早いものですねー。もうゴールデンウィークが終わりに近づいています。いや、もう実質終わったといってもいい時間(22時過ぎ)ですね。
始まる前から承知していたので、もう当然のこととして受け止めてはいますが・・・、もう二度と朝に起きたくないという願望は恐れにすらなってきていますw
皆さまはこのゴールデンウィーク、如何お過ごしでしたでしょうか。
私は例年の予定通り衣替えをし、猫らを一斉シャンプーしました。衣替えはともかく、猫のシャンプーは大仕事なのです。4匹いますからね。
それで思ったのが、今年はまだ少し涼しいですね。
例年ですと洗面所を閉め切って(逃亡防止)ドライヤーで乾かすのですが、人間は汗だくでした。今年はせいぜい汗ばむ程度。さて、夏本番はどうなるのでしょうか。暑いのが苦手な私としては冷夏希望です(農作物などに被害が出ない程度で)。
今回も本テーマの記事はお休みで、雑記という感じでお送りします。
とあるブログで読んだのですがね。
人は隔離された「場」を「全て」だと認識するようになっているそうで。
テレビ番組の中や飲み会などの実際のコミュニティー、ネットでも、その中で「同じ意見ばかり」だと人はそれを「全て」だと認識してしまうことになるそうです。
あぁ、これどこかの宗教でも全く同じことやってるやん・・・、とw
その中で、仮に個人的には違う意見を持っていたとしても、とても言い出しにくいですよね。特に日本人は。そして10人の集まりで5人が内心はそう思っていても口を噤んで頷いていれば、10人全員同じ意見になっているんですよね。違う意見を持っている5人はそれぞれが「自分だけが違う意見か・・・」と心の中で思っている。
実際は過半数の意見ですらないのに。
学会で言えば、個人的な意見は専ら封殺される風潮ですよね。我見とか?愚直の信心とかで?疑いを持つことからまず徹底的に滅殺されます。
一応二代目の戸田会長は、疑いを持つこと自体は奨励していました。「疑って疑って疑い抜いた後に残るものが信心だ」と。
あの元職員の男性トリオがいますが、彼ら自体のやり方や思想はまあ置いといたとして、学会全体として見た時に反対意見や学会の意に沿わない人間は排除する、という鉄のような姿勢を証明していますね。
閉鎖された創価学会という「場」の中で「意見を同じ」にするというのは、求心力の低下が著しい現状では重大な運営方針の一つなのでしょうね。
最近では元職員トリオさんたち、数年後に謎の事故死や不審死を遂げやしないかと少し気に掛かります。いや、単なる個人的な懸念ですけれどね。
懸念が現実とならないためには今のように自分達のことを発信し続けるといいと思います。熱烈な支持者もいるようですから、頑張れますよね。近くにいたら絶対にやめて欲しいですけれど完全に他人事なのでw
今のままでは彼ら自身が本当の支持を集めることは不可能に近いと思いますが、それでも学会でこれから大きな動きがあれば彼らの主張が注目を集めることはあるかもしれません。
元職員という立場を活かして、これからも学会本部や運営に関する暴露を続けていってもらえたらと思います。
さて、明日のことを考えると憂鬱で仕方のない日曜日。せめて早く寝ることにいたします。ではまた来週!