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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

運命の出会い その6

2009-07-05 11:53:25 | にゃんだふるライフ

金曜日の朝。とうとう手術の日です。

私はいつも通りの支度をし、実家に行きました。

チビネコは相変わらずアゴを猫ベッドの縁に乗せて、息苦しそうです。

でも手術の朝から絶食なのですが、早朝エサの皿をかぎ回って父親に「ご飯欲しい」と言うようにねだっていたと。それで生え始めの鋭い歯で父親の指を噛んだというのです。

私はその話を母親から聞かされ、ほんの少し希望が膨らみました。

チビネコも生きようとしている。目にはハッキリ見えないけど、最初よりはきっと体力も回復しているんだと。チビネコはうちに来た最初の日から、一度の量はそんなに多くないのですが、ご飯はよく食べました。

猫缶をミルクでしゃぶしゃぶにした離乳食です。

メタボンの時は、何故か自分でご飯を食べるまで時間がかかり、ミルク→離乳食の前半は哺乳瓶で人間が飲ませていたのです。

チビネコはよっぽど今までお腹が空いていたんでしょう。横隔膜ヘルニアになって食べられなくなったのか…、野良で母猫とはぐれて食べ物を探せなかったのか…。

ヘルニアで体型が変わっているといえ、手足も割り箸程度の細さで、本当にガリガリなんです。それに手足がずっと冷たいんです。

私はチビネコを縦に抱っこし、手術頑張れと心で念じました。

体が触れている部分から私のエネルギーが伝わればいいのに…。私の命を、エネルギーを注ぎ込む気持ちで、チビネコを抱っこしました。

9時前、母親とチビネコを病院へ連れて行きます。

病院では先に来ていた患者さんがいたんですが、すぐに私達を通してくれました。

獣医さんは、水曜の夜に薬を飲ませた後ぐったりした理由を説明してくれました。

チビネコは肺が圧迫された状態で常に酸欠に近いと。そこに嫌なことされると抵抗して心拍数が上がってしまう。それで苦しくなってしまったんだと。

この状態ではもうこれ以上の回復は難しい。手術に踏み切りましょうと。

しかしチビネコは、病院に着いてカゴ(キャリーバックを持っていないので)から出してやると、その中でウンチしていたんです。うちに来てから初めてのウンチでした。

それを見て私と母親は思わず笑顔が出て喜びました。排泄できるほど元気になっていたんだと。獣医さんもご飯食べさせてもらい、順調に体力は回復してきていると言ってくれました。

さあ、手術の準備です。これがまた痛々しい…。

バリカンでほっそい腕の毛を剃られ、点滴用の針を刺すんです。私と看護師さんでチビネコの小さな体を押さえ、獣医さんが難しい顔をしながら針を刺します。

ただでさえ幼く小さな子猫です。しかも栄養失調状態で血管が細く、中々刺さりません。

痛がって泣き声をあげ逃げようとする体と腕を、看護師さんと二人で動かないように押さえます。私はちょっとでも気を逸らそうと、チビネコの名前を呼びながら眉間をチョコチョコ撫でたりアゴの下を撫でたりします。

知っていますか?猫の注射の血止めに、瞬間接着剤使うんですよ!

一回目に刺したところを瞬間接着剤で血止めし、反対側の腕をバリカンで剃って二回目のトライ。こちらも全然ダメです。獣医さんも「難儀やなー」と言って難しい顔です。

次は首の毛を剃って、体を横たえさせて首から…としようとすると、横に寝かされることにチビネコは激しく嫌がって抵抗します。きっと怖かったんですね。獣医さんは「嫌がることさせたらあかん」と言ってそこは諦めます。

そしてまた一回目の腕の近くでリトライです。母親は苦戦している私達の後ろで、チビネコの痛々しい姿にすすり泣いていました。私はこの時はチビネコを押さえることと針がちゃんと刺さるかということで、いっぱいいっぱいでした。

四回目の挑戦でようやく針が血管に届きました。獣医さんもほっとして「難儀な奴や」と言いながらチビネコの頭を撫でました。

そして「じゃあ、預かります」と言われます。

私と母親はチビネコの頭や顔を撫でてやり「頑張れよ」と言い残して病院を後にしました。

そこからお互いに仕事に行くんですが、この日ほど一日が長く落ち着かない日はありませんでした。

仕事をしながら、心の中で「きっと大丈夫、元気になる」という気持ちと「そんな簡単に奇跡は起きない…」という絶望にも似た気持ちが交互に襲ってきます。

手術は昼からです。何かあればすぐに母親の携帯に連絡が入り、私にメールで知らせてくれることになっています。昼過ぎから、2、3回広告などの関係ないメールが入ったんですが、そのたびに心臓ドキーっとしてこっそりメールチェックします。

そして2時過ぎ、母親からメールで「手術は終わった」とメールが入りました。しかし「麻酔が切れて自分で呼吸するまでは安心できない」という内容でした。

私は「手術が終わった」という言葉を心の中で何度も確認しました。まだ詳しくは分からないけど、手術が終わったということは癒着はなかったんではないかと。癒着があれば手術したものの何もできずそのまま終わりを迎えるはず。

私は本当にこのメールの後、落ち着かず仕事も手に着かず、すぐにでも病院に駆けつけたい衝動でいっぱいでした。しかしこの日は就業時間をずらしてもらったので終わるの一時間遅いんですよ…。

夕方仕事が終わる直前になり、ようやく母親からまたメールが来ました。

「麻酔が覚めて自分で息してるよ!凄い勢いでエサ食べてたよ、チビネコの生命力は凄い!」と…。

私はまだ仕事中でしたが、パソコンの前で一人涙しました。私の今の席が壁際の一番奥で人目につかないから良かったものの、会社の人たちが見ていたらビックリさせたことでしょう。

凄い!凄いことや!

私はこんな喜びを感じたのは何年ぶり?いや、生まれて初めてかもしれません。

うれし涙なんて、初めてのことかもしれません。こんなことがあるなんて。

仕事が終わり私はダッシュで自転車を漕いで病院に向いました。

診察室の奥に案内されて、ケージからチビネコが出されます。チビネコは前にもましてヨロヨロし、歩こうとするんですが腕に力が入らずカクっと倒れるような感じでした。

でも猫缶を出されると、お皿をフンフンいって嗅ぎ、ペロペロご飯を食べます。

食べてる!ご飯食べてるよ!

私は胸に熱いものがこみ上げ、本当に嬉しかった。

もうダメかもしれないと何度も絶望に塞がれ、押し潰されそうな不安でいっぱいだった分、この喜びは計り知れませんでした。

獣医さんが手術の説明をしてくれました。やはり事故か何かで横隔膜に穴が開いたようで、癒着はなかったと。お腹開いて内臓を洗い、破れたところを縫って内臓の位置を戻しましたと。

麻酔の後が勝負やったけど、目覚めるのに時間はかかったけど自発呼吸してご飯も食べるし、手術は乗り越えたと…!

抱っこしていいというので、恐々抱き上げるとお腹に生々しい手術痕があります。私はチビネコの額にチュッとして、「よく頑張ったなー」「偉いぞ!」と何度も言いました。頭の中で想像するだけだったこの言葉を、口にできる時が来るなんて…!

獣医さんに「このまま回復したら、ふつうの猫ちゃんみたいに元気に生きられるんですね?」と聞くと、獣医さんは頷いて「その予定です」と答えてくれました。

うぅー、ほんとに良かったよー!!

親身になってくれた獣医さんにも大感謝です!!

チビネコは2、3日は入院です。私は実家に帰り、両親と喜びを分かち合いました。

父親も手術終わりの電話の後なかなか連絡がないから、気が気じゃなかったと言いました。

母親が仕事が終わってすぐ病院に行き、その時ちゃんと起きてるって事が分かったそうです。私達は、本当に良かったと、しみじみと繰り返しました。

こんな嬉しい日はありません。本当にどれだけ心配したことか。

ただ死に行く命を看取るしかないのかと、この4日間重く沈んでいました。

己の無力さを、残酷な現実をどれだけ呪ったことか。

チビネコは元気がないなりにも、私の髪(ロングなので)に興味を示して追いかけたり、毎回ご飯をくれる父親の手を舐めたり、ヨチヨチ歩きのその姿だけでも私達家族の心をガッチリ掴んでいたんです。

そしてやっぱり、1年育てたメタボンを可愛いと思うのと同じように、他人事とは思えず愛しく思ってしまうのです。

月曜から金曜のこの5日間、私は数年分に匹敵するほどの感情の波に曝されました。色々考えました。

後日談も含めて、その7(たぶん最終回)に続きます!


運命の出会い その5

2009-07-05 01:37:41 | にゃんだふるライフ

とんでもない「引き」が続いてスイマセン。木曜日の続きです。

朝会社に入る前の電話で、明日手術をすることを聞かされました。

私は昼休み、いつも数少ない女性社員で集まってランチを食べるのですが、連絡するところがあるからと言って一人デスクでお弁当を食べました。そしてすぐ母親に電話します。

朝イチで点滴を打ちに行き、夕べのぐったりした様子を報告すると獣医さんは「もう限界がきてる」と言いました。

このままだともう長くない。手術に耐えられるか五分五分の確率だけど、このままだと確実に死ぬから手術に賭けましょう、と…。

するなら早いほうがいいので、明日(金曜日)に手術の予約を入れたとのことでした。

私は手術するとしても、もう数日は後の事だろうと思っていたので、急な展開に動揺しました。しかも手術に耐えられるか五分五分だと言うのです。成功するかどうか、じゃなく、耐えられるかが五分五分なのです。

手術をして、そのまま麻酔から目覚めなかったら終わりです…。

私はその日、仕事中も仕事帰りも実家に寄ってからも、色々なことを考えました。

どうか、どうか助かって欲しい。

私の命を分けてあげたい。それができないなら私が代わりに手術受けてあげたい。

私なら一度や二度手術したってたぶん死にません。だから代わりに私の横隔膜破けてもいい。

このまま手術をしなければ遠くないうちに別れがきます。でも、明日手術をしたらもうその時が別れの時かもしれない。

明日、手術をすると決めた瞬間にチビネコの寿命はほぼ二択を迫られたのです。

そしてその二択は可能性が大きく偏っている。

私は胸潰れる思いで、必死に「きっと大丈夫、きっと助かって元気になる」と言い聞かせながら同時に、来るかもしれない別れの時をどう迎えたらいいのかと混乱していました。

そして命のことを巡るように考えていました。

たった4、5日の付き合いですが、チビネコはもうメタボンの弟決定であり、メタボンの弟ということは私の弟でもあるのです。そして何より幼い子猫の姿の愛おしいこと。この感情は無条件で湧き上がります。

誰より助かって欲しいと願う。でもこの世にはそんな願いなど無視して運命に奪われていく命は当たり前のように存在する。自分の目の前の子猫だけ例外になんてならない。

私は傲慢だろうか?この世にはもっと悲惨に亡くなっていく命は幾らでも存在するじゃないか。全ての捨てられた動物を救えるわけでもない…。私は命を望むことをどこまで許されるのだろう…?

生き物の肉を食べているのに都合のいい願いだろうか?この子猫がこんな状況になったのだって、きっと何処かで人間の身勝手に曝された結果だろうに。

自分の目の前で起こったときだけ悲しんで救いを願うのは、自分勝手とは言わないのか…?これは偽善だろうか…?それとも自分が悲しむのを悲しんでいるのだろうか…?

私はどこまで、自分のために命を望んでいいのだろう?

所詮人間と猫の間で意思の疎通が図れるわけでもないのに…?

この子猫は何の喜びも知らずこの世を通り過ぎるのだろうか。何のために?苦しい思いだけを残して何のために?

この子の命は誰にも祝福されなかったのだろうか…。

せめて、私の自己満足かもしれないけれど、この命がこの世に生まれ出でたことを祝福したい。子猫本人には何も分からないかもしれないけれど、この存在がここに在ることを喜びたい。

人間の自己満足でも傲慢でも偽善でもいい。

私はチビネコがこの世に生まれ、私の目の前に連れて来られたことを喜びにしよう。

よく私達のところに来てくれたねと、その命の存在を祝福したい。

たとえ別れがあと何時間後かに訪れたとしても、「私達のところに来てくれてありがとう。よく、頑張ったね」と言って褒めてあげよう。

仕事帰り、自転車を漕ぎながら私はそんなことを考えていました。

これが私の「覚悟」でした。

私はこの日も実家に寄り、チビネコの顔を拭いてやりました。爪も切ってあげました。爪の間も汚れが詰まって真っ黒になっていました。一体どれだけ一人で町中を彷徨っていたんでしょう。

耳の中も真っ黒。鼻の頭の汚れもこびりついて取れません。

私は金曜日は一時間仕事時間をずらしてもらいました。一時間遅く始まり、一時間遅く終わるようにしてもらったのです。手術するチビネコを一緒に病院に連れて行くためです。

「明日の朝、また来るからね」と言ってその日も自宅に帰りました。

本当は実家に泊り込んで一緒にいてやりたいけど、長い時間一人になるメタボンのことも心配です。メタボンは本当に私が大好きで、新居に連れて行ったからにはメタボンには私の責任があるのです。

それにこの二匹を一緒にすることもできません。生まれたときから一緒の兄弟猫ならまだしも、途中から一緒にするのは結構大変なのです。先輩猫が後入りした猫を激しく苛めたり追い立てたりするのが普通ですから。

ちょっと心許ないですが、チビネコには両親がついていると思い、私はメタボンの元に帰ります。メタボンも拾ってきた当初は無事に大きくなるか心配したものです。それが今ではメタボ気味の立派な青年猫です。

メタボンのように、元気に成長してくれたらいいなぁ…。そうメタボンに語りかけながら、私は金曜の朝を迎えました。

その6に続きます。


運命の出会い その4

2009-07-04 22:23:17 | にゃんだふるライフ

月曜日にチビネコを拾いました。火曜日、病院で「覚悟」を求められました。

水曜日、朝実家に電話すると、チビネコはご飯は食べると。だけど食べた後はやっぱりしんどそうにしているとのことでした。

チビネコは最初からちょっとおかしいところがありました。普通の猫のような体勢をとらないんです。

何かにつかまり、アゴを乗せるような格好で休みます。座っているときも足がハの字に開いて「ちょこん」ではなく「ぺたん」なのです。

私はチビネコが心配でたまりません。仕事に行きながら、本気で仕事を休もうかと考えました。一日ではなく、チビネコが治る、あるいは亡くなってしまうその日まで…。

だってチビネコは昼間実家にひとりぼっちです。いつどうなってもと言うのなら、誰もいない間に死んでしまうかもしれない。そんなことにはさせたくありませんでした。

助からないのなら、せめてその時までできるだけ一緒にいてやりたい…。

でも、社会人として、ペットに思い入れのない人からしたら特にそんなこと許されるわけありません。それは頭では分かっているんですが、命は一回限りです。

仕事たとえ辞めたって、一年くらいは生活できる蓄えはあります。私は技術職だし、今の時勢再就職は難しいだろうけど何とかなるだろう、と本気で一日中考えました。何よりこのままだと後悔するんじゃないかと…。

頭では、分かっているんです。本当にそうすることはできない、難しいだろうと…。でも私の中で揺れました。

そして仕事中にもうひとつ考えていたのは、名前です。

名無しのまま死なせることはしたくないと。

メタボンの時もそうだったんですが、あまりに可哀相な境遇なので、名前くらいは立派なのをつけてやろうと。

目やにで目が塞がっていながらダンボールに入れられて捨てられていたメタボン。メタボンは仮名です。本当の名前は北欧神話の神の名前からとりました。

チビネコも神様の名前にしようかと思ったんですが、名前そのものに意味を持つように、漢字にすることにしました。仕事中に(ほんとはいけないことですが)いくつか候補を考え、実家に帰ってパソコンで姓名判断を調べ、運勢のいい名前に決めました。

明るく強い意味の漢字で、偶然メタボンとお揃いのような呼び名になり、とてもいい名前を贈ることができました。

この水曜日は病院がお休みです。本当は毎日点滴に行かないといけないのですが、次の日の朝イチに母親が自転車で連れて行くことになっていました。

チビネコは相変わらずヨロヨロしています。帰る前に私が薬を飲ませました。最初は嫌がって抵抗するんですが、結構元気に暴れたので私はこの分だとちょっとずつでも体力回復しているのかなと、ちょっと安心しました。

でもすぐに、抵抗する力が弱弱しくなってしまいました。私はびっくりして、薬は途中でやめ、チビネコを解放しました。すると今まで息が荒くても座るような格好で休んでいたのに、起き上がることもできずバスタオルの上で横たわってぐったりします。鳴いているのに声が出ていません。

心臓鷲掴みにされたような気持ちになって、縋るように病院に電話しました。両親も騒然となって見守っています。

獣医さんは休みの日だというのに出てくれました。電話で獣医さんは「嫌がるならムリに薬は飲ませなくていい、ちょっとでも臓器が下がるように、縦に抱っこしてあげてください」と指示してくれました。

言われた通りに人間の子供のように縦抱っこし、優しく優しく背中を撫でてやります。

しばらくすると元気に、とは行きませんが、普段のようにへたり込んで座り、猫ベッドまでヨロヨロ歩きました。そして縁にアゴを乗せて休みます。チビネコはこの状態が臓器が下がって一番楽なのでしょう。

私と両親はもうすっごく暗い気持ちでしたが、とりあえず一息つきました。

私はもう自宅に帰らないといけない時間でしたが、離れがたく、また私のせいで苦しい思いをさせてしまったのがとても悲しく、辛く、荒い息遣いでベッドにもたれているチビネコを見ていると涙が流れました。

床に寝そべってチビネコと同じ目線で顔を覗き込みながら、もう恐くて触れることもできません。

生きている。まだ息をして、生きている…。

こんなにも儚い命を見たことがありません。ふとすれば消えてしまいそうな命の火。

どうにかできるものならどうにかしてやりたい。お金を出せば助かるというのならどんな大金も用意しましょう。治せる人がいるというのならどんなに遠くても連れて行きましょう。

でも現実は残酷です。私や家族にできることは何もない。ただ、見守るのみです…。

私は自宅に帰りましたが、その日眠るときもずっと不安でドキドキしたままでした。いつ携帯の着信音が鳴って、最悪の事態を告げられるんじゃないかと…。

次の日、木曜日の朝、実家に電話します。

するとチビネコは薬の時のようにぐったりはしてないが、やっぱり特に元気になるわけでもなく息苦しそうなのは変わらないと。母親が出勤時間が一番遅いのでその日の朝、チビネコを病院に連れて行きます。

私は9時始業なんですが、病院も9時始まりです。母親が9時前に病院に着くように連れて行くと言っていたので、会社に入る直前に電話してみると既に診察している最中でした。

そして昨日の症状を話すと、獣医さんは「もう限界やな。手術しましょうか」と言っていると。

もう会社だったので、昼休みにまた連絡するとしてその場はそこで電話は終わりました。

その日仕事が手につかなかったのは言うまでもありません。

その5に続きます…。

またまたこんな引きですみません。


運命の出会い その3

2009-07-04 13:38:31 | にゃんだふるライフ

チビネコを拾った次の日の火曜日、実家でチビネコをうちの子にすることが決まりました。

私は仕事帰りに実家に寄っていて、このガリガリの子猫を絶対丈夫に大きく育ててやるぞ!と心に決めました。

その日もタオルで体を拭き(風邪ひいてるのでシャンプーできない)、ミルクで溶いた猫缶を与えます。しかしご飯を食べるとまた息が荒くなり、ぐったり猫ベッドの縁にアゴを乗せて眠るでもなくじっとしています。

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やっぱりちょっと心配になって動物病院に電話しました。すると息が荒いのがちょっと気になるから、と言われてまた連れて行くことになりました(今度は営業時間内)。

両親と私で病院に連れて行くと、もしかしたらチビネコは誤嚥性肺炎を起こしているかもしれないとのこと。そこでレントゲン撮ってあげていいですか? と獣医さんは聞いてきました。

私は「撮ってあげてください」と即答しました。

一旦診察室を離れた獣医さんは、撮ったばかりのレントゲン写真で頭をぽんぽん叩きながら苦い顔で戻ってきました。「肺炎より悪い」と言って。

父親は車で待っていたんで、診察室にいたのは私と母親だけでした。獣医さんは私達にこの子猫は「横隔膜ヘルニア」であると告げました。

私と母親は「なんですか、それ」と初めて聞く病名に首を傾げます。

獣医さんの説明によると、横隔膜ヘルニアとは、肺の下にある横隔膜が何らかの原因によって破れ、胸の中の圧力によって胃や腸といった腹部の内臓が上に上がってきてしまっている症状であると。その内臓によって肺が圧迫され、常に息が苦しい状態になっているのだと。

私は即座に「治りますか?」と聞きました。

獣医さんは「治らない。手術しないとダメ」と言いました。「でもこんなに衰弱してたら麻酔しただけで死んじゃう。手術しても意味がない」と…。

私と母親はもう絶句して体が冷たくなってしまいました。

診察台の上でヨロヨロしたチビネコは点滴を打たれています。

獣医さんは、「ちょっとでも体力つけて、手術に賭けるしかない」と言いました。

母親が「この横隔膜ヘルニアは、猫が生まれつきよくなるんですか?」と聞くと、獣医さんは首を振ります。

獣医さん「まず稀です。生まれつきの場合は近親交配なんかで生まれると極たまになったりしますけど、普通はまず事故です。車なんなにね、バーンとぶつかった衝撃で膜が破れちゃったりするんやね」

母親「じゃあこの子も何か事故に遭ったんですかね」

獣医さん「うーん、それは分からないけど、他に外傷もないしなぁ…。こんな子猫が横隔膜破れるくらいの事故に遭ったら、まず即死ですよ。でもレントゲンでも骨折もしてないし」

母親「じゃあ稀やけど、生まれつきの可能性もあると」

獣医さん「それは(胸)開いてみないと分からないね」

ショックと心配、不安でドキドキしている私と母親に、ここからチビネコの事実上の死刑宣告が始まりました…。

獣医さん「生まれつきやとすると、生後二ヶ月近く経ってるからもう臓器が肺と癒着してます。肺はね、破れちゃうとそこから空気が漏れて息ができなくなります。だから癒着してたら無理にひっぺがすってできない。その場合、(胸)開いたはいいけどそのまま閉じることになります」

母親「……その場合、じゃあこのままちょっとずつ食べるようにして生きていくんですか?」

獣医さん「その場合、そのままは生きていけません。だんだん衰弱して死んでしまいます」

私・母親「……(長い沈黙)」

獣医さん「もういつ何があってもおかしくない状況です。覚悟だけはしておいてください」

このチビネコには大きく3つの道がありました。

一つは手術に耐えうるまで回復しない、あるいは手術をしてもそれに耐えられない道。

一つは手術したものの癒着していてどうにもできず、衰弱していく道。

一つは事故などが原因で癒着もなく、手術を乗り切る道。

そして獣医さんの話では上から順に可能性が高いのです。助かる道は、ほぼないと言っていいほどの残酷な運命。

涙を浮かべる私に、獣医さんは「ここまでしてやってるからね、どうしようもなかったとしても、それがこの子の運命やから」と言いました。

運命!これが、こんな残酷なものが運命として、この何の罪もない愛おしい命に用意されているなんて!

私はやりきれない思いでいっぱいでした。その日は点滴を終えて、チビネコと共に実家に帰ります。車で待っていた父親に症状を説明するんですが、チビネコの入ったカゴを抱えて私は言葉に詰まります。

どうしようもなくて。私はなんて無力なのかと、こんなにも何にもしてやれないなんてと、胸が締め付けられます。点滴でちょっと元気になったチビネコは自分の身に何が起こっているのか知ってか知らずか、ミーミー鳴いて私の指を嗅いできます。

実家で飼うと決めた直後の残酷な現実。

今まで痩せているせいだと思っていた腹部のヘコみは、臓器が胸に上がっているせいだったんです。ご飯食べると胃や腸が膨張して肺を圧迫していたから息苦しかったんです。

でも食べさせないと手術もできない。600グラムの体重しかない、持てば壊れてしまいそうな体。見ているだけで、愛しさと涙が同時にこみ上げてきます。

私はずっとついていてやりたかったけど、自宅にメタボンが待っています。毎日家に帰るとナーナー鳴いて私に擦り寄ってくる甘えん坊です。

その日嘘ついて遅刻しているから次の日はやっぱりちゃんと会社にも行かないといけないし、メタボンを放っておくわけにも行きません。心配で引き裂かれそうな思いでしたが、私は自宅に帰りました。

メタボンは何も知らず私をいつものように出迎えてくれます。弟は夏場仕事が終わるの遅いので、私より遅く帰りました。

私は子猫を一時的に預かってもいいと言ってくれていた友人に電話しました。そしてチビネコの状況を説明しました。その時はもう耐え切れなくて、すすり泣きながら話してしまいました。

いつどうなってもおかしくない、助かる可能性は低い…。友人も「どうにもしてやれなくてゴメンなぁ」と言って、私と一緒に悲しみ、慰めてくれました。

そして「まだ生まれつきって決まったわけじゃない。事故の可能性もあるから、それに賭けよう」と励ましてくれました。私は泣きながら頷くだけでした。

その4に続く…。

ここで引っ張るのか!という内容ですね…。続きは今日中に書きます。


運命の出会い その2

2009-07-04 02:08:57 | にゃんだふるライフ

その1の続きです。

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これは拾ってきたばかりのメタボンです。まだお目めが開いてません。

もたれかかっているながーい(笑)足は私です。

チビネコはこの頃のメタボンと同じくらい、生後2ヶ月経っていないだろうということです。メタボンの兄弟みたいなトラ猫です。両方男の子。

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こちらがチビネコ。拾ってきた次の日です。ピンボケですみません(汗)。

さて、月曜に父親がチビネコを見つけて、夜に私と一緒に病院に連れて行きました。そして私は心配でしたが、自宅に メタボンが待っているのでチビネコは実家に置いて帰りました。

もう寝ようかと思った12時前、携帯が鳴ります。母親からです。

病院で出された薬を針のない注射器で飲ますんですが、夜寝る前に父親が薬をやったんです。するとチビネコは息が荒くなりぐったりしてると。

今すぐ来て!と言われましたが、私が行って治してやることもできません。夜中ですが、とにかく病院に電話してみることになりました。

すると獣医さんはこんな時間にも関わらず「連れてきなさい」と言ってくれ、両親はチビネコを病院に連れて行きました。診断は、弱っているので誤嚥したのではないかということでした。

その場で点滴を打たれ、少し元気になって実家に帰ったそうです。

この時両親は慌てていたんでしょう、二人とも携帯を忘れて行ったようで、私は病院に連絡ついたということも分からず、どれだけ心配したことか。

両親が実家に帰ってからようやく連絡があり、最悪のことも考えていたのでとにかく一安心してその日は終わりました。

次の日の火曜日、私は心配で、会社に「自転車がパンクした」と嘘の連絡を入れて遅刻し(自転車通勤なので)、朝に実家にチビネコの様子を見に行きました。

ほんの少しですが落ち着いたようで、自分でご飯の猫缶も皿から食べ、体を丸めて眠っていました。やっぱり子猫は何をしてても可愛くて、愛おしさがこみ上げてきます。

その日も私は会社帰りに実家に寄りました。両親も早く帰っていて、これからチビネコをどうするか話し合いです。

最初は私の友達がもらってくれるかもしれないということだったんですが、その話はだめになり、一日4~5回もご飯あげないといけない子猫を、共働きの両親だけで面倒見られるか、という問題です。特にこの両親、今までも書いてきましたが、毎晩必ず酔っ払うのです。

私はメタボンの時の大変さを知っているので、両親だけでは到底ムリだと言いました。猫には人間の都合など関係ない。ちょっと酔ったから後で、ちょっと眠いから明日、は生き物には通用しないのです。

すると私が貰い手を探すのを頼んでいた友達が、飼えはしないけど手間のかかる間だけなら面倒見てもいいと言ってくれました。創価問題の相談をした最初の友達です。

彼女も2匹猫を飼っていて、これ以上増やせないけど期間限定なら、ということでした。

そして父親が断固として、うちで飼うと言って譲りません。

メタボンがいなくなって寂しくて仕方ないんでしょう。母親も、ここでチビネコを里子に出してもまた父親は拾ってくる、と言って、チビネコを実家で飼う事に決めました。

父親が絶対にどんなことがあっても責任もって面倒見るという条件つきです。

とりあえず私の友達に少しの間面倒見てもらうために、もうちょっと元気にさせてからでないとね、と話は丸く収まりそうでしたが…。

ここから事態は「塞翁が馬」を地で行きます。

その3に続きます…。ひっぱってすいません