『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑲
シムトラの よい知らせ!! Ⅹ
<偶像崇拝>
偶像崇拝について、何度も言及されているが、これがまとめであろう。これで了知出来る。その通りであると思う。
偶像崇拝に至る過程は、いろいろあろうと思うが、基本的には依頼心、依存心がその根底にある。信仰においては他力信仰となろう。依頼、依存することと素直に従うことは意味が違う。その違いは、自己責任に対する姿勢にある。それを放棄する依頼・依存となるし、自己責任の上に省察力を発揮すると自ずと素直となる。
神の似姿に創られたならば、神を発現することこそその意に叶う。これは神になることではない。その似姿に生きることである。親から生まれた子は、親の意に叶う生き方をすべきである。親に取って代わることではない。その為に偶像は必要ない。
モニュメントとして、偶像は許されるか。当然許される。しかし、崇拝は必要ないし、許されない。崇拝するのは神以外にないというのは、おしゃぶりを母の乳房として、後生大事にしている幼児のごとくで、そのままではその子は餓死してしまう。本物の乳房にむしゃぶりついてこそ、その子は生きる。と言うことであろう。
【転載開始】
神は、この地もあの天も含め全てを創造されました。<o:p></o:p>
神は、人を神の似姿(神の像)としてお造りになりました。そして、神は祝福して、人が生き物を支配するように言われました。<o:p> </o:p>
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1章26節)
<o:p></o:p>本来の「人」は、「神の似姿・神の像」として造られたのです。<o:p></o:p>
人が神の像なのに、何故他に像が必要あるでしょうか。<o:p></o:p>
人が神の像なのに、何故人が自ら像を作り、その命もない像に仕えなければならないのでしょうか。<o:p></o:p>
人が神の像なのに、何故人が神以外のものに仕えなければならないのでしょうか。<o:p></o:p>
神は、人を神の像として造られたので、他に像は必要なく、偶像崇拝を禁じられるのです。<o:p></o:p>
偶像崇拝するということは、自分自身で自分を偶像以下のものにしてしまっているのです。<o:p></o:p>
人は、神の像として神によって造られたのですから、神以外の何かに仕えることなどあり得ないのです。<o:p></o:p>
人が、崇め、拝み、ひれ伏し、畏れ、敬い、讃美するのは、神以外にはおられないのです。<o:p></o:p>
しかし、現代の状況はどうでしょう。右も左も偶像だらけ。全ての造り主である神に依り頼まず、自分で動くこともできない、勿論息すらしていないものにすがり、願い求めています。しかも、ほとんどの場合願うことは自分にとって都合のいいことばかりです。<o:p></o:p>
日本には「苦しい時の神頼み」という言葉があります。自分が苦しいときだけ、自分にとって都合のいいように救いを求める。しかも偶像に。そして、ほとんどの人が、それが気休めでしかないことを分かっている・・・。<o:p></o:p>
神が禁じておられるのに偶像を崇拝し、偶像に向かい自分の都合のいいように願い求める。それで救われるわけがありません。偶像崇拝は、すなわち滅亡への道なのです。【転載 続く】