金曜日の朝。とうとう手術の日です。
私はいつも通りの支度をし、実家に行きました。
チビネコは相変わらずアゴを猫ベッドの縁に乗せて、息苦しそうです。
でも手術の朝から絶食なのですが、早朝エサの皿をかぎ回って父親に「ご飯欲しい」と言うようにねだっていたと。それで生え始めの鋭い歯で父親の指を噛んだというのです。
私はその話を母親から聞かされ、ほんの少し希望が膨らみました。
チビネコも生きようとしている。目にはハッキリ見えないけど、最初よりはきっと体力も回復しているんだと。チビネコはうちに来た最初の日から、一度の量はそんなに多くないのですが、ご飯はよく食べました。
猫缶をミルクでしゃぶしゃぶにした離乳食です。
メタボンの時は、何故か自分でご飯を食べるまで時間がかかり、ミルク→離乳食の前半は哺乳瓶で人間が飲ませていたのです。
チビネコはよっぽど今までお腹が空いていたんでしょう。横隔膜ヘルニアになって食べられなくなったのか…、野良で母猫とはぐれて食べ物を探せなかったのか…。
ヘルニアで体型が変わっているといえ、手足も割り箸程度の細さで、本当にガリガリなんです。それに手足がずっと冷たいんです。
私はチビネコを縦に抱っこし、手術頑張れと心で念じました。
体が触れている部分から私のエネルギーが伝わればいいのに…。私の命を、エネルギーを注ぎ込む気持ちで、チビネコを抱っこしました。
9時前、母親とチビネコを病院へ連れて行きます。
病院では先に来ていた患者さんがいたんですが、すぐに私達を通してくれました。
獣医さんは、水曜の夜に薬を飲ませた後ぐったりした理由を説明してくれました。
チビネコは肺が圧迫された状態で常に酸欠に近いと。そこに嫌なことされると抵抗して心拍数が上がってしまう。それで苦しくなってしまったんだと。
この状態ではもうこれ以上の回復は難しい。手術に踏み切りましょうと。
しかしチビネコは、病院に着いてカゴ(キャリーバックを持っていないので)から出してやると、その中でウンチしていたんです。うちに来てから初めてのウンチでした。
それを見て私と母親は思わず笑顔が出て喜びました。排泄できるほど元気になっていたんだと。獣医さんもご飯食べさせてもらい、順調に体力は回復してきていると言ってくれました。
さあ、手術の準備です。これがまた痛々しい…。
バリカンでほっそい腕の毛を剃られ、点滴用の針を刺すんです。私と看護師さんでチビネコの小さな体を押さえ、獣医さんが難しい顔をしながら針を刺します。
ただでさえ幼く小さな子猫です。しかも栄養失調状態で血管が細く、中々刺さりません。
痛がって泣き声をあげ逃げようとする体と腕を、看護師さんと二人で動かないように押さえます。私はちょっとでも気を逸らそうと、チビネコの名前を呼びながら眉間をチョコチョコ撫でたりアゴの下を撫でたりします。
知っていますか?猫の注射の血止めに、瞬間接着剤使うんですよ!
一回目に刺したところを瞬間接着剤で血止めし、反対側の腕をバリカンで剃って二回目のトライ。こちらも全然ダメです。獣医さんも「難儀やなー」と言って難しい顔です。
次は首の毛を剃って、体を横たえさせて首から…としようとすると、横に寝かされることにチビネコは激しく嫌がって抵抗します。きっと怖かったんですね。獣医さんは「嫌がることさせたらあかん」と言ってそこは諦めます。
そしてまた一回目の腕の近くでリトライです。母親は苦戦している私達の後ろで、チビネコの痛々しい姿にすすり泣いていました。私はこの時はチビネコを押さえることと針がちゃんと刺さるかということで、いっぱいいっぱいでした。
四回目の挑戦でようやく針が血管に届きました。獣医さんもほっとして「難儀な奴や」と言いながらチビネコの頭を撫でました。
そして「じゃあ、預かります」と言われます。
私と母親はチビネコの頭や顔を撫でてやり「頑張れよ」と言い残して病院を後にしました。
そこからお互いに仕事に行くんですが、この日ほど一日が長く落ち着かない日はありませんでした。
仕事をしながら、心の中で「きっと大丈夫、元気になる」という気持ちと「そんな簡単に奇跡は起きない…」という絶望にも似た気持ちが交互に襲ってきます。
手術は昼からです。何かあればすぐに母親の携帯に連絡が入り、私にメールで知らせてくれることになっています。昼過ぎから、2、3回広告などの関係ないメールが入ったんですが、そのたびに心臓ドキーっとしてこっそりメールチェックします。
そして2時過ぎ、母親からメールで「手術は終わった」とメールが入りました。しかし「麻酔が切れて自分で呼吸するまでは安心できない」という内容でした。
私は「手術が終わった」という言葉を心の中で何度も確認しました。まだ詳しくは分からないけど、手術が終わったということは癒着はなかったんではないかと。癒着があれば手術したものの何もできずそのまま終わりを迎えるはず。
私は本当にこのメールの後、落ち着かず仕事も手に着かず、すぐにでも病院に駆けつけたい衝動でいっぱいでした。しかしこの日は就業時間をずらしてもらったので終わるの一時間遅いんですよ…。
夕方仕事が終わる直前になり、ようやく母親からまたメールが来ました。
「麻酔が覚めて自分で息してるよ!凄い勢いでエサ食べてたよ、チビネコの生命力は凄い!」と…。
私はまだ仕事中でしたが、パソコンの前で一人涙しました。私の今の席が壁際の一番奥で人目につかないから良かったものの、会社の人たちが見ていたらビックリさせたことでしょう。
凄い!凄いことや!
私はこんな喜びを感じたのは何年ぶり?いや、生まれて初めてかもしれません。
うれし涙なんて、初めてのことかもしれません。こんなことがあるなんて。
仕事が終わり私はダッシュで自転車を漕いで病院に向いました。
診察室の奥に案内されて、ケージからチビネコが出されます。チビネコは前にもましてヨロヨロし、歩こうとするんですが腕に力が入らずカクっと倒れるような感じでした。
でも猫缶を出されると、お皿をフンフンいって嗅ぎ、ペロペロご飯を食べます。
食べてる!ご飯食べてるよ!
私は胸に熱いものがこみ上げ、本当に嬉しかった。
もうダメかもしれないと何度も絶望に塞がれ、押し潰されそうな不安でいっぱいだった分、この喜びは計り知れませんでした。
獣医さんが手術の説明をしてくれました。やはり事故か何かで横隔膜に穴が開いたようで、癒着はなかったと。お腹開いて内臓を洗い、破れたところを縫って内臓の位置を戻しましたと。
麻酔の後が勝負やったけど、目覚めるのに時間はかかったけど自発呼吸してご飯も食べるし、手術は乗り越えたと…!
抱っこしていいというので、恐々抱き上げるとお腹に生々しい手術痕があります。私はチビネコの額にチュッとして、「よく頑張ったなー」「偉いぞ!」と何度も言いました。頭の中で想像するだけだったこの言葉を、口にできる時が来るなんて…!
獣医さんに「このまま回復したら、ふつうの猫ちゃんみたいに元気に生きられるんですね?」と聞くと、獣医さんは頷いて「その予定です」と答えてくれました。
うぅー、ほんとに良かったよー!!
親身になってくれた獣医さんにも大感謝です!!
チビネコは2、3日は入院です。私は実家に帰り、両親と喜びを分かち合いました。
父親も手術終わりの電話の後なかなか連絡がないから、気が気じゃなかったと言いました。
母親が仕事が終わってすぐ病院に行き、その時ちゃんと起きてるって事が分かったそうです。私達は、本当に良かったと、しみじみと繰り返しました。
こんな嬉しい日はありません。本当にどれだけ心配したことか。
ただ死に行く命を看取るしかないのかと、この4日間重く沈んでいました。
己の無力さを、残酷な現実をどれだけ呪ったことか。
チビネコは元気がないなりにも、私の髪(ロングなので)に興味を示して追いかけたり、毎回ご飯をくれる父親の手を舐めたり、ヨチヨチ歩きのその姿だけでも私達家族の心をガッチリ掴んでいたんです。
そしてやっぱり、1年育てたメタボンを可愛いと思うのと同じように、他人事とは思えず愛しく思ってしまうのです。
月曜から金曜のこの5日間、私は数年分に匹敵するほどの感情の波に曝されました。色々考えました。
後日談も含めて、その7(たぶん最終回)に続きます!