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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

運命の出会い その1

2009-07-02 23:36:04 | にゃんだふるライフ

先週の一週間、私達家族はとても大変な事件に見舞われました。

6月22日に始まり、27日の金曜まで心休まる暇がありませんでした。

創価学会とは直接関係ないことですが、命や幸せについて深く考える出来事でしたので、記事にさせてください。

私の家では一年前の4月から猫を飼っています。父親が花見に行った公園で捨てられていた子猫を拾ってきたのです。2匹いたのですが、1匹は貰い手が見つかったので残ったもう1匹を我が家で飼うことになったのです。

私の母親はこうした動物が大嫌いで、拾ってきたその日は別に住んでいる上の弟の元にプチ家出したほど反対しました。

しかし私や下の弟が寝る間を惜しんで世話をしている姿に根負けし、飼う許可がおりました。この子猫は生まれつき母猫から病気をもらっていたようで、目やにで目が塞がった状態でした。

私と弟、そして父親も毎日何度も、病院でもらってきた目薬をさしてスポイトで薬を飲ませ、一ヵ月後には目がパッチリするまで回復させました。

この頃私が一番時間があったので、私が主に世話をしていました。その甲斐あって今でも私に一番懐いている可愛いやつです。

反対していた母親もすぐにこの猫、仮に「メタボン」と呼びますが、メタボンを可愛がるようになり、家族中の愛情を独り占めして我が家のアイドルになったのです。

こういった病気をしていて手間のかかった子ほど、愛情も深くなるものですね。今は新居に私と弟と一緒に住んでいて、毎日私と一緒に寝ています。

さて、こうなるとメタボンを溺愛していた両親はとても寂しい思いをします。しかし誰が世話をするのかで考えると、両親も引き止めることもできません。

ひょっとすると子供達よりもメタボンと別れるほうが辛かったんじゃないでしょうかね。もう孫のように可愛がっていましたから。メタボンが来てからというもの、会話のなかった親子間でも頻繁に猫の話をし、協力してミルクをやったり目薬さしたりして、明らかに家族の絆は強まりました。

両親がメタボンと別れ、だいたい一ヶ月経った先週、事は起こりました。

22日は月曜日だったのですが、私は実家に帰る予定はなかったんですがどうしてもネットを開く必要ができて、ちょっとだけのつもりで会社帰りに実家に寄りました(まだネットは実家に繋がっていたので)。

すると父親が「今日会社の前でずぶ濡れの子猫拾ってん」と言うのです(当日朝は雨だった)。

父親の話では、会社の前の道路で雨に濡れてずぶ濡れでガリガリの子猫がうろついていたので、車に轢かれそうなので保護したと。しかし牛乳をあげたけど全く飲まないし、弱っているし泥だらけで汚いので連れて帰ったら母親が怒ると思って会社に置いてきた、と言うのです。

母親は「メタボンだけでいい」とその子猫を連れてくるのを反対していました。

私はまず「猫は牛乳は飲まないし飲ませたらあかんやろ!」と怒りました。さんざんメタボンの時に言ったのに、何をやっとるんじゃと。

そしてそんなにガリガリの子猫で、しかも雨に濡れて弱っているのに置いてきたなんて、明日朝行って死んでても知らんで!と言いました。

すると父親は「今から迎えに行こうか」と言うので、私も一緒に車で迎えに行ったのです。父親の会社は実家のすぐ近くで、子猫はダンボールに入れられてヨロヨロしていました。

その足でメタボンのかかりつけの動物病院に連れて行きました。

蚤と耳ダニがおり、風邪をひいているので注射をしてもらい、薬と猫缶を出されてとりあえず実家に帰りました。

この子猫、仮に「チビネコ」としますが、チビネコはアバラが浮いて足の付け根がボコッとへこんだガリガリで、顔についた汚れがこびりついて拭いても取れませんでした。

しかし猫缶を少し食べ、ホットタオルで体を拭いてドライヤーで乾かしてやると安心したのか、私の膝の上でゴロゴロいって眠るではありませんか。

メタボンの小さいときを思い出し、また、メタボンを愛しく思うのと同じように猫全般への愛情が高まっているのでこの小さなにゃんこを他人事とは思えず、昔から可愛がっている家猫のように心配してしまいました。

それは両親も同じで、母親もこのチビネコの姿を目にしてしまったら、放ってはおけないのです。

たまたま実家に帰ったこの日、この日が運命の出会いでした。

その2に続きます…。