新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

夏の宮城旅〜4

2022-09-16 15:06:00 | 旅行

石巻1035発の女川ゆきに乗ります。キハ110系1両で発車を待っている列車に乗り込むと座席が埋まっていたので立って過ごすことにします。車両は陸羽東線や陸羽西線で使われる奥の細道ライン仕様の車両でした。定刻に石巻を発車。次の陸前稲井でボックス席が空いたのでそちらに移動します。

列車は万石浦の海を見ながらのんびりと走ります。沿線には貝殻が大量に置かれていました。

女川には1100着。晴れていて暑いですが、海沿いの町なので、海からの風が心地よく吹いていました。

記念に切符をもらって駅の外へ出ます。この女川駅も東日本大震災の際に津波により流され、停車中だったキハ40系気動車が津波で山の方まで流されてしまいました。今は建て替えられた駅舎が旅人を迎えてくれます。駅前には道の駅も併設された商店街が形成されており、連休ともあり賑わっていました。

ここでもポケ蓋をゲット。

ついでにご当地マンホールも。道の駅ではマンホールカードも配布しており、当然のようにもらいに行きました。また道の駅でもあるので道の駅きっぷやカードも購入したりで大忙しです。

駅から歩いて海の方へ。湾に面して漁港が広がっており、海からの風が心地よく吹いていました。静かな海ですがあの日は様相が一変し、津波が町を襲いました。

海から町の方を見ます。主な場所はかさ上げがされており、先ほどの商店街あたりも高くなっています。海の方から見ていると山の緑と、街中の緑に大きな差があるのが見て取れ、あの日、津波が襲来した箇所との差を感じざるを得ません。

そして、その中にあるのが東日本大震災遺構として保存されている旧女川交番。

あの日まで街中にしっかりと建って町の治安を守っていた交番が、いとも簡単に引き倒され、基礎までむき出しになって横倒しになっている様は、自然の脅威というものを感じます。

ただし震災から11年が経過、保存されているとはいえそのまま放置されているような印象を与えるような草木伸び放題の様はどうかと思います。保存はしたはいいけど負の遺産なので手入れはしたくないというメッセージが感じられ、非常に残念な気持ちになります。周囲の写真などの展示物は立派なものなので、手入れをして次の世代へと伝えていってほしいものです。

ちなみにこちらが被災当時の旧女川交番。写真だけでもすごさが伝わってきます。

ちょうどお昼時になったので、魚屋さんが経営する食堂で海鮮丼をいただきました。店内で食べるのはどうかと思いましたが、テラス席があったのでそちらで海風を感じながら美味しくいただきました。

帰りは1321発小牛田行き普通列車に乗って小牛田経由で仙台へ戻ります。冷たいお茶を買って涼しい車内で涼んでいると程なく発車。今度は2両編成なので程良く空いていました。車窓を眺めながらのんびり過ごします。小牛田には1430着。乗り換える前にトイレに行っておきます。
小牛田で1445発東北本線仙台ゆきの普通列車に乗り換えると、青春18きっぷ族でしょうか、普通列車を乗り継いで旅をしている風情の人がちらほら。とはいえ座れたので仙台まではほとんど寝てました。1531に仙台に到着。乗車予定の新幹線は1634発やまびこ148号東京ゆきですが、荷物を回収して早めに新幹線ホームへ上がってしまいます。

新幹線ホームへ上がると、緑色の新幹線の姿が…。

この緑の新幹線の運行情報はJR東日本のサイトに出ており、運行予定に入っていなかったのでちょっとびっくりです。一応回送列車ではなく、「やまびこ 東京」と表示されていることから、どうやら乗車する新幹線のようです。

珍しい新幹線に色めき立つ仙台駅…というわけでもなく、穏やかな感じです。ほとんどの人は先発のはやぶさ・こまち号に乗るようで、仙台からやまびこ号に乗るのは物好きといったところでしょうか。ほとんどガラガラのまま定刻に仙台駅を発車。この緑の新幹線は開業時からJR化前まで使われていたご当地チャイムが復活しており、停車駅ごとにご当地チャイムがながれていました。もっともそのあとは定番の堺正幸アナのお声ですが。

帰省ラッシュは始まっているのですが、逆方向で夕方の臨時の新幹線ともあって終始車内はガラガラの状態。のんびりと過ごして東京へ戻ります。東京には1836着。さすがに東京駅は混雑していました。東京駅からはいつもの通路を通って京葉線で帰宅しました。


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