第七章 「宗教家として」 より
「宗門との戦争勃発」 その2
ここで日蓮正宗と創価学会との関係について、簡単に解説しておこう。
創価学会はもともと、日蓮正宗の信徒団体の一つとしてスタートした。戦前の一九三〇(昭和五)年に、日蓮正宗の信徒で教育関係者の集まりが「創価教育学会」を結成したのがそもそもの萌芽である。呼び掛けたのは初代会長の牧口常三郎先生。当初は後に第二代会長となる、戸田城聖先生との二人だけという体制で上げた産声だった。ところが戦時下の宗教弾圧で、二人とも投獄されてしまう。
~中略~
結局、牧口先生は獄中で無念の死をとげてしまう。二年余りの獄中生活を経て出獄した戸田先生は、名称を「創価学会」に変えて組織を再編。一九五一(昭和二六)年に第二代会長に就任すると、翌年には東京都に宗教法人としての申請を行い、受理されている。
宗門としては猛反対だった。日蓮正宗が一つの宗教法人なのに、その一信徒団体が独立した法人になるのはたしかにおかしい。宗教の中に宗教を作ることになってしまう。だが戸田先生に率いられた創価学会は当時、破竹の勢いで信者を増やしていた。俗に言う「折伏大行進」である。宗門としても無視できない勢力に膨れ上がっていた。そこで、
「新規会員は信徒として末寺に所属させる」
「宗門の教義を守る」
「三宝(仏、法、僧)を守る」
の三条件を付して、学会の法人化をしぶしぶ認めることになった。
つまり創価学会は、あくまで日蓮正宗の本尊と教義を忠実に守り、信徒としてその教えを広く世に伝える「広宣流布に努めます」ということで認めてもらった団体なのだ。
~後略
宗門の最初の過ちが創価学会を独立させたことにあると思います。
創価学会が大きくなる前の宗門は、大変厳しい戒律の下、とても貧しい経営(運営?)だったといいます。
そこへ大勢の信者とお金を持ってくる「創価学会」に甘くなるのは分かるのですが、そこを引き締めてこそ宗教の権威を守るということに繋がったんじゃないでしょうかね。
創価学会が独立した宗教法人でなかったら…。
考えるだけでゾクゾクしませんか?
そうしたらこんなアンチブログが大量発生することもなかったでしょうに。
「その1」で紹介した記事のように、法人格取得時の条件は今や悉く覆されています。
一度法人格を剥奪し(返還はムリだろうから)、新たに池田氏を教祖か何かに据えて別の宗教団体としてスタートするのが筋だったでしょう。
今からでもそうしてもらいたいものです。
学会だって、蛇蝎のごとく嫌う宗門の「おかげ」で法人格を得たままでは、プライドが傷つきますでしょう?自分達こそが唯一正当な団体だというのならば、まずそこからですよ!
自分達の旗は、自分達で掲げましょう。
鶴のマークの上から八葉マークを貼り付けるのではなく、まっさらな場所に三色旗でも八葉でも描きましょう。
宗門から「破門」ではなく、「発展的独立」したのだという学会側の主張をよく見聞きします。だったらやはりイチからスタートした方が良くね?って感じです。