先週の記事、私がふと思ったことについて書かせていただきました。
「創価学会には福運がない」ということに。
けれどふと思ったその一瞬後、ほぼ同時に創価学会の反論も思いついてしまっていたのです。悲しいかな、アンチ歴が長いと向こうの言いそうなことも想像がついてしまいます。
反論その1~「会員の要望に応えて」編
1.常日頃お世話になっている創価学会及び、これまで私達を指導し激励して下さった師匠に感謝の意を示すべく、微力ながら「財務」という形で創価学会が世界に広まるお手伝いを是非させて欲しい・・・という会員の要望に応えて財務というシステムを取り入れています。
2.最高の功徳を得られる「財務」をどうしてもさせて欲しい・・・という会員の要望に応えて財務というシステムを取り入れています。
これらは学会が資金として必要だから財務を集めているのではない、財務なんて必要ないけど会員がしたいって言うから仕方なく財務させてあげているんだよ、という体ですね。
反論その2~「更なる拡大のため」編
1.日本のみならず世界に広まり続ける創価学会。充分な会館施設の揃わない国もまだ多くあり、私達の力を集めて世界に広めていくことこそが弟子の使命であり最も尊い活動の最高峰に位置するものなのです。
2.そうしていずれ世界に広まり、広宣流布が達成された暁にこそ、私達の福運もいよいよ目に見えて現れるのです。
これらはまだ「途上」だから頑張らなくてはならない、というやつですね。
反論その3~「これくらいで済んでいる」編
1.本来ならばもっと過酷な状況、法難が降り注いで存続も危ういものであったはず。しかし創価学会、いや池田先生のご活躍に守られて私たちは今こうして信心させて頂いているのです。財務はできることが幸せなのです。
2.創価学会であったからこそ、財務をして功徳を積むという余裕のある信心ができるのです。一人ひとりが思う存分信心できるように、財務ができるという幸運な状況を我らは与えられているのです。財務が出来るということこそを得難いものとし、感謝して3ケタ目指しましょう。
これはその1「会員の要望に応えて」にも似ていますが、本来は必要ないけれど財務という会員の活動を確保するために敢えて財務が必要な状況になっており、会員が幸せになれるチャンスが多く与えられているんだよ、というものですね。
パッと同時に思いついたのはこんなところでしょうか。考えればもっと色々なパターンがでてきそうです。
あくまでこれらは創価学会の公式な見解や指導ではありません。
噂話のように会員の間に広まるもの、あるいは、会員自身が先週の私のようにふと疑問に思ったとき、自分で自分を納得させるために考える言い訳です。
学会があからさまにこうした反論は行うことはしません。はっきりと何か言えば、それに対する疑問や矛盾が更に生まれます。捉え方はいくら思考が統一訓練された学会員さんたちといえど、様々ですから。
ですから会員自らがそう考える、ように向かわせる、のが創価学会の仕事です。これが、マインド・コントロールと呼ばれるものです。
お金が欲しくはないけど、財務は福運と言われたことは、ナイナア。毎年財務やってると、やらない年を事前に宣言しても、「何故今年やらない?」と幹部が恫喝し、怒鳴り込んできます。
気になるのは、生活が苦しい母子家庭にも財務やらせてます。給料が月10万のパートで、アパート住まいの貧しい生活と周囲に嘆き、経済事情を全く考慮せず精一杯財務をさせ、しかも一向に生活が良くならず、しまいに苦しさに負け、周囲に物乞いまでしてる学会員も居ます。
同情させるつもりで「お金が無い」と学会仲間にしばし泣きつき、お米を自宅に届けさせ、食事も親子でたかり部員や幹部に飲食店でたびたびおごらせ、その割に組織で気に要らない事では文句だけ一人前、世間の人より低レベルで信用がない学会員はいます。
図々しい正体が知れると悪い評判が立ち、組織活動以外はだんだんと、周りから遠ざけられますけどね。
会員個人としてはそう考える方もいらっしゃるでしょうね。
そういう方向に考えが向くように仕向けているのが、今回ブログ記事にしたような創価学会組織としてのやり方だと思います。
一応ローンなどの借金がある人や生活保護の人には財務はさせてはならない、と表向きされていますが実態はまったく伴っていないみたいですね。
うち(実家)だってローンもあったし何より私が母親に金を貸していましたよ。生活費の名目で。今はないですが。
子供の頃は財布から金を盗まれることも毎月のこと。子供の金は親の金、とでも思っているのでしょう。
数百円とかじゃないですよ。ウン千円単位。子供にしたら大金です。あー、あと貯金箱から銀色の硬貨だけ盗られてたこともありましたね・・・。
そんな状態で財務してるとなれば、私の憤りも火に油を注がれるようなものであり、傷に塩を塗りたくるような仕打ちでもありました。
これがうちの母親が財務を恫喝まがいで迫られて仕方なくやっていたのではなく、母親がやりたくてやっていたのですから尚のこと質が悪い。
恫喝でやらされている分にはまだ救いはあります。
けれど、自らが望んでやるように仕向ける。創価学会の狡猾で卑怯なところはまさにこういった性質に表れていると思います。
その組織のやり方を肌で学んでいれば、ケイコさんの身近にいたような非常識な振る舞いをされる方も、増えていくのは当然のことなのでしょうね。
地区にいるとわかりますが、最低でも家族4人なら4口で4万円が目安と話してます。一口一万円で、子供が学生で収入なくても、家族の幸せの為に子供達の分も親が出すのが、当然という事です。
中には、生命保険の解約金や食事はジャム付きのパンで節約、飢えを凌ぎお金を貯め、二桁の財務体験を聞かされ、「それを私達に、挑戦せよか?」と怒りが湧きます。財務の前にきちんと栄養取らないと、病院のお世話になりそうですがね。
給料をつぎ込み、幸せになれたら良いけど、そうでないなら、後で返してはくれません。結果どうあれ、誰も責任は取りません。「今願いが叶わないのを、学会のせいにするな。」「どんなに頑張ったって、これでいいという事はない。まだまだあらゆる戦いに挑戦せよ」で終了。
貯金箱からクロさんのお金を拝借したお母様、良かれと思い財務の足しに、されたのでしょうか。
一家でお金が動く時は、事前に相談しあい、家族の合意や了承なく強引に財務をやれば、後で反発や学会への無理解を生むでしょう。例え小さな子供であっても。どの活動も、常識豊かに合意と納得が学会の基本路線です。建前は。
そうですよね。我が家がまさにこれでした。
私の家族は母親以外、自分が学会員にならされているということすら認識していないような状況でした。
なのに家族分、財務の領収書があり、それを見つけてしまったことから我が家で創価学会の問題が浮上したのです。
私がアンチになったきっかけそのものです。
私の貯金箱から硬貨を盗んでいたのは、たぶん生活費の足しでしょう。
私の財布からお金を抜き取っていたのも、同じく生活費です。ちなみにそんな家計の家で私の財布にお金が入っていたのは、私の祖母がお小遣いをくれていたからです。弟らはすぐに使ってしまいますが、私は貯めておくタイプだったので。
けれどそんな経済状況でも財務を怠らず、また、経済状況を改善する方ではなく子供の金に手を出す方を選ぶという精神状態は、今もって常識の範疇にはないことだと思います。
何度も本人に言い、このブログでも書いてきたことですが、まず何を持ってしても「優先順位」がおかしい。
学会の基本路線とやらもこの「優先順位」の前には無力なのでしょうね。何よりも学会の強力な指導によって基本路線よりも優先する「優先順位」を決められているのですから。