ウマさんの気ままな行動日記(その2)

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四国巡礼報告参り 高野山奥の院へ

2013年07月24日 | ウマさんの四国巡礼の旅2010
2013年7月24日(水)


この日は懸案となっていた四国八十八か所巡りの結願の報告として、高野山奥の院へお参りすることにした。
高野山奥の院にお礼参りしなければ、巡礼の旅は終わりではない、ということである。
八十八番目の大窪寺にお参りしたのは3年前なので、ようやく念願が叶うことが出来る、という訳である。
早朝7時15分、高野山麓の橋本市の道の駅「万葉の里」を出発し、高野山を目指した。

国道480号を走ること約50分、高野山金剛峯寺前の駐車場には8時10分に到着。
少し早すぎたようだが、駐車場には楽に止めることができた。


もう少し遅くなると、満車になる可能性が高い。
金剛峯寺は9時から入場になっているため、先に奥の院へお参りすることにした。
奥の院への後に金剛峯寺を拝観するのが良い。


金剛峯寺正面横に「六時の鐘」鐘楼がある。
この鐘は、福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和四年(1618)に建立された。
福島正則公と言えば、豊臣秀吉と柴田勝家との戦いで、賤ヶ岳七本槍と云われた、豊臣家きっての勇将だった人物である。
寛永十二年(1636)正則の子政利によって再鋳された。
現在でも午前6時から午後10時まで、偶数時に時刻を知らせている、とのこと。


奥の院までの1.5Kmを歩いて行くことにした。
高野山の街中は、きれいに掃除されていて、ゴミひとつ落ちていない。


外国人向けの英字の案内図も見られる
実際町中を歩いている外国人をたくさん見掛けた。


もちろん坊さんもあちこちで見かけた。


高野山町中の様子
商店などがある一部を除けば、道の両側は寺院や宿坊だらけである。


藤の坊成福院


摩尼宝塔
ビルマ戦没者の供養塔である。


この塔の発願者である「成福院」前住職、故・上田天瑞大僧正。
昭和16年、南方仏教研究のためにタイ国に至り、大戦の勃発によって陸軍嘱託としてビルマに進駐。
ビルマ各地に日本語学校を設立し教育に挺身、その後ビルマ僧となって修行した、そうである。


延命なで地蔵なるものも建てられていた。


宿坊恵光院
大門から奥の院一の橋までの2Kmの間に52の宿坊がある、そうだ。


道が二手に分かれている。
左側に進む。


奥の院一の橋に到着。


奥の院参道のガイドマップ
説明板には以下のように紹介されている。
奥の院は、高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が御入定されている聖地である。
奥の院へは正式には一の橋から参拝する。
一の橋から御廟まで約2Kmの道のりには約20万基を越える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が
樹齢数百年を越える杉木立の中に建ち並んでいる。
一の橋は、弘法大師御廟の浄域への入口に当り、正式には「大渡橋」または「大橋」と云う。


ここで一礼して一の橋(大渡橋)を渡る。


いきなり左手にお墓が表れた。
奥州仙台伊達家墓所


右手には司馬遼太郎の文学碑が。


有名諸大名の墓が続く。
全ては紹介しきれないので、目についた墓所を紹介する。
薩摩島津家の墓所


樹齢数百年の杉木立が続く。
このような場所に杉の木は相応しい、と思った。


山口毛利家墓所
ずらりと並んだ五輪塔が壮観である。


武田信玄・勝頼墓所
向かって左が武田信玄、右がその子武田勝頼の供養塔である。


鬱蒼とした杉の木立だが、凛とした空気に包まれている感じがする。


石田三成墓所


明智光秀墓所


中の橋
一の橋から奥の院までのちょうど真ん中辺りだ。


二の橋の汗かき地蔵


杉木立と墓所はまだまだ続く。


墓は昔の大名達ばかりではない、中にはこんな墓所も。
パナソニックの墓所とある。
他には㈱クボタの墓所などもあった。


豊後岡中川家の墓所
凄く大きな五輪塔が印象的である。


芭蕉の句碑もあった。
「父母の しきりにこいし 雉子の声」と詠まれている。
静かな杉木立の中、お互いに呼び合う雌雄の雉の声を聞いた芭蕉は父母の姿を偲んだ。
芭蕉が父親の33回忌をすませ高野山に詣でた時に詠んだ句ということだ。


法然上人圓光大師墓所


ここで参道がまた二つに分かれている。
左手の表参道を進む。


豊臣家墓所
説明板によると、
豊臣秀吉公とその母公、秀吉の弟である大納言秀長と夫人など豊臣一族の墓。
織田信長に続き高野攻めを行った豊臣秀吉は、高野山の興山応其上人の説得により、
高野攻めを取り止め、以後応其上人の言葉に耳を傾け、高野山を庇護するとともに
復興興隆に努められた、と紹介されている。


織田信長墓所
天下統一を成し遂げた大名にしては、寂しい感じがある。


奥の院手前の御廟橋に到着した。
この橋を渡ると弘法大師空海御廟の霊域に入る。
先ず橋の前で脱帽し、服装を正し清らかな気持ちで一礼して、橋を渡る。
この橋は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表しているといわれ、
橋板の裏には仏を表す梵字が刻まれている。
古くから、お大師様が参詣する者をこの橋までお迎え下さり、帰りはお見送り下さると信じられており、
僧侶がその行き帰りに必ず御廟に向かって合掌礼拝するのもそのためである、とのこと。


ここから先は神聖な場所のため、撮影禁止となっている。
ここで、記念撮影をしておこう。


参詣する人が後を絶たない。
弘法大師様の御廟は、見えている本堂の裏にあるとのこと。
合掌礼拝して橋を渡る。


本堂にお参りし、御廟に四国八十八か所巡りの御報告をして、清々しい気持ちで御廟橋に戻ってきた。
皆さん、御廟橋の右手の水向地蔵(みずむけじぞう)にお参りしていた。
説明によると、
玉川を背にして、地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩などが安置されており、これらを総称して水向地蔵と呼ぶ。
参詣客は御供所で経木(水卒塔婆)を求め、水向地蔵に手向水をそそぎ、亡き人々の冥福を祈る、とのこと。


御供所で弘法大師様の御影を求め、奥の院の納経を済ませ、私たち夫婦の四国八十八か所巡りは終わった。
二人とも『ほっとしたね』を連発である。


中の橋までは、もう一つの裏参道を通って戻ることにした。


こちらにも有名な大名の墓所が並んでいる。
浅野内匠頭墓所


加賀前田家利長墓所


杉の並木は続く。
奥の院へ参拝する外国人は多い。
この参道全体の神秘的な雰囲気が人気があるのだろう。


慈眼堂歌碑
「親のなき 子らをともない 荒海を わたり帰らん この荒海を」


巡礼姿でお参りの夫婦とすれ違った。
四国遍路の数々の想い出が脳裏をかすめた。


伊達正宗墓所


弘法大師空海が、ちょっと休憩にと、腰を掛けた石であるという言い伝えが残されている、そうだ。


間もなく一の橋である。


奥の院入口の一の橋に到着した。


一の橋から奥の院御廟を参拝して戻ってくるまで、約1時間50分かかったことになる。


連日の100名城巡りで痛めていた足の古傷がまた痛みだしたため、金剛峯寺まではバスを利用することにした。
一の橋口から金剛峯寺手前まで140円だ。


皇后峯寺まで戻ってみると、駐車場は満車状態だった。
早めに来て正解だった。


これでようやく四国八十八か所巡りに一応の終止符が打てたことになる。
2008年に四国巡礼を始めたから実に足かけ5年ということになる。
できればもう一度巡礼してみたい気はするが、かみさんは全く乗り気ではない。
何とか説得に努めてみることにしよう。


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