goo blog サービス終了のお知らせ 

真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

私が愛した池田大作 ~宗門との戦争勃発 その2

2010-05-16 22:55:28 | 私が愛した池田大作

第七章 「宗教家として」 より

「宗門との戦争勃発」 その1はコチラ

「宗門との戦争勃発」 その2

 ここで日蓮正宗と創価学会との関係について、簡単に解説しておこう。
 創価学会はもともと、日蓮正宗の信徒団体の一つとしてスタートした。戦前の一九三〇(昭和五)年に、日蓮正宗の信徒で教育関係者の集まりが「創価教育学会」を結成したのがそもそもの萌芽である。呼び掛けたのは初代会長の牧口常三郎先生。当初は後に第二代会長となる、戸田城聖先生との二人だけという体制で上げた産声だった。ところが戦時下の宗教弾圧で、二人とも投獄されてしまう。

~中略~

 結局、牧口先生は獄中で無念の死をとげてしまう。二年余りの獄中生活を経て出獄した戸田先生は、名称を「創価学会」に変えて組織を再編。一九五一(昭和二六)年に第二代会長に就任すると、翌年には東京都に宗教法人としての申請を行い、受理されている。
 宗門としては猛反対だった。日蓮正宗が一つの宗教法人なのに、その一信徒団体が独立した法人になるのはたしかにおかしい。宗教の中に宗教を作ることになってしまう。だが戸田先生に率いられた創価学会は当時、破竹の勢いで信者を増やしていた。俗に言う「折伏大行進」である。宗門としても無視できない勢力に膨れ上がっていた。そこで、

「新規会員は信徒として末寺に所属させる」
「宗門の教義を守る」
「三宝(仏、法、僧)を守る」

 の三条件を付して、学会の法人化をしぶしぶ認めることになった。
 
つまり創価学会は、あくまで日蓮正宗の本尊と教義を忠実に守り、信徒としてその教えを広く世に伝える「広宣流布に努めます」ということで認めてもらった団体なのだ。

~後略

宗門の最初の過ちが創価学会を独立させたことにあると思います。

創価学会が大きくなる前の宗門は、大変厳しい戒律の下、とても貧しい経営(運営?)だったといいます。

そこへ大勢の信者とお金を持ってくる「創価学会」に甘くなるのは分かるのですが、そこを引き締めてこそ宗教の権威を守るということに繋がったんじゃないでしょうかね。

創価学会が独立した宗教法人でなかったら…。

考えるだけでゾクゾクしませんか?

そうしたらこんなアンチブログが大量発生することもなかったでしょうに。

「その1」で紹介した記事のように、法人格取得時の条件は今や悉く覆されています。

一度法人格を剥奪し(返還はムリだろうから)、新たに池田氏を教祖か何かに据えて別の宗教団体としてスタートするのが筋だったでしょう。

今からでもそうしてもらいたいものです。

学会だって、蛇蝎のごとく嫌う宗門の「おかげ」で法人格を得たままでは、プライドが傷つきますでしょう?自分達こそが唯一正当な団体だというのならば、まずそこからですよ!

自分達の旗は、自分達で掲げましょう。

鶴のマークの上から八葉マークを貼り付けるのではなく、まっさらな場所に三色旗でも八葉でも描きましょう。

宗門から「破門」ではなく、「発展的独立」したのだという学会側の主張をよく見聞きします。だったらやはりイチからスタートした方が良くね?って感じです。


私が愛した池田大作 ~宗門との戦争勃発 その1

2010-05-16 01:28:25 | 私が愛した池田大作

リクエストにお応えしての記事を書きたいのですが、それも含めてこの七章は全体を通した流れで追っていきたいと思います。

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22

第七章 「宗教家」として より

「宗門との戦争勃発」 その1

 創価学会が日蓮正宗総本山・大石寺との対決姿勢をあらわにしたのは、一九七七(昭和五二)年である。この年の元旦、池田氏は初勤行会で以下のように発言した。

「日蓮大聖人の御書のとおりに実践しているのは創価学会しかない」
「大聖人の遺命は広宣流布だ。それをやっているのは我々、創価学会。寺院というのは葬式や結婚式など、儀式の場に過ぎない」

 つまり「創価学会中心主義」。寺院など単なる儀式の場で、最も大切な広宣流布をしているのは我々だ、と日蓮正宗を軽視してみせたわけである。
 以降も寺や僧侶を侮蔑する発言を繰り返す。細井日達猊下(日蓮正宗法主上人)は学会のこうした態度に対し、

「最近宗門と学会の間に冷たい風が吹いてきた感じで困ったことだ」
「宗門としては今後、向こうがどう出てくるかを静観していこうと思うが、将来、学会と決別することになるかもしれない」

 と批判している。
 普通なら、猊下からこれだけ言われれば萎縮するものだが、学会の反応は逆だった。
反学会派の僧侶を施設に呼び出し、数時間にわたって監禁・恫喝。吊るし上げにしたうえ、池田会長あての詫び状を書かせるという事件が連続して発生する。池田氏の意向を受けての行動であるのは明らかだった。

「僧侶は女子部を引っかけ、金ばかり集め、芸者遊びやバー・クラブでの遊興にふけっている」

 まるでキャッチフレーズのように、各地で学会幹部による宗門への中傷が続く。寺の総代を務める学会幹部を集め、僧侶を監視し、寺院の運営を学会の支配の下で行わせるよう、池田氏の指示が飛んだ。
 本来、信徒が僧侶を恫喝し、寺の運営まで支配しようともくろむなど、本末転倒と言えよう。だが池田氏の強い意志の下、学会はなりふり構わぬ宗門攻撃にのめり込んでいった。この年が昭和では五二年に当たることから、学会のこのときの宗門対決路線を「五二年路線」と呼んでいる。

長くなるのでその2に続きます。

それにしても、メチャクチャな組織だね、こりゃ。


私が愛した池田大作 ~嘘を平気で忘れる才能

2010-05-05 01:37:13 | 私が愛した池田大作

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22

第一章 「カリスマ」として より

「嘘を平気で忘れる才能」

 池田氏は「平気で嘘をつき、嘘をついたことさえ自覚がない」という点においても「すごい」人だった。具体例は枚挙に暇がないが、いくつか紹介しておこう。
 以下は池田氏の発言だ。彼はかつて「一銭も金集めはしない」と何回も語っている。

「邪宗教は、あくまで金儲けのための信心であります。(略)それに反して、日蓮正宗の信心は、私どもは、だれびとからも一銭ももらわず(略)人を救っているのが、創価学会なのであります」(「聖教新聞」昭和三六年四月十九日付)

「邪宗などは、みんなうまいことをいって金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人々が救えるならば許せるけれども、全部が地獄に落ち、民衆は教祖にだまされて、そして、教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には、コジキみたいになってしまう。これが邪宗教団の姿です。(略)創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(「聖教新聞」昭和三七年六月十六日付)

 立派なお話ではないか。いま、財務(寄付)で苦しんでいる学会員の皆さんは、どう思うのだろうか。これがあの池田氏の発言だと信じられるだろうか。
 今や、創価学会は金満宗教団体として有名だ。学会は一九六五(昭和四〇)年、日蓮正宗総本山・大石寺の正本堂建立のため、大募金を開始した。「これが最後のご供養だ」「これで間違いなく成仏できる」と強力な指導があって、数日のうちに三五五億円もの金が集まった。その後、立派な正本堂が建設され、宗門へ大きな貢献ができたと、会員は喜んだものだ(だが、この正本堂も後に宗門から学会が破門され、解体されてしまった)。
 昭和五〇年代になると宗門のためではなく、学会のための、はっきりいうと池田氏のための財務が強引に推し進められた。会員は「池田先生に使っていただくのだ」と思い詰めて拠金をしたものだ。生命保険を解約して拠出したり、爪に火をともすように節約して貯めたお金を出したり、暴走財務はとどまるところを知らずに現在も続いている。二〇〇九年八月三〇日の衆院選大敗北のあとも、選挙運動で疲れ果てた学会員の労をねぎらうどころか、創価学会は年末の金集めのため大号令を発している。
 先に引用した池田氏の発言を、ぜひ今、ご本人に読んでいただきたい。そして、納得のできる説明をうかがいたいと、つくづく思う。

この正本堂は創価学会の大きな分岐点になりましたね。

財務(金集め)に目覚めたきっかけであり、宗門に解体されたことによって多くの学会員さんたちに宗門憎しの感情を植えつけることができました。

未だにこれが原因で宗門を憎んでいる人(私の母親)は、「一体何のために寄付したのか」よく考えてもらいたいものですね。

「創価(池田氏)の威信のため」と思っているから憎しみが生まれるんです。

本来の目的はなんでしたか?建物が立派なのが、宗教にとってどんな意味があるというのですか。広宣流布(布教)のためにと思って寄付したのならば、それはその時すでに完結しているはずです。建物がなくなったからといって広宣流布に貢献した功徳が消えるはずもない。

ましてやその建物にあり得ない意味を持たせて宗祖日蓮よりも上なのだと言い出す輩がいたら、解体するのも当然かと。

さて、過去の発言を出してきて「昔言ってることと、今やっていることは違うじゃないか!」と盲信的な学会員さんにふってみたとしましょう。

きっとこう返ってくるはずです。

「昔とは事情が変わったんだよ」

池田氏にしても、同様の答えじゃないでしょうかね。

この都合が悪くなると「事情が変わった」で全部片付けてしまう理論、我が母親の得意ワザです!借りた金を返さない時とかね!

全てに通ずる万能の言葉で、どうやら学会仕込みのようですので、多くの学会員さんが口を揃えて「事情が変わった」と言ってくれることでしょう。

それで納得できるかどうかが、盲信・バリ活との別れ目かも知れません。

いや、今の学会員さんたちは「財務=功徳・福運」で、「財務をしない=罰があたる・地獄に落ちる」と信じているのでしたっけ。ということは、途中から財務にはご利益が付加されることになったわけですね。

真心や気持ちではなく、リアルな金額がご利益の大きさに比例する、超現実的な仏様(?)です。

確か、3桁(100万以上)やれば5倍、4桁(1000万以上)やれば7倍になって返ってくると言う財務。

一口(1万円)では意味がないということなんですかね?強欲だなぁ。

これが本当ならば世界中みんな学会員になって財務しまくっていることでしょう。何故かそうはなっていないように見受けられますけどねぇ。

「信心が足らんということですか?」って、またざこびっち師匠から的確なツッコミが入れられますね。


私が愛した池田大作 ~池田大作ミイラ化計画

2010-05-03 00:57:44 | 私が愛した池田大作

晴天に恵まれたGW真っ只中、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

今回はリクエストにお応えしての記事にしてみます。

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22

第二章「下町のオッサン」として より

「池田大作ミイラ化計画」

 冗談としか思えないエピソードの筆頭と言えば、これに勝るものはあるまい。
私が公明党の書記長だったころ、池田氏が亡くなったら遺体をミイラにしたいのだが、との相談を受けたことがあった。学会には長期戦略を練っているエリート集団がいる。そこが、このようなことばかり考えているわけだ。公明党と学会の関係を将来どうするか、といったようなテーマを議論し、定期的にレポートにまとめて出す。そのメンバーのトップからの相談だった。
 そこでは大マジメに、池田家は聖家族(ホーリー・ファミリー)に仕立て上げなければならないとして、さまざまな議論が交わされていた。キリスト教の歴史などを学んで、同じように池田家を聖家族に奉り上げるにはどうすればいいか、どのように奇跡を演出すればいいのか、真剣に考えるのである。

~中略~

「矢野さん、レーニンや毛沢東は偉大なる指導者ということで、遺体が永久保存されているじゃないですか。あれと同じように、先生が亡くなったら池田版『レーニン廟』のようなものを作りたいのですが」
「しかしお前、日本では死体にヘタに手を加えたら、死体損壊罪という罪に問われてしまうぞ」
「そうなんです。
だからそこを政治の力で、何とかできないかという相談なんです」
 政治の力でなんとか、と言われも、ことは刑法の規定だ。結局このときは、
「法律から変えなアカンさかいなあ。もうちょっと公明党が大きくならな、ちょっと無理な相談やな」
 と答えておいた。こんな馬鹿げたことをまさか池田氏が指示したとは思わないが、池田氏に「後世に名を残したい」という強い執念があるのは間違いない。

~後略

私はこれ、現実になりかねないと思いますよ。実際ロウ人形もどきも出来上がっているじゃないですか。

死体損壊罪(笑)にならないよう、何か馬鹿げたことをしてくれると期待しています。

20世紀少年の「ともだち」みたいに、「一回死んで生き返る(その後ちゃんと死ぬ)」を演出するとか。思い付きの想像ですけど(笑)。

そしてもう当たり前のこと過ぎて見過ごしがちですが、「宗教団体の私物化」が甚だしいですね。創価学会は池田氏(池田家)のためにあるかのような発想です。

しかし注目すべき点を赤字にしましたが、サラリと流していますが大変な発言です。

「だからそこを政治の力でなんとかできないか」

このとき矢野さんは「もうちょっと公明党が大きくならな、ちょっと無理な相談やな」と答えていますが、公明党がそれなりに大きかったら叶えられた相談(依頼)なのですか?

そして公明党の力で何とかなる小さな相談(依頼)なら、政治の力で叶えてきたということですね?

これって「宗教のために政治の力を利用」している現実に他なりません。

もっと言えば「特定の宗教団体の都合のいいように、政治を利用して社会ルールを変えてしまう」ということです。

政教一致のあからさまな実態ですね。

また、よく知る皆さんには言わずもがなですが、このやり取りで公明党が創価学会の下にあるという力関係がハッキリしてますね。

公明党は「創価学会の要望を叶えるグループ(政治部門)」に過ぎないわけです。

他にも様々な分野に「創価の要望を叶え隊」がいるわけで、「総体革命」の一端ということなのでしょう。

さて、この創価学会の長期戦略を練るエリート集団(ほんとにエリートか?)。池田氏がいつか亡くなるその時に、どのような「奇跡」を演出してくれるか、刮目して待ちましょう!


私が愛した池田大作 ~目次

2010-04-25 15:53:21 | 私が愛した池田大作

矢野絢也氏の著書
「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作
をご紹介したいと思います。

私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22

「池田大作の品格 PART2」とも並行して進めていきます。

私の感想では、この矢野氏の著書は数ある学会本の中でも今までで一番面白く、興味深いものでした。

なぜ未だに学会員さんが、池田氏を崇めているのかの心理状態が垣間見られる著書であると思います。

表紙の折り返しにこうあります。

ここに明かすのは盲目的な崇拝でも、
批判のための罵詈雑言でもない。
何十年にわたって側に仕え、
私が敬愛した池田氏の「生」の人物像である。

創価学会を語る上で絶対に外せない池田大作名誉会長。どのようにしてこの人が神格化されていったのか、推察するに役立つ一冊かと思います。

序 章
 返還された「黒い手帖」の中身
 裸の王様

第一章「カリスマ」として
 池田大作に勝る大物はいない
 嘘を平気で忘れる才能
 墓場で「俺を呼んでいる」
 究極の集団催眠術―――本部幹部会
 マインドコントロールのテクニック
 キッシンジャーを「生意気だ」と面罵
 競争させて忠誠心を煽る
 脱線こそ池田演説の真骨頂

第二章「下町のオッサン」として
 学会員一人一人と直結
 贈り物好き
 冷凍庫二台分のマグロを献上
 提出させられた「報告書」の数々
 学会職員は一斉に禁煙成功
 池田大作ミイラ化計画

第三章「兄貴分」として
 入信
 初めての出会い
 ご馳走になったカレーライス
 仕事をサボって選挙活動
 「会社がクビなら、学会もクビだ」
 竹入氏の「夜霧のブルース」
 「大阪事件」
 新会長から届いた一通の葉書
 「お前は将来、国会議員だぞ」
 スミス都へ行く
 雨の文化祭

第四章「政治指導者」として
 『黒い霧』の嵐
 「矢野をいじめたら、俺が許さん」
 弟子の「永久名簿」
 池田語録、高揚編
 栄光の五月三日
 池田語録、苦言編
 細やかな心遣い

第五章「内弁慶」として
 言論出版妨害事件の発端
 公明党、大躍進
 角栄氏からの泣きの電話
 学会、存亡の危機
 "大奥"に引きこもり
 内部の会合では超強気
 『千成瓢箪』を出しましょう
 「俺は辞める」を連呼
 絶たれた「池田総理路線」

第六章「戦略家」として
 先生は政治的天才
 創共協定の裏側
 「自民党と共産党、両方敵に回せるか」
 弱気と強気の二面性
 女性スキャンダル
 「月刊ペン」編集長を逮捕せよ
 「お前は嘘つきだ!」
 死屍累々

第七章「宗教家」として
 宗門との戦争勃発
 半裸のレリーフ
 宗教界の王者に
 しみじみと漏らした一言
 屈辱の会長辞任
 「俺は世界の池田だ」
 踏み絵
 「脱会者は地獄に落とせ」

第八章「金満家」として
 国税庁、動く
 公私混同
 「捨て金庫事件」と「ルノワール事件」
 大口献金者リスト
 連日の国税との折衝
 知りすぎた私

終 章  池田学会よ、どこへ行く
 「やはり政権に就かなくちゃ」
 非課税特権
 「ブリキの勲章」と「ノリエガ庭園」
 現場との距離が離れていく
 世間に開かれた学会に

おわりに

関連年表

この本のカバーが今までの学会本にはなく、とてもユーモラスで好きです。

2007年4月に中国温家宝首相と会談する際の、池田氏の写真だそうです。絵じゃないのに、よく色んなところで書かれている似顔絵とソックリ!

似顔絵にしやすい顔なんでしょうかね。