先日、あるサッカー選手が亡くなられ、そのことがTVで連日放映されていました。
また、車椅子で舞台挨拶した原田さんという俳優も、先日亡くなられましたよね。
こういう場合、大抵の方が発する言葉が、「天国で・・」とか「ご冥福をお祈りします」とかなんですよね。
確かに、「死んだらみんな天国に行って、私達のことを見守っていてくれる。」とか、「天国で仲のよかった人たちと会って、楽しくやっているだろう。」って自分たちが思い込めば、そりゃあ悲しくなくて楽でしょうね。
でも私は、「それは違いますよ!」って言いたいんですよ。
よくTVに、弔問に行った人が出てこう言うでしょう!?
「私たちの中で生きている!」とかって。
あれって、本当にそうなんですよね。
成仏できずに、その人たちの周りに居て、生き続けているんですよ。憑依しているというか・・。
参列者が、みんな泣いたり、未練たらたらの事を言うじゃないですか!
あれは、親族や参列者が悲しいのではなく、亡くなった人がみんなの体を通して、必死に訴えている状態なんです!
死んだ人が、「もっと生きたかった!」とか、「死んでもまだ苦しい!」とか、「これから自分はどうしたらいいの?」とかもがき、悲しんでいるのです。
それらの苦しみ、無念さ、不安が我々に“悲しみの感情”として伝播し、みんな泣くわけですよ。
大事なのは、何故悲しいのか?ということを、もっと真剣に、もっと掘り下げて考えないといけないということです。
死んだら皆天国に行くとか、成仏しているとかっていうのは、生きている我々の妄想でしかありません!
いくら冥福を祈っても、そんなもん、綺麗な言葉だけで、何の意味もないんですよ。
クリックしてね !!

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こういう場合、大抵の方が発する言葉が、「天国で・・」とか「ご冥福をお祈りします」とかなんですよね。
確かに、「死んだらみんな天国に行って、私達のことを見守っていてくれる。」とか、「天国で仲のよかった人たちと会って、楽しくやっているだろう。」って自分たちが思い込めば、そりゃあ悲しくなくて楽でしょうね。
でも私は、「それは違いますよ!」って言いたいんですよ。
よくTVに、弔問に行った人が出てこう言うでしょう!?
「私たちの中で生きている!」とかって。
あれって、本当にそうなんですよね。
成仏できずに、その人たちの周りに居て、生き続けているんですよ。憑依しているというか・・。
参列者が、みんな泣いたり、未練たらたらの事を言うじゃないですか!
あれは、親族や参列者が悲しいのではなく、亡くなった人がみんなの体を通して、必死に訴えている状態なんです!
死んだ人が、「もっと生きたかった!」とか、「死んでもまだ苦しい!」とか、「これから自分はどうしたらいいの?」とかもがき、悲しんでいるのです。
それらの苦しみ、無念さ、不安が我々に“悲しみの感情”として伝播し、みんな泣くわけですよ。
大事なのは、何故悲しいのか?ということを、もっと真剣に、もっと掘り下げて考えないといけないということです。
死んだら皆天国に行くとか、成仏しているとかっていうのは、生きている我々の妄想でしかありません!
いくら冥福を祈っても、そんなもん、綺麗な言葉だけで、何の意味もないんですよ。
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