※ただし、連れていった専属カメラマン(?)から、まだ、データを貰っていないため、私がコンパクトカメラで撮った写真と、1年ぶりに会った友人から入手した1年前の写真を織り交ぜてお送りします。
当日の天気ですが、15時過ぎから少し雨が降ったものの、それだけで、全く問題なし。
逆に、山上に移動する際、涼しくて良かったくらいです(どうせ、Tシャツが絞れるくらい、汗だくになりますから、カサもカッパもなしです)。
上に着く頃には、雨も上がり、良い感じ。
ここから「火床」を組んでいきます。
写真左は「大」の字の右下側の払いの部分。場所によっては、かなりの斜面です。
写真右は組み上げた「火床」。
銀閣寺前で受け付けている「護摩木(有料)」で組んでいきます。
これは真直ぐに組み上げないと、火をつけた後、傾いて倒れ、長い時間、燃えてくれませんから、かなり慎重に作っていきます。
この「火床」がきれいに最後まで燃えれば、その家が1年間繁栄する、とされ、ふもとの家から親族・関係者(主に女性)がチェックされていますから、責任は重大です。
護摩木は松の木で、これを2本ずつ、交互に「口」の字を作るように組みます。
そして、2本の木の間に松葉を下向きに挟み込み、火つきをよくします。
出来あがると、高さは土台を含めて170cmほど。
あとは夕立ちに備えて、ビニールシートを掛けて、20時まで待ちます。
メンバーには、年に一度、この日にしか会わない人も多く、色々な話をしながら、時間を過ごします。
※「年に一度」なので、よく、「織姫と彦星かっ?」って話が出ますね。。。
そして、夕焼けを見ながら、気持ちと集中力を高めていきます。
その頃の京都市内を見ていると、至るところに車の列、また、御所や鴨川沿いに多くの人が居られることが分かります。
19:45くらいになると、京都市内の多くのライティングが消灯されていきます。
京都タワーや大きなネオン等。この日はゴルフの打ちっ放しも16時頃で終了というのも多いです。
本当に多くの方々にご協力を頂き、感謝の言葉以外にありません。
そして、19:55。 5分前です。
この頃になると、身内が懐中電灯をつけるのも憚られる状態。
真っ暗な中で「点火」の瞬間を待ちます。
20:00
「大」の時の中心部(「要」と呼ばれる縦横の交差点)で、大きなタイマツが振られ、その後の「点火!」の掛声に合わせて、皆で一斉に火を着けます。
ここで、出遅れると、ふもとから見た時に、自分の家の「火床」だけ火が小さい、となりますから、松葉と麦藁から「護摩木」に火が移るまでは、最も集中して火を管理します(基本的には火の着きが悪い部分に回り込み、うちわで必死に風を送る)。
「護摩木」に着火すれば、ちょっと安心です。
この時、京都市内に目を移すと、人のいるところが絶えず、細かく光っています。
みんな、こちらに向けて写真を撮るため、そのフラッシュが光るからです。
実は、この光もかなりきれいだったりします。
飛び散った「火の粉」が周囲の草むらに燃え移らないよう、はたきに行かなければなりません。
しかし、これが、かなり危険な役。
とにかく熱いのです。
昔、小学校でやった「キャンプファイヤー」、あの火に1mくらいまで近づくのを想像して頂ければ分かり易いと思います。
これは体力のある若手(?)が担うことが多く、今年も、私がやりましたが、顔と腕は、軽い火傷状態(日焼けではなく、火焼けですね・・・)。
腕時計なども熱で壊れるので、前以って、外しています。
さっきまで、汗で湿っていたTシャツも熱でパリパリに乾きますね。
そうしているうちに「火」も落ち着いてきて、後は、「少しでも長く、崩れずに燃え続けて」と祈るのみ。
この時に、メンバーと、「今日の護摩木の組み方」について反省をしたりします。
そして、他の山にも「火」が灯もりはじめます。
まず、「妙」&「法」、そして、「船型」、さらに「左大文字」と「鳥居型」。
下から見ていると、「五山」の全てを見られる場所って、回無だと思います。
※私が知る限りです。元々は御所から全てが見えるような配置となっているはずですが、色々な建物により、それも不可能です。
そういう意味では、ここからは全て(自分のところ以外)を見ることが出来、圧巻です。
しかも、下からだと、1個か2個を、人ごみの隙間から見る感じですが、ここからだと、一切の障害物なしで、見おろすような景色。
「役得」だと思いますね。
最後に、「火」が下火になったところで、「消し炭」を確保して下山を開始。
ふもとの家で「消し炭」を渡し、状況説明などを行って「御勤め終了」です!
とにかく体力を消耗しますが、他に換え難い達成感があり、「また、来年!」という気持ちになりますね!
さて、話が長くなりましたので、「専属カメラマンの写真」と「消し炭」の話は明日以降に。
ご期待下さい!!!