まだブログには記事が上がっていないようですが、例の元職員3名の集会が本日、神奈川で行われたはずですね。
手荷物検査を実施して録画・録音しないようにとブログで注意されていたことからやはり学会らしいな~と思っていましたが、マスコミの取材が入った模様。
こういう時はネット配信の一つもしないと~と思っていましたが、取材を受け入れただけまだマシでしょうか。
少し前にちょこっとだけネットニュースでも取り上げられていましたからね。
さて、シニフィエさんのブログ「対話を求めて」のコメント欄にて、元文芸部の方のお話が投稿されていたのをご存知でしょうか?
おそらく多くの方が既に読まれたことと思いますが、「私はこうやって心を持ち直しました」というテーマのコメント欄です。
文芸部というのは作家さんや漫画家さんなどで特別に構成された学会の組織の一つのようで、芸能人で構成される芸術部の作家版といった感じですが、おそらく活動内容は全く違ったもののようです。
ぶっちゃけて言うと、名誉会長のゴーストライターをそうとは知らずに手伝わされる(知りながらやっている人もいるのかも?)のが文芸部の活動内容、ということのようです。
詳しくは「対話を求めて」をお読みになってもらいたいのですが、この話を最初に読んだとき「あれ、これに似た話どっかで見たことがあるな・・・」と思いました。
最初は例の元職員3名のブログで暴露されていた名誉会長メッセージ代行チームのことか?と思ったのですが、「いや違う。もっと前に見た記憶の気がする。それにもっと似てる内容だったはず・・・」と記憶を辿り、ようやく思い出しました。
このブログでもリンク(画面左のブックマーク)させてもらっています、ポチさんの「客観的に創価学会を見つめる」というブログです。
残念ながら2013年3月で更新が途絶えているのですが、この方は「国際部」という部署に所属しており、そこでの活動内容を批判的立場から告発しているのです。
「国際部」とは外国語に堪能な学会員さんで構成された組織のようです。そしてこの「国際部」の活動内容が、文芸部の活動内容と酷似しているのです。
文芸部では学会員の作家さんたちが、その才能と技術を活かして名誉会長の数々のメッセージや「お言葉」を創作していたことになります。どう使われるかを知らされないままに。
国際部で違うのは、同様に池田名誉会長の「お言葉」になりそうな文章を考えるのですが、それは「日本語にまだ翻訳されていない海外の哲学者などの素晴らしい言葉を、池田名誉会長が引用できるように翻訳し文章にする」という作業であるということです。
池田氏のお言葉って、確かに海外の著名人の名言の引用が多々見受けられますよね。学会員さんたちは、名誉会長の博識さに舌を巻いている方も少なくないのではないでしょうか。あと、聖教の寸鉄も誰かの名言が多用されているイメージですが。
ポチさんは書かれています。
同時中継や聖教新聞でまるで本人が全て本を読み、自力で理解し、その上で引用しているように見えている引用の中には、少なくともそうでないものも含まれていた、ということだ。
池田氏を信奉する学会員さんたちはどう受け止めるでしょうか。お忙しいセンセイなのだから、お手伝いする人がいても当たり前のこと。そんな感じですかね。
しかしポチさんが書かれているように「まるで本人が全て本を読み、自力で理解し、その上で引用しているように見えている」ということが一番の問題です。
そのようにわざわざ誤解させるように仕向けているのです。何のために?誤解していた人は是非何のために仕向けられているのか考えてみてほしいです。
誤解していないまでも、自分が考えたんじゃないだろうな・・・と思いつつそのように振舞っている名誉会長に疑問を抱かず考えることをやめていた人もいるのではないでしょうか。以前このブログで取り上げていた「認知的不協和」の理論で。
そしてこの学会と名誉会長の手口に心ならずも使われた学会員さんたちがいるということを、考えてもらいたいです。
画面の向こうで、あるいは会合で、名誉会長が得意げに話している中、「あれは私が考えた文章だ」と叫んでも誰にも信じてもらえないだろうという絶望感を、何人かの学会員さんは味わったのです。
名誉会長がもっともらしく、広い見識と優れた感性で言葉を紡いているように見せるために、無償奉仕の上、心を踏みにじられている人がいるということです。名誉会長がどのような考えで大事な大事な才能ある弟子たちを踏みにじっているのか、想像してみなければなりません。
そしてそれはおそらく、今も続いているのでしょう。
元職員3名のブログでは「センセイの意にかなった弟子達」が考えているからセンセイが考えたも同然、とゴーストライター作業を正当化しておりました。(確かセンセイのお心が入っているとかなんとかw)作業に当たっている人間がそう納得するのは別に良いでしょう。
しかし繰り返しになりますが、前述のポチさんの言葉通り「まるで本人が考えたかのように」会員に誤解させていることが問題なのです。
人間革命シリーズもそう。「池田氏が書いたも同然」と「池田氏が書いた」では全く違うのです。違わないと言うのならば実際に執筆している人たちを公表すればいいのです。どれだけ池田氏のお眼鏡にかなった人たちかを事細かく説明して公表すれば、「池田氏が書いたも同然」と胸を張れるでしょう。
このようなカラクリが少しずつ明るみに出ていることを、ひとつのきっかけとして創価学会のことを知る人が増えてほしいと思います。
学会員さんも、そうでない方たちにも知ってもらいたいです。