真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

秋の気配

2012-09-09 22:02:06 | ブログ

まだまだ暑い日が続いておりますが、朝晩は涼しく感じることも増えてまいりました。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

今日は本当は「創価学会の基礎知識」編で一つ記事を書きたかったのですけれど、久々に美容院に行ったり他の用事もありまして、更新はお休みです。

最近新しくコメントして下さる方々が何人かいらっしゃいまして、ありがたいことです。

お返事が一週間待ちということもザラにあるこのブログですが、見捨てず大きな心で見守って頂けると大変嬉しいです。

こうしてみると、この大した切れ味も破壊力もない拙ブログでも、読んで下さっている方々がちゃんといるんだなぁと、大変感慨深いです。

コメントしてくださる方、ROMだけの方、改めましてありがとうございます。

さて、我が家で何が一番秋の気配を感じるかというと、メタボンがお風呂に最後まで入っているようになったことです。

メタボンは毎晩私と一緒にお風呂に入るんですが(フタの上ですよ)、夏は入って顔を拭いたらすぐ出ちゃいます。

でも最近は最後まで一緒にいることが多くなりましたね。

フタの上で気持ちよさそうに寝ています。

Photo

↑の写真、もちろん私はマッパで撮影ですw


73 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
流れ星さんへ (クロ)
2013-07-21 17:17:34
流れ星さんへ

なかなか時間がとれずに、お返事が遅くなりました。
大変不愉快な思いをされたようですので、もうこのブログを読んでいらっしゃらないかも知れませんが、お待たせしていたら申し訳ありません。

去年のコメントを読んでもらたいと書きましたが、それは今ではありません。
時間を空け客観的に読めるようになってからで、と書きましたが、そんなことは勿論流れ星さんのご自由です。
同じ状況で同じ文章を読んでも同じ感想しか出てこないでしょう。
しかし時間を置いたとしても読みたくないというなら、当然流れ星さんのご自由です。
如何に私がここで強く「読め」と命令したとしても、どういう行動をするかは流れ星さんのご自由であるのですから。
無論私としても、読むことに不快感を感じていらっしゃるようですから、時間の経過に関わらずそんなことを望むべくもありません。

去年も今も私は流れ星さんを傷つけるつもりは毛頭ありませんでしたが、私はいわばこの発端となった問題に関しては傍観者でした。
当事者である流れ星さんと受け止め方に大きなズレがあるのかもしれません。
そこを過小評価していたのは、私の判断が甘かったということでしょう。

仰るように私は至らない未熟な人間ですので、私の主張が必ずしも正しいとは思っておりません。
それは去年のコメントにも記したのですが、お目に留まらなかったのかもしれませんね。
私は去年の長文のコメントを書いたときも、先週のコメントを書いたときも、流れ星さんとまた普通にコメントのやり取りができるようになりたい、その期待と願望を込めて書かせてもらいました。
この流れでは信じてもらえないかもしれませんね。
残念に思います。
返信する
ずいぶんと自分の書かれたわたしに宛てての文章に... (流れ星)
2013-07-14 22:50:15
ずいぶんと自分の書かれたわたしに宛てての文章に自画自賛ですね。。
クロさんのなかにバリ活動家と何ら変わらない脳内思考を感じ驚きました。。

あなたの文章を読んでズタズタに傷つけられているわたしがいるのに、再度読めと言われるのでしょうか?
ずいぶん残酷な方ですね。。

わたしは、あなたのわたしに宛てての文章を読んだあとに、何故クロさんは、鬼の首を取ったように正義感ぶってこうもひとを堂々と傷つけるような文章が書けるのだろう、と不思議に想って考えました。。

そこで得たわたしの答えをずっと胸にしまっておこうかと思っていましたが、敢て言いますね。。
クロさんは、きっといま幸せではないのかな?
失礼な言葉をすみません。。

わたしは決してダブルスタンダードではありませんよ?腹の中と言葉と行動は一直線ですよ。それを素直に信じられないのは、あなた自身が腹黒いからではありませんか?
あのときのももさんのリークばかりを素直に信じた。それがあなたですよ。嘘のまことしやかなリークばかりを信じたんです。それがあなたです。。真実が見事に見えない!
正義を振りかざしながら、本当のことが見えない!それが、あなたではないですか!!

ももさんも1円さんも、またバリ活動家も我こそは正しい。。そして、あなたもそこの落とし穴に落ちただけです。。

今回、クロさんのコメントに対し誠実に向き合おうと思っていましたが、とても残念です。
返信する
流れ星さんへ (クロ)
2013-07-14 21:06:29
流れ星さんへ

改めまして、お久しぶりです。

昨年の9月に書いたコメントでしたね。今読んでも、長くて申し訳ない。
時間が空いたとはいえ、読破して頂いてありがとうございます。

その上で今回頂いたコメントで思ったことは、
「なんだ、やっぱりあの時流れ星さんに感じてたことは間違いじゃなかったんだなぁ~」
ということでした。
お分かりでしょうか?
今回頂いたコメントで、流れ星さんに対する認識は何も変わらなかったということです。
誤解がなくてほっとしています。
そして今回のコメントに対する返事は、全て9月に書いた3連コメントの中に含まれています。
今回のコメントで流れ星さんが説明している内容を、私なりに「そうだろうと思って」書いたコメントですから。
該当する部分をコピペしてもいいくらいです。

読むのにこれほどの冷却期間が必要であり、勇気を要したとのこと。
お気持ちも分かりますが、まだ客観的に文章を理解するまでになっていないのではないでしょうか。
長くなって分かりにくいのかもしれませんが、3連コメントには流れ星さん個人に対するものとは別に、いわゆるアンチの書き込みに対するものとが併記されていますので、全部が全部自分に言われているとは捉えないで頂きたいのですが。
私自身の考えを示すために併せて書かせていただいたので、その部分はご理解頂ければと思います。

9月に書いた3連コメントでも書いていますが、今回のコメントでも流れ星さんは問題にしている部分が違います。
同じように同じ部分が食い違っているのです。
そこの認識がずれたままなので、同じコメントの繰り返しになってしまっているのでしょう。
いま少し時間を空けるなりして、客観的にあのコメントを読んで下されば、私の言わんとしていることが伝わるのではと思います。

また少し長くなってしまったでしょうか。
これも何とかして、流れ星さんに伝わればと思ってのことです。お許し下さい。
あの3連コメントはかつてない力作でした。
一番読んで頂きたかった人に読んでもらえて、嬉しく思います。
勇気を出してのコメント、ありがとうございました。
返信する
流れ星さんへ (クロ)
2013-07-11 00:23:08
流れ星さんへ

コメントありがとうございます。本当にお久しぶりです。

平日は時間に余裕がありませんので、また週末にお返事いたしますね。
執拗な反論にならぬよう、心がけます。


このコメントをご覧の方へ

流れ星さんへ何かコメントしたいと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私の返信が済むまでお待ち下さいね。
返信する
クロさん、お久しぶりです。。 (流れ星)
2013-07-10 23:13:09
クロさん、お久しぶりです。。
この当時のクロさんのコメントをやっと読む勇気が出て、いま長文のわたしに当ててのコメントを読破?しました。。
その中でわたしは再度クロさんに言わなくてはいけないかな?と思い書くことにしました。。

わたしは、過去もいまも反白バラでもなければ反高倉教授でもありません。
クロさんが、どうしてわたしのことをそう想うに到ったのか今一度思い起こされてください。。

今更言うのも往生際が悪いのかもしれませんが、あの時わたしはTwitter上で他の2人とチャットをしているような気持ちでふざけてやりあっていたんですね。。
あとで知ったことですが、すべてRTされて周りに筒抜けとは思いもよりませんでした。。

わたしは、彼女たちの暴露話しに酷く驚きながらも彼女たちに同情するようなやり取りは確かにしたのですが、正直、多分に話しを合わせているだけでした。。
だから、わたしは高倉教授のことは法華講とは今も信じていないし、そんなことはどうでも良いと思っています。。
また、寄付したお金も返金は願っていないし、そのままです。。

あの当時わたしは、ももさんに対して確かにクロさんの言われるように思い込みのコメントを多々したと思います。。そのことは反省します。
でも、正直、あの当時は精神的にかなり堪えました。
そしてさらにクロさんからの長文の詰問にも似たコメントにショックで、その時は読めませんでした。。
正直、今読んでも辛かったですが、最後まで読むことができました。。
クロさんは多分、ずいぶん前から流れ星の書き込みに嫌悪感を抱かれていたのかもしれないな、とまで思いました。。

正直、ももさんのことよりもクロさんから受けたダメージのほうが強かったです。。

私はあのあとすぐに他の2人とは繋がりを断ちました。なにがどうだったのか、深く理解できたからです。
そんなことを言ってもクロさんには、どうでもいいことでしょうけれど。。

何点か、今更ですが、キチンとしておこうと思い勇気を出して書き込みましたので、再度、また執拗に反論なきようにお願い致します。。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-11-25 16:55:52
堅皇さんへ

今回もお返事が遅くなり申し訳ありません。


>>全ての宗教(信者)がアイドルの追っかけ・偶像崇拝ではないと思いますが

>いや、全ての宗教がアイドルの追っかけで留まってれば可愛い物ですが
>そのほとんどがご利益とか功徳と言うものに乗っかってるから問題なんですよ。

はは。別に私が信者がアイドルの追っかけだって言い出したわけじゃないんですけどね。
創価的新興宗教の信者の話で言うと、ご利益・功徳が第一目的なのはおよそほとんどのアンチ創価の共通の認識でしょう。
しかしそれを叶えるための手段として、アイドル的存在が必要になっているんでしょうね。
ご利益~ご利益~と拝むわけにもいかないでしょうし、人間的にも崇高な活動をしている(と思い込んでいる)方がやりやすいでしょう。
宗教に騙されたという人の自己責任は、仰る通りだと思いますよ。
けれどなかなかその責任を自分で認めることができないタイプだからこそ、宗教にひっかかっちゃってるんだというネギカモ的な構図はありますね。
自由を求めるフリをしての呪縛願望の底には、責任を取りたくないという甘えの精神が根付いているのではと思います。
だから何でも人のせいにする(できる)んでしょう。

池田氏=カリスマ説は、まあアンチでもそう捉える方多いです。
悪のカリスマ、ってね。
まあそういう側面もあるんでしょうが、ここは私の「カリスマ」のイメージと堅皇さんの「カリスマ」のイメージに若干のズレがあるからでしょうね。
私も池田氏の功績に対しては舌を巻くものがありますよ。
まあ間違いなく、色んな意味で稀代の人物ではあるでしょう。
それがご本人の裁量によるところも大きいでしょうが、私はそれだけではないとも思っています。
この辺も、いずれ来る池田氏の死後になると色々評価が変わってくるであろう注目ドコロだなと感じています。
返信する
クロさんへ (堅皇)
2012-11-19 12:19:49
クロさんへ

> 全ての宗教(信者)がアイドルの追っかけ・偶像崇拝ではないと思いますが

いや、全ての宗教がアイドルの追っかけで留まってれば可愛い物ですが
そのほとんどがご利益とか功徳と言うものに乗っかってるから問題なんですよ。

まー、建前的には善とか平和とかうたっていますけどね。
一皮剥けばほとんどの人はそんな事考えてなく
先ず最初に来るのがご利益や功徳です。
実質、アイドルの追っかけで済めば、ホントそれはご利益や功徳なんですけどね。

つまるところ宗教に騙されたと言うその殆どは
甘い儲け話に引っかかってしまったと言う話。
ですから「騙された」と言ってる人にも
欲をむき出しにしていると言うそもそもの原因があるわけです。
ちゃんと良く自分で考えればこう言った甘い儲け話には引っかからないはずなんですけどね。

ですからそこに存在するのは被害者であると同時に加害者であると言う事。
被害者意識の強い人ほど、自らの加害者意識と言うものに極めて希薄。
創価に身を寄せていた人の特徴とすれば
言われた事を自分も他者に言ってきた事を忘れている人も多いわけです。

よく、自分は騙されていたからしょうがないと言いますが
騙されたかどうかなんかは言われた人には知ったこっちゃない話ですからね。
でも、被害者意識の強い人ほど、自分のしてきた事を棚に上げたがるもんです。

でもって宗教の特徴として一つ言えるのは
何処にも元となる首謀者と言う存在がいないと言う事。

自分は被害者だと主張する皆さんの意見を聞きますと
その首謀者は池田さんだと言われるでしょう。
でも、僕は池田さんもその被害者の一人だと思っています。

そもそもが当の池田さん自身が、この現れ出でる
ご利益や功徳の正体ってのは知らないと思いますもの。
解ってしまえばあのような企ては出来ないと僕は思いますね。
彼は彼なりに自分が君臨すれば世界は平和になるとでも
本気で思っているのではないかとも思います。
それはどう考えてもないんですけどね。

よく悪人は畳の上では死ねないと言いますが
創価の歴代会長と言うものは全て非業の死を迎えていると言う事も
調べて見ると実に興味深かったりします。
ま、会員にはそんな伝え方はしてませんけどね。
これもあくまで"良かれと思って"の行動から来る物なんですが。

> 残念ながら本物のカリスマではないですからね。

いやいや、僕は池田さんの事は極めて本物のカリスマであると思っています。
カリスマと言うものは何処か狂っていてこそのカリスマだと思いますから。

ちなみに小説・人間革命に描かれる山本伸一と言う人物に関しては
僕はちっともカリスマだとは思わないわけでして
もし、池田大作と言う人物がそのまま山本伸一と言う人物像であるなら
おそらくここまでの信者獲得には至らなかったろうとも思います。

なんと言うかギャップなんですよ。
小説・人間革命に描かれる山本伸一と言う人物像を想像しながら会う
池田大作が人を引き付けるんです。
真面目実直に見える先生は実際に会ってみると
意外とフランクでブラックユーモアも使えとても人間的である
こう思わせるところで人間的の幅を持たせていると言う仕組み。

当然、本来の池田大作の人物像と言う物は
真面目実直ではなく後者のフランクでブラックユーモアの部分。
真面目実直は彼の本来のキャラクターではないわけですから
これを引いて言い換えれば本来は礼儀知らずで単に下品なだけなんですよね。

この二重構造が彼の価値をぐんと引き上げているわけなんですよ。

ちなみに創価の方は池田先生は偉大だと言うわけですが
僕も池田さんはやはり偉大だと思いますよ。

彼のこれまでの足跡を辿って見ますと
先ずは商売上手、次いで戦略上手、最後には自分と言う見せ方のプロデュース能力ですね。
これらが非常に長けている人であると言う事は否定しようのない事実だと思いますから。

もっともこれらを持ってして善人か悪人かと言われれば
先ず間違いなく悪人であろうとは思いますけどね。

いいんですよ実際に善人か悪人か何てことは
創価学会の方々のタテマエは善とか平和を語ってはいる物の
その実ほとんどの方のホンネの部分はご利益や功徳を第一に考えているだけなんですから。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-11-18 16:45:53
堅皇さんへ

そうですかー。では自他共に認める「宗教(仏教)マニア」というわけですね!
良かった、私の推測は間違ってなかったw

全ての宗教(信者)がアイドルの追っかけ・偶像崇拝ではないと思いますが、創価学会が池田大作ファンクラブなのは疑いようがありませんね。
しかし多くの学会員さんたちは「ファン」止まりだと思います。
私の考えるところ、「ファン(熱狂者)」と「マニア・オタク」の間には大きな隔たりがあるのですよ。
残念ながら「マニア・オタク」と言える人たちは少数派なのではないかと思います。
しかも堅皇さんのような「宗教(仏教)」のファンやマニアではなく、「池田大作」のファンでしかない。
ファンだから、オフィシャルから発信される事柄だけをホクホクと受け取っているに過ぎないのでしょうね。
もしマニアちっくに行くならば、隠されている情報も自分から求めることになります。
そうしながら池田崇拝の揺るがないツワモノたちも稀にいるようですが、実際自分から調べるようになってしまったらファン熱は冷めてしまうことでしょう。
残念ながら本物のカリスマではないですからね。


>こと学問であるとか宗教と言うものは上に見られるところというか
>やってる本人が高尚だと思ってやってる節があるでしょ。

この心理って、創価学会が巧みに利用している部分ですね。
仏教や宗教に対する向学心を刺激するというか、学会の教学試験で簡単に「教授」とか「助教授」とかでしたっけ?独自の学位がもらえますもんね。
さも自分が偉くなったような気になることでしょう。
また「身内内でのみ通用する身分」であることも、重要ですね。教学だけでなく「○○長」などの役職もそうですが。
社会一般ではそのようなものは軽んじられるものですが、こと閉鎖社会にいる者たちにとっては外部の評価の方が意味を成さないものですから。
ですから学会ではなかなか、堅皇さんのような俯瞰的な視点からの指摘は耳に届きにくいことかと思います。
まあ、耳に届くような人なら学会にはいないかも知れないですけどね。
返信する
クロさんへ (堅皇)
2012-11-12 05:13:33
クロさんへ

「宗教(仏教)マニア」と言う事は否定しませんよ。
と言うかそうです。
もともとマニア気質なのは否定しようのない事実ですからね。

して、いわゆる宗教家及び信者も例に挙げれば
マニアと言うかオタクの類であると僕は思っているわけです。
やってる行為はアイドル(偶像)の追っかけですからね。
ですからもともとそんなに高尚な物でもなんでもないわけです。

ところがアニメオタクとかアイドルオタクって結構下に見られるのに対し
こと学問であるとか宗教と言うものは上に見られるところというか
やってる本人が高尚だと思ってやってる節があるでしょ。
だったら、そこに入り込んで引っ掻き回してやろう
マニアを舐めんなよと言ったそう言ったノリなんですよ。

別にこんな細かい事にいちいちはまり込まなくたって
マインドコントロールされない人はされないわけなんですけど
あらゆる宗教家の人が何言おうともそれを理屈で跳ね返してやろうと思ったら
やってるうちにこんなんなっちゃったと言うだけの話です。

別にこんな話、知ってたら偉いとは全然思わないのと言うか
知ってる方が頭おかしいだろうと言う自覚は
一応併用はしてるんですよ。

ただまー否定されるとスイッチが入り
一つずつひっくり返してやろうと言う条件反射みたいなところは確かにありますね。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-11-11 17:57:46
堅皇さんへ

どうも今回も大変に長い間お返事ができず、申し訳ありません。

そういえば仏教は宇宙のことについても触れていますよね、確か。
「宗教」であることを盾に科学的根拠を否定する宗教家ですが、いつからか最初からか知りませんが、宗教というと超自然のイメージがありますね。いわゆる超能力。
そういうのを肯定しようとすると科学的説明はできず、都合の悪いことは否定ということになってしまうのでしょう。
こういったことから、宗教と科学は相容れないものとして世間的なイメージが定着したのかなという気もします。
キリスト教なんかにしても、地球が回って(自転して)いると認めたのは割と最近ではなかったですかね。


>実は僕は仏教と言うものが釈迦と言う一人の主観論と言うだけなら
>それ程関心を示さないのですが
>仏教はその後、釈迦の手を離れ幾多の人間が手を書け
>発展させてきたと言うところに関心を示しているわけなんですね。

そうなのですか。なかなか新鮮なご意見です。
大乗非仏説として法華経などを軽んずる気は私もありません。
が、これはなんと言いますか、中身が重要ってことだと思っています。
一人の主観でも、大勢の研鑽の集約でも、中身が素晴らしければいいんじゃないの?と思っています。
小説なんかと同じで、感動するところは人によって違いますから、選ぶ人の感性にもよるだろうと。
結果、長い時を経て「いいものはいい」と残っていくのではないかと思っています。


>あと、僕が考える「信じる」と言う事とクロさんが考える「信じる」って
>おそらく微妙にニュアンスが違うと思うわけです。

違いますねー。私というより、一般的な日本語の活用としてニュアンスが違っていると思います。
堅皇さんなりのこだわりは分かります。
確かに創価の「信じる」はクリスマスツリーの頂点の星の如く「信じない」事柄の上に燦然と輝く一つ星のような感じですね。
堅皇さんのニュアンスにそんなものを感じたわけではありませんが、今までのコメントでは「○○というわけです」「○○と言えます」と言い切る形が多かったので、「否定しない」という意味での「信じる」とは思い至りませんでした。
可能性の話なんですよね。
「ホンマでっかTV」を観たことがない(たぶん)ので、ちょっとよく分かりませんが、仏教も色々な可能性を追求していくというものなんでしょうか。
すいません、最近テレビをあんまり観てないもので疎くて。番組名は知ってますよ。
仏教がいつの時代からただあるものを信じるだけの宗教になったのかは知りませんが、現在の妄信的姿を勿体無いと堅皇さんが思われるのも、まあ気持ちは分かります。
が、そうやって深く考えず信じたい人が信じているのが現在の宗教の形でしょうね。
ちょっと失礼かもしれませんが、堅皇さんって「宗教(仏教)マニア」のように感じました。
お気を悪くされたら申し訳ないです。別に悪い意味で言っているわけではありませんよ。
マニアってその対象の真の姿を追い求めるじゃないですか。アニメだったら作品のみならず制作者(制作会社の背景)や声優のことまで調べるみたいな。
そういう制作の裏側まで知ってこそ作品の真の価値が分かるのだ!っていう感じがありますね。
しかしそれをただの作品(アニメ)好きに求めるっていうのは、難しいでしょうね。
返信する
クロさんへ (堅皇)
2012-10-28 01:07:24
クロさんへ

要するに僕が言いたいのは
「宗教と科学は対極にある」この世間的認知は如何なもんかなと言うだけの話です。

で、宗教と科学の違いを述べるなら
宗教は科学で言う仮説の部分も全て取り入れていると言う点。

ただ仮説を取り入れているとは言えベクトルは同じであるべきだ
と言うより本来はそうであったのではないかと言う事です。

それに対する「宗教と科学は対極にある」と言う見解は
宗教は科学と反対のベクトルを意味し
科学的根拠なんか別に捻じ曲げてもいいんだよ、
だってそれは宗教なんだもんと言う宗教家が後を絶たなくなるからです。

これは明らかにおかしいと思うわけです。
と言うのも仏教とはあくまでも道理を説いている側面があるのに
これはもう道理から外れてしまっているでしょう。

まー輪廻の世界観と言うものは実のところブラックボックスであり
科学的証明は成されていないわけですが
翻って科学的否定も成されていないと言うのが現実なわけです。

でもそれ以外で科学的証明で確実に否定できるものでも
それは宗教だからこの否定をひっくり返す事が出来るのだとなると
なんだそりゃって事になるわけです。

ちなみに輪廻の概念ってのはことの始まりは仏教ではなく
ヒンズー教の思想から生まれたものだと言います。
更に言えば、初期仏教だと実はこの輪廻自体に否定的だったといいます。

この初期仏教と言うのは一般的に釈迦の教説と呼ばれるものですが
更に細かく言えば実際の釈迦は口頭で話しただけのものであり
書面化されておらず、実際に書面として現したのは
釈迦が亡くなった後の釈迦の弟子たちが残したもの。
つまり釈迦の教説と一口に言ってもこれも実はブラックボックスなんですね。

この辺の議題は置いといて
いわゆる初期仏教では輪廻なんか存在しないよと言う事が当時の一つの結論。

ですから初期仏教原理主義者から言わせれば
輪廻なんかない、だってお釈迦様がそう仰ってるんだからと来るわけです。

実は僕は仏教と言うものが釈迦と言う一人の主観論と言うだけなら
それ程関心を示さないのですが
仏教はその後、釈迦の手を離れ幾多の人間が手を書け
発展させてきたと言うところに関心を示しているわけなんですね。

一般的に大乗非仏説とも言われるように
釈迦ではない後世に現れた人たちの掛け合いにより生まれた
大乗仏教に心惹かれているわけです。
正直、釈迦と言う人物がどれだけ偉大だったかは知らないが
所詮は一人の主観だろ
それに対し大乗は幾多の人の体験からそれを集約したところに価値があると言う考えです。

で、輪廻の再採用と言うのはあくまで大乗仏教からと言う事になり
この段階では輪廻を否定すると治まりが付かなかったからと言う事になるかと思います。

あと、僕が考える「信じる」と言う事とクロさんが考える「信じる」って
おそらく微妙にニュアンスが違うと思うわけです。

どう言う事かと言えば僕の中の「信じる」は一つに固定しないで
全方向、あらゆる可能性を「信じる」と言う事。
ただ、一般的に「信じる」と言う事は何か一つだけを「信じる」と思われがちなのですが
これでは一つの物のみを妄信し、相反する物を全て否定する事に繋がるわけです。

そうすると「信じる」よりも「信じない」が肥大化してしまいますよね。
現実問題、創価の方々を見ると「信じる」よりも
「信じない」事柄か非常に多いと思いませんか?

これは僕にいわせるとそれは「信」を強めているのではなく
「不信」を広めているだけに過ぎないと思うわけで
その時点で仏教に書かれる「信」を強めるに反していると思うわけですね。

つまりは僕が言う輪廻を信じると言う事はクロさんの言う輪廻を否定しないと同義なんですよ。
もちろん輪廻を覆す事例が多く発見されれば自ずとそちらも信じていく事になると思います。

なんつーか、仏教のそもそもの理念って
鎌倉時代からストップしていると思っているわけです。
仏教と言うものは本来、もっと考える学問的なものであり
過去の因習や風習に従うものではないと思うわけです。

では、今現在仏教に近しい物は何かと言えば
例えば「ホンマでっかTV」でやり取りをしているような事柄。
まだ、確実な研究成果ともいえない話を
あくまで「ホンマでっか」の枠の中で考えていくそんな感じ。
でも内容的にはかなり信憑性が高いと思われるような事柄

経文をそれぞれ読んで見ると何百年何千年前の「ホンマでっか」が
かなりひしめき合っているんですね。

正直、これらを意味も解らず、ただ妄信的に音読している現在の様を見ると
なんか非常に勿体無いという感情を覚えてならないわけです。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-10-27 23:31:36
堅皇さんへ

>その昔、仏教が日本に伝わった当初は
>仏教は限りなく学術的なものであったのではないかと思います。

時代背景も考えますと、そのように当時の日本人が受け取った可能性は大きいでしょうね。
しかし学術的であることと科学的であることは違うのではないかと思います。ここでは自然科学的なものを指しています。
宗教と科学とは、主観と客観の違いであるかと思います。
堅皇さんの仰られている様子ですと、宗教で説かれているものは客観的事実(科学)に基づいているものである、とお考えなのかと思います。
しかし私から見れば、堅皇さんがそう思っていることが主観でしかないように思えます。
科学を信仰する、というのとは堅皇さんはまた違いますが。
「宗教を科学や学術を捻じ曲げてまで辻褄合せに用いるべきではない」とは私も同意見ですが、だからといって対極とまでは行かないにしても宗教と科学は別物であると私は思います。

輪廻の話にしても、それを科学的に証明することは不可能です。今のところ。
科学的に言うならば堅皇さんの説は「仮説」で終わっている状態で、客観的な事実の板の上には乗っていないのではないでしょうか。
科学は疑いから仮説と立証を繰り返し事実を単に「認める」ことであり、宗教の教義について「信じる」ということはそれを実践することを含みます。
また生命の誕生と魂の誕生はまた別の話であると思います。
ミトコンドリアに魂があるのか、細菌ウィルスには?なんて話にも飛んでしまいます。宇宙の誕生とか。
そもそも魂の存在がこれまた、科学的には証明不可能です。
それに魂が輪廻するって(私は否定的な考えではありませんが)、じゃあ魂の総量(総人口?)は決まっているのか、つまり一定以上に地球上に生物は増えないようにできているのか、なんて疑問もあります。
突然発生がないから輪廻しているとしても、宇宙の誕生と同じく「そもそもの最初」はどうなってるのかという疑問は、突然発生の否定からは説明できません。
これらに対して私は科学的な説明を求めているわけではありません。
「神秘には必ずからくりが存在する」とのお言葉はまさにその通りです。私も当然そう思っております。
神秘を追求するということについても、否定するものではありません。
でも神秘のままでいい神秘もあると、私は思うのです。
前回のコメントで言った通り、神秘であるからこそ人の道徳心は培われ自らを律することを覚えるものだと思います。
解明されちゃっても黙っていた方がいいものは黙っていてほしいとすら思いますね。
まあ心配するまでもなく神秘が追求し尽くされることはないと思いますが。

面白いテーマでしたので私も思うところを書いてみましたが、前のコメント言いました通り堅皇さんのお考えを否定・批判するものではありません。
あくまで堅皇さんがそう信じてらっしゃるんだな、という考えです。
私は輪廻を否定するものでないという点で堅皇さんとは意見を同じくするわけですが、その理由については堅皇さんの説では私は納得できないというだけです。
私はあくまで「否定するものではない」だけで「信じて」いるわけではありませんしね。
ただ「信じられない」ものを全否定するわけではありませんし、当然堅皇さんのお考えがいつか客観的事実として立証される日が来るかもしれません。その可能性も勿論否定しません。
こうして様々な主観による考えが存在しているという時点で、客観には程遠いのではないかと考えます。
このテーマは色々思う人がいていいことだと思います。だから私は神秘容認派です。
返信する
クロさんへ (堅皇)
2012-10-23 23:19:09
クロさんへ

> 宗教と科学は対極にあるとも言われますから

これはいつ頃からそうなったんだろうと思うところです。
その昔、仏教が日本に伝わった当初は
仏教は限りなく学術的なものであったのではないかと思います。

要するに僕の考えは宗教は科学と対極ではなく
同じベクトルにあるべきものであると言う考えだと言う事です。

科学や学術は確かに万能なものではありません。
それはあまりに人智を超えるものがまだまだ多すぎますからね。
して、この万能ではないものを補填させるべきものとして
宗教と言う存在はアリではあるが
科学や学術を捻じ曲げてまで辻褄合せに用いるべきではないと言う事です。

僕が考える輪廻、生まれ変わりの根拠と言うものは
あくまでも科学の延長線上に立っての話です。

その根拠が「この世の中で、物質的にもエネルギー的にも
突然発生するもの、消滅するものが確認されないから」と言う事です。

もし仮に輪廻、生まれ変わりが無いとすれば
生命の誕生は突然発生で臨終は突然消滅を意味するからです。

先にもお話しましたが「あの世」と言う異世界があると言う事は
僕は学術的観点の上、これは否定します。
何の根拠もありませんから。
つまり、天国や地獄と言う異世界の存在も同時に否定すると言う事ですね。

では仏教で指す「あの世」とは何かと言えば
紛れもない「この世」と同じ世界の中での出来事であると言う事です。

この考えであれば学術的に矛盾がないと言う事です。
加えて言えば生命の誕生が始まりであり臨終が終わりであれば
それは学術的に矛盾が生じると言いたいわけです。

もちろん、これをひっくり返すべき突然発生、突然消滅を科学で証明される事があれば
話はまた変わってくるんですけどね。

> やはり神秘は神秘のままがいい

ですから僕の場合そんな事は全く思わないわけで
神秘は単に解らないから神秘と呼ばれているだけで
必ずそこにはなんらかのからくりは存在すると思っているわけです。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-10-21 17:28:18
堅皇さんへ

お返事が大変に遅くなってしまい、申し訳ありません。


>理由はと言えば、この世の中で、物質的にもエネルギー的にも
>突然発生するもの、消滅するものが確認されないから、意識もまた同様だろうと。

それが誰もが納得できるような科学的な証明でもされれば、過去世も来世も「ある」と言い切っていいでしょうね。
今現在、それはたとえば堅皇さんのような方が「不自然だから」と個人的に捉えているだけであって、一般的な常識となっていないことが良い証拠、という感じでしょうか。
宇宙の誕生にしてもそうですが、まだまだ科学的に解明できないことは多いです。
解明されればされるほど、分からないことも増えてくる。
神の不在の証明にしてもそうですね。
確認されていないから「ない」とは言えないんですよね。
私たちが生きているうちに、何らかの方法で証明されたら面白いですけれど。

しかし証明されてしまったらそれはそれで、宗教的には死に体にも等しくなるのではという気もします。
天国や地獄が「あるかもしれない」と思うからこそ、人は悪いことはしてはいけないという道徳心を高め、自らを律することを覚えるのだと思います。
目に見えない存在の確かめられないものだからこそ、人は畏怖し敬うのではないでしょうか。
地獄があると分かっているから悪いことをしない、というのはまた違うのではと思いますけどね。
そういえば宗教と科学は対極にあるとも言われますから、やはり神秘は神秘のままがいいということかも知れませんね。
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レムさんへ (クロ)
2012-10-21 16:01:53
レムさんへ

お返事が大変大変遅くなりまして、申し訳ありません!
読んで下さっていたらいいのですが・・・。

確かにこの世で良いことも悪いこともしていないような小さな子供が亡くなることは、一体何の罪で!?って思いますよね。
とあるスピ系のブログで書かれていた話なのですが。
この世に産まれてくる全ての生き物は、あらかじめどういう生かを決めて産まれてくるのだそうで。
産まれてすぐ死ぬ、ということを決めて、産まれてくることもあるそうです。
そうすることによって、たとえば幼児虐待が社会問題化されて他の子供を救ったり、医療の進歩に大きく貢献したり、紛争問題を国際社会に訴えたり・・・。
そういう何らかの目的を持って、あらかじめ早く死ぬことを決めてくるのだとか。
人はみな、この世に意味を持って産まれてくるのだということです。
今こうして私たちが、そういた命のあり方を考えるだけでも、人知れず亡くなっていく人たち命の意味というのはあるのだと思います。
それが本当かどうかは分かりませんが、生きている人間が命を大事にするということを、知識として経験として実感するためには宗教と同じく、一つの考え方なのかなぁ、なんて思ったりします。

私もいつも上手く表現できなくて。
いや、中身も稚拙なんですけどね^^;
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過去世、来世の話なんですが、僕は無きゃ不自然と... (堅皇)
2012-10-09 04:50:15
過去世、来世の話なんですが、僕は無きゃ不自然と思っているわけです。

理由はと言えば、この世の中で、物質的にもエネルギー的にも
突然発生するもの、消滅するものが確認されないから、意識もまた同様だろうと。

と言うことで、霊界と言う異世界は、あるとは考え難く
死んだら終わりも考え難い。

今ある科学的データを加味するなら
全てはこの世の範囲内で生死流転してると言うのが
一番現実的だと思うからですね。
返信する
堅皇さんへ (レム)
2012-10-08 18:00:47
堅皇さんへ

> 今現在起こっていると思われるその多くの罪は僕は現世の罪だと思っています。

現在の「結果」はこの現世でのことが「因」となっているということですよね。
それなら納得できます。

> 創価を批判する場合、先ずは自分が創価でやってきた過ちを謝罪した上で

そうしている方多いと思いますよ。
私も今まで新聞や選挙をお願いした方
迷惑をかけた方に
出来る限り謝ってきました。

ちなみに、脱会した当初は因果にビクつき‥とは
創価を辞めたその判断が正しかったのかどうかが
ふと不安になったからです。

子供の頃からの教育の中で
創価が正しいと信じてきましたから。
すぐには改まった思考にはなりませんでした。

あ、今はそんなことないですよ。


クロさんへ

私もそう思います。
現世での因果の考えは意識として必要だと思います。
人としてより良い人間になろうとするための一つの概念というか。
でも過去世・来世となると???

ただ、よくわからないのは
幼くして亡くなる子供に対しては
どう考えたらいいんだろうかと‥
まだ現世に誕生してわずかしか生きてないのに‥

ごめんなさい。
話があれこれ飛んでしまって。

‥考えを伝えるって難しいですね。
言葉を選ぶのが難しいです。
言葉を知らないってことですが(汗)
皆さん尊敬しちゃいます。
返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-10-08 16:26:56
堅皇さんへ

またまたご丁寧に、ありがとうございます。
堅皇さんの言われる理論は、それはそれでよく分かりますが、やはり信じている人のものだなーという感想です。

私の母親も原因不明の難病になり、まあよく酔っ払ってはメソメソ泣きながら「なんで私がこんな体にならなアカンの・・・」「お母さん、そんなに前世で悪いことしたんかな・・・」などと言っておりましたから、前世の報いと言うものが今現在嘘を言うから嫌われるなどの要因でないことも何なとく分かっておりました。
布団で泣く母親を前に、幼稚園児の私は「そんなことないよ」とも言えず(前世なんて知らないですからね)、はたまた「そうや、前世できっと悪いことしてきたんやで」と母親の言葉を肯定することも到底母親の慰めになるとも思えず、ただただこちらも半泣きになっていた思い出があります。
私も幼い頃は可愛らしい一面があったものです。
ま、そんなことはどうでもいい話ですが。

ただ、今回のコメントを拝見しても、では学会員さんが「人の悪口を言う」という現世の罪業を働くような環境に生まれたことは、先天性の病気にも等しい運命のようなものではないかとも思うわけです。
言い換えればこの時代の日本という国に生まれることは、とてつもない幸運であると私は思うわけです。
では日本という国は、前世で良い行いをした人の集まりなのでしょうかね。
いえ別に、それならそれでいいのですが。
日本に生まれることが本当に幸運かというのも、人によりけりかもしれませんし。
堅皇さんのご自身のご病気や性格からの推察ということも、やはりご自身の中のことでしかないと思うわけです。
勿論それを否定するものでも、批判するものでもありません。
上のレムさんへのコメントにも書きましたが、そういうことを言い始めると「あの世や魂」が本当に存在するのか、なんて「そもそも論」にもなると思いますし。
個人的には、前世とか生まれ変わりはあるんじゃないかとは思っているんですよ。断言や確信はありませんが。

転重軽受の意味についても、ありがとうございます。
これは創価で言われている(うちの母親の解釈)とは随分違うのですね。
勉強になりました。
いかに創価学会が仏教に対して不誠実かということも、こういうところに顕れていると思います。

たぶんですが、堅皇さんは「自分」という概念の範囲が広いんではないんでしょうかね。
因果による罰の受け止め方の考えなどを拝見して、そう思いました。
なかなか一般の、前世などを意識しない人間にとっては難しいことなんですよ。
個人差もあることだと思いますし。
やはり宗教は、信じる人のものである、それを大事にする人のものであると、私は思います。
返信する
レムさんへ (クロ)
2012-10-08 16:02:47
レムさんへ

コメントありがとうございます。
お久しぶりですね。

「因果応報」って、信じる信じないに限らず、別に悪い考えじゃないとは思うんですよ。
自己責任というか、悪いことばかりして幸せになれる世の中ではあってほしくないじゃないですか。
また、その意識によってより良く、人間らしく生きるための抑止力にもなろうかと思いますし。
ただ、前世やそのまた前世、そして来世に至るまでその罪に縛られると思うと、それはどうなんだろう・・・、という気もします。
天国や地獄、更に言えば「あの世」の存在ですら分からないのですからね。
やはり宗教は信じる人のためにあるのだと思います。
返信する
クロさん、レムさんへ (堅皇)
2012-10-08 05:35:15
クロさん、レムさんへ

> 過去世の行いってやつですねー。
> 過去世の行いって‥と私も疑問です。

えっとですね。
どうもエセ仏教(あくまで僕が思う事ですが)と言うのは
全てに起こる罪業をその全てを過去世と片付けることがあるのですが
今現在起こっていると思われるその多くの罪は僕は現世の罪だと思っています。

例えば学会員さんが今、自分は迫害を受けているんだ。
でもこれは、自分が過去世に行ってきた罪だから耐えるしかない
なんて事を平気で言っているんですが
それってその殆どが過去世の罪ではなく
今現在創価に在籍して世間を誹謗しているから行われている
現世における罪だろうがと言いたくなるわけです。

創価の嫌われる要因の殆どが人の悪口を言う事ですよね。
また、悪口など最初から言わなければ
誰も創価の悪口なんか言わないわけですよ。
これ、明らかに過去世ではなく現世の罪業により顕れた報いです。

また、創価からの退会された創価アンチの方々も
自分たちが創価にいた時にやってきた全ての行為を
全部取っ払って文句だけ言うわけです。

創価を批判する場合、先ずは自分が創価でやってきた過ちを謝罪した上で
その上で自分の置かれている状況を判断していかないと。
自分は知らなかったから罪はないと言う事はありませんし
知ろうが知らまいが騙そうが騙されようが起した罪は罪であり
罪を作ると言う事は当然その報いを受けるという話です。

全て過去世と捉える事でまるで他人事に思えるのですが
これ、全て他人事と言う事ではないわけです。
自身の過去世を見ると言う事は
自分の性格から考えて、これならやり兼ねんなと言う傾向性をつかむ事。

僕の場合先天性の病気を持つわけなのですが
この病気の持つ特色を考え、どう言った行為を行えばこんな事になるのか
また、自分の性格を考えて見て
この性格からすればそう言う事を過去世にやってきたと言う事は
否定できないかなと言う事を推察するところから始まります。

そして、これはやり兼ねんなと思える短所を拾い出し
後はそう言った短所を改善していけば自ずと良い方向へことは進むだろうというものです。

仏教では転重軽受と言う法門があるのですが
これって単に罪を軽く受けると言う事ではないわけです。
自身が過去に作った罪と言うものは当然その報いと言うものは受けますし
これ自体は避ける事はできないわけです。

では何故に転重軽受と言うのかと言えば
掛かる災害と言うものに対し二次災害三次災害を未然に防ごうとする法門です。

と言うのも災害と言うものに直面すると冷静な判断力が奪われます。
ですから、往々にして災害と言うものは
起さなくても良い二次災害三次災害と発展するわけです。
これを防ぐ事を目的とするのかいわゆる転重軽受が示すところの意味。

殴られたから殴り返す、殴り返したから更に殴り返された。
こう言った連鎖が自身の罪と言うものを更に拡大させるわけです。

そこで殴られた場合、何故に殴られたかを今一度冷静に捉え
自身に非はないか、また誤解を生じさせた事はないか
その因となるものを先ずは考え
非となる箇所があればそこは改め直し
誤解があるとするならばその誤解を解消させるところに努める。

となれば大きな揉め事には発展しませんよね。
これが転重軽受出来たと言われる状況だと言う事です。

ちなみに言いますと
僕は創価在籍時代から因果や罰にビクつく事は一つもありませんでしたね。
因果があり、自身の行動により罰が起こるとするならば
全てのその配剤は神と言う特別な存在が決めるものではなく
自分の行動によって決まるもの。

なら全ての判断は自分自身で決めるものであり
良くも悪くも全てが自業自得、罰と思われればその行動を止め
罰と思われなければ突き進めと思いましたから。
取り立てて罰と言うものが自分の前に現れるとするならば
罰上等、かかることならいつでもかかって来い。
他人に迷惑を掛けることではないとも思っていましたから。

そう言う意味では創価の中では不良会員の部類だったわけですが
この考え自体は今でも間違っていなかったと思っています。
返信する
クロさんへ (レム)
2012-10-08 01:47:14
クロさんへ

そうなんですよね。
クロさんの仰るとおり、過去世の行いって‥と私も疑問です。
そもそも行いの良い悪いの審判は誰がするのでしょうかね?

人にはいろいろな考えの人がいますし、完璧で間違いがない人間なんていません。
どの宗教も人間が作り出している以上、完璧なものなんてこの世にはないのではないでしょうか。

私も「因果」については、例えば時空を飛び越えて宇宙のすべてを把握できるような人でない限り
「因果の法則」があるのかないのかさえ正解はわからないのでは‥と思うようになってきました。

脱会した当初は学会の「因果」にビクついてましたが
今は、自分で考えてなるべく良い生き方を目指しています。

突然入り込んですみません。
皆さんみたいに賢くないですが、思ったままコメントしてみました。

返信する
堅皇さんへ (クロ)
2012-10-07 23:59:10
堅皇さんへ

丁寧にお答えいただき、ありがとうございます。


>原則的には"自分に迷惑が振りかかる"と言うものは全て過去の因果から来るものであると。

出ましたね。これ、忘れてました。
過去世の行いってやつですねー。
やはり宗教と言うのは、信じている人間のものでしかありませんね。少なくとも私の思うところでは、ですが。
誰か過去の自分の行いの悪さ・良さを、行って見て来たやつがいるのかよ、なんて思ってしまうもので。
とはいえ、信じる人を否定するわけではありません。個人的思想ですからご自由にどうぞ、と思います。

我慢と忍耐の違いは、おもしろいですね。
我慢て煩悩なのですか。除夜の鐘で打ち払うやつですね。
で、忍耐というのはいわゆる苦行という解釈でしょうか。
例に挙げた殺人・強姦などの強い不幸に対して、まあ過去の行いが悪かったのだと、回避できない場合には受け入れる(耐え忍ぶ)と。
それがまあ、仏教的に模範だとしても、そういう人間になりたいかと言われると、ちょっと首肯しがたいものがありますけどね・・・。あくまで私の感想ですが。
しかしこの流れでいうと、完全にそうやって受け入れられる人間には、もうその過去の報い的な苦行は訪れない(訪れる必要がない)のでしょうか。都合が良すぎますかね^^;

最後はみんなで仲良く意見を出し合い、落とし所を見つけよう、というのが平和でいいですね。
それがいかに難しいか、この世界がよく表してくれていると思います。
そもそもの仏教界一つとっても、体現できていませんからね。
当たり前のようなことができないという、意外に簡単で深い話なのかもしれませんね。
返信する
アレックスさんへ (クロ)
2012-10-07 23:38:04
アレックスさんへ

ご理解いただき、こちらこそありがとうございます。
返信する
> クロさんへ (堅皇)
2012-10-01 18:32:10
> クロさんへ

> どんだけ勉強して仏教に対する知識を得たとしても、正解ってあるのか?という気もいたします。

結論から言いますと無いと言えると思います。
正解が導けるかと言う結論に関してはよく耳にする般若経と言うものを読む限りでは
「正解は導けない」が答えであると思われます。

何がなんだかと言うところでしょうが
世の真理は「空」であると言うのが結論です。
「空」と言うものは「無」と言う事ではなく
かといって「有」と言えるものではないと言うもの。

よって「空」が世の真理とするならば、掴めるわけがなかろう。
もし掴んだと言う人が現れるならそれは本当の真理と言うものを知らない者だと言う。
ちんぷんかんぷんのように思われるでしょうが
これがいわゆる仏教の中での真理の一つの答えです。

そこで法華経と言う経典は少し発想を変えて説かれているわけです。
世の真理と言うものが掴めないと言うものであれば
真理は掴めねど、深理をより追求する事により、
真理と同等のものが得られるのではないかと言う観点に立っています。

よって法華経には真理と言うものは載ってなく
あくまでも深理を得るためのヒントが書かれているわけです。

創価や大石寺の人たちは南無妙法蓮華経を真理そのものと解釈されていますが
南無妙法蓮華経を真理と考えると、それは般若経や法華経の理論を
根底から覆してしまっている事になり
しいては、これはもはや仏教ではないと言う事になります。

ちなみに日蓮は「真言亡国」と言って真言たるものを揶揄しているのですが
その背景はまさに真理と言うものは言葉になんか顕せるものではないだろ
と言うツッコミから来ているわけです。

掴めもしない真理を我は掴んだのだ。
我々の考えが全てに置いての正義なのだ。
なんて考えを持つ人は、そのうちに身を滅ぼす事になるでしょうと言う感じでしょうか。

ちと、難しいですよね。
もう少し砕いてご説明できればと思いますが今のところ
僕の力量ではこれが精一杯です。

> 悪人は勝手に地獄に落ちるので放置するというのが正しいとして、
> では自分に迷惑が振りかかる場合はどのように解釈するのでしょう。

原則的には"自分に迷惑が振りかかる"と言うものは全て過去の因果から来るものであると。
ですから、その場意味もなく殴られたと言う事があるとすれば
自分を振り返り、その過去に意味もなく殴ったと言う過去があるからであると言うものなのです。

では、殴られる奴は自分がその原因を作ったのだから放っておけ
との解釈も生まれますが、殴られるとまた、その殴られた怒りから
また新たな因を作ってしまうわけです。

更に言えば、今正に殴ろうとかかってくる人は当然殴った後には
殴った報いを受ける事になりますから
余計な報いを将来に受けさせないためにも未然に防げる事は
防いだ方が良いと言う考えも成り立ちます。

> 強姦や殺人に対しても、耐え忍ぶのが一番であるということでしょうか。

耐え忍ぶと聞くと直ぐに"我慢"と言う言葉を連想してしまいがちですが
我慢と忍耐と言う事は根本的に意味が違ってきます。

ちなみに"我慢"と言う言葉は仏教から来ている言葉で
煩悩の1つとして数えられます。
つまり、我慢は良くない事で、忍耐は良い事とされているわけです。

さて、その違いと言えばなのですが
忍耐とは苦を苦と認識して、その苦と向き合いこれに耐える事を意味し
我慢は苦を苦ではないものと感覚を麻痺させ、苦と向き合わず逃げる事を意味します。

忍耐の人と言うのは自分が窮地に立たされている場合
自分は今、大変な状態にあると正直に言うのですが
我慢の人と言うのは自分が窮地に立たされていても
自分は大丈夫だと嘘を付くわけです。

さて、同じ窮地に立たされた状態として、周りから手を差し伸べやすい人はどちらでしょう。
当然、我慢の人は周りから見て、その人が苦しんでいるかなんてのは解りませんので
助けようにも見過ごされてしまいます。

ですから強姦や殺人に対して、回避できない状況は耐え忍ぶ必要はありますが
回避できる事柄は考えられるだけ考え回避に努める必要があると思います。
当然、泣き寝入りと言う事も我慢の一つに挙げられますので
起きた現状と言うものは正直に全てを伝えるべき
自身の言い分を明確に述べる必要もあると思いますね。

> どのような場合でもケースバイケースで、最も適切な判断をするのがいいということなんでしょうか。

そう言う事になりますかね。
仏教で考えられる法とは、"中道"と言って、全てその間を取って考えられるわけです。
いわゆる世間一般の法律のように杓子定規ではなく
この場合はそう、その場合はこうと、かなり柔軟なものなんですよ。

日蓮は「律国賊」とこれまた律を揶揄しているのですが
法と言うものを決め決めの杓子定規で判断するならば
それでは、本当に守りたい人を守れない
しいては仲間に対する裏切り行為に繋がるぞと言っているわけです。

実際問題、法律さえ守れば何をやっても許されるかって話ではないですよね。
また、場合によっては法律を破る事により人を救うことだってあるわけです。

ですからケースバイケースと言うものはその通りで
全ての中から最善の中の最善を常に模索していくと言うものです。
その為には、思想の偏りに陥る事無く、考え方の違う人たちの意見にも耳を傾け
それぞれの言い分の中で一番適切な答えを見出していこうという話なのです。

まー言って見れば、誰もこれだと言う答えは見つけられないが
みんなの意見を聞く事により、もっともそれに近い答えは見出せるのではと言う事ですね。

返信する
クロさん (アレックス)
2012-09-30 21:48:40
クロさん
了解です。
有難うございました。
返信する
アレックスさんへ (クロ)
2012-09-30 16:58:36
アレックスさんへ

申し訳ありません、最初にちゃんと全部を読んで確認すればよかったのですが・・・。
アレックスさんのブログで、私には買えないような少々高額な商品を紹介されているようなので、リンクを外させて頂きました。

しかし今回のように、コメント投稿時にURLを貼り付けて名前にリンクさせるのは問題ありませんので、これからはそれでお願いします。
勝手を言いますが、ご理解下さいますよう、お願いいたします。
返信する
yokoさんへ (クロ)
2012-09-30 16:47:42
yokoさんへ

yokoさんの質問で、私もとても考えやすくなりました。
ありがとうございます。
返信する
堅皇さん、rocoさんへ (クロ)
2012-09-30 16:46:03
堅皇さん、rocoさんへ

なんとまあ、ハイレベルなお話、ありがとうございます。
私が読んでも、読むのが精一杯というところでして・・・w
「文底独一本門」という単語を始めて目にしましたので、wikiってみましたがよく分からない始末。
日寛さんの六巻抄というのが、日蓮正宗では大きく占めているということでしょうかね。

堅皇さんのお話はまるで大学講義の仏教学のお話みたいですね。
それはそれで、興味深く整然とした内容ですが、いかんせんそれが本当に正しいのか間違っているのか或いは個人の解釈なのか、今のところ私には判別できませんので、なんとも言えません。
自分で勉強して知らなければ、正解など分からないと思いますので。
とはいえ、どんだけ勉強して仏教に対する知識を得たとしても、正解ってあるのか?という気もいたします。
お釈迦様や日蓮さんが生きてらして直に聞けたら、正解にも近づけるのでしょうが。

一つ、yokoさんのご質問の流れで私も気になったことがあります。
堅皇さんにお聞きしたいのですが、悪人は勝手に地獄に落ちるので放置するというのが正しいとして、では自分に迷惑が振りかかる場合はどのように解釈するのでしょう。
耐え忍ぶのが一番の答えでしょうか。
強姦や殺人に対しても、耐え忍ぶのが一番であるということでしょうか。
今まさに自分を犯そうとする者、殺そうとする者に対しても、身を捧げるのが一番だと?
他者への制裁ではなく、自身の身を守るという行為はどのような解釈なのでしょうか。
また自身への被害ではなく、自分の家族や愛する人がそのような被害に遭っている場合、「他者への制裁」というのは愛する者からの「助けてほしいと言う願い」と捉えていいのですか。
それともどのような場合でもケースバイケースで、最も適切な判断をするのがいいということなんでしょうか。
私自身がちゃんと理解しているか怪しいものですので、見当違いの質問かも知れませんが、気になったものでお答えがあれば嬉しいです。

お二人の議論は、とても読み応えのあるものでした。
ありがとうございました。
返信する
堅皇さん (アレックス)
2012-09-28 07:38:16
堅皇さん
初めまして、アレックスです。
なるほど、そうかも知れないなあと思い当たることがあります。
本当に解説を有難う御座いました。ためになりました。^^

クロさん
一時的なご紹介有難う御座いました。^^
返信する
堅皇さん、有難うございました。 (yoko)
2012-09-28 01:42:14
堅皇さん、有難うございました。
遊泳禁止の例はよくわかりました。
でも難しいです。気持ちが付いていきません。
返信する
yokoさんへ (堅皇)
2012-09-27 21:43:41
yokoさんへ

> 間違いを指摘するのも誹謗ととらえるのですか?
> どのように理解すればいいのか教えてください。

基本的に指摘すると言う行動は、相手の行こうとする方向を阻止しようとする行動ですから
これは間違いなく相手の法を謗る行為、つまりは謗法と言うわけです。

よく誤解されがちですが、相手の間違いを指摘する行為を「善」だと思われていて
この「善」を行う事により「得」を積むと思われていますが
法華経を読む限りではこれが「善」だと言う事は一言も書かれておりません。
法華経に書かれている「得」を積むこととは相手がどんなに非道のな事を行ったとしても
それに耐え忍ぶ事が「得」を積むことであると説かれています。
なんと理不尽なと思われるでしょうが法華経を根本に据えると先ずはそうなりますね。

では、悪をのさばらしにする事が「善」なのか?と言う疑問が生まれますよね。

その結論から言わせて貰えば、悪と言うものは敢えてこちらから制裁を加えずとも
自らの悪行により滅び行く時が来ると言う事が因果律が法華経に置いての基本理念なのです。
ですから、悪人を許せない、こんな奴は地獄へ落ちてしまえと思うなら
取るべき行動は放置プレイとなるわけです。
その人は先ず間違いなく地獄へ落ちる事になりますから。

そこで自らが他者に制裁を加えようとすると、制裁自体が謗法ですから
今度はその謗法により自らが罪を被ると言う事になります。

ここまでの話だとやはり納得いかない話だと思われるでしょう。

さて、この罪に関してですが
法華経の法師品にはこう書かれています。
「現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚お軽し。
在家、出家の法華経を読誦する者を毀シせん、其の罪甚だ重し。」

仏とは人が誰しもが持っている最上の境界、つまりは仏界を意味しているわけで
言い換えれば人は皆、この仏を兼ね備えている存在といえるわけです。

次いで、"法華経を読誦する者"とはいわゆる法華経の行者と言う事を指すわけですが
では、この法華経の行者とは何かと言えば
当然、法華経に書かれている行動を行っている人の事を指すわけで
つまりは「相手がどんなに非道のな事を行ったとしても、それに耐え忍ぶ人」であると言えます。

これを要約しますと
人の事を罵る行為は、罪ではあるがその罪はまだ軽いものである。
しかしながら、無抵抗で耐え忍んでいる人を攻撃するのは物凄く罪が重い事であると言う事。
言ってみれば当たり前の話であり、喧嘩と虐待ではその罪はどちらが重いかと言えば
それは虐待と言う事になりますよね。

つまり一口に誹謗や謗法と言ってもその罪の軽い重いが存在すると言う事ですね。
して、相手の間違いを指摘すると言う行為自体は
直接的な「得」を積む行為ではなく
あくまでもその罪は軽いと許容された範囲内で行うものとするわけです。
正当防衛も行き過ぎれは相手を傷つける過剰防衛となってしまうことがありますからね。

そもそもが間違いを指摘すると言う事は何のために行うかと言う事です。
悪に対する制裁を食らわすとすれば、その必要はないわけです。
何故ならば悪は、自らの悪行を元に自らが地獄へ落ちると言っているわけですからね。

つまり、間違いの指摘と言うものは悪に対し、その者が地獄へ落ちないように
導いてあげると言う意味があるわけです。
これがいわゆる「方便」と言う手段であり
その為には自身が罪を被っても構わないと言う覚悟が必要となってきます。

方便としての許容と言うのはこの事で、相手を責めると言う罪を自らが背負い
それでもこの人を救わなければいけないと言う菩薩の心が作動しないと
結果的に「得」を積む行為にはならないと言うわけです。

解りやすい例を挙げますと
遊泳禁止の区間で誰かが溺れていたとします。
助けたいと言う意志があるとするならば、この遊泳禁止と言うものを破らなければなりません。
これ自体は罪の行為ではあるが、助けたいと言う一心でこの法を破ろうとするものに
誰がその罪を問う事が出来ようかと言う話ですね。

また、泳ぎも出来ないのに飛び込む行為は単なる危険行為であり
その場合、他に対応できる策を見出さないと更なる被害拡大となると言う事も
同時に言えるわけです。
更に言えば、溺れている人が助けて欲しいと表現していたとして、これを放置すると
今度は、助けて欲しいと言う願いに対する謗法を犯す事になります。

難しいですよね。
このように物事を多角的な要素から受け取り
何がこの場合もっとも適切な判断であるかと言う事を瞬時に計算できる能力が問われるわけです。
その中で最上な判断を見出す事が出来た人はその瞬間、仏と言うものになったと言う事でしょう。

つまりは人を指摘すると言う事は基本的に罪であると言う事を充分に理解し
また、その指摘すると言う行為は一体何のために行うかと言う事を
今一度自分自身に問う必要があると言う事ですね。
返信する
堅皇さんへお尋ねします。 (yoko)
2012-09-27 09:26:40
堅皇さんへお尋ねします。
9月23日19:07のコメントに、
>と同時に池田さんが如何なる悪人とあれどもそれを誹謗することも謗法であり……許容されるというものです。

間違いを指摘するのも誹謗ととらえるのですか?
どのように理解すればいいのか教えてください。


返信する
rocoさんへ (堅皇)
2012-09-26 21:45:32
rocoさんへ

> 堅皇さんって僧侶なのですか?

僧侶と言う自覚はありませんが僧であると言う事は言えますね。

> 日蓮宗各派、天台宗の僧侶よりもご自分の方が法華経をよくわかってらっしゃるんですよね。

これまで話している内容でご理解いただけませんかね。
日蓮宗各派、天台宗はもとより真言宗、曹洞宗または浄土宗の方たちでも
法華経は読まれておりますし法華経を理解されていると思いますよ。
広く各宗派で取り入れられている有名な経典ですからね。

むしろあまり法華経を理解されてないのは大石寺系列の信者さんなのではないかと思うくらいです。

加えて言えるのは法華経と言う経典を理解している宗派は数知れずなのですが
法華経が第一であるとして法華経を根本としている宗派の存在
僕が見たところ今の日本には存在していないと言う話です。

大石寺はあくまでも法華経第一とするよりは
日寛の六巻抄を元にして法華経を捨て文底独一本門を根本に据えている宗派です。

日蓮宗、天台宗、真言宗、曹洞宗、浄土宗もしかりです。
それぞれに法華経と言う経文は教義の中に組み入れてはいますが
どれも法華経第一と言う考えには至っていないと言うわけです。

お解かりになられましたか?

返信する
堅皇さんへ (roco)
2012-09-26 19:24:50
堅皇さんへ

堅皇さんって僧侶なのですか?
日蓮宗各派、天台宗の僧侶よりもご自分の方が法華経をよくわかってらっしゃるんですよね。
それだけの自信があるということは僧侶なんですよね。
私はもう何も言うことはございません。
返信する
rocoさんへ (堅皇)
2012-09-25 15:14:14
rocoさんへ

> 日本では僧は出家した僧侶のことです。

単純な話、僧と言う言葉が中国へ渡り日本に辿り付いた時点で形骸化していると言う事ですね。
ちなみに僧侶と言う言葉自体は平安時代以降に作られた言葉であると言う事です。
例えば妙法蓮華経一つ例に挙げましても「僧侶」たる言葉は載ってなく
使われている言葉は「僧」及び「衆」などですね。

形骸化しているのは僧と言う言葉だけではありません。
例えば僧が身につける袈裟なども、本来は糞掃衣(ボロ布)の事を意味しているわけで
そもそもが袈裟を新調するなどとか立派な袈裟を着る事が僧侶としてのステータス(権威)となったのも
中国へ渡り形骸化した事の一つと言えるでしょう。

更に言えば頭を丸める行為と言うものも発生当時は最大の屈辱行為であり
頭を丸め糞掃衣を身に纏うと言う事は全ての執着から離れる事を意味しているわけです。
本来この執着を離れると言う行為に対し、この形になる事に執着をするとなると
正に本末転倒と言う事になるでしょう。

加えて出家と言う行為は文字通り家を出ると書きます。
これに関しても全ての資産を投げ打ち、家族と言うしがらみを捨てると言う事を意味しますから
要するに出家とはいわゆる家を捨て職を捨て世捨て人となり
その状態でただひたすら仏門に帰すと言うわけです。

これに対し住職やお坊さんと言う名称は後に現れた言葉であり
住職や御坊を任されるお坊さんとなるともはや出家の定義から外れてしまっているわけです。
ましてや、現在のように寺や坊を自身の固定資産として国に登記し資産として所有したり
所有せずとも、そこを住居として構えたりとなるとそれはもう
明らかに出家とは言わず在家の中の範疇と言う事になります。

もっとも今の日本の法律に本来の出家の意味に当て嵌めれば
全く生産に従事しないとなると、それは就労の義務を怠る憲法違反になりますね。
従って今の日本で、私は出家の身であるなんて事を言う人がいれば
それは憲法違反をしていると言う事になりますね。
つまり、日本ではそもそもが出家僧の真似事をしている人はいますが全てが在家僧と言う事ですね。

但し、勘違いしてもらっては困るのは大乗仏教では出家と言う形にはそもそもの拘りはありません。
僧となるには在家の立場で充分と言う話ですね。
苦行と呼ばれる修行をせずとも、世の生業の中で生きる事を苦行と捉え修行を行うのが
大乗仏教としてのあり方ですから。

さて、日蓮がいた鎌倉時代となるとその様相がまた変わっています。
と言うのも僧となり行学に励もうとしても誰しもが学を身につけれる立場ではありませんでしたからね。
経文を読もうにも文字さえ読めない人が大半を占めていました。
自身が僧となろうとも、それを引率するための「僧侶」と言う存在が必要となっていました。
かくして仏教における僧の役割はカースト制度のバラモン層の支配から逃れるためのものが
形骸化が進むにつれて自らがバラモン層に成り代わる変貌を遂げて言ったと言う事になりますね。

今の住職、お坊さんのからの出家、在家の話を聞きますと
まるでバラモン僧がクシャトリヤ(王や貴族などの政治力を持つもの)と結託し
ヴァイシャ(平民)を下に見て説法している感じと言えますね。
実際問題、それしか仕事をしてないのだからもう少し仏教と言うものを学ばれては如何かと思います。

> 天台宗だって出家し、修行をして僧になりますよ。

ちなみに天台宗も法華信者及び仏教信者ではございません。
真言宗が東密と呼ばれるように天台宗も台密と呼ばれる密教信者であり
法華経第一の宗派ではございません。

日蓮が何を持って晩年、東密や台密と対峙されたかと言う事を今一度理解されれば
日蓮各宗派は台密と同じく密教化する事にはならなかったのだろうと思います。

ちなみに言いますと大石寺のみに伝わる秘伝と称される書はそのほとんどが
天台宗で最も暗黒時代といわれる恵心流中古天台と言う台密教義からの引用によるものです。
要するに大石寺の教義の根幹は法華経を捨て恵心流中古天台の教義を取り入れたと言う事ですね。

> では、なんのために各宗派の僧侶は出家するのですか?

今の様相を見る限りでは一種のステータスでしょうか。
例えば乞食の様な身なりで説法したとして、いくら正しいことを言っても誰も従わないでしょう。
それより頭を綺麗に丸め、顔を剃り、小奇麗で立派な袈裟着を纏っていれば
メチャクチャな話をしても皆ありがたがって話を聞いてくれるからではないですかね。

> 堅皇さんの仰ることが正しければ、出家する必要がないじゃないですか。

大乗経典を読めばその様に記されていますね。

> それが認められるなら日本仏教が根底から覆ってしまいます。

今現在の日本の様相を見ると日蓮が居た鎌倉時代と近似のように思えます。
よって、覆すべき時ではないかと思います。

> 堅皇さんは僧侶を認めたくないだけなのではないでしょうか。

いやいや僧侶はちゃんと認めますよ。
どの様な成りをしていても、どの様な職業に付いていたとしても
その人の言ってる事が正論であれば、誰しもを僧侶として認めます。

ちなみに日蓮はその言動を見る限り明確に僧を引率すべき僧侶だと思いますね。
また、自身の事を上行菩薩であると言ってのけれるのは
伊達でも酔狂でもないと思っています。
しかしながらその後の日蓮各宗に連なる住職、お坊さんは
僧は僧でも僧侶と呼べるほどの人がいるのか?とは思いますけどね。

> 創価は僧侶を否定しています。

仏教は僧も僧侶も否定してませんし僕も否定してません。

> 三宝を否定して仏教徒にはなれないこと学会員は知らないだけだと思いますよ。

大乗仏教では檀家や在家も三宝に含まれると言う事をお坊さんが知らないだけだと思いますよ。

> 堅皇さんがどこかの仏教に所属しないで、仏教を学んでいるなら、
> 新興宗教と同じ事をしているだけだと思います。

何故に仏教を実践するに置いて派閥が必要なのかと逆に問いたいですね。
新興宗教と言う事は言ってみれば新たなる派閥を作る行為ですから
その必要は全くないと考えています。

今の仏教界に置いて必要な事は一宗一派の殻に閉じこもりそこだけに属するよりは
他宗派と合流し互いの持てる情報を持ち寄り、その情報を互いに精査する事が必要だと思います。
これがいわゆる妙法蓮華経の諸法実相の考え方であり
密教が中心であった当時の漢仏教を顕教と言う形で復興させた天台の思想であると思っています。

大石寺の様に我々の思想こそが唯一絶対だと驕慢に陥り
他の宗派の話を全て捨閉閣抛していては全く持って話にならないと思います。

> どうして日蓮正宗が堅皇さんの言うとおりしなければいけないのでしょう。

誰が言う通りにしろと言ってますか?
今現在の日本は信教の自由が保障されています。
何を信じるか否かは各個人個人が選択すれば宜しいわけです。

僕が言っているのは日蓮正宗は法華経を広めてはいませんと言ってるだけです。
事実として日蓮正宗の教義の元となる
日寛の六巻抄には明確に法華経を捨てる事はうたわれていますからね。

いや、別に構わないんですよ法華経を捨てるか捨てないかなんてのは
捨てたきゃ捨てればいいんじゃないですかね。
こちらからとやかく言う事ではありませんから。
ただ、捨てているにも関わらず法華経の名を語るのは勘弁してくださいと言う事です。

> 学会員や元学会員は自分で創価を選んだのに日蓮正宗に執着するのがとても不思議です。

当時、創価を選んだのは当然自分自身の選択によるものです。
ちなみに選んだ切っ掛けは日蓮に惹かれたからですね。
創価の名目もタテマエ上はそこにあったからです。
しかし、いざ蓋を開けてよくよく学んでみると
創価にしろ日蓮正宗にしろ日蓮とは名を使って他の人の教えを刷り込んでいるではないですか。

この部分が偽証だと言っているわけです。
最初から日寛宗、及び歴代法主宗と言っていただければ
誰も日蓮正宗や創価などとは最初から係わり合いなど持ちませんでしたよ。

何を選び何を信じるかなんて事は全く持ってとやかく言うつもりはありません。
ただ日蓮正宗が日蓮正宗と言う名を語っている限り
その題名に偽りがある、ただそれだけが言いたいだけですね。
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堅皇さんへ (roco)
2012-09-25 06:57:55
堅皇さんへ

日本では僧は出家した僧侶のことです。
天台宗だって出家し、修行をして僧になりますよ。
では、なんのために各宗派の僧侶は出家するのですか?
堅皇さんの仰ることが正しければ、出家する必要がないじゃないですか。
それが認められるなら日本仏教が根底から覆ってしまいます。
日蓮大聖人も出家し僧侶になってます。
堅皇さんは僧侶を認めたくないだけなのではないでしょうか。
創価は僧侶を否定しています。
三宝を否定して仏教徒にはなれないこと学会員は知らないだけだと思いますよ。
堅皇さんがどこかの仏教に所属しないで、仏教を学んでいるなら、新興宗教と同じ事をしているだけだと思います。

あとですね、どうして日蓮正宗が堅皇さんの言うとおりしなければいけないのでしょう。
堅皇さんが日蓮正宗を間違っていると思うのはかまわないですが、それを自分の思うとおりに変えろというのは話が変わってきます。
学会員や元学会員は自分で創価を選んだのに日蓮正宗に執着するのがとても不思議です。
自分が正しいと思う信仰をすればいいだけのことだと思うのですが・・・。
ずっとそんなことし続けて何の意味があるのでしょう。
自分が正しいと言いたいのかもしれませんが、信仰はとはそういうものではないと思います。
返信する
rocoさん (堅皇)
2012-09-24 23:40:01
rocoさん

> 「衆」は、サンスクリットPari?ad[パリシャッド]の訳語であってSa?gha[サンガ]ではありません。
> 故に、七衆や四衆の中に挙げられる男女の見習い出家者ならびに在家信者は、仏・法・僧の三宝の中には含まれません。
> これは真言宗から拾ったものですが、堅皇さんが間違って解釈しているようです。

確かに[サンガ]のもともとの意味合いを取れば比丘、比丘尼の集まりの事を指しますね。
但しこれは小乗経典による話です。
では大乗仏教ではこれをどう捉えるかと言う事です。
龍樹の著作であり、妙法蓮華経の訳である鳩摩羅什の大智度論にはこうあります。
「僧伽、秦に衆という。多くの比丘、一処に和合する。これを僧伽となずく」
つまり、衆=僧伽であり、比丘と共に和合する比丘尼、優婆塞、優婆夷も僧伽であると記されていますね。

更に同じく維摩経に読めば比丘である舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩が
優婆塞(在家)である長者、維摩詰に悉く対論で歯が立たず翻弄されている話が記されています。
このように大乗仏教では比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆に隔たりがない事を説かれているわけです。

さて、ここで重要となってくるのは重なり合う経典に置いてどれを重要視するかと言う事になってきます。
[サンガ]はあくまで比丘に限ると言うのは阿含経典で
四衆を僧伽となずくとは方等以降の大乗経典です。

天台、日蓮の弟子の法華信者ともなると、当然採用するのは五時教範であり五重の相対となりますよね。
さてさて真言宗はなにの経文を元にして僧伽が比丘のみに限ると判断したかです。

先にも述べましたが創価も、日蓮正宗も法華信者ではなく
真言宗と同様に経典よりも秘伝、相伝、口伝に重きを置く密教信者ですから
ベースとなる法がそもそも違ってきているわけです。

これは解釈の違いではなく、根本とする法の違いによるものです。

> 日蓮正宗は法主しか曼荼羅を書けないことになってます。

でしょうね。法華経を捨て、文底独一本門と言う密伝を根本としている宗派ですから。

> >文底独一本門の前には法華経は無用ものもと言う教え~。
> 要は日蓮仏法の否定ですよね。

違います。
文底独一本門は日蓮仏法ではなく
保田日我の化儀秘決を元にアレンジした大石寺特有の日寛教義です。
そもそもが日蓮の真蹟となるもので文底独一本門たる法門は何処にも記されておりません。
また当然、法華経教義からも掛け離れているものです。

よくよく創価や日蓮正宗の教義を学ばれてみてください。
核心に迫る部分に差し掛かると決まって日蓮の書を取り出さず
日興が書いたかどうかも定かではない御義口伝を始めとして
偽書と名高い本因妙抄、百六箇抄を取り出し日寛の六巻抄を持って講義されています。

これはもう日蓮仏教と言うよりは日寛宗もしくは
日蓮正宗歴代法主教と名乗った方が宜しいのではないかと思います。
池田さんの教義逸脱をあげつらう以前に大石寺教義もそれ以前に教義逸脱しまくりですよ。

文底独一本門が日蓮仏法と言う方が日蓮仏法の否定であると思いますよ。
返信する
堅皇さんへ (roco)
2012-09-24 15:52:24
堅皇さんへ

時として、在家信者と出家修行者すべてを含めた集団を僧伽という人もありますが、これは原語から言って、まったくの誤りです。
在家信者と出家修行者をまとめて言う言葉に、七衆や四衆という言葉があり、サンガと同じく「衆」の訳語を用いていますが、しかし、この場合の「衆」は、サンスクリットPari?ad[パリシャッド]の訳語であってSa?gha[サンガ]ではありません。
故に、七衆や四衆の中に挙げられる男女の見習い出家者ならびに在家信者は、仏・法・僧の三宝の中には含まれません。

これは真言宗から拾ったものですが、堅皇さんが間違って解釈しているようです。
日本では僧は出家した僧侶のことであり、在家信者のことを僧とは言いません。
なので三宝の僧は出家した僧侶のことを指しているのです。

在家信者が僧侶と同じという考えこそ思いあがった考えです。
ましてや出家もせず修行もしない信者が御本尊を書写するなんて・・・。

日蓮正宗は法主しか曼荼羅を書けないことになってます。
それは間違いとかではなくて、日蓮正宗はそういう宗派なので別に問題はありません。
その曼荼羅を創価が勝手に使っているから創価と問題になっているだけです。
だれでも御本尊をつくれるなら、池田氏が書写すればよかったのです。
私は大謗法だと思いますが・・・。


>文底独一本門の前には法華経は無用ものもと言う教え~。

要は日蓮仏法の否定ですよね。
大聖人は遊学されて法華経が一番素晴らしいお経ということで「南無妙法蓮華経」を顕されましたが、その根底に法華経があったからこそ顕せたわけですよね。
大聖人は法華経を捨てなさいと仰っていません。

このように解釈は自分の都合よくできるものであり、その人の心のあり方と大きく関わるものです。
自分がそう思ったからと言って正しいわけじゃないです。

私は 堅皇さんが何がいいたいのか全然理解できません。
すべての人を敬うからこそ僧侶も敬えるのではないかと、私は思うのですが、逆の考えですよね。
でもそれを間違っているとは思いません。
単なる一個人の意見ですから。
堅皇さんは全ての人を敬う事といいながら僧侶のことも学会員も法華講も敬ってはいませんね。
創価問題は社会問題で、教義解釈の問題ではないので、これ以上対話しても意味はないと思います。
返信する
rocoさんへ (堅皇)
2012-09-24 00:54:24
rocoさんへ

> 創価も、日蓮正宗も間違っていて、ご自分の法華経解釈が正しいと仰っているのでしょうか。

創価も、日蓮正宗も間違っていて、と言うのはどうなんですかね。
そもそも創価も、日蓮正宗も掲げる教義は法華経ではないですからね。
創価と日蓮正宗が共に元にしているのは文底独一本門と言うものです。
この文底独一本門の前には法華経は無用ものもと言う教えです。

つまり法華経解釈も何も創価も、日蓮正宗も最初から法華経とは違う教えを説いているわけですよ。
これ、創価や日蓮正宗に在籍して教学を学んだとすれば常識だと思うのですが
もしかしてrocoさんは創価も、日蓮正宗も法華経を教えていると思っていました?

そもそも創価も、日蓮正宗も文底独一本門の前には法華経を捨てなさいと言う教えですから
当然法華経を読む場合には、法華経に書かれる意味を変えて読む事を薦められています。
ですから創価も、日蓮正宗も間違っていると言う表現は適切ではなく
最初から法華経とは別の教えなんですよ。

先ずはこの事からご理解いただけないとですかね。

> 三宝を無視した仏教に背く主張

別に三宝は無視していませんよ。
むしろ三宝は無視して仏教に背く主張をしているのは創価や日蓮正宗です。

おそらくrocoさんが引っかかっていらっしゃるのは僧宝に付いてだと思うのですが
僧とは僧伽の略称で僧伽はサンガの音写であり、サンガを漢訳すれば衆や和合衆となります。
日本語訳するならば差し詰め「仲間」と言う感じでしょうか。
つまり仏教を信じ集まる同士であればそれは僧と呼べる存在と言う事ですね。

> 誰でも御本尊が作れるなら僧侶はいりませんね。

いやいや、そういっているrocoさんも信者とあらば僧と言う事です。
僧宝を敬うと言う事は何も寺住職のみを敬う事ではなく全ての人を敬う事です。
僧不要と言っている創価は当然仏教に背く主張を言っていますし
在家は僧宝ではないと蔑んでいるもの、これまた仏教に背く主張です。

まーこの僧宝が寺住職の事だけだったら実際問題どれだけ楽な話だか
好きも嫌いも苦手も得意も全ての人を敬い誹謗しないと言うところに
仏教の続ける難しさがあるわけですから。

> 誰でも御本尊を作れるという発想がおかしいですけど、それは池田氏と同じ発想です。

これは池田さんと同じ発想と言うより
決まった人しか御本尊を書写出来ないと言うのが逆に日蓮正宗独特の発想なんですよ。
他の宗派を見てくださいよ曼荼羅ぐらい法主に限らず誰でも書いています。
これに縛られているのは大石寺の呪縛から抜け出せない正信会、顕正会ぐらいなものです。

そもそも法主しか書けいちゃいけないって一体全体誰が言ったんですかね?
ちなみに本尊授与を商売として考えるならこう言った商法はプレミアが一番付く手です。
まーこれで、創価と日蓮正宗は共に大儲けしたわけなんですけどね。
返信する
堅皇さんへ (roco)
2012-09-23 21:58:00
堅皇さんへ

よく理解できないのですが
創価も、日蓮正宗も間違っていて、ご自分の法華経解釈が正しいと仰っているのでしょうか。

御本尊は誰が作ってもよいという主張ですが、それは三宝を無視した仏教に背く主張なので、法華経の教義上問題ないとを言われても説得力はないと思います。

誰でも御本尊を作れるという発想がおかしいですけど、それは池田氏と同じ発想です。
だから池田氏は畏れ多い事をなんとも思わずにできたのでしょう。

そんなことどの宗派も認めないと思いますが・・・。
誰でも御本尊が作れるなら僧侶はいりませんね。
仏教に僧侶はいらないことになります。
そしてそれは創価のような団体を認める発言でもありますね。
返信する
クロさん、今晩わ (アレックス)
2012-09-23 19:51:06
クロさん、今晩わ
暑くも無く、寒くも無くと喜んでいたら、昨日からすごし寒いですねえ。

>アレックスさんも拾った猫らをお世話されたとのこと、捨てるのも人間ですが、こうして見捨てず互いに幸せになれる人間とペットが増えて欲しいですね。

ホンマじゃの~
ニャンコも人間と劣らぬ心があると言うのにねえ。

>ご紹介のサイト、いきなりテイストが変わりましたね~w
私、実は、10年くらい前かな。未確認飛行物体っぽいものを見たことがあるんですよね~。
実際そうなのか、隕石なのか衛星なのかは分かりませんが、どうも怪しい飛行物体(というか光の帯?)でしたわ。

わははははは^^

>私が生きているうちに宇宙人や、せめて他惑星の生物などが発見されたら、嬉しいと言うか物凄く感覚が広がる気がしますね。
見つかるかな~。

クロさんのお気持分かりますよ~
早速ですが、私もブログを開設致しました。
趣味のブログは運営しているのですが、創価学会関連のブログを立ち上げる理由がありませんでした。
ご存知の様に、私は創価を止めて20年以上経っており、脱会者の様なエネルギーが無いんだわ。
だから、別のアプローチからなら行けるのでアンチ創価ブログと言う性格のブログではないのですが、訪れる方々の癒しにでもなれば良いかなあと思案中です。
以上ですが、相互リンクよろしくお願い致します。
http://alexufo.blog.shinobi.jp/
返信する
白バラ通信のコメント欄が書き込みできなくなった... (堅皇)
2012-09-23 19:07:41
白バラ通信のコメント欄が書き込みできなくなったようですね。
ま、遅かれ早かれそうなるとは思っていましたが。

創価学会会員が、創価学会の言う分にしか耳を傾けない同様に
法華行員も日蓮正宗の言う分にしか耳を傾けないですし
アンチはアンチで自分たちと同じ考えにしか耳を傾けませんし
表面上は反対論者の言い分も受け入れる寛大な気持ちを持っていますよと構えてみても
結局はキャパを超える書き込みがあれば積極的に削除、封印、排除に躍起になりますから。

それはそうと昭和52年の第一次宗創問題について一言。
池田さんが自分のお守りご本尊を写真に撮りそれを使ってご本尊を模刻した件。
会館は現代の末寺だと主張した件。
日蓮が掲げるとする法華経の教義上では全く持って何の問題もありませんよ。

これは法華経を理解し日蓮が書き記した法華曼荼羅の意味を理解できれば造作もない事です。
ただ、この時点で宗門側も創価側も互いにその意味を理解していなかっただけの話であり
もっとも今現在でも両者その意味を理解していないと言うだけの話です。

先ず端的に言って池田さんは曼荼羅に自身の名を記す事により
自身の崇拝を目的とした。
これは恐らくその通りでしょう。

しかし、曼荼羅に自身の名を刻んだ事で特別の崇拝対象にはならないと言う事です。
そもそもの法華曼荼羅の趣旨は妙法蓮華経の題目文字を中心に
上は菩薩界から下は地獄界までの衆生を書き示す事により仏界を表現したと言う
十界大曼荼羅と言うわけです。

ちなみに法華曼荼羅を最も簡略化しますと妙法蓮華経に諸天としての一尊四士となります。
日蓮宗の誤解はこの妙法蓮華経の役割を理解してなかったので
妙法蓮華経を蔑ろにして一尊四士を本尊であると見誤っているわけです。

一尊四士と二尊四士と言いましても、そんなもの曼荼羅に既に記されているではありませんか。
一尊四士とは法華経では釈迦牟尼に上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩です。
二尊四士は釈迦牟尼、多宝如来に上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩です。
どうです?どの法華曼荼羅を見てもこれは記されていますよね。

よって一尊四士を祀るのが誤りなのではなく
妙法蓮華経を蔑ろにしてしまっては謗法だと言うわけです。

更に日蓮が書いた曼荼羅の多くは十界曼荼羅ですので菩薩衆に限らず
下は地獄界の提婆達多から阿闍世大王、阿修羅王、鬼子母神、第六天魔王等々も記されているわけで
これは如何なる人の中にも仏界と言うものが具わっていると言う事が表現されていると言う事ですね。
つまり曼荼羅の中に邪智、悪人を書き記す事は別に誤りではなく
むしろ日寛曼荼羅のように故意的に提婆達多や阿闍世王を外す行為が
十界曼荼羅の意味をよく理解していないと言うわけです。

ですから曼荼羅の中に池田さんの名前が記されていてもどうと言う事は無いですね。
池田さんは提婆達多の振る舞いと同様にいろいろな事柄を
正面から、また反面から教えてくれた諸天の一人であると僕は認識していますから。

もちろん、妙法蓮華経及び、その他の諸天を蔑ろにして
池田さんのみを讃える事に専念すれば、それやはり謗法であると言う事。
これが今の創価学会の姿というわけ。
と同時に池田さんが如何なる悪人とあれどもそれを誹謗する事も謗法であり
但し、方便となればそれは許容されると言うものです。

それ以前に正宗側及び正信会側の言い分もどうかと思いますよ。
曼荼羅の書写は法主に限るだとか在家が本尊を模刻してはならないとか。
これはそもそもの在家の意味をよく理解していない事であり
僧の中でも"坊さん""住職"と呼ばれる人たちはその時点で出家ではなく在家なのですから。

ぶっちゃけ日蓮正宗の坊さんたちが言う
「お前たちは曼荼羅を書くべき模刻するべきではない」と言う発言自体が
曼荼羅の意味も解りもしないでただ偉そうに人を差別化するものであり
これは勧持品に書かれる
 悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満

「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、
 未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん」に当たる行為。
要するに道門増上慢だと言うことです。

ま、池田さんが当時、経文を良く理解していていれば
あの時点での安易な謝罪などせずとも良かったんですけどね。
もちろん池田さんは当時から今もおよそ経文を理解するどころか
そもそもの信仰心も持ち合わせてはいないと思っていますが。
返信する
ミルキーさんへ (クロ)
2012-09-23 18:18:12
ミルキーさんへ

>創価学会会員は、創価学会の言う分にしか、耳を傾けていません。

私の母親もそうです。
とにかく、学会以外の言うことは信用しないか、怪しいと疑ってかかったり、また宗門寄りの話だと「お寺の味方して」と聞く耳を持たないというか。
客観的な視点が欠けているのは確かで、その自覚がないのが問題ですね。
誘導しやすい怒りや嫌悪の感情で、宗門に対して感情的にしか物事を考えられなくされているような気がします。

池田氏の本尊模刻や、題目の商標登録など、一般的に見ても到底理解しがたい行為はいくつかありますが、それを認めない学会員さんは多いですね。
認めると自分の今までの行為を否定することになるので、自ら思考停止するか歪曲した解釈で自分を納得させています。
自分の行為や信仰といった心の問題も含め、自分で受け止める覚悟を持たない人たちが多いのだと思いました。
ミルキーさんのように、間違いを間違いだったと認められるような方こそ、本当の強さを持っているといえるのでしょうね。
返信する
ももさんへ (クロ)
2012-09-23 18:01:06
ももさんへ

お久しぶりです。コメント下さりありがとうございます。


>わたしはどうしても学生時代に影響を受けた「マキャベリズム」に傾倒しがちです。「結果さえ良ければ、目的と手段は正当化される」この言葉に永く薫陶を受けていました。

これ、よく分かります。ももさんの仰ることに如実に現れています。
前回の流れ星さんへのコメントで、失礼な表現があったことをお詫びします。
そこでももさんのことを「他の人をおいてきぼりにしがち」と書きましたが、上のももさんのご自身を説明する一文があるなしで大きく違うのだということを気づいておられますでしょうか。
ももさんのコメントを拝見して「ああ、この人はきっと学生時代にでもマキャベリズムに影響を受けたのだなぁ~」などと名推理ができる人間などいないのですよ。
ももさんのことを、「なぜこういう言い方をするのか」「なぜ答えを言わないのか」と、読んでいる側がももさんのことについて理解しようとする労力が発生します。
勿論その考える過程が重要なこともあるでしょうが、ネット上でのこういうやり取りではマイナス面しか生まないような気がします。
「分からない(分かっていない)人」へ向けての説明であるということを、念頭においてコメントして頂くと、もっと理解者が増えることと思います。それにより、なくてもいいいざこざも減るでしょう。
素晴らしい知識や技術を持っていても、人に教え伝える教師としての才能があるかはまた別です。

私のピアノの先生のお父さんが、以前言っておられたことがあります。この方は塾の先生でした。
「人に何かを説明するときは、小学4年生の子供に分かるように説明します。そうすれば、大抵の大人に誤解なく伝えられます」
どうか分からない人の気持ちに立って、分からない人に分かるようにこれからのコメント内容を心掛けていただけたらと思います。
生意気なことばかり言ってすいません。

メールはまた、ももさんの説明責任が果たされた後に判断したいと思います。
説明責任という言葉も適切かどうかと思いますが、まあ便宜上。
お互いに理解が深まることを、願っております。
返信する
アレックスさんへ (クロ)
2012-09-23 17:47:49
アレックスさんへ

こんにちは。いよいよ秋本番という風になってきましたね。
過ごしやすい日が増えて、嬉しいです。
でもあっという間に寒くなるのかなぁ。
あと三ヶ月でまた年が明けますものね・・・。

「創価学会基礎知識」、ご覧下さりありがとうございます。
私自身がゼロの状態から学会を調べ始めましたので、他にもそういう人たちに知ってほしいことを書いていこうと思っています。
元学会員である方たちは、それぞれ内部事情をご存知なのでそれを発信できるのが強みですが、ほぼ外部の感覚で育った私の目線から発信できることもあるかな、なんて思っています。

うちのにゃんこたちは、全員拾い子たちです。
メタボンは捨てられていた状態が状態でしたので、放っておくこともできず病院に連れて行き哺乳瓶でミルクを飲ませ・・・としているうちにうちで飼う事になりました。
次男のヨコヅナは、これまた拾ってすぐ手術しなくてはいけない状態でしたので、以下同文w
このヨコヅナの物語は、にゃんだふるライフのカテゴリの最初で詳しく語っておりますので、興味があればどうぞご覧になってください。
アレックスさんも拾った猫らをお世話されたとのこと、捨てるのも人間ですが、こうして見捨てず互いに幸せになれる人間とペットが増えて欲しいですね。

ご紹介のサイト、いきなりテイストが変わりましたね~w
私、実は、10年くらい前かな。未確認飛行物体っぽいものを見たことがあるんですよね~。
実際そうなのか、隕石なのか衛星なのかは分かりませんが、どうも怪しい飛行物体(というか光の帯?)でしたわ。
私が生きているうちに宇宙人や、せめて他惑星の生物などが発見されたら、嬉しいと言うか物凄く感覚が広がる気がしますね。
見つかるかな~。
返信する
kanさんへ (クロ)
2012-09-23 17:35:29
kanさんへ

お久しぶりです。お忙しい中、コメントありがとうございます。

kanさんのコメントの方こそ、流れる清水のような清清しさがあります。
水って不思議なもので、きれい過ぎると微生物のような生き物でさえ生息できない無機質なものになってしまいます。
色々あってこそ、味のある、自然を育むことのできる、生命の水となるのでしょう。


>その一つ一つが、尊敬してる方への応援に繋がっていく。
>自分の日々の言動が、そのまま応援になっていく!

その通りだと思います。
普通が一番、偉大なのだと思います。
その普通の人びとが集まって社会になっています。
全員が全員英雄的だったり悪人だったりでは、社会は成り立ちません。
自分の役目というものを全うできるかどうか。それだけだと思います。

私のコメントは、kanさんの足元にも及びませんよ^^;
kanさんの人の心を打つ素敵なお話には、いつも感動させられています。
返信する
rocoさんへ (クロ)
2012-09-23 17:26:49
rocoさんへ

大変大変、お返事が遅くなって申し訳ないです。
ちょっと現実でゴタゴタしてまして、なかなか時間が取れませんでした。

このお返事が滞っている間に、社会情勢は色々ありましたね。
中国の暴動は、国際問題ではないのかと思います。
毎度のことですが、略奪行為が起きるのはどういうことなんでしょうね。
また政府から暴動に参加するとお金がもらえるとの証言もあり、完全な官製デモであることは間違いないでしょう。
日本車に乗っていた中国人の方が犠牲になったり、どうも歯止めが利かない様子です。
日本政府は渡航規制とかしないんですかね。日本政府だからなぁ~。

また人権擁護救済法案、不意打ちのようにやられましたね。
つい先週、関西のたかじんの番組で、政治ブログランキングで首位を独走している三橋さんがこの人権擁護救済法案の危険性について訴えられておりました。
今まで知らなかった人にもこの法案の危険性が分かりやすい内容でしたので、ああやっとこれで危機感を持ってくれる人が少しは増え広がるかな、と思った矢先のことです。
私たちのようなブログは危険信号ですね。
まだ法案が成立してしまったというわけではありませんので、反対の声が広まるように周知運動できればと思います。
解散総選挙になれば、いったん棚上げになるようですが・・・、本当に色々どうなることやら。
返信する
rocoさんへ (ミルキー)
2012-09-23 12:29:24
rocoさんへ

創価学会会員は、創価学会の言う分にしか、耳を傾けていません。なぜ、お寺を訪れて僧侶とお話をしてみようとしないのでしょうか。双方の主張を聞くべきでしょう。その時には、冷静な状態で、礼儀正しい態度で接してほしいと思います。

昭和52年に、日蓮正宗の許可なく、池田氏は、自分のお守りご本尊を写真に撮り、それを使ってご本尊を模刻しました。その本尊には、池田大作という名前が彫られてありますから、会員に自分を拝ませたかったのでしょう。
信仰心がある人間には、到底できる行為ではありません。また逆に信仰心がある人にとっては、このことがいかに、仏法を冒涜する恐ろしい行為に思えるでしょう。
もう、この時点で、学会にとっての宗教的使命は終わっていたんだと思います。
池田氏は謝罪しましたが、心の奥では、いつか見返ししやろうと思っていたのですから、鳥肌が立ちます。
池田氏の謝罪によって、この一件は、一切、口にしないという日蓮正宗の決定は、理解できますが、このことをもっと早く知っていたら、もっと早く学会から離れていただろうと思うと、残念です。
返信する
クロ様 (もも)
2012-09-20 09:42:25
クロ様

ご無沙汰をしております。

ももです。

「君子は豹変する」の言葉に甘えて
再びコメントをさせて頂きます。

今回の一連の白バラ騒動に加担をしていた一人として説明責任の必要性を痛感してます。ただし、今は「その時」ではないと考えております。今云えることは、

「事実と真実は違う」、これだけです。

余計に詮索したくなるような表現で
大変に申し訳ないと思います。

rocoさんのブログにもコメントしましたが、
今は、
「時が熱狂と偏見の仮面を剥ぎ取り、互いの過ちに気づくことが必要です」

わたしはどうしても学生時代に影響を受けた「マキャベリズム」に傾倒しがちです。「結果さえ良ければ、目的と手段は正当化される」この言葉に永く薫陶を受けていました。

想学サロンの「運ちゃん氏」が
「ファシリテーター」ならば、私(もも)は、
「オルガナイザー」であり、
「アジティター」です。

まとまりませんが、いつか必ず説明責任は果たそうと思っています。そう遠くはない将来に。

クロ様のご判断に委ねますが、
掲載されていない私のアドレスに
ご連絡を頂ければ、幸いです。

それでは、またまた。

結局、最後は
おふざけもも軍団(笑)

返信する
訂正です。 (roco)
2012-09-20 05:59:08
訂正です。

人権救済法案→×
人権擁護救済法案→〇

「擁護」が抜けてました。
父に人権擁護救済法案、外国人参政権のことを話していますが、よくわかっていないようです。
たぶん、私の言うことを認めると自分の人生を否定しなくてはいけないので、理解したくないのでしょう。

自分達の孫を苦しめるような法案をなぜ通さないといけないのか。
日本の子供たちのことを想うと悲しくて涙がでます。
返信する
人権救済法案、閣議決定しました。 (roco)
2012-09-19 21:45:13
人権救済法案、閣議決定しました。
自民、たちあがれ、国民新党以外はこの法案に賛成だそうです。

日本人を苦しめる悪法、可決寸前です。
公明党は賛成。
ブログできなくなくかもしれません。
怒りしかありません。
返信する
こんにちわ (アレックス)
2012-09-18 11:16:47
こんにちわ
日中はまだまだ暑いですが、やはり風が涼しく感じますねえ。
本日は、雨が降っており涼しいです。

「創価学会基礎知識」を見ました。
既に知っている内容もありましたが、知らなかった内容もありましたよんへへ
有難うございました。

「にゃんだふるライフ」としてフォトギャラリーを拝見しました。
もとは野良猫だったんですか?
昔、私も4匹の多頭飼いの経験がありました。
今は二匹ですねえ。
全部、捨てられる運命の猫達でした。良い行いしているでしょ♪
(笑)

さて話変わりますが、創価学会関連だと、エネルギーのトーンダウンが感じられますので、別の話題をご紹介させて頂きます。

GAサイト http://www.gasite.org/

Cosmic Consciousness
http://www.adamski.jp/

よろしければ、どうぞ~♪

返信する
もう流れ星さんに限った話ではないですが、いい機... (クロ)
2012-09-17 18:20:56
もう流れ星さんに限った話ではないですが、いい機会なので書きます。
今回のコメント欄を見ていて思ったのは「自由に慣れていない」人が多いということです。
義捐金にしてもそうです。
義捐金を募っているのだから説明義務があるかのように言われる方もいますが、これは財務ではありません。
義捐金を出せば幸せになるなどと書かれておらず、出さなければ不幸になるとも書かれてない。なんら精神的圧力が働いているわけではありません。
記事を読んで、少しでも賛同できないのならば出さないことです。出さない自由をすべからく全員がお持ちです。
そして自由であるということは、責任は自分にあるということです。
コメント投稿にしてもそう。
投稿するも自由、しないも自由。内容も自由。返答があるなしの責任を求めるのは違います。自分が「勝手に」コメントしているのですから。
それにより自分がどう思うかも、自分の「勝手」。つまり自由です。
高倉先生や白バラ通信に期待するのも勝手ですし、期待しないのも勝手。
こういうこと書くと賛否両論あるかと思いますが、ネット上の繋がりは自分が勝手に思うだけのことだと思います。
色々なブログやコメントによって心が軽くなった、救われた、ということも多々あります。
でもそれは、自分が「勝手に」救われたのです。
私も母親との間に学会問題が起きて、本当に辛かったときたくさんのアンチブログに救われました。
私が「勝手に」救われたんです。そして、私が「勝手に」同じようなブログを作りました。
ブログを始めて嫌な思いもたくさんしました。時間と労力も費やしてますが、利益があるわけでもない。
けれど私が「救われた」と思ったブログ主さんらに責任を問うことなど考えたこともない。
確かに高倉先生のブログ運営が秀逸であるかと言えば、残念ながらそうではないと思います。
でもそれを選んで見ているのは、自分の勝手であり自分の責任なんですよ。

学会によって自由を抑圧されてきた方は、学会から離れてアンチブログに出入りしてても本当に多くが自由に不慣れです。
「せっかく応援してたのに・・・」と高倉先生に思ってしまうのがそれを表している。
義捐金を出したい、応援したいと思ってても、一歩踏み出せないという人が多いと思います。
高倉先生に色々疑問をぶつける人が多いでしょう。
「義捐金を出すのが絶対正しいんだ!」「応援しなければ正義ではない!」と言い切って自由を縛ってくれないからです。
そうして本来自分が負うはずの責任を、言い切っている人間に預けたいのです。
勿論、学会の財務にしても、「こうするのが正しいんだ!」と強制されたにしても、最終的に行動に移した自分の責任というのはありますが。
自由に不慣れと書きましたが、責任を取るということに不慣れなのかもしれませんね。
流れ星さんの「アク禁にしてください」というのもおかしなお願いです。
それは自ら「コメントしない」ということができないということですか?
コメントするもしないも自分で責任を取らず、誰かに規制されて喜ぶというのは省みるべきかと思います。
誰かにキーボードの前で強制的に指を動かされているわけではないでしょうから。

大変長々と書いてしまいました。途中から流れ星さんお一人に対する話でもなくって申し訳ありません。
でも少しは私の考えを分かって下さったでしょうか。
最初に申し上げた通り、前回に引き続き、私が流れ星さんに言いたかった本質はツイッターの発言内容そのものではなく、その後のお振る舞いにあります。
今回頂いた流れ星さんのコメントは、ハナからそこが食い違っていました。
こんだけ書いといてあれですが、もうそこだけ分かって頂けたら後はおまけみたいなものです。
年上の方に、偉そうな内容になってしまっている部分もあると思います。
申し訳ありません。
私は今回流れ星さんが下さったコメントで、食い違いはあるものの私がずっと感じていたお優しい流れ星さんであることは間違いないのだと分かり、ほっとしています。
つらつらと書きました私の考えが正しいということもないでしょうし、同感できないということもあるでしょう。
けれど、流れ星さんとであれば、お互いの意見をお互いのものとして尊重し理解することができるのではないかと、勝手に思っております。
しかしここまで書いて、すれ違いが続くようでしたらお互いの精神衛生上のためにも、これ以上は言わないでおこうと思います。
アク禁にはしません。コメントはご自由にどうぞ。
かつてない長文、大変失礼いたしました。お読み下さりありがとうございます。
返信する
続きです。 (クロ)
2012-09-17 18:15:43
続きです。

流れ星さんは「反白バラでも反高倉でもなかった」と仰っていますが、少なからず疑念はお持ちだったのですよね?
ももさんにツイッターを暴露されて、そのとき初めて転じられたというわけではないでしょう。
ももさんが嘘を言っていると書かれていますが、ももさんがツイッター発言を大袈裟に捉えているというのは、後のコメント欄を見れば多くの方がその印象であるとお分かりかと思います。
タバサさんのコメントはお読みになられましたか。
だから私は、「調子に乗りすぎました」「言いすぎちゃいました」と、それだけで済むと思ったんです。
その後、ももさんや今も活動家さん、高倉先生に愛想を尽かして去っていくなり、今まで通りコメントするなりしていれば、まあここまで印象を落とすことはなかったですよ。
今までコメント欄で交流してきた多くの方は流れ星さんに信用を置いていますでしょうから。
しかし流れ星さんは(他のお二人はここでは出しません)、直後のコメントで開き直りとも取れる態度でした。
高倉先生を法華講と思い込んでらっしゃるのも、よく分かりませんし。
女の人に言うのも変ですが、男気がなさすぎる。潔くなさすぎる。そう思いました。
私が前回のコメントで言いたかったのは、人間としての筋を通すべきだったということです。
「じゃあ、ももさんや今も活動家さんはどうなんじゃ!?」と思われるかもしれませんが、バリ活に散々嫌な思いをしてきたのでしょう?自分が同じ境地に落ちて同じように騒ぐんですか。
別にももさんを許してあげようとか、あちらの言い分が正しいとか、そういうことを問題にしているのではありませんよ。
高倉先生を応援できないのと同じく、ももさんの一方的な言い様を許せないというなら、それも分かります。
でも言ったように「去りよう」があります。そして、今頃言うなって感じですが「絡みよう」もあったでしょう。
私も白バラではももさんや今も活動家さんに対してコメントは差し上げていません。
毅然と立ち向かった(と思っておられる)方々にしてみれば、恐がってたのか、などと思われても仕方ないでしょう。
けれどそれこそその時点で反白バラ、反高倉でなかったのならば、スルーを選ぶのが最良です。
選ばなかったのならばその後どんな不愉快な思いをしようとも自分の責任です。

反白バラ反高倉ではなかった、と過去形で書かれているので、今はそうなのでしょう。
おそらくは高倉先生がというよりは、ももさんなどを通じてそれを放置していたという意味で、ついていけないという風になったのかと思います。
もしもコメント欄がなければ、純粋に高倉先生を応援したい気持ちがあったのではないかと思います。
私としては、コメント欄で自ら身を投じてあまつさえその責任をブログ主に問う、というのが、いま少し理解しがたいです。
放置=擁護と取るのも如何なものか。
これは特別高倉先生を庇って言うのではないですが、誰かが白バラで仰ってましたが「期待しすぎ」です。

もう一回続きます。
返信する
流れ星さんへ (クロ)
2012-09-17 16:43:43
流れ星さんへ

きっとしづらかったと思いますが、それでもコメントしてくださりありがとうございました。
このコメントで、やはり流れ星さんは今までここにコメントしてくれていたその時の印象の方だと思いました。

とはいえ、私が上でしたコメントとはあまり噛み合っていませんので、同じような内容になるかもしれませんがもう一度。
こういうときに長文を恐れてはいけませんね。
私も言葉足らずで申し訳ありませんでした。
なるべく丁寧にいきます。


>わたしが、あの場に書き込みができないのはすでに、わたくしがアクセス禁止になっているからです。。

そんなことは百も承知ですよ。誰も今すぐ白バラにコメントなど求めたりしていません。
私が「流れ星さんと再会を」と書いたのは、この場所かあるいは、アク禁条件が解除された後のことです。
焦らずいきましょう。

私は前回のコメで、敢えて「ももさん」と「今も活動家さん」のことは取り上げませんでした。
私が流れ星さんに対して残念に思ったことを伝えたい本質はそこにはなかったからです。
しかし避けて通るのもすれ違いを生むようなので、私の見解を少しばかり。
あくまで、私の見解ですよ。

ももさんに対して私が思うことは、この方は頭が良い。そして強い。
しかし頭が良すぎて一周回ってなんとやら、だと思います。(ももさん、見てたらごめんなさい)
えてして頭の良すぎる方というのは、他人を置いてきぼりにしがちです。ももさんも、もっと空気読んで欲しいと思っています。
そして強い方というのは、弱い人間にも自分と同じレベルを求める傾向があります。
ついていけないものはついてこなくていいと、思わせてしまいます。

それと、ももさんと流れ星さんのやり取りに関して言えば、正直きっかけを作っていったのは流れ星さんだと思います。
昔の話で恐縮ですが、元々流れ星さんの思い込みによる言いがかりがお互いの印象を悪くするきっかけでした(と思っています)。
流れ星さんが、ももさんのコメントを見ていて同意できなかったり疑問に思ったりすることは、理解できます。
それに対して流れ星さんはももさんに何度かコメントしていました。その返答がなかったり思うようなものでなかったりして、また推測でしかないものを決め付けてしまいました。
気持ちは分からんでもないですが、思い込みの域を出ません。
それで悪循環です。
ネット上では、答えがないものを「図星」と決め付けるのは危険です。証拠なんか求めようも出しようもないんですから。
どうしてもそうとしか思えないのならば、心の中に留めるだけがせいぜいです。
一度や二度、疑問をぶつけるのはいいでしょう。
けれどお互い理解の範疇にないと思ったらそこで引くべきではないでしょうか。
たとえ、ももさんのその後のコメントに改善が見られなかったとしてもです。
絡み続けるから傷口を広げるのです。しかも他人様のブログのコメント欄で。

「今も活動家」さんに関しては、完全スルーで問題なかったでしょう。
せいぜい一回、嗜めて聞かなかったらスルーですよ。あのコメントの仕方を見ていて、わざわざ口を出しに行くのは誰の目にも危険行為です。
なぜにももとさんと同一視したかは、私には分かりません。
全然違うのにと、私は思っていましたから。
流れ星さんだけではないですが、もっとスルースキルを磨いて欲しいと一様に感じています。
これがアンチ創価ブログでは難しいんですけれどね・・・。宗教と政治と野球のブログではそうなりがちかと思いますけど。

さて、こう書くと「ももさん」の味方をするんですね。。。って思われるかもしれないんで、もう少しつっこんで。
私が前回コメで流れ星さんのダブスタについて書きました。
流れ星さんがももさんに「まったくありえないことを書かれ」と思われているのは、ツイッターでの流れ星さんの呟きをした時の心が、ももさんの指摘とは違うということだと思います。
ツイッターでの呟き自体は、非公開になる前に私も拝見しました。
どこが最初か分からなかったのでもしかしたら全部読んでいないのかもしれませんが、問題視されている箇所は大抵読ませていただいたと思います。
確かに、流れ星さんはももさんが言うほどの高倉先生を批判するような内容は仰っていないという印象がありました。
でも自分で呟いていないから、というのはどうかな~と思います。
一連の呟きは時に楽しく盛り上がっていらっしゃる空気が感じられましたが、内容的には嘲りも含まれていました。
その場に同調していらっしゃったのですから、同じ事を思っているのだと捉えられても当然ではないですか?
「わたくしのツイッターでのやりとりが決して白バラの誹謗中傷でないことを・・・」と書かれていますが、「わたくしたち」としないのは、自分だけは違うと言いたいのですか?
たとえ流れ星さんに嘲りのようなお心がなかったとしても、それが通るような内容ではなかったと思います。
それを認められなかったことは、少なからず残念に思っています。

超・長くなってるので、一旦分けます。
返信する
ミルキーさんへ (クロ)
2012-09-17 01:01:31
ミルキーさんへ

メタボンはよくバンザイをして寝ますね~。コタツの中では高確率ですw

プーチン氏から贈られるシベリア猫とは「サイベリアン」と呼ばれる種類の猫でしょうね。
もふもふ~、ふわふわ~の長毛の猫ちゃんです。
雪景色の中にもふっといると、狸のようにも見えます。←私だけ?w
秋田犬の「ゆめ」ちゃん、いいお名前もらいましたね。
このニュースに関連してプーチン氏の動物好きな写真をいくつか目にしましたが、ちょっと見た目からは意外な感じがしましたwこれも私だけ?w

ご紹介の動画、拝見しました。
こんなテレビ番組が放送されていたとは!
池田氏の動く映像も久しぶりに見ましたわw
空港でのインタビューで池田氏は「創価教というように独立の考えは?」との質問に「独立はない」と言い切ってますが、今は独立を記念日にまでしちゃってますねぇ・・・。
それとこの頃からストーカーよろしく正宗信者につきまとい、ビデオカメラを目の前で無言で回し続ける姿に、本当に変わっていないのだなと改めて思いました。
正直これ、ドン引きの様子ですよね。今、テレビじゃ流せないんだろうな~。残念。
あとドン引きしたのは学会婦人部の方の顔の白塗り(テレビ用?)と、「功徳欲しいですからね」と平然と言い放つ神経。
「先生~!!」と泣きながら叫んで手を振る文化祭での演者の様子。
面白いことに、学会側からは「日蓮大聖人」との言葉がほとんど出てこなかったこと。出てきましたっけ?
どれをとっても、気持ちよくは見ていられませんでした。
返信する
まるさんへ (クロ)
2012-09-17 00:41:47
まるさんへ

はじめましての、まるさんでよろしいでしょうか?
と言いますのも、以前「まる」さんのお名前でいくつかコメント下さった方がいらしたもので。
別の方ですよね。コメントありがとうございます。


>わざわざ外国から来ておられるのに車の中からお手降りだけ? 普通、降りて激励しないかい?

実にごもっとも。
車から出ないのではなく、出られないのかもしれませんよ。
新聞記事を読んでいないので分かりませんが、もしかしたら池田夫妻は車で「通りがかっただけです」ということかもしれませんし。
メッセージはやはり後付けでしょうかね。
通訳は同乗していたのか車の外だったのか、アフリカメンバーというのは実は日本人なのか、色々憶測を呼びます。
それくらい不自然な行動、というのがここ最近の聖教新聞に掲載される写真の本質なのだと思います。
返信する
一つ書き忘れました。 (roco)
2012-09-17 00:02:27
一つ書き忘れました。

尖閣諸島が国有化したことで、中国で日本企業、日本人が危ない目に遭いそうです。
実際に襲われた人もいるみたいですね。

「博士の独り言Ⅱ」にイケダセンセーの出番ですよ!とありましたが、こういう時にこそアクション起こしてほしいですね。

べべこさんのブログに
「日本男は殺せ 女は強姦しろ」という記事があります。
もしこの写真にそう書いてあるなら、中国にいる日本人は危険です。
なんとかならないのでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/dd3b93fdee519e0732ec5b0bf5f398ae
返信する
お元気そうで何よりです^^。 (kan)
2012-09-16 23:36:40
お元気そうで何よりです^^。

最近は公私共に多忙で、久しぶりに幾つかのブログに伺いました。

水は一箇所に溜まったままですと安全です。
一箇所に溜まってるだけなので変わらないように見えますが、やがて必ず腐っていきます。

大海へと流れる水は、浅く・深く・曲がりくねり・岩があり・ゴミだらけだったり・時には思わぬ汚水が入ってきたり・・・そんな様々な川の状態を経ながら流れていきます。

流れる川の水面には、常に様々なモノが浮かぶものです。
空き缶や枯葉、家庭用ゴミや虫たちの糞や死骸等等・・・その川の場所場所で、いろんなモノが浮かんで共に流れたりもします。

そのゴミたちは、流れの中で互いにぶつかり合ったりもします。
人はそんな光景を見て、あの川は汚い!やっぱり汚れてる!とか言ったりもします。

しかし、大海へと流れる水はいつも清い。
流れる水はいつも透明で清いままです。
川底では、そんな清く澄んだ水がいつも変わらず、ただ大海へ・大海へと進んでいます。

フォーカスすべきは、いつも変わらず川底を流れゆく清き水だと思います。

いつもそんな水に触れながら生きていきたいなぁと・・・・改めて思いました。

何人かの尊敬する人がいます。
その中には、些細なこと・・いやそれすら出来ない庶民だけど、それでも何とか応援させて戴きたいなぁ。。と思う方もいます。
誰だか、おわかりになると思いますが・・。

時々、ボクは自分に問うのです。
お前はその人の崇高な心に近づいているのか!?と。
その人の水準に1mmでも近づけたのか!?と。

答えは、ほとんど「NO!」です。
いや、全て「NO!」かもしれません。
まだまだ自分に甘い日々なのです。

冒頭に触れましたように最近は公私共に多忙で、何かと頭を抱えることが多い日々です。
先送りにしたり・愚痴で逃げたいところですが、一つ一つをちゃんとしていきたい!と思っています。

その一つ一つが、尊敬してる方への応援に繋がっていく。
自分の日々の言動が、そのまま応援になっていく!
そう思っています。

それにしても、クロさんのコメントやレスは素晴らしい!
実にポイントを押さえて、凛とした姿勢でいらっしゃる。
久しぶりに伺いましたが、心地よい風が胸を吹き抜けていくようでした。

また時間ができたらお伺いしたいと思います。

このコメントを綴る時間は、とても心地よいものでした。
ありがとうございます^^。
返信する
グルニエさんへ (クロ)
2012-09-16 23:34:41
グルニエさんへ

コメント途中でしょうか?
想学サロン、運ちゃんさんがツイッターで呟いておられましたね。
ポータルサイトがかなりの精度ですので、この上ブログ再開となれば心強く思われる方も多いでしょう。
もし再開されれば、私も嬉しく思います。
返信する
ミルフィーユさんへ (クロ)
2012-09-16 23:29:19
ミルフィーユさんへ

聖教新聞では池田氏のお車からの写真が、連発のようですね。
ゴルフカートも車のうちかな?w
気になるのは、名誉会長が贈ったという言葉はその場で直に声を掛けられたということですか?
それとも後日、そのメッセージだけ贈ったのでしょうか?
その場でということならば、何人かの人間は池田氏の肉声を聞いているということでしょうが、「マジで?」って感じです。

そして次にちょっとビックリなのが、関西創価小学校の修学旅行が東京の学会施設とは!
いや、他にも修学旅行らしいところに寄ってて、学会施設はその一つってことだとは思いますけど、行きたくないな~w
大体タテマエ上、学会員ではない生徒もいるんでしょうに(実際いなくても入学できるタテマエでしょ)、学会施設って~。
そりゃ宗教施設は修学旅行の定番コースですよ。神社やお寺とかね。
でも創価学会みたいな新興宗教の施設はそこに該当しないでしょ~。
本当に生徒も喜んでるのかなぁ・・・。いやまあ、そこは創価小に入るような子供たちだから分かんないですけど・・・。
この小学生たちとの対面に写真がないというのは、やはり子供の口は塞ぐのが難しいのか、なんて思ったりしました。
返信する
ミルキーさんへ (roco)
2012-09-16 23:24:18
ミルキーさんへ

ご紹介の動画ありがとうございます。
さっそく拝見しました。

私は生まれた時から学会員で創価歴40年とちょっと、法華講歴数年。
先祖供養したかったことと友人葬をしたくなかったこと。
他の宗派に行くわけにもいかず、お寺に戻った者です。

お寺に行ってわかったこと。
破門劇の発端になった急先鋒役は秋谷さん。
誰が何のためにしたのかはわかりませんが、破門のあと、大石寺が襲撃され僧侶が体を張って守った事。
私の所属するお寺に、今も学会員が言いがかりを言いに来る事。
あと、学会員専門で折伏はしていないこと。
そんなことすれば、学会員に家を特定され、抗議に来るからです。
なので、実際は学会員にはあまり折伏していないです。

創価で聞かされたことは嘘でした。
今はお盆、お彼岸にご先祖供養ができて満足しています。


クロさんへ

こんばんは。
メタボンちゃんのポーズ最高にかわいいです。
癒されますね~。
メタボンちゃんもわかっていてポーズしているのでしょうか?
そんな風に見えます。^^

ミルキーさんが紹介してくれた動画は衝撃的でした。
20年前にテレビで放送されたものみたいです。

動画で秋谷さんは宗門がやきもちを焼いたと言ってました。
インタビュアーが「やきもちですか?」と聞いていますが
秋谷さんは堂々と「そうです」と答えています。
その秋谷さんはお寺に戻ったそうですね。

60周年記念文化祭の様子もありましたが、北朝鮮のマスゲームみたいでした。
申し訳ないですが、はっきり言って気持ち悪いです。
文化祭終了後に池田氏の挨拶があって、「宗教色も政治色も、それから経済色、学会色もなんにもそんなのはない。それが本当の文化です。それが本当の平和です。」と仰っていました。
ん?何へんなこと言ってんの?と思いましたが
感極まった学会員さん達には聞こえなかったことでしょう。

後半に婦人部さまたちの座談会の様子があって、母や母の友達(学会員)を見ているようでくらくらしました。
「私たちが求めている池田先生を苦しめる猊下(げいか)を絶対許すわけにいかない」と発言。

「私たちが求めている池田先生」・・・
やっぱり日蓮仏法を求めていたわけじゃないのね。
登山された学会員が宗門と学会のいいところを取ってやればいいと仰っていて、自分達のやりやすいように変えるなんて仏教逸脱破壊行為をさらりと言ってます。

お寺と創価の問題は、創価が宗門の御本尊、教義、経典を使わずに、創価独自のものを使うことで解決します。
なぜ、それをしないのでしょう。
都合が悪くなったら宗門の教義が悪いといえるから?

とにかく、学会員は池田氏の指導を信仰とし、活動を修行にしています。
あの動画見てたらMCとは思えませんでした。
なぜなら、活動をしていると元気になると学会員が言っているのです。

「教育・文化・平和」これが創価の目標です。
情報操作されやすいものばかりで、今になってなるほどなぁ~と思いました。
返信する
クロさんが、せっかくこの場でわたくしに話をする... (流れ星)
2012-09-16 21:50:43
クロさんが、せっかくこの場でわたくしに話をする機会を与えてくださったのを感謝して、お話したいと思います。。

わたしが、あの場に書き込みができないのはすでに、わたくしがアクセス禁止になっているからです。。

また、わたくしは決して反白バラでも反高倉でもありませんでした。
あのブログで、まったくありえないことをももに書かれ酷くびっくりしてしまい、あんなひどいコメントをしてしまいました。

また、そのあと誰とも分からないような人に、じとーっとわたしのツイッターを監視されているのかと思うと気味が悪く、ストーカーにでも遭っているようで怖くなり、一旦ツイッターを非公開にしましたが

それによってももが、ありえないことばかりをあの場で書き込み、高倉氏まで、ありえないこと(わたしは、タバサさんのことなど一切非難していませんよ)を書かれて、驚いてしまい、やはり真実を知っていただきたいと再びツイッターは公開にしました。

どうか皆さん、わたくしのツイッターでのやりとりが決して白バラの誹謗中傷でないことをしっかりこの目で確かめて戴きたいです。。
ひとの言った嘘を鵜呑みにせずに、しっかり真実を見て。。
それからモノを言ってください。。

ただ、わたくしは他の2人に同情していたのは事実ですし、彼女らから信じ難い話しを聞いて驚いていたのも事実です。
それはあのももの有り得ないような卑劣な書き込みで一気に噴き出してしまったのです。。

何度も言いますが、わたくしは、あのツイッターでは1円やももを非難してはいましたが、反白ばらでもなければ反高倉でもなかったんです。。
たまたま、そうなっていっちゃっただけです。。
(これはいい大人が言うことではないのかもしれませんが。。)

クロさんにまでそんなことを言われるとは驚きでした。。
事実は、しっかり確かめなくてはいけません。。

ただわたしは、ランボーさん含め,
momongaさんやamiさんと同じ対応を高倉氏から受けて、しっかり彼や彼に纏わる人たちの真実は見ました。
それをここで語ろうとは思いません。
もう終わったことですから。。

わたしは、ももがあの卑劣なコメントをこころから謝らない限り、わたくしも謝る気持ちはありません。。

ただ、わたしのひとの情にほだされやすいところが最大の欠点だと今回も再認識しました。。

またわたしは、予てからアンチブログはもう卒業したいと切実に想っていたのでいい機会でした。アクセス禁止にされて却ってホッとしています。ありがたく思っています。

また誰かのコメントに反応して余計なことを書かなくてすむと思うと嬉しいです。。

クロさんもどうか、わたしをアクセス禁止にしてください。
もう、創価学会のことに関わるのは懲り懲りなんです。
よろしくお願いいたします。

最後にタバサさんへ(図書館へ行こうさんも)
わたしは、あなたたちのことは決して非難したコメントなどツイッターではしていませんから。。(涙)
返信する
流れ星さんへ (クロ)
2012-09-16 20:27:41
流れ星さんへ

今、他の人から知らせがあって見てみるとツイッターの非公開、解除されたのですね。
上のコメントの段階では知らなかったので、失礼しました。

アンチブログから卒業したいとのツイート、拝見しました。
穏やかな口調の呟きを拝見していますと、今までコメントのやり取りをしてきた流れ星さんのお優しさを感じます。
それだけに、白バラでの振舞いとこの流れを残念に思います。
返信する
アレックスさんへ (クロ)
2012-09-16 17:30:00
アレックスさんへ

こんばんは。
日中は暑いですが、やはり風が違いますね。
私も夏は布団を全く被らず寝ていますが、最近は肌寒くて足元の布団を引き寄せることもしばしば。
秋を実感しています。

「創価学会基礎知識」編は左のカテゴリにあります。
まだ数は少ないですが、外部の方や学会のことをあまりちゃんと知らない人に見てもらえたらという内容ですので、既に知っている人にはつまらないものですよw

メタボンは本当にスリムになりました。
このブログを始めた頃はまだ実家におり、今より体重が1キロ以上多かった。
私も4匹の多頭飼いですが、同じようにご飯を上げてても体型に差はでますよね。
不思議なものです。ま、人間もそうですかね。
最近全然触っていませんが、ブログ記事の右欄に「にゃんだふるライフ」としてフォトギャラリーがあります。
そこにメタボンと名づけた頃のメタボンが載っていますので、よければお確かめをw
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流れ星さんへ (クロ)
2012-09-16 17:17:14
流れ星さんへ

メタボンは今はスリムですが、実家にいた頃はメタボンだったんですよ。
私が実家を出る時に連れてきて、標準体型になりました。
愛するペットのぬくもり、その無条件の愛情がたまらなく愛おしいですよね。

さてさて、「白バラ通信」では大変な騒ぎになりましたね。
ここで持ち出すのもどうかと思うんですが、ここの方がゆっくりコメントできますでしょうか。

私は高倉先生に批判する方や、同じくアンチ学会の立場でも高倉先生に同調できない方、ブログやコメントの発言などで心から賛成できない方など、多数おられることだと思います。
誰からも好かれて完璧に正しい人間なんていませんから。
むしろそういう批判はあって然るべきで、それでこそ正常な状態だといえます。
私も高倉先生には心から全面賛成ではありません。
「ここは違うな」「こういうこと言わなきゃ(やらなきゃ)いいのに」と思うことも、よくあります。
しかしそれは、私にとっては高倉先生を応援する立場を翻すほどのものではなかったというだけかもしれません。

流れ星さんには、「白バラ通信」のことで残念に思うことがありました。
ひとつはダブルスタンダードの立場。
前述したように高倉先生に賛成できないなのはそれでいいと思います。しかしブログでは「応援しています」と表明しておいて人の目の少ないツイッター上での中傷発言。
もしも心に疑問をお持ちだったならば、少なくともブログに賛同者の装いでコメントされるべきではなかったでしょう。
そしてもう一つ更に残念に思ったことが、それが暴かれた後の態度です。
私は流れ星さんのことだから、「言いすぎちゃいました。。」と素直に謝られるものだとばかり思っていました。
本来それで済む話だったと私は見ていました。
謝るというのは高倉先生に対してです。ももさんとのいざこざはまた別に。
私の印象としては流れ星さんは思い込みが強くその場の空気に流されやすいですが、指摘を受ければ素直にご自分の非を認められる、そこが好感の持てる方でした。
ツイッターでの発言を「ふざけてただけ」と仰ったこと、未だに信じられぬ思いです。
それはいじめ加害者の戯言と同質のものです。
高倉先生が一緒にふざけていないのですから、「プロレスごっこ」と称して暴力を振るういじめ加害者の言い分と同じものにしかなりません。
今回は他に仲間がいらしたから、その手前折れることができませんでしたか。
気が大きくなったのでしょうか。
それとも、それが流れ星さんの本性でしたでしょうか。

誤解されぬよう何度も言いますが、高倉先生に対する疑念や批判はお持ちになって大いに結構。
そのこと自体を問題視する気はありません。
それをツイッターや「白バラ通信」で発言することも、言論の自由です。
ご自分でブログを作り発信されるのもいいでしょう。
勝手な思い込みや推測での誹謗中傷はやめてほしいですけれどね。それは結局、自分の信用を失くすことでしょうし。

「白バラ通信」では幾人かの方が、流れ星さんを始めとした一連の騒動の渦中にいる方を擁護しております。
それもこれも、今までの素直でお優しい人柄でコメントされていた流れ星さんの、積み重ねた信用によるものでしょう。
どうか、その信用に応える形で流れ星さんと再会できればと思います。
高倉先生を応援できず去るというならば、去りようもあろうと思いますので。

しかし感情的なお三方のようです。
そんな御託は超越して気に入らないだけだということもあるでしょう。
せっかくツイッターも非公開にされたことです。
その時はどうそ、仲間内だけで盛り上がって下さるようお願いしたいと思います。
去りようはあります。そのことだけ、今一度お考えください。

最後に、この場所でこのような発言、お許し下さい。
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ばんざーい!をして、熟睡していますね。気持ちよ... (ミルキー)
2012-09-15 22:03:59
ばんざーい!をして、熟睡していますね。気持ちよさそうで、いいですねえ。

秋田県知事が、ロシアのプーチン大統領から、シベリア猫(どういうネコなのかな)をプレゼントされるそうです。日本から、プーチン氏に贈られた秋田犬は、すでに大統領官邸で飼われているそうで、名前は、プーチン氏がゆめと名づけたとのこと。殺伐とした世界で、ほっとするニュースです。

ところで、創価学会の内幕という動画を偶然、見ました。創価学会が日蓮正宗から破門された頃のものですが、アップされたのは、最近です。
いろいろ考えさせられる内容ですが、個人的に注目した点は、創価学会と宗門の決別によって、人間関係(特に家族)をも分断されていたという問題。さらに、そのような会員の心の苦悩をトップの人が疎く、悠然たる態度でいることに衝撃を感じました。
もう一点は、会員の攻撃的な行為。和を尊ぶ日本人の心は、いったいどうしてしまったのでしょう。その日本人らしくない振る舞いに、唖然とさせられます。

http://www.youtube.com/watch?v=EyrbvZia164
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クロさん おはようございます(^^) (ミルフィーユ)
2012-09-15 08:07:52
クロさん おはようございます(^^)


今日の聖教は1面に神奈川池田記念講堂の完成予想図が載ってました。
2014年秋に完成予定で地上2階建ての全て椅子席の大講堂だとか。

相変わらずだなぁと新聞をゴミ袋に入れようと、今日の主な内容見たら「創立者が修学旅行中の関西創価小学生を激励」とあるじゃないですか。
どれどれと2面を見ました。

なになに…
名誉会長は13日夕、修学旅行中の関西創価小学校6年生を東京・新宿区内で激励したんだそうな。

創立者夫妻は、車で関西創価小学校第30期生105人の列の前へ。

『ワー!』 『池田先生!』『こんにちは!』『ありがとうございます!』
歓声が湧き、拍手が高鳴る。

車窓からスクールカラーの三色旗を振り、励ましを送る創立者。
真心からの言葉を友に贈った。
「みんなに会えて、うれしいよ。 みんなが元気でうれしいよ。 みんなお元気で! お父さん、お母さんにくれぐれもよろしく!
皆さんの健康を毎日祈っています」

なんだか感動的な様子が綴られていましたが、
なんで「新宿区内」なんでしょうね。
修学旅行生の集いの写真が1枚載ってたんですが、どう見ても学会施設なのにこちらも「新宿区内で」としかない。

11日の聖教本社前での車窓からの帽子振り激励に次いで 今度は13日の車窓からの三色旗振りですか(笑)
さぞかし感動的な師弟の出会いだったでしょうに、その写真が1枚も載ってなかったとは…

軽井沢のゴルフカートもそうでしたが、最近は車から降りずに「車窓からの激励」が定番に?(笑)
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はじめまして、まると言います。 新聞みました。 ... (まる)
2012-09-12 22:35:45
はじめまして、まると言います。 新聞みました。 なぜ車の中から?? わざわざ外国から来ておられるのに車の中からお手降りだけ? 普通、降りて激励しないかい? なにさま? 常識ある行動をしてほしい
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流れ星さんへ (グルニエ)
2012-09-12 22:22:33
流れ星さんへ
自分の性格と、創価の思想に影響を受けた箇所 よくわからない自分がいるのもまた事実です。

いずれにせよ、池田氏も選挙も自分の経験は薄らぎ、他人事のような気がします。時間薬とでも言うのでしょうか 

そういえば、想学再開されるようですね アノころ

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クロさんちのニャンコちゃんの写真にはいつも癒さ... (ミルフィーユ)
2012-09-12 16:56:30
クロさんちのニャンコちゃんの写真にはいつも癒されてます(^^)


今日の聖教1面に「SGI会長 アフリカ青年部を激励」との見出しが。

へぇ~ またメッセージでもやったんかい?と思いきや、ありゃりゃ~ ビックリ!

聖教新聞本社前で黒塗りの車の窓から名誉会長が顔を出し 1列に並んだアフリカメンバーに向かい右手に持った白い帽子を振ってるような写真が載ってたんですよ。


いやはや 最近ひんぱんに名誉会長の近況を知らせるような写真が載りますね。

11日午前 聖教本社前で見学に来ていたアフリカメンバーを名誉会長夫妻が車窓から帽子を振ってエールを送ったそうな。
きのうの事ですね。


名誉会長は「皆さんにお会いできて、うれしいです。皆さんの幸せを毎日、祈ってお題目をあげています。
アフリカ、頑張れ! 大切な大切なアフリカの皆さん、いつまでもお元気で」と励ましの言葉をかけられたんだとか。

写真では半袖のワイシャツっぽいのを着てる感じ。

白い帽子がお気に入り?(笑)
同じ信濃町近辺から車で来たんでしょうに。
白い帽子って…
どこかで運動でもしてきた?(笑)

頻繁に名誉会長の健在ぶり写真を載せるのもいいけど、 やっぱり動く名誉会長を見てみたいし、生声を聴いてみたいわね~。
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クロさん、今晩わ (アレックス)
2012-09-11 21:58:23
クロさん、今晩わ
秋の気配を感じますねえ。
朝と夜が涼しいです。
特に、寝るは夏用に寝巻きも着ず、下着だけで寝ていますので、朝起きた時は寒い~ってなります。(笑)

「創価学会の基礎知識」ですかあ?
面白そうですね。
やめてから20年以上経ってますから、綺麗さっぱりしていますか忘れている部分も多いですね。
それで思い出せるかも知れませんね。

猫ちゃん、全然メタボンではありません。
我が家の猫は二匹ですが、一匹はやせているのか?スマートで、もう一方は食いしん坊ですからメタボンですよ(笑)
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メタボン。。というにはスリムな猫ちゃんですよ~。。 (流れ星)
2012-09-11 11:29:19
メタボン。。というにはスリムな猫ちゃんですよ~。。

我が家のワンコも、これから寝る場所が変わってきます。。
夏は冷たいフローリングの上で寝ていることが多いのですが、冬に近付くに従って専用のソファーとか、末っ子のベッドの上とか。。そして夜は、わたしの布団でわたしにピタッとくっついて寝るんですよ。。
そのぬくもりが、なんともいえず愛おしいです。。

クロさんのこの場は、コメント欄を承認制にしているので荒れなくて良いですね。。

みなさんのコメントも紳士淑女のようで安心できます。。
わたしだけが時折身勝手な投稿で、みなさんの気分を害しているのではないかと心配です。。
ほんと、KYな人間なので。。
もし誰かを傷つけていたら、ゴメンなさい。。

グルニエさんへ
ほんと、創価学会に縁していたことでいのちに沁みわたっている癖って、なかなか抜けないものですね。。
少しづつ、ぼちぼちですね。。
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