葬式仏教と揶揄されているのが、現在の日本の仏教です。
意味は、ウィキペディアによると、「本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の日本の形骸化した仏教の姿」だそうです。
私たちの身近にある仏教ですが、今の日本の仏教に共通している事は、“生きている間ではなく、葬式や供養の時だけお世話になる”という事ではないでしょうか。
実はこれは、日本の仏教独特の事なのだそうです。
もともと仏教は、輪廻転生がベースの教えです。現在でも、インドでは一般に輪廻転生が信じられています。「今回の人生を終えても、悟りを得て涅槃に行かない限り、また別の何かに生まれ変わってこの世に戻ってくる」と。
釈迦様の教えは、あくまで生きている間に修行をして、悟りを開く事が目的であり、「如何に生きるか」が教えの根本だったのです。
そのため、釈迦様は「死んでからどうなるのか?」という事は、一切説いていません。さらに、死後の世界があるのかないのかも言っていません。
その“仏教”が、なぜ現在のように「死」の担当になったかといえば、それは日本で独特の発展をしたからだと言われています。
10世紀頃の僧侶は国家に仕える官僧で、神官と同じように、天皇のため、国家の安寧を祈る祈祷を行う事が役目でした。
彼らは、天皇の身近に仕える存在として祈祷や法要を行うため、日頃から死や出産といった“穢れ(けがれ)”からできるだけ遠ざかる必要があったそうで、そのため、誰の葬儀にでも携わっていたわけではなかったそうです。主に天皇や貴族の葬儀だけ、僧侶が行っていたそうです。
では、僧侶が葬儀を行わなかった時代、日本人はどのようにして亡くなった人を供養していたのか?
貴族は火葬や土葬を行い、墓地もあったそうですが、一般庶民は河原や海岸、林に遺体を捨てる事も一般的に行われていたそうです。自然に還すというスタイルですが、お供え物を供えるなど、いろんな儀式も施していたようです。
そして庶民の間にも、ちゃんとした葬儀をしたいと言う声が大きくなってきた時期に、鎌倉仏教が登場したのでした。
彼らの特徴は、貴族たちではなく庶民に目を向けていることで、それまで誰もやりたがらなかった、庶民が最も望んでいた葬儀というものを積極的に引き受けるようになったことでした。
その頃には浄土信仰が流行しており、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、浄土に行ける=成仏できると信じられるようになっていたこと。
さらに、僧侶がきちんとした葬式を行う事で、より確実に成仏できると思われていました。天変地異や戦で苦しかった時代、庶民は葬式に最後の救いを求めるようになっていたのだそうです。
世の中が、最も切実に求めた葬儀というものを引き受けた仏教。
葬儀を引き受ける事で、浄土での幸せを願う庶民の気持ちを捉え、仏教は深く浸透して行ったのです。
≫星椎水精先生のホームページ:先祖供養
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私たちの身近にある仏教ですが、今の日本の仏教に共通している事は、“生きている間ではなく、葬式や供養の時だけお世話になる”という事ではないでしょうか。
実はこれは、日本の仏教独特の事なのだそうです。
もともと仏教は、輪廻転生がベースの教えです。現在でも、インドでは一般に輪廻転生が信じられています。「今回の人生を終えても、悟りを得て涅槃に行かない限り、また別の何かに生まれ変わってこの世に戻ってくる」と。
釈迦様の教えは、あくまで生きている間に修行をして、悟りを開く事が目的であり、「如何に生きるか」が教えの根本だったのです。
そのため、釈迦様は「死んでからどうなるのか?」という事は、一切説いていません。さらに、死後の世界があるのかないのかも言っていません。
その“仏教”が、なぜ現在のように「死」の担当になったかといえば、それは日本で独特の発展をしたからだと言われています。
10世紀頃の僧侶は国家に仕える官僧で、神官と同じように、天皇のため、国家の安寧を祈る祈祷を行う事が役目でした。
彼らは、天皇の身近に仕える存在として祈祷や法要を行うため、日頃から死や出産といった“穢れ(けがれ)”からできるだけ遠ざかる必要があったそうで、そのため、誰の葬儀にでも携わっていたわけではなかったそうです。主に天皇や貴族の葬儀だけ、僧侶が行っていたそうです。
では、僧侶が葬儀を行わなかった時代、日本人はどのようにして亡くなった人を供養していたのか?
貴族は火葬や土葬を行い、墓地もあったそうですが、一般庶民は河原や海岸、林に遺体を捨てる事も一般的に行われていたそうです。自然に還すというスタイルですが、お供え物を供えるなど、いろんな儀式も施していたようです。
そして庶民の間にも、ちゃんとした葬儀をしたいと言う声が大きくなってきた時期に、鎌倉仏教が登場したのでした。
彼らの特徴は、貴族たちではなく庶民に目を向けていることで、それまで誰もやりたがらなかった、庶民が最も望んでいた葬儀というものを積極的に引き受けるようになったことでした。
その頃には浄土信仰が流行しており、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、浄土に行ける=成仏できると信じられるようになっていたこと。
さらに、僧侶がきちんとした葬式を行う事で、より確実に成仏できると思われていました。天変地異や戦で苦しかった時代、庶民は葬式に最後の救いを求めるようになっていたのだそうです。
世の中が、最も切実に求めた葬儀というものを引き受けた仏教。
葬儀を引き受ける事で、浄土での幸せを願う庶民の気持ちを捉え、仏教は深く浸透して行ったのです。
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