ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

常陸国分寺と常陸国総社宮巡り

2012年02月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年2月17日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキング同好会」が主催する、
2012年第7回「常陸国分寺と常陸国総社宮」を巡るウォーキングに参加した。

朝起きてみて一面真っ白な雪化粧にびっくりしたが、会長からの中止連絡はない。
この日の予報は晴れのち曇り、それを信じて出かけた。
第一集合場所、土浦市民会館には9名が集まった。


車2台で、第二集合場所の石岡市の柏原池公園へ向かった。
直行した5名と合せて14名の参加者になった。
朝方の寒さと真っ白な雪のことを考慮すると、上出来の人数だ。


柏原池公園も真っ白である。


池には黒鳥が羽を休めていた。
黒鳥は千波湖ではよく見かけるが、この辺りでは珍しいのではないか。


雪の上でやる準備体操は、新鮮な気分になる。


入念に身体を解して・・・


9時50分、元気良く出発!
目指すのは、先ずは「常陸国分尼寺」


この日先頭を務めるのは、会長だ。
過去に何度も歩いたことがあるそうで、コースを知り尽くしている。


真っ白な田んぼの後方に見えるのは、龍神山。
二つに分かれているが、元々は繋がっていた?


常磐高速道を跨ぐ。


土浦方面を望む。
流れは順調である。


住宅街を進む。
この頃から日が差し始め、温かくなってきた。


ほどなく、「常陸国分尼寺跡」と書かれた石碑に従って左折。


常陸国分尼寺」の説明板に見入る。
説明板には、
国分寺・国分尼寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅願により、
鎮護国家(ちんごこっか)を祈るため国ごとに置かれた寺院である。
国分尼寺は、法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、常住の尼僧10名を置き、
寺院の財政は水田10町によって賄われた。
一般に国分尼寺は、国分寺より早く衰退したらしく、今日ではその遺跡すら
どこにあるのか不明なものが多い。


常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石群が
基檀上にあって保存され、全国的に見ても極めて貴重な遺跡である

と記されている。
国の特別史跡に指定されている。
写真は金堂跡


1,200年以上も前の昔を偲びつつ、「常陸国分尼寺跡」を後にした。


またしばらく住宅地を進む。


『たしかこっちの方向だと思ったんだが・・・』
地図にも載っていないほどの細い路地を通り抜けると・・・


「常陸国分寺」の本堂裏手に出ることが出来てひと安心。
本堂の銅葺き屋根が雪が降ったように白く見える。


都々一坊扇歌堂どどいつぼうせんかどう
都々一坊扇歌は、文化元年(1804)医者岡玄策の子として、久慈郡磯部村(常陸太田市磯部)
に生まれ、幼名を子之松、のちに福次郎と改めた。
幼少の折、病により失明同様となったが、芸の道を志し、20歳のとき江戸に出て、船遊亭扇橋
の弟子となった。その後、寄席芸人としての修行が続き、天保九年(1838)一枚看板を許され、
当時流行していた「よしこの節」「いたこ節」などを工夫して、新しく「都々逸節」を作り,
都々一坊扇歌と名のった。

(石岡市教育委員会)
堂は市指定有形文化財になっている。


現在の「常陸国分寺」本堂
説明板には、
国分寺は、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、
金字金光明最勝王経(きんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)一部を安置した七重塔を設け、
常住の僧二十名と、最勝王経十部を置いた。
寺院の財政は、封戸五十戸、水田十町によってまかなわれた。

と記されている。
『いやぁ、立派なもんだなゃ!』


旧千住院山門
千住院は府中における大寺のひとつで、末寺2ケ寺、門徒21ケ寺など多くの寺が
主に府中の町中にあったが、明治の初めにはほとんどが廃寺となってしまった。
また千住院も大正八年(1919)に国分寺と合併して廃寺となった。
現在はこの山門のみが残されている。常陸国分寺の山門でもある。
市指定有形文化財


国分寺薬師堂
毎年4月3日にはお釈迦様の誕生を祝う”花祭り”が行われ、たくさんの人出で賑わうそうだ。
もちろん甘茶も振舞われる。


弘法太子堂
『南無大師遍照金剛』


参道には大きな銀杏の木がそびえる。
推定樹齢300年以上は経っているように見える。


常陸国分寺を後にし、旧水戸街道を「常陸総社宮」へ向かった。
旧い造りの蔵の前を進む。


通りの店先には、雛人形が飾られている。
石岡のひな巡り”は駅前の御幸通りや中町通りの約100店舗の店先に、多彩なお雛様が飾られる。
今年は3月4日(日)まで開催される。


酒屋の店先には、町名を貼った酒が並べられていた。
随分とたくさんの町名があるものだ。


あちこちで旧い蔵の修理が行われていた。


東日本大震災での損傷が大きかったのだろう。
大変だろうが、しっかりと修理して、後世に繋げて欲しい。


市内の小学生たちが、店を”調査”して回っていた。


石岡の金刀比羅さま」はかつては「笠間の稲荷か、石岡の金刀比羅さまか」
と謳われたほどの賑わいを極めた神社だそうである。


江戸時代には、石岡藩主松平頼繩候が厚く金比羅さまを信仰されていた、とのこと。
社殿は昭和四年(1929)の”石岡の大火”で焼失し、昭和十一年(1936)再建されたが、
平成十二年(2000)に再度焼失、平成十九年(2007)に現在の社殿が再建された。


11時ちょうど、ここで、一休みだ。


次は、「常陸総社宮」を目指す。


ちょっと周り道になったが、金比羅さまから10分ほどで、「常陸総社宮」に到着。


杉木立で薄暗い参道を進む。
年番の各町が奉納した灯篭が並べられている。


神門前に、土俵があった。
相撲が盛んなのだろう。


雪に覆われた萱葺き屋根の神門をくぐって境内に入ると・・・


神楽殿に飾られた雛人形がひと際目を引く。


七段飾りのなかなか豪華な雛人形である。
これも”石岡のひな巡り”の一環のようだ。


本殿に参拝していこう。
説明板によると、
常陸国総社宮は、大宝令に制定された神祇官に相当するもので、神祇の祭祀を掌り、
国内の諸社を総管した神社である。
古くは国衙の近くに設けられ、国府の宮と称されていたが、延喜年間(901~922)に
天神地祇の六柱の神が祀られ、六所の宮と呼ばれるに至り、さらにその後、総社の名が
使用され、今日に至った。
社伝によると、始め国家鎮護の社として、全国のうち、常陸・武蔵・甲斐・駿河・長門・対馬の
国府が選ばれ、常陸国府に第一創建あるべし、の勅命により建てられたとある。

と記されている。
本殿は、石岡市指定の文化財になっている。
常陸國總社宮大祭(石岡のおまつり)は、毎年9月の敬老の日を含む土・日・月に
開催される祭事であり、川越氷川祭・佐原の大祭とともに関東三大祭りの一つである。


拝殿前の楠の大木は、落雷により、半分が焦げた状態になっているが、
元気に成長を続けている。


何故か境内には、大和武尊の腰掛石がある。


境内には色んな神様が祀られている。
手前から水の神・厳島神社、火防の神・愛宕神社、食物の神・香丸稲荷神社、星の神・星宮神社、
染物縁起の神・愛染神社、酒造の神・松尾神社
と並んでいる。


時計は11時30分になろうとしていた。
今日は弁当なしだ、陸国総社宮を後にし、ゴールの柏原池公園を目指そう。


石岡市民会館前を通る際に、”石岡の陣屋門跡”の碑があった。
石岡の陣屋は、元禄十三年(1700)、初代水戸藩主徳川頼房の五男松平頼隆が
府中藩主となったことによって設けられた。
明治初期に建物は取り払われたが、陣屋門だけは残され、現在は石岡小学校敷地内
に移設されている。



若宮八幡神社
社伝によれば、
聖武天皇の時代、神亀五年(728)に建立されたとされている。
その後、永保二年(1082)には八幡太郎義家が奥州征伐の折に参詣し、
応永二年(1395)には太田道灌が参詣したと伝えられている。
また、天正十八年(1590)には佐竹氏の侵攻により焼失したが、
寛永四年(1627)に皆川山城守により再建された
、とのこと。


県道5号線を進む足取りは軽い。


常磐高速道を渡るとゴールは近い。


朝方田んぼを覆っていた真っ白な雪は跡かたもなく融けてしまっていた。
天気予報は大当たりだ。


12時10分、ゴールの柏原池に到着。
2時間20分、ちょうど良い散歩コースと言ったところだ。


いつもの整理体操をして、


『はいっ 今日もお疲れさんでしたっ!!』


第一集合場所の土浦市民会館に到着した頃には、お腹も空いてきた。
市民会館裏にある、魚魚料理「仙華」で昼食をしていくことにした。
この店に立寄るのは初めてである。


日替わりランチは、目鯛の焼き物。


『美味しいわねっ』
食後にコーヒーが付いて840円はリーズナブルである。
これからもちょくちょく立寄ることになるだろう。


朝起きて雪で一面真白になっていたのには正直言ってびっくりした。
数年前に”石岡のおまつり”で一度常陸総社宮を訪れたことはあるが、
常陸国分尼寺、常陸国分寺は初めてだ。
石岡市内は、神社や寺院が多く、歴史を感じさせる町で見所も多い、と聞く。
市内の歴史や文化を巡る”常陸大掾氏(だいじょうし)歴史コース”や”健康ウォーキングコース”も用意されているので、
機会があればまた歩いてみたい。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-12-06 10:30:33
都々一坊扇歌についてなら、明治元年の大行進という電子書籍に詳しく載っていますよ。
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