ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

旧水戸街道を歩く 第8回 土浦宿から府中宿へ

2011年10月27日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2011年10月27日(木)


「関東ふれあいの道」(茨城)を踏破したメンバーから、次の目標として”「旧水戸街道」を歩く”
が候補に上がり、今回の企画になった。
日本橋から水戸城中までの約120Kmを毎月1回、9回に渡って歩こう、というものだったが、
取手宿から牛久宿間は2回に分けたため、都合10回となる。
第8回のこの日、土浦宿(土浦駅)から府中宿(石岡駅)までの約16.5Kmを歩いた。

この日の集合場所は、土浦駅西口のイトーヨーカ堂前。
参加者は11名、これまでで最高の人数となった。


8時20分、府中宿(石岡駅)目指して出発!
天気は快晴、暑くもなく寒くもなく、最高のウォーキング日和だ。


国道125号を進む。
頭上を土浦高架道が走る。


桜橋の遺構に見入る。
桜橋は、慶長九年(1604)の水戸街道・一里塚の整備に伴う、幕府の直轄工事で造られた。
今は道路となっているが、江戸時代にはここを桜川が流れていた。
名前の由来は、中世の桜川がここを本流としていたことによると云われている。


土浦宿本陣・大塚屋跡
現在は、土浦商工会議所の建物が建てられている。
本陣は2ヶ所(山口家・大塚家)あったが、いずれも碑が残るだけである。


北門跡の碑
北門は、土浦城の北端、水戸街道北側の出入り口である。
土浦宿は、土浦城の南門と北門の中にあり、町方が一緒に城の中に入っているいわゆる総構えの城下町だ。


北門は松平信吉のとき設けられ、S字形の馬出しとともに水戸街道北口を守る重要な門であった。


新川に架かる新川橋を渡る。
ここは土浦市の桜の名所だそうだ。
土手の両側には200本のソメイヨシノが植えられている。
川の水がもう少し綺麗になって欲しいものである。


つくばりんりんロード
この先はJR水戸線の岩瀬駅まで(約40Km)続いている。


真鍋十字路を右に曲がると・・・・


善応寺
照井山善応寺。真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来。
関東八十八カ所霊場第35番霊場。
江戸時代には、土浦城主・土屋家の庇護を受けた。


照井の井戸
善応寺の登り階段の左側に、「古くから水量豊かで衰えたことがない名泉」の照井の井戸がある。
江戸時代には、土浦城内までこの水が曳かれていた。


今でもこんこんと水が湧き出ており、水汲みに来る人が後を絶たない。


善応寺観音堂は、寛文十年(1670)土屋数直が土浦城の鬼門除けとして建立した。
現在の観音堂は、文化十一年(1811)に再建されたもの。
この日の安全を祈る。


”ぼけ封じ”の御利益があるのだろう。


真鍋の古い家並み
旅籠風の古い家並みが続いている。


土浦一高
朝の連ドラ「おひさま」で主人公が通う女学校の”校舎”はこの門の奥左側にあるらしいが、
あいにくこの日扉は固く閉ざされており、中には入れなかった。
第三土曜日に解放しているそうなので、一度見ておきたいものである。


釣り具の上州屋を過ぎる辺りで旧水戸街道は右に折れる。


板谷の松並木
日立電線土浦工場の入口を過ぎると間もなく松並木が続く。


かつては、旧水戸街道は、このような松並木が造られたそうだが、枯れたり伐採されたりして
今では東若松町からここ板谷にかけて1.2Kmに残るだけとなってしまったそうである。


板谷の一里塚(左塚)
江戸日本橋から二十番目(80Km)の一里塚となる。
塚のてっぺんには、榎(えのき)が植えられ、旅人の憩いの場または道のりを測る目安とされた。


一里塚は道の反対側(右塚)にも残っている。
こちら側には、碑が建てられている。
旧水戸街道の一里塚の多くが失われている中で、街道の両側に残る一里塚としてこの史跡は極めて貴重である。


蓮根(れんこん)の収穫の真っ最中。
胸まで泥水に浸かって全身真黒になりながらの作業だ。


6号バイパスを跨ぐ。


土浦方面を望む。
車の流れは順調である。


安穏寺あんのんじ
真言宗豊山派の寺。中貫宿本陣の向かい側にある。


中貫宿本陣跡
水戸街道を通行する大名が休憩するための小休本陣で、本橋家が務めた。
この建物は元治元年(1864)水戸天狗党の焼き討ちに遭って焼失、直後に再建された。


取手宿、稲吉宿の本陣と並ぶ貴重な建物である。
主屋の正面に張り出した唐破風造りの式台付玄関は本陣建築を今に残している。
現在も住居として使われている。


中貫宿は、水戸街道千住宿から十二番目の宿だが、
下り水戸方面への稲吉宿への片継ぎだけを行う宿で、上りの稲吉宿からは、
中貫宿を通り過ぎて土浦宿へ継立ちしていた。


旧水戸街道から6号国道へ。


ここからしばらく旧水戸街道は6号国道と重なる。


陶陶酒のでっかい看板
まむし酒で有名な陶陶酒サ-ビスセンターだ。


確か去年は大きな店舗があったと記憶しているが、今はコンビニの隣に小さな店舗を構えている。
どうやら工場はこの裏手にあるようだ。


土浦駅を出発して2時間半、ここで一休み。


国道6号と分かれて旧水戸街道は左へ曲がる。
どことなく懐かしい風景である。


この先は、稲吉宿である。


稲吉宿本陣


今も本陣が残っているのはここ稲吉宿と、取手宿、中貫宿の3か所だけとなっている。
脇本陣は向かい側にあったらしいが、今は何も残っていない。


木村家住宅(旅籠皆川屋)
稲吉宿は、本陣や17軒もの旅籠が軒を連ねて、大名一行をはじめ、旅人客で大層賑わっていたという。
旅籠皆川屋は、江戸時代末期の建築で旅籠らしい造りが残っている。
旧水戸街道に残る唯一の旅籠となっている。


この辺りで見かけた火の見櫓
最近では火の見櫓は珍しいのではないか。
一時半鐘が片っ端から盗まれる、という事件があったが、ここは”無事”だったようだ。


立派な構えの家が多い。
本陣だったのではないかと見紛うほどである。


香取神社
経津主大神(ふつぬしのかみ)を祭神とする鎮守の神様だ。


参道が長い。


恋瀬川の支流天の川を渡る。


かすみがうら市千代田支所で体調を整える。
旧千代田町役場だったが平成の合併により、かすみがうら市となった。


上土田の旧水戸街道
昔の面影が偲ばれるのどかな道である。


快調に歩く皆さん。


蓮の田んぼの先に浅間山らしき頂が見える。


上土田集落
この辺りは果樹園が多く、立派な長屋門の農家が多い。


土田観音寺
東日本大震災の影響で、六地蔵が出迎える山門は通れない。


鐘楼
厄除けの鐘


観音堂


境内にある不動明王像は町指定の文化財になっている。
像高50Cm、台座高9Cmの木立像は「黒の裳裾に大柄な金箔絵が施され、その作柄から鎌倉末期のものと推定されている」
と紹介されているが、階段の登り口は鎖で閉ざされ、中を覗き見ることは出来なかった。


12時を少しばかり過ぎ、お腹も空いてきたので、寺の境内で昼食を摂ることにした。
ご住職の許可を得て、境内で弁当を広げる。
青空の下での弁当は殊の外美味しい。


昼食も終わり、石岡駅を目指す。


門の向こうに立派な庭園が見えた。
思わず散策してみたくなる庭園である。


これもなかなかの家である。


千代田石岡IC入口


常磐道石岡IC入口への進入路脇に千代田の一里塚(西塚)がある。
国道6号の石岡に向かって左側に位置する。


再び旧水戸街道は国道6号と分かれる。
石岡市市川付近を進む。


旧恋瀬橋
恋瀬川の手前にロードパークがあり、旧恋瀬橋の遺構が展示されている。


恋瀬橋から見る恋瀬川と筑波山は特に美しく感じる。
”浅瀬に鯉が多く棲む川”から”鯉瀬川”の名が起こり、いつからか”恋瀬川”に変じたとの説も。


恋瀬川の新恋瀬橋を渡り・・・


しばらく進むと府中宿に入る。
国府七丁目交差点付近。


日天宮
案内板には、「古くから太陽、月、星は信仰の対象となっていたが、常陸国府が置かれた石岡には、
それらを祀る社殿として日天宮、月天宮、星の宮が創建された」と記述されている。


後に府中三光宮と称された、そうである。


府中宿
常陸府中藩の陣屋が置かれ、江戸中期頃から水戸松平氏が入封、水戸藩の連枝として幕末まで続いた。
「府中」は古代の常陸国府が置かれていたことに由来する。
電線が埋設され、町並みがすっきりとしている。


金刀比羅神社
御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ
大物主神は、山と森の木という自然の生命を御神体として鎮座することを特徴とする、
日本最古の歴史を有する神である。
当神社の古称である「森」「森木」「守木」は神社・神木・神垣の意を表し、
古代神木祭祀の時代からの由緒ある神域であったことを伝えている。
当神社では、文政十年(1827)に讃岐国象頭山(ぞうずさん)の金毘羅大権現(金刀比羅宮)より御分霊を勧請し、
こんぴら信仰」のよりどころとなって多くの人々の参詣を集めて今日に至っている。(案内板より抜粋)


丁子屋ちょうしや
江戸時代末期に建てられた染物屋で、現在は観光施設「まち蔵藍」
店の屋号が強く印象に残る建物である。
あいにく木曜日は石岡市内は定休日で、殆どの店は閉まっていた。


藤中米店


いまどきミシン屋とは珍しい。


店の前にはミシンが陳列されていた。
朝の連続TVの「カーネーション」を連想させる。


石岡駅
14時30分、常磐線石岡駅に到着。
かつては、ここから鹿島鉄道に乗り換え小川、玉造、鉾田方面へ行くことが出来たが、
今は鹿島鉄道は廃線となっている。


この日は、ここ石岡駅で解散とした。
うまい具合に電車が来たので、めいめい上り、下りのホームへ急いだ。
『今日は大変お疲れ様でしたっ!』



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