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星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

お経と成仏 2

2016年05月11日 18時00分32秒 | 天国
さて、この話には、とても大事なことが書かれてあります。

一つは、先にも書いたように、釈迦様ご自身がおっしゃっておられるように、「経文には死者を救う力がない」という事です。

ですから、お経で霊を成仏させるとか、お経を用いて「自称:浄霊(除霊)」を行うと言う霊能者たちは、まずニセモノであると判断できるわけです。

以前より星椎水精先生が、

「そもそも釈迦様は、浄霊を行っていないし、そのことも述べてはいない」

ということを書かれておられますが、まさにこの話と合致しますね。

さらに、釈迦様のお話にあるように、「いくら経文を唱え願ったところで、沈んだ石は浮かんでこない」わけであり、霊能者たちが行う「自称:浄霊(除霊)」も、お寺の僧侶が行う「供養(=読経)」も、結局はこのような状態にあるという事ではないでしょうか。

特に巷の霊能者たちが行う除霊などは、自分には霊を浄化する力があると思い込んでおり、お経を唱えれば石(成仏出来ない霊)が浮かんでいくように様に見えているのかもしれませんが、それは金銭や名誉などの「欲」によって違うものが見せられている状態であったり、また浮かんでいないのがわかっているのに「浮かんできている」と偽りを述べたりしているのではないかという事です。

つまり、「浄霊」や「成仏」などの言葉を簡単に使用している人が多いのですが、実際は「浄霊」や「成仏」はそんな簡単なものではないということが、釈迦様のお話から見て取れます。

現に、当時から釈迦様もキリストにおいても、「浄霊」はその範疇ではなかったわけですから。

結果として、常日頃より星椎先生のコラムや本を読んで勉強し、冷静な判断力があれば、このような矛盾にも容易に気づけるようになるのだと思います。

つまり、「心眼を磨く」という事が出来ていけば、これらに惑わされずに済みますよね!

ニセモノが蔓延している世の中ですから、ますます真実を見極める力が必要になってくると思います。



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お経と成仏 1

2016年05月10日 18時57分48秒 | 天国
先日、ネットを見ていたら、お経に関する興味深い話を見ました。

要約すると、「お経に死者を救う力はない」というお話です。


そのお話しにはこうありました。

釈迦様の弟子が、

「死人のまわりでありがたい経文を唱えると、善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか?」

と尋ねたところ、釈迦さまは黙って小石を拾って近くの池に投げられました。

その沈んでいった石を指さして、

「あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか?

石は自身の重さで沈んでいった。そんなことで石が浮かぶはずがない。

人は自身の行為によって死後の報いが定まるのだから、他人がどんな経文を読もうとも、死人の果報が変わるわけがない」


と説かれたそうです。

つまり、釈迦様ご自身が、お経では救われないことをおっしゃっておられるのです。


当然と言えば当然です。

星椎水精先生もよくおっしゃるように、お経は、生きている人間のための訓示が書かれているわけですからね。

それなのに、「お経=霊を成仏させたりする、すごい力のある呪文」のように誤解している人がほとんどです。

調べたところ、読経や儀式で死者が救われるという信仰は、もともと仏教にはなかったそうです。
(ここに関しても星椎水精先生がコラム等に述べられていますよね。)

それどころか、そんな迷信を打ち破って、生きている時に、絶対の幸福に導くのが仏教の本来の目的なのだそうです。

しかし現実は、葬式や法事には絶対に読経が必要不可欠で、さらに「お経=供養」という〝迷信”が浸透過ぎているように思います。

しかし私からすれば、生きている人間の葬式等に対して、疑問を持たないところが一番の問題だと思います。



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阿蘇神社の倒壊

2016年04月21日 20時01分43秒 | 天国
まだまだ余震が続いていますね。

先日の地震に関する星椎水精先生のコラムに、興味深いお話がありました。

それは、阿蘇で有名な阿蘇神社が地震で崩壊したことについてです。

阿蘇神社は、私は行ったことがないのですが、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社になり、御祭神は阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめとする12柱の神様が祀られていて「阿蘇十二明神」と呼ばれているそうです。

熊本だけでなく、全国から祈願の人で賑わうスポットで、俗にいう、「パワースポット」らしいです。

そんな由緒ある(?)神社が崩壊したことについて、皆さんはどのように思われたでしょうか?

「あれだけ強い地震に見舞われれば、倒壊しても仕方がない」でしょうか?

でも待ってください。

ここは、「パワースポット」として名高い神社で、多くの神様が祀られていると言います。

そのような神社が倒壊したことに、何も疑問を持ちませんか?という事です。

神様がいるはずの神社で、なぜこのようなことになるのでしょう?

このような有名な神社であれば、仮に周囲が倒壊してもそこだけ無傷ですんだというような「奇跡」が起きてもおかしくありません。

しかし実際は、無残にも崩れ去っています。

これが意味することは何かというと、星椎水精先生がコラムに書かれておられたように、

「近辺の神社も崩れているが、そこには、神など存在しなかったとあえて地球からのメッセージが届いている。」

ということです。

つまり、昔はいらっしゃたのかもしれませんが、現在はいらっしゃらないという事です。

本当に神様がいらっしゃれば、あのような姿になるはずがありませんからね!

このことは、神職を名乗る神主さえ、神様がそこにおわすかどうかも分からないほど霊感のないものばかりだという事を表しています。

見かけが立派だと、それだけで有難がる人も多いと思いますが、「そこに本当に神様がいるのか?」と疑問を持つ人は少ないと思います。

しかし、この神社の崩壊のように、客観的に考えればおかしなことから、地球の神様がヒントをくださっているわけですから、気づかなくてはいけませんね。




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存在

2016年03月29日 20時08分52秒 | 天国
先日、姫路さんがブログで書かれていた「成仏している証」のお話ですが、大変わかりやすいお話でしたね。

以前からこの話は幾度となく聞いていたのですが、故人のことを考えた時にどのように感じるかで、「成仏しているか、していないか」ということがよくわかるそうです。

姫路さんがおっしゃるように、星椎水精先生に浄霊していただき成仏している人たちの事を考えた時は、大抵「無」なのだそうです。

その理由は、彼ら(先祖さんたち)は成仏しているので、霊界で猛勉強中であったり、または星に帰っていたりするので、我々の身近にいないのです。

もちろん、必要な時には先祖さんたちは守りに来てくださいますが(これはあくまでも、神々の許しがあったときのみのようですが…)、基本的に自分たち自身の勉強で忙しいわけですから、四六時中一緒にはいられません。

そのため、姫路さんが言われるように、彼らに意識を合わせても「感じない=無である」ということになるのです。

当然ながら「いなくて寂しい」という気持ちはありますが、決して悲しくはならないのです。

そこが、大きく違う点です。


対して、巷の人達の話でよく耳にするのが「亡くなったけど、まだここにいるような気がするんだ」などの存在感を示す言葉です。

彼らがそう感じるのは、まぎれもなくそこに存在しているからであって、「成仏していない」証拠です。

そのため、彼らのことを考えると悲しくなったり涙が出たり、暗い気持ちになったりしてしまうのです。

それらの気持ちは我々生きている者のものではなく、あくまでも亡くなった人(ご先祖様たち)の気持ちなのです。

私がよく通る幹線道路にも、花が供えてあるところがあります。

おそらくそこで事故で亡くなった方がいるのでしょう。

その人の親族や恋人が、亡くなった人の供養にと供えているのでしょうが、これも同じく「そこに(事故現場に)まだ亡くなった人がいる」とわかっているからこそ、行われているのだと思います。

そこに存在を感じるから、供養しようと思うのではないでしょうか。

何度も言いますが、「存在していると感じる」という事は、成仏していないという事です。

そのため、例えば事故現場は、いくら花をお供えしようが暗い雰囲気が漲っていますし、少しでも霊感がある人であれば、気味が悪くて目を背けてしまう事でしょう。

事故現場の例をみても、お供えしている人は認めたくなくても、本心では「まだ成仏できていない」ことが薄々わかっているのではないかと思えてなりません。


このように、故人の存在感を感じるかどうかが、成仏しているかいないかを判別する大きな要因になるのではないでしょうか。



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タトゥー

2016年02月26日 20時12分08秒 | 天国
先日のテレビで、歌手のレディー・ガガさんがタトゥーを新たに入れたことが話題になっていました。

彼女はすでにいろいろなタトゥーを入れているようですが、この度、追加で彫る事になったのは、なんと今年の1月に亡くなったデビッド・ボウイさんの顔の絵だそうです。(彼女はデビット・ボウイさんのファンだそうです)

左脇腹の部分に、あるCDジャケットと同じ顔の絵を彫ったらしいのですが、私はそれを見てかなり不気味に思い、正直

「よりによって顔のタトゥー、それもガンで亡くなった人のを入れるなんて!?」というのが、本音でした。

星椎水精先生が以前コラムで書かれておられましたが、タトゥーを入れる事自体、魂を重くしてしまう事につながるそうなので、わざわざ自分のマイナスになることを進んでする人の気がしれません。

中でも一番気になったのが「死んだ人の顔を体に彫る」ということです。

つまり、「そんなことをしたら、憑依されてしまうのでは!?」という事が頭をよぎり、とても気になりました。

ガンで死ぬということは、絶対に成仏できない重苦しい魂になるわけで、そんな人の顔を体に彫ればどうなるのかを星椎水精先生にお尋ねしたところ、

『憑依されてしまう』

との一言でした。


将来、憑依によりこの人も同じガンになる可能性が出ているし、運気もこれからどんどん下がってしまうことでしょう。

霊感がないというか、魂とか成仏するという事に関して知識がないと、こうも間違った悪い方向へと向かわされてしまうのかと、とても恐ろしくなりますね!

タトゥーを彫ること自体も問題ですが、何より顔の絵を体に彫るなんて、私にはマンガになど出てくる喋りだす腫瘍「人面瘡(そう)」に見えて、気味悪くてしょうがありませんでした。


最近は昔よりタトゥーを入れているスポーツ選手が多くテレビに出てきて、本当にびっくりしてしまいます。

おかしな世の中になったなと思いながら、それほど世間は荒れているんだろうな、と思います。

彼女をはじめ、タトゥーをわざわざ入れている人達は死んだときに初めて、タトゥーの本当の弊害に気づくのでしょうね。

まぁ、その時はもう、「時すでに遅し」ですが…。



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