち
       から一世を風靡するまでを説明して貰った後、館内を見学した。
       なお、館内は撮影禁止となっている。
       
              一葉記念館前の公園には、「一葉女史たけくらべ記念碑」が建てられている。
              碑には一葉の旧友歌人、佐佐木信綱の歌と書が刻まれている。
              

一葉記念館から数分のところに「飛不動」がある。

       ”飛不動”の名前の由来は、
       創建後まもなく、この寺の住職が修行のため、ご本尊のお不動様を笈(おい)
       で背負い、はるばる奈良大峯山まで運んだときのことである。
       江戸の寺ではご本尊が留守の間、お不動様の分身を携えた人々が集まって、
       お不動様を観想してそれぞれ一心に祈っていた。
       すると、お不動様は一夜にして大峯山から江戸に飛び帰り、祈った人々の
       願いを叶えて下さったというのである。
       以来「空を飛び来て、衆生を守りたもう、お不動様」飛不動尊と呼ばれる
       ようになった、とのこと。
       
       「はやぶさ」が地球へ奇跡の帰還を果たしたが、その運用室には
       「飛不動」のお守り札が貼られてあるそうだ。
       あらゆる手は尽くしたので、最後に神頼みをしよう!ということで、
       職員が「飛不動」のお札を手に入れて貼ったとのこと。
       自分はあいにく見ていないが、この「飛不動」、はやぶさ帰還のときは
       TVで何度か紹介されたそうだ。       

この辺りは台東区の下町であろうか?
家がびっしりと建っているが、ほとんどの家には庭が見当たらない。
代わりに軒下に鉢植えを並べたり、

       道端の僅かな隙間を利用して緑を育てている家も多い。
       
              下町ならではのこういった風景を見るのは楽しい。
              涼しさを感じる。
              


宝永年間から享保年間にかけ、地蔵坊正元が発願し、江戸市中から広く寄進者を得て、
江戸の出入り口となる六つの街道沿いの寺院に銅造の地蔵菩薩坐像を造立した。
これが「江戸六地蔵」で、「東禅寺」は奥州街道に対応する。


春慶院には二代目高尾太夫(万治高尾)の墓がある。
高尾太夫は、吉原で最も有名な花魁で、吉原の代表的名妓で代々襲名された。
この名を名乗った遊女は十一人いたとも言われる。
仙台藩主伊達綱宗の意に従わなかったために、三叉の船中で惨殺されたというのは俗説のようだが、
この墓は仙台侯の内命によって建てられたと言われる。


山谷堀に向かう途中、このようなモダンなビルがあった。
実はこのビル、誠向山正法寺という、天正十年(1582年)創建の日蓮宗のお寺なのだ。
真ん前を歩いていると全く分からなかったので、道路の反対側から撮った。
webによると、ビルの中は本堂と大半が墓地になっているようだ。


山谷堀公園からスカイツリーが正面に見える。

       今は埋め立てられて公園になっているが、かつては吉原への通路の一つで、
       ”吉原通い”を別名”山谷通い”とも言った。
       

この後、墨田公園で昼食を摂り、浅草寺へ向かった。
墨田公園の一角、言問橋の袂に「東京大空襲の碑」が建てられている。

大空襲の際、戦火に追われて向島方面に逃げる人と浅草方面に逃げる人が
言問橋の上でぶつかり合い、逃げ場を失って隅田川に落ちて多くの命が
失われたのを想いだす
』と、当時を語る先輩の声が震えていた。


浅草寺二天門近くの免税店。
中国からの観光客と見られる人達が買い物をしていた。

       ようやく二天門に到着である。
       
              二天門をくぐると、浅草寺の広い境内に出た。
              左に宝蔵門、右に五重塔が見える。
              
                     本堂横の木陰でこの日は解散となった。
                     『暑い中、お疲れ様でしたっ!!』
                     

せっかくの機会なので、工事中のスカイツリーを見て帰ることにしよう。
この後、暑さで疲れもあったが、再び言問橋に向かった。


ウマさんの「KDD友歩会」の目次
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年2度目の避暑ウォーキング 奥日光切込湖刈込湖

2010年08月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2010年8月20日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第30回「奥日光切込湖刈込湖避暑ウォーキング」に参加した。

避暑ウォーキングは、7月30日の清里高原に続き今年2度目である。
避暑といっても盆を少しばかり過ぎた一番暑い時期のためか、参加者は21名。
6時40分、荒川沖駅前に少し早めに来たバスに乗り込む。

       市内を何箇所か回り、いつものメンバーが揃った。
       
              なぜか皆さん、Vサイン。今日も元気一杯だ。
              
                     毎度おなじみの朝食弁当で腹ごしらえ。
                     

”いろは坂”では濃い霧に包まれて全く視界が遮られていたが、
雲を突き抜けた中禅寺湖まで来ると次第に霧が晴れてきた。
『やはり晴れ男、晴れ女がいる』ということになった。

       戦場が原辺りは、全く別世界のように青い空が広がっていた。
       

出発地の奥日光湯元温泉には10時10分に到着。
早速準備体操をして・・・

       10時20分に出発!!
       
              湯元温泉の源泉小屋
              
                     昨年の総会ハイキングのときは辺り一面雪景色だったのは記憶に新しい。
                     

源泉小屋からいきなり山道を登る。久しぶりのウォーキングなので、少しばかり息が上がる。
10分ほどで金精峠に通じる国道120号線に出た。
ここがコースの正式なスタート地点となっている。

          最初は緩やかな自然の山道が続く。
          見上げるような大木の根元を進んだり、
          
                 大きな岩の間を縫うように歩いたり、
                 
                        自然歩道を満喫できる。
                         
                               濃い緑も目を楽しませてくれる。
                               

登ったり、下ったり、変化に富んだ道を進むと・・・                                 
  

コース正式なスタート地点から約30分、「小峠」に到着。

       ここで、小休止。気温は思ったより低くない。
       水分補給し、
       
              最初の目的地「刈込湖」を目指した。
              

小峠を過ぎ暫らく進むと、一転下り坂に。
最初のうちは、木製の階段が見られたが・・・

       大きな岩だらけの道に変わる。
       
              自然が造った贈り物だ。 
              
                     険しい下りだが、このような道を進むのは、結構楽しい。
                     

小峠からちょうど30分、12時ちょっと前に「刈込湖」(カリコミコ)に到着した。

       一足先を歩いていた外国人パーティも水辺で食事中だ。
       
              我々も『お昼にしよう!!』
              いつもの弁当だが、きれいな景色の中で食べるとなかなか美味しい。
              





「刈込湖」を過ぎると、左手に「切込湖」(キリコミコ)を見下ろしながら進む。
「刈込湖」のように水辺に降りるような道は見当たらない。

       苔むした大木があれば・・・
       
              当然きのこも生えてくる。
              この辺りは雨が多いのだろう。
              
                     熊笹の斜面を下って行くと・・・
                     

涸沼」(カレヌマ)が見えてきた。

       刈込湖・切込湖からかなり下ったところにあるのだが、水はない。
       まるで草原である。
       茨城には同名の涸沼(ヒヌマ)というのがある。
       


素晴らしい景色だ。まさに天然の庭である。


小休止の後、「山王峠」を目指す。

この日最後の難所に挑む。


約20分で山王林道に到着。
呼吸を整えて、「光徳牧場」を目指した。

       ここからは、下るだけだが・・・
       
       段差が大きいので、膝に響く。
       今にも膝が笑い出しそうである。
       
              道がなだらかになってきた。
              最終目的地「光徳牧場」は間もなくだ。
              

テントがたくさん張られていた。
子供達の歓声が聞こえてくる。キャンプを楽しんでいるのだ。

       15時ちょうど、予定より少し遅れたが全員無事に光徳牧場に到着。
       何はともあれ、牛乳を飲みたい。
       
              コップ1杯150円、一息に飲み干した。旨かった。
              ソフトクリームを一緒に求める人も。
              

整理体操をして、先回りして待っていたバスに乗り込んだ。

       発車する間もなく、冷えたビールにつまみ、菓子が車内を回されてきた。
       手に持ちきれないほどである。
       
              中禅寺湖辺りでは薄い霧だったが、いろは坂に差し掛かると、
              信じられないことに、かなり強い雨が降っていた。
              朝からずっとこんな状態だったのだろうか?
              

日光有料道路から東北道に移る頃には一粒の雨も降っていなかった。
いままで雲の上の別世界にいたのだ、ということを改めて実感した。

すっかり良い気分になった頃、ほぼ予定どおりに地元に到着。
皆さん、それぞれ再会を約して家路についた。
『どうもお疲れ様でしたっ!!』



この後、有志9人(といっても参加者の約半数)で荒川沖駅前の「笑笑」に立ち寄り、飲み直すことに。


今年2度目の避暑ウォーキングは、最後まで大いに盛り上がった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本100名城巡り No.20 佐倉城

2010年08月19日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年8月19日(土)

成田さくらの山公園で孫と飛行機を見た後、日本100名城のひとつ、「佐倉城」に向かった。

佐倉城は佐倉城址公園内にあり、園内の一角には国立歴史民俗博物館がある。
ここでスタンプを置いてある「佐倉城址公園管理センター」を地図で案内して貰った。
公園管理センターが、城からは少し離れたところにあることを確認し、城内を観て回った。


佐倉城は地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。
先ずは”馬出し空濠
城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られないようにした土手が
馬出しである。

       この空濠は明治初期に連隊造営により埋め立てられていたものを
       復元したもので、長辺121m、短辺40mのコの字形をしている。
       深さは、当時5.6mあったのを現在は3mにしている。    
       
              馬出し空濠の近くに椎木門跡(しいきもん)がある。
               
                     門の前面に馬出しが設けられていたそうで、それが馬出し空濠
                     続いていたのだろう。
                     

佐倉城は石垣がなく、帯郭輪や土塁、堀で囲まれている。

          帯郭輪(おびくるわ)は天然の土塁である。
          幅4~5m、総延長は260mもある長い郭輪(くるわ)だ。外側は堀になっている。
          ひっそりとして薄暗く、散歩道としては、ちょっと寂しい。
          
          長い帯郭輪の先の坂を上ると台所門跡があった。
          
                    台所門の先に本丸跡が広がっている。
                    本丸にはかつて南西隅に三重の天守が建っていた。
                    また、銅櫓、角櫓、御殿が置かれていた。
                    

角櫓(三階櫓)跡
本丸内にある櫓である。
佐倉城の櫓や門は現存しない。跡地が示されているだけである。

       一の門跡
       本丸からみて初めての門で、「一の御門」と呼ばれていた。
       門内が本丸になる。
       
              二の門跡
              本丸から大手門にいたる第二の門で、「二の御門」と呼ばれ
              武器庫として使用されていた。
              
                     空堀
                     佐倉城の城内には、外敵から守るためにあちこちに空堀が見られる。
                     

城内公園の一角に、日本を鎖国から開国に導いたことで知られる、
第5代佐倉藩主堀田正睦公の像が建てられている。
堀田正睦公は、天保十二年(1841年)幕府老中に就き、安政三年(1856年)には
外国事務取扱に任じられている。
「攘夷」が叫ばれる中、欧米列強に対抗するには、貿易によって国を豊かにする
ことが必要であるとして開国を唱え、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスと
「日米修好通商条約」を結ぶ交渉に全力を傾けた。
上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとしたが、攘夷論者の天皇により、
残念ながら却下されている。
             

佐倉城を見学後、佐倉城址公園管理センターに向かった。
佐倉東高校横の空き地脇のプレハブが管理センターになっているが、
これは聞かないと分からない。




ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする