ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.31 新発田城

2010年09月26日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年9月26日(日)


春日山城見学の後、約160Km離れた日本100名城のひとつ、「新発田城」に向かった。


新発田城本丸表門側の旧県立病院跡の臨時駐車場に車を停め、城へ向かうと、
内堀と移築された本鉄砲櫓(旧二の丸隅櫓)が目に飛び込んでくる。

       本丸表門辺りから本丸鉄砲櫓を望む。
       水辺に映える櫓は、美しい。
       城郭の代表的な姿の一つと言えるだろう。
       
              新発田城本丸表門
              
                     正面から見た本丸表門
                     石垣を渡る、実に堂々とした構えである。
                     
                            こちらは平成16年に復元された辰巳櫓
                            本丸の南東(辰巳)の位置にあることから辰巳櫓と呼ばれている。
                            赤穂義士堀部安兵衛の父中山弥次右衛門が管理責任者だったが、
                            櫓失火焼失の責任をとって浪人となり、ほどなく病没した。
                            

本丸内側から見た本丸表門

       本丸内に入ると、ほぼ正面に初代藩主
       溝口伯耆守秀勝(ほうきのかみひでかつ)の像が建てられている。
       
              本丸表門の内部は、資料展示室となっている。
              隅櫓、三階櫓などの模型の他、歴代藩主の絵・写真などが
              展示されている。
              
              初代藩主溝口秀勝公の絵と最後の第十二代藩主溝口直正公の写真。
              

辰巳櫓へ続く石段。
新発田家の家紋五階菱の旗がたなびいて印象的である。
五階菱は、現在は新発田市の市章として使われている。

       城のすぐ裏手に自衛隊の駐屯地が陣取っている。
       かつて古丸があったところであるが、今はその面影は微塵もない。
       


左手に三つの鯱の本丸の三階櫓が見える。



本丸の左手を進むと移築された旧二の丸隅櫓がある。
本丸表門と旧二の丸隅櫓の腰まわりは瓦張りの海鼠壁に仕上げられている。

       旧二の丸隅櫓の内部。
       頑丈な梁が組まれている。       
       
              こちらは、辰巳櫓の内部。
              梁の組み合わせはまさに工芸品である。
              
                     辰巳櫓の中に海鼠壁の造形模型があるので、興味のある人は
                     覗いて欲しい。
                     

二の丸跡は、綺麗に整備された城址公園になっている。
市民憩いの場となっている。

       三つの鯱が特徴的な三階櫓
       内堀左側は、自衛隊駐屯地のため、塀で仕切られている。
       今は三階櫓には入ることは出来ないが、年に1回だけ、
       抽選で選ばれた市民数百人のみが入れるそうである。
       
              内堀に映える三階櫓
              
                     二の丸公園から本丸鉄砲櫓を望む。
                     

本丸表門の正面二の丸側に”安兵衛茶屋”があり、土産物などが売られている。

       赤穂義士堀部安兵衛の銅像が建てられており、撮影スポットでもある。
       父弥次右衛門の死で孤児となった安兵衛は、19歳の時、家名再興を
       願って江戸に赴いた。
       小石川・堀内道場に入門した安兵衛は、天性の剣術の才で頭角を現わし、
       免許皆伝となって堀内道場の四天王と呼ばれるようになり、同門の
       菅野六郎左衛門の高田馬場での果し合いに、助太刀を買ってでた。
       この果し合いでの安兵衛の活躍が江戸で評判となり、これを知った
       赤穂浅野家家臣堀部弥兵衛の強い要望により、安兵衛は堀部家に養子入りした。
       その後の赤穂浪士四十七士による吉良上野介屋敷への討ち入りは、
       ご存知のとおりで、堀部安兵衛の活躍は「忠臣蔵」に広く紹介されている。
       




ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本100名城巡り No.32 春日山城

2010年09月26日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年9月26日(日)

昨日の小諸城・松代城に続き、この日は日本100名城のひとつ、
春日山城」を訪れた。

駐車場の先に春日山神社への石段がある。

       息を切らしながら石段を上ると春日山神社の鳥居があり、
       その先に神社の本殿が見える。
       
              先ずは、お参りをして行こう。
              
       
神社にお参りして鳥居を右に曲がると、上杉謙信公の像が目に付く。
ここが春日山城の上り口になる。       

       謙信像の左手を上っていくと、正面に二の丸辺りの杉木立が見える。
       地図からすると天守台跡、本丸跡はそのずっと上の方にあるようだ。
       
              途中右に曲がって山道を登ると二の丸・本丸へ至るとの案内板があり、
              どちらにしようか迷ったが、そのまま真直ぐ進むことにした。
              
                     しばらくは農道のような山道が続く。
                     このまま進んだらどこに行くのだろう? 
                     ちょっと不安な気持ちに駆られながら進む。
                     

10分ほど進むと、写真のような案内板が見えた。
どうやら間違ってはいないようだ。

       案内板に従って左側へ進むと、「南三の丸屋敷跡」がある。
       ”(ジョウ)城の畑”と呼ばれていた、そうである。
       
              今は畑だが、当時は土塁や塀で区画された屋敷が連なり、
              春日山城の最も重要な屋敷が集まっていた、そうだ。
              

いったんさきほどの案内板まで引き返し、本丸跡方向へ進む。
全くの農道で、城内とは思えない景色が続く。

       次第に道が細くなり、坂道になってきた。
       
              汗をかきかき歩くこと7分、「柿崎和泉守屋敷跡」に出た。
              上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡と伝えられる。
              春日山城で最も大きな郭のひとつである。
              
                     屋敷跡からの眺めは素晴らしい。
                     

上杉景勝屋敷跡
「御館の乱」で勝利し、謙信公の跡目を相続した景勝公の屋敷跡。
景勝公は謙信公の姉仙桃院の子で、直江山城守兼継という知将を得て、
豊臣秀吉五大老の一人にまでなった。

       今はあちこちに木が生えて狭く感じるが、かなり大きな郭だった、
       と推測できる。
       昔はどうだったか知らないが、柿崎和泉守屋敷跡ほどの眺望はない。
       
              さらに先に進むと、鐘楼跡がある。
              
                     鐘楼跡からの眺めは柿崎和泉守屋敷跡に劣らず素晴らしい。
                     

まだまだ上りが続く。

       井戸曲輪があった。
       こんなに高く上ったところにどうして? と思うほどである。
       廃城後400年経った今でも水を満々と湛えている。
       

井戸曲輪をさらに上ると・・・

       ようやく天守閣跡に到着した。
       謙信公像を出発してから45分経っていた。
       
              天守閣跡からの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。
              




こちらは、本丸跡
こちらからの眺めも素晴らしい。最高である。
3Kmほど先に関川が見えるが、その向こう側は当時の景色とあまり変わっていないそうである。
謙信公も同じように眺めていたのだろう。






本丸跡を少し下ると、謙信公が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂がある。
当時とは場所が少し異なるそうだ。
中には謙信公が信仰した毘沙門天(四天王の多聞天)が安置されている。



直江屋敷跡
三島郡与板城主であった直江大和守実綱(のちの景綱)、続いて信綱が住んだ屋敷跡。

       上杉景勝の小姓だった樋口与六が直江家を継ぎ、直江兼継と名乗った話は
       NHK大河ドラマでやったので記憶に新しい。
       


三の丸屋敷跡

       春日山では最も良好な状態で土塁が残る「米蔵跡」と
       
              謙信公が自らの名を与えて住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」を
              を総称して「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。
              三郎景虎は、謙信公死後に起きた「御館の乱」で敗れ、悲運の死を遂げた。
              

当時の土塁がそのままの状態で残っている。
土塁の上に城壁があり、鉄砲や弓を射た。                     

       土塁からこれまで上ってきた道を望む。
       ここから敵兵は丸見えである。簡単には攻めることは出来ない。
       

この後、春日山を下り、駐車場に着いた時には、出発してから2時間を過ぎていた。
ちょっとしたハイキング気分を味わった。


ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本100名城巡り No.26 松代城

2010年09月25日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年9月25日(土)


小諸城を後にし、次は日本100名城のひとつ、「松代城」を訪れた。

駐車場から回りが田んぼの中を歩いていくと、こんもりとした林が見えてきた。
こんなところに城があるのか? と一瞬思ったが・・・

       塀に囲まれた真新しい城郭があった。
       ひときわ高い屋根のある建物は櫓(北不明門一の門)のようだ。
       平成7年度から、後で紹介する太鼓門・北不明門の復元、石垣の修復、土塁・堀等
       の整備を実施しており、江戸末期の城郭空間を甦らせている、とのことである。
       
              小さな門(北不明門)本丸二ノ門の高麗門がある。
              案内板には、松代城本丸としか書かれていない。
              (後から気がついたことだが、裏門から入ってしまった)
              





本丸北不明門
本丸の裏口(搦手)に位置する櫓門(一の門)

       本丸内から見た北不明門(一の門)
       石垣に渡らず独立した門となっている。
       
              北不明門の横に「海津城址之碑」が建てられている。
              海津城は、永禄三年(1560年)北信濃に進出した武田信玄が、
              きたるべき上杉謙信との決戦に備えて築城したとされる。
              また、天文二十二年(1553年)に山本勘助の縄張りにより
              築城したとされるが真偽の程は定かでない。
              
                     本丸戌亥櫓台から城内裏手が一望できる。
                     

本丸を挟んで北不明門の反対側に本丸太鼓門(櫓門)がある。
こちらが松代城の正門で、やはり堂々たる構えである。
太鼓門は石垣の上に建てられている。

       太鼓門をくぐると枡形になっている。
       太鼓門を橋詰門側から見たところ。
       
              枡形の先に橋詰門がある。
              

前橋を渡り、正面(二の丸)から橋詰門、太鼓門を見たところ。






内堀から前橋方向を望む。

       内堀から本丸戌亥櫓台方向を望む。
       石垣と松の木の調和がとれていて美しい。
       
              二の丸南門付近に今でも残る丸馬出し土塁
              



ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本100名城巡り No.28 小諸城

2010年09月25日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年9月25日(土)


日本100名城のひとつ「小諸城」を訪れた。

小諸城址の三の門は「懐古園」の入口でもある。
徳川家達(いえさと)公の筆による”懐古園”の大額が掛かっている。
三の門は国の重要文化財の指定を受けている。

       内側から見た三の門
       
       懐古園入口付近。左側が入口。
       入園料金は300円、自動発券機もある。
       
                     右手の坂を進むと二の丸跡を経由して天守台に至る。
                     左側は動物園を経由して富士見台展望台に至る。
                     

二の丸跡に続く石垣

       二の丸手前から三の門方向を望む。
       
              二の丸跡への石段
              
                     二の丸跡 かつて白鳥城があった。
                     
                            
二の丸跡から番所跡・南丸跡・北丸跡方向を望む。

       南丸跡地 武器庫などがあったところ。
       
              黒門橋
              別名そろばん橋といい、緊急時は橋げたを取り外すことができる
              太鼓橋が架かっていた。
              
                     黒門橋の下は空堀になっている。
                      

黒門跡
一の門が建っていたところ。

       本丸跡の石垣
       全国でも珍しいといわれる自然石の野面積の石垣である。
       苔むした石垣は古城の趣きがある。
       
              黒門跡を曲がると正面に懐古神社が見える。
              
                     懐古神社にはお参りする人が絶えない。
                     
                            懐古神社横に戦国の軍師として有名な”山本勘助”が愛用した
                            と伝えられる”鏡石”があった。
                            薄っすらとではあるがカメラを構えた自分の姿が映っているのが分かる。
                            

懐古神社の裏を進むと、天守台跡地に至る。

        天守台の石垣から下を見たところ。
        柵がないのでちょっと怖い。
        
              天守台の石垣を下から見たところ。
              上から見たときはもっと高く感じたが、下から見上げると意外とそうでもない。
              


聞こえているのは、草笛老師・横山祖道の草笛だ。


水の手展望台

       東京電力城下発電所方面を望む。
       
              千曲川下流方面を望む。
              なかなか素晴らしい眺めである。
              
                     こちらは、富士見台展望台
                     

城内を一通り散策したら、「小諸動物園」でも見ながら戻ることを奨める。
別の入園料は不要である。

       ツキノワグマやライオンなどの猛獣の他、
       
              フラミンゴ、ペンギンなどの鳥類、
              
                     珍しいサルやチンパンジーもいる。
                     子供連れにはもってこいの城址公園だ。
                     



ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛久大仏と乙戸川周辺を散策する

2010年09月24日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2010年9月24日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第33回「牛久大仏と乙戸川周辺」を散策するウォーキングに参加した。

この日の集合場所は、牛久大仏駐車場。

       この日は都合が悪く参加できない人が多かったが、それでも15名が集まった。
       
              準備体操をして、9時40分、いざ出発。
              会長が不参加で、代わりに音頭をとったため、写真は撮れなかった。
              
                     しばらくは墓地公苑を歩く。
                     立派な墓が並んでいる。
                     
                            かなり歩いたが、まだ大仏様がすぐ目の前にいる。
                            ずっと大仏様が見守ってくれているようだ。
                            

公苑墓地を抜けて農道に出た。

       『何を探しているんですか?』
       
              『美味しそうな栗でしょっ!』
              実りの秋である。
              
                     彼岸花が咲きだしたばかりの小道を進む。
                     

先日までの猛暑が嘘のように気温が下がり、歩くには最高の季節だ。

       見上げるほどの立派なけやき
       大木のある家が小さい頃の憧れだったことを想いだした。
       
              『あれは幸水? 豊水?』
              
                     『どっちでもいいわぁ、美味しそうねぇ!!』
                     

10時20分、茨城農芸学院を過ぎた辺りで一休み。

       涼しくなったとはいえ、水分補給はしっかりと。       
       
              『これ食べてちょうだいっ!』 飴も好評だ。
              

一息入れた後、県道に沿って進む。

       ”何でも屋”? 『何か良い物があるかなぁ?』
       
              牛久二中入口交差点を左折し県道34号線を進む。
              交通量が多い割りに歩道がないため、歩き難い。
              一列縦隊でも危険である。
              
                     しばらく進むと歩道が整備されている場所に出た。
                     ひと安心だ。会長の日ごろの気苦労が分かった気がした。
                     
                            乙戸川を渡る。
                            

ロードマップに従って進むと、「観音寺」の案内板が。
立ち寄っていくことにした。

       観音寺の参道を進む。
       
              観音寺の仁王門
              参道や境内には季節には紫陽花が咲き乱れるそうなので
              ぜひ近いうちに訪れてみたい。
              
                     境内から見た仁王門。
                     宝永四年(1707年)に建立された仁王門は、県指定の有形文化財となっている。
                     
                            仁王門のすぐ脇には樹高25m、幹回り3.8m、
                            樹齢推定300年の銀杏がそびえるように立っている。
                            
                     観音寺本堂には、本尊として十一面観音菩薩坐像が
                     安置されているとのこと。
                     昭和60年に県有形文化財に指定されているが、
                     残念ながら見ることはできない。
                     
              本堂の左手に、鐘楼が建てられている。
              梵鐘は寛保元年(1741年)に久世睴之(当時のこの地の支配者)が
              中心となって寄進されたが、昭和十七年(1942年)軍の金属類特別回収
              により供出させられた。
              現在の梵鐘はその後に復興されたもの。
              
       境内にあった大木を利用して作られた”火炎の彫刻”
       

観音寺を観た後、牛久の田園風景が広がる中・・・

       ゴールの牛久大仏を目指した。
       


11時50分、出発地の牛久大仏墓地公苑に到着。



大仏様をバックに記念撮影だ。

       駐車場に向かった。 
       
              たくさんの車が停まっている。
              今年の彼岸の明けは26日(日曜日)、道理で車が多いはずだ。
              


いつもの整理体操をして、牛久大仏様を後にした。
この日の歩数は約12,000歩、約9Km超のウォーキングであった。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする