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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

ノイジーマイノリティよりも

2015-11-15 22:22:27 | 創価学会問題

最近土日になると天気が崩れるような気がします。なかなか大物の洗濯ができない・・・。

そんなこんなで今晩は。

本日は多忙につき「ルノワール事件」の記事はお休みします。

コメント欄でチラッと書きましたが、友達の知り合いの学会員さん、別の友達の親戚の学会員さんが非常識で迷惑しているとの話をよく聞きます。

今まで友達同士であまりそのような宗教絡みの話をしなかったのですが、私がアンチ学会のカミングアウトをしてからというもの学会員迷惑ネタを必ずぶっ込んでくるようになり興味深いネタの宝庫でありがたい(?)限りです。

比率で言うと一般での迷惑・非常識な人と常識人の割合が、学会では逆転しているとのこと。

あぁ、だから「学会の常識、世間の非常識」って合ってるんだな・・・と改めて納得するばかりです。

この友達二人は、もう本当に私みたいな学会問題を追いかけているようなアンチではなく、宗教に詳しいわけでもないごく普通の女性なんですよ。一応。

そんな友達の名言「こっちが投げた(会話の)ボールを、あらぬ方からあらぬ方へ投げ返してくる」ですってwそれが創価フィルターというやつですよ。フフフ・・・。

これが世間の声無き意見。アンチブログに集まっている人なんてほんのごく僅か。

社会のサイレントマジョリティがどう思っているか、学会関係者ならびに活動家の方々はアンチブログ見るよりよほど真剣に考えないといけないですね。←私って優しいw


ただの補完材料

2015-10-04 23:48:30 | 創価学会問題

希望さんのブログ「白バラ通信 パンドラの箱」で紹介されていたのでご存知の方も多いかと思います。

私もザーッと読ませていただいたのですが。一応ご紹介。

「元創価学会職員3名のブログ」

タイトルの通り、元職員の方たちが実名を公表してご自身たちの体験を語っているブログです。

まだご存知でない方はさほど記事数は多くないので、今のうちにザーッとご覧になってみて下さい。

何と言いますか、やっぱり創価学会は池田教なんだな、ということがよく分かります。

創価学会に身を置いた方が読まれるとまた違う感想なのかもしれませんが、私的には些かも賛同できない感じです。

書かれていることが全部本当だとして、呆れる他感想が浮かばないというか。

まあ、ここまで催眠術にかけられる池田氏が凄いってことなんでしょうかね。

この人らは池田氏が今どこでどのような状態なのか全くご存じないのでしょうかね。

彼らの手紙や報告が「お元気な池田氏」に届いたとして、さして彼らの状況が変わっていたとも思えませんが。

さて、内部告発とも取れるようなあちらのブログですが、別に私は元職員の方々の体験が全部が全部嘘だとは思いません。

しかし、どこまで信じていいものやら、っていうところもあります。

そして彼らの叫びが心の底からのものだとしても、その叫びこそ創価学会にとっては今にも崩れそうな部分を補強してくれるありがたい材料となっているでしょう。

その相互関係を考えると、真実の叫びであればあるほど、皮肉なものでしょうね。


知るということ

2015-09-20 22:30:25 | 創価学会問題

皮肉なものですが、おそらくアンチと呼ばれる人間の方が創価学会に興味があるのではないかと思います。

信者である学会員さんたちよりも学会に関する情報を広く知っていることも少なくなく。

「信じたいもの」つまり、都合のいいことだけしか耳に入れたくないという信者の心理より、功罪両面を比較したいという心理が働く(であろう)アンチの方が多角的に情報を集めたがるからなのでしょう。

学会員さんにしてみればアンチはアンチにとって都合のいい情報だけを耳に入れている(しかも歪曲した情報を)とお思いかもしれません。そういう状態に陥ることがないとも言い切れません。

しかしブログを書いているような学会アンチが学会の情報に触れるとき、まずは学会員さんの立場で物事を考えます。つまり学会にとって都合のいいように解釈しようとします。

そしてそこから、その反証を行うわけであり、事実の裏づけとなるような情報を探してきたりします。

私が見てきた感覚ですが、学会アンチブログ・サイトではそのようなプロセスが多いかなーと思います。

そんな中、紹介したいサイト記事をご紹介。

「母さん見に来て」息子が信じる宗教に行った後、息子を驚きの場所に連れて行った母親(Spotlight)

ある新興宗教に傾倒した息子が母親にもその宗教の良さを分かってもらいたいと、集会に連れて行くお話です。

息子は母親を入信させることが親孝行であると思い込み、神様に認めてもらいたい、この宗教の素晴らしさをもっと分かってもらいたい、ただその一心で行動していました。

この新興宗教はおそらく創価ではありませんが、垣間見える活動内容は似たり寄ったりですw

そして母親は集会に連れて行かれますが何も言わずじっと聞いていたそうです。そしてその後息子に「来て欲しいところがある」とある場所へ連れて行きます。

連れて行かれた先は別の宗教団体。しかし息子が信仰している宗教団体と酷似しているのです。それもそのはず、それらの宗教団体は元々は同じ宗教で、分裂したものだったからです。

そして、分裂した団体はお互いを「邪教」と罵り、奇跡とされる功徳体験は「悪霊が邪教を信じ込ませるためにわざと奇跡を起こす」とまで言います。ね、どこも似たり寄ったりw

そんなこんなで息子は最初は自分の信仰を強固にすると心に誓いつつ、真実を知りたいという気持ちに駆られその分裂した宗教団体について調べ始めます。そうして真実がどうか分からないまでも、色々知っていくうちに教団から足が遠のき信仰をやめてしまった、という話です。

息子は、母親が頭ごなしに反対しても自分が聞かないことが分かっていたのかも。自分が教団に疑問を持つようにしてくれた、と言います。

「知る」ということの大切さを、このお母さんはよくご存知だったのでしょう。そしてその疑問を受け止め考える力があることを、息子に信じていたのだと思います。

そういえば少し前、テレビ番組「しくじり先生」で辺見マリさん(辺見エミリさんの母)が拝み屋と称する「神様の声が聞こえる」というエセ霊能士?に5億もの大金を騙し取られたことを告白していました。

普段あまりテレビを観ないのですが、つけた時たまたまやっていたのとこのブログで散々紹介しています「マインド・コントロールとは何か」の著者である西田公昭先生が解説で出ていたのでついそのまま観てしまいました。

辺見マリさんも仰っていました。家族が最後まで信じて待っていてくれた、と。子供や両親に大変迷惑をかけたが、それでも見捨てず愛していてくれた。帰る場所があった、と。観ながら泣きそうになりましたが、やはりそれは大きいな、と思います。

そしてマリさんも同じく、周りに反対されたからでも何でもなく、そのエセ霊能士(二代目)の身勝手な行いによって疑問を抱き、それがマインド・コントロールから脱するきっかけになったようです。

最後にもう一つ、とあるブログ記事をご紹介。

日本で本も出しているのでご存知の方も多いかもしれませんが、シンシアリーという韓国人の男性が運営されているブログです。

日本のことをよく知るシンシアリーさんが、韓国から見た韓国のこと、日本のこと、世界のことを色々書かれています。

「知」というもの(シンシアリーのブログ)

疑問を持つことが、マインド・コントロールから脱するきっかけになることは間違いありません。しかし、知ることがなければ疑問を持つこともできないのです。多くの情報に触れることが、学会問題に悩む人にとって最大の助けになることだけでなく、予備知識はこれからの生活でも自身を守る最大の防御となります。

しかし「知る」ということが単なる情報収集ではなく、そこにリテラシーが求められることもネットが発達した現代では周知の事実かと思います。

このシンシアリーさんの記事が学会問題に関わる中で考えさせられることだなぁ、と思いましたので是非ご一読ください。

ちなみに、先週は忙しくて記事更新はお休みしましたが、今週は書いた記事が気に入らなくて更新がずれ込みました。連休で時間があると逆に時間がかかっちゃう、みたいなことです。ハイw

お読み下さりありがとうございます。ではではシルバーウィーク真っ只中、皆さん楽しくお過ごしくださいね~。


1/3学会論

2015-09-06 21:00:15 | 創価学会問題

大勝利さんのブログにコメントさせて頂いたときに思い出した話なのですが、広宣流布の達成って日本中、世界中の人間が学会員になることを指しているワケではないのですね。

私はこの話を母親から聞きまして、ちょっと意外でした。てっきり100%学会員を目指しているものだと思ったもので。

ていうか、宗教って普通100%を目指すものじゃないんですか?現実論として無理にしても、目標としてはそうだと思っていたんですが・・・。

私の母親いわく、「1/3が学会員、1/3が学会に理解のある肯定的な普通の人、1/3が学会に無関心な人」の状態になることを広宣流布だとし、私が「全員が学会員になればいいと思ってるんじゃないの!?」と驚きをもって聞くと「全員が学会員になったらその中で争いが起きるわ」と言ってのけました。

私は当時、アンチなりたてで学会のことを調べ始めたところでしたのでまだまだ知識も色々な考え方も追いついていなかったので、私にとっては母親のその言葉は「思いのほか現実を見てるねんな」と意外に感じたものでした。

しかし学会のこと、宗教のことを調べていくうちに「1/3学会論」はやはりちょっとおかしな理論だな、と思うようになりました。

そもそもこの「1/3学会論」は『大智度論』に説かれる「舎衛の三億」の説話というのが元ネタらしく、詳しくは大勝利さんのブログのコメント欄で元創価さんが解説しておられます。それによると「理解のある外部」というのは公明党支持者を指すようです。

で、全員が学会員になるとその中で争いが起きるから1/3でいいと、母親は言うわけです。母親が考えたのか会合かなんかで誰かが言っていたのかは分かりませんが。

たとえばの話ですが。キリスト教を熱真に布教している牧師さんは「もし世界中の人間がキリスト教を信仰したらその中で争いが起きる」と考えるでしょうか?

そう考えると学会の言い分て激しく意味不明じゃないですか。え?宗教としてそれでいいの?みたいな。

学会員同士で争いが起きるとか、自分たちのことを何だと思っているんでしょう。自分たちの信仰しているものを何だと思っているんでしょう。ある意味正しく理解しているとは思うんですけどw(←そのために一瞬納得してしまったのです)

1/3でいい、というのはそりゃあ創価学会の上の方の人らはそう考えるでしょう。

折伏対象もいない、選民意識を煽る対象もいない、被害者として自己憐憫を演出することもできない(迫害がないと真の宗教じゃないらしいw)。そんなんでは創価学会は回りません。

「外部のあの人より幸せであろう」。少なくない方が無意識ながらもそう思いながら公明党を応援し年末には財務してるんでしょう。

いえ、「法戦を戦い財務している学会員であるのだから外部の人より幸せなはず」という順序ですかね。

そしてまたこの話を池田氏がされた当時は、明確な数字が打ち出されたことで活動に熱が入ったらしいです。

創価学会が何のための宗教なのか、如実に体現しているエピソードだと思います。

しかし仮に1/3で目標達成にしても、そうやって数字を出す以上は正確な現状把握が必要なはずです。

池田氏がこの話をしたのが昭和40年とのことですが、当時から今に至るまで創価学会の正確な会員数というのは公表されたことがありません。

脱会者や死亡者を差し引くことの無い、世帯数での発表のみですね。これじゃハードルの高さが分かってもあとどれだけ高くジャンプすればいいのか分かりません。

やはりハードルの高さを決めて可能性を限定してしまう宗教って、それでいいの?って気がしますね。別に100%目指してもいいんですよ?その方が宗教としてはまっとうじゃないですか。

だって池田氏は当時、1/3なら目の前にぶら下げる人参としては適当だ、と創価学会の勢いに夢を見たのかもしれませんが現実にはご覧の通り、荒唐無稽もいいところです。

同じ夢ならデカイ方がいいんじゃないでしょうかw

この話と似たようなことを、時空無限さんの「創価学会批評ブログ」でも記事にされていました。

「学会員が夢見る広宣流布の幻想」(創価学会批評ブログ)。併せてご覧下さい。


集団浅慮

2015-08-30 21:47:55 | 創価学会問題

以前からこのブログで取り上げています「マインド・コントロールとは何か」という本の著者である西田公昭氏の講演の内容を少しご紹介したいと思います。

西田公昭講演『マインドコントロールとは何か』

オウム事件で有名になった「マインド・コントロール」という言葉の概念に対しての説明から始まり、洗脳との違い、状況が及ぼす影響について説明されています。

一部抜粋しますと

私たちは認知という言葉をよく使いますけれども、そういう理性的な部分が感情や行動をコントロールするというか、押さえて、支配する場合もある訳ですよね。人間というのは、感情の成分と、認知の成分(理性的、知性的な成分)、そして行動する(手足を動かすような)成分と、その三つの成分というのが、うまくバランスをとり合って生きている-というのが心理学の大きな考え方なんです。
 三成分をもっている人間というものに、もう一つ大きな要因を持ち込もうじゃないかというのが、社会心理学です。もう一つの大きな要因というのは、状況というものなんです。人間の行動というものは、個人の内面的にあるものと、そしてその人の周辺にある状況というものとの関数関係=掛け算によって、行動というものは決まっているんです。これは当たり前の公式なんですけれども、多くの今までの学問もそうですけれども、みなさんの一般の人々のものの見方というのは、ついつい状況を軽視する傾向にあるということが言える訳です。

とあり、この「状況」を利用し特定の行動を導き出すものである、と説明されています。

そして「集団の閉鎖性-集団浅慮」という項目ではこう語られています。

集団で討議することによって、逆に、三本の矢は折れないどころか、馬鹿な意思決定をしてしまうことがある。それが、ある集団の特徴を持ったときに起こる可能性があると説明しています。
 その集団の代表的な要素というのが、まず、閉鎖的な集団だということ。それから、トップの命令には非常に回りが弱いということだったりします。つまり、きたんなく意見を交わせるような状況じゃあないという場合が多いんです。たとえば、麻原さんのような人が、全権を握ったリーダーが、「こうした方がいいんじゃないか」と言うとします。そのときは「うそっ」と思っても、回りのだれもが「うそっ。まずいんじゃあないか?」と思っても、そう思うのは自分だけじゃないかと思ってしまうんですね。「こんな決定、間違いじゃないか」とみんな心の中で思ったとして、だれもが口にしなかった時に何が起こるかというと、「だれも口にしないぞ。ということは、分かっていないのは俺だけかなあ」て思ったとします。「そうかあ。そうなんだ、やっぱり。リーダーが言っていることは正しいんだ」というふうに思ってしまいます。

この集団浅慮の場面というのは、西田氏はオウム真理教のトップであった教祖・麻原を例えに使われていますが、麻原の名前を私たちがよく知る別の宗教団体トップの名前と入れ替えても全く違和感無く通じるように思えるのは気のせいではないはずです。

そしてこれは、少なくともその宗教団体では実際にトップの周囲にだけに起こり得る話ではなく、末端の現場で閉鎖的に作られたコミュニティの中でも日々起きていることだと私は思いました。

その末端の現場にトップが実際現れるわけではないことは皆さんご承知のことでしょう。

けれど、その人の直近のリアルなものとして、今まさに目の前で指導しているかのように様々な言動が現場に届けられ、それを疑うことをヨシとしない「状況」が形成されていますね。

池田先生のお手紙(聖教新聞w)や、各種メッセージ、あるいは海外からの顕彰で褒め称えられている文章(内容は学会が作っていても)からも、その「意を汲む」ことが「状況」として用意されていることでしょう。

集団でいる人間に覚醒は難しい。個人として話すほうがまだ、話は通じる。けれど通じた話も集団に戻ると無かったことになってしまう。

こういったことを学会員さんに感じておられる方は多いのではないでしょうか。

創価学会が集団を形成することに執心するには、それなりに意味があるということですね。

話は変わりまして。

前々回にメタボンの体調のことを書きましたが、お薬と少し暑さもマシになってきてすっかり回復しました(。・ω・。)

本日も三男・シロにゃんのワクチンと一緒に経過観察で動物病院に行ってきたのですが、今週で通院も終わり!お薬もナシです!

ご心配下さった皆様、ありがとうございます!

猫のシニア世代に突入していく我が家のにゃんこさんたち。これからも健康管理に気をつけていきたいと思います。

皆様も夏の疲れが出やすい時期かと思いますので、ご自愛くださいね。