飄(つむじ風)

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『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑱

2008-05-17 09:08:24 | 預言

『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑱

シムトラの よい知らせ!! Ⅸ

<今、一日一日と神の裁きの時が迫っています。>

<写真は記事に無関係>

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 全く同感である。一言の差し挟む余地はない。それぞれ、異論反論はあるであろう。それはそれで結構である。しかし、それは人間の意見であって、創られた側の意見であるとしたら、それまでである。その前に、素直に耳を傾けたいものである。

 所詮は、創られ、生かされていることに間違いはない。それをどう否定しようにもしようがない。明日、無常の風が一吹きすれば、誰も彼も、身一つはおろか、全ての栄耀栄華、財産、自由に出来ることなく、黄泉の世界に入ることは間違いない。その時、どうあがいても遅いのである。その時は、無に帰すると信念の人も、そうではないと信じる人も、ただ一人対応しなければならない。

 そうでなく、生まれてきたときと同様に、見守られ迎えられ、育てられてきたことを思い出せば、無常の風が一陣吹いたとき、創り主に見守られ、迎えられ、歩むべき魂の新たな行く末を示されるとしたら、何という幸せなことであろう。それは間違いない。

 ならば、幼子のごとく素直に、来し方を反省し、真実が示されたならば、従うという姿勢が近道である。

【転載開始】今、一日一日と神の裁きの時が迫っています。

どうして神は裁かれるのでしょう。一体何を神は裁かれるのでしょう。誰が「裁く」と言っているのでしょう。それは、この世の全てをお造りになった神御自身が「裁く」と言っておられます。

何故神は御自分の造られたものをお裁きになるのか・・・。それは人間が万物の造り主であられる真の神に対し、背き、悪に悪を重ねているからで、その悪を行っている悪しき者たち、また悪しき時代が神によって裁かれ終わるのです。
そして、その後、真の信仰が花開き、真の神の国が到来するのです。

神の言われる悪い行いとはいったい何でしょう。
今世の中で起こっている様々な犯罪でしょうか。勿論それは当然悪いことです。でも、神の言われる最も悪い行いとは、人間の作ったものを崇拝し、それにひれ 伏すこと、また、真の神以外のものをあたかも救い主のごとく依り頼むこと、自ら傲り高ぶり神を畏れ敬わないことです。それは、真の神に対しての「不信仰」 そのものです。

そういう人々が、今現在は人の目には裕福でとても幸せそうに見えるかもしれない。でも、神が裁かれる日、どうあろうとしてはならないことをしていたら決して救われることはないのです。

人 は自分の命さえ、自分でどうすることもできません。まして、その人間に作られ、自分で動くこともできないものに人を救うことができるでしょうか。私たちの 魂を贖い、救うことができるのは、唯一絶対の存在である神のみです。そして、人間が作ったものの中に神はおられないのです、絶対に。

 それがしてはいけないことだと知らず、真の神を知ることもできず、ただただ救われたくて神以外のものに必死にすがっている人もきっとたくさんいることでしょう。

では、救われたかったらどうすればよいのか。答えは一つです。

自 分の力、あるいは人間の力で生きているような大きな勘違いはやめ(神が私たちを消し去るおつもりなら、一瞬にして消え去ってしまいます)、人間の作ったも のを崇拝するのをやめ(像は勿論ですが、財産、学歴、名誉なども同じことです)、ただただ神を畏れ敬い、慕い求め、神に従うことです。

「お腹がすいてペコペコだよ。お願い、パンをちょうだい。」と言っている我が子に親が石をあたえるでしょうか。神と私たちも同じことです。

人間は栄華のうちにとどまることはできず、死ぬ時は何一つ携えて行くことができず、名誉がその人の後を追って墓に下るわけでもありません。人がどんなに財宝を貯えたとしても、それを他の人に遺さねばなりません。人はいったい何を信じ、何に依り頼むか・・・。

また、人は自分の罪故に罰せられます。子が親の罪を負うことはなく、親が子の罪を負うことはないのです。すなわち、親がどんなに神に逆らおうと、子がどんなに神に逆らおうと、その人自身が罪から離れ神に従うならば、神は決して拒むことなく必ず受け入れてくださいます。

神は何故、これほどまでに神の御目に悪とされることを行う人間をすぐにでも滅ぼし尽くさないのでしょう。

まだ時が満ちていないということもありますが、それは、神が私たち全ての造り主であり、一人でも多く神に気付き、神のもとへ立ち帰ってほしいと願っておられるからにほかなりません。それほどまでに私たち人間は神に愛されているのです。

では、まだ神に気付いていない人々がそれほどまでに神に愛されているならば、神に従った人はどうなるのでしょう。

た とえ世の中がどのようになろうと、どうすればよいか行くべき道を神は必ず教えてくださり、また、神に逆らう者たちが、神に従う私たちを滅ぼそうといかに戦 略を練ろうとも、神がその敵を撃って滅ぼしてくださるのです。そして、たとえ山々が揺らぎ海の中に移り、海の水が騒ぎ沸き返りその高ぶるさまに山々が震え るとも、必ず必ず神が守ってくださるので何も恐れることはないのです。

一体人間の作ったどんなものにそのようなことができるでしょうか。 

神は全知全能であり、御旨の成就を人間が妨げることなど決してできないのです。

神の御前に、私たちは良いことも悪いことも心の奥にしまったどんな小さなことさえも、隠すことなどできません。「どうせ誰も見ているはずがない。自分の繕った心の中までわかるはずがない。」・・・いいえとんでもない、神は何もかも全て御存知です。

 本当に裁きの時は迫っています。今こそ自らの悪しき行いを捨て、神に真の救いを願い、依り頼む時です。

 神に従って初めてそれまで自分を縛っていた様々のものから開放され、そのままでは決して知れ得なかった喜び、楽しみに満ち溢れることができるのです。

裁きの日の後、何一つ欠けることのない真の信仰が花開いた本当の神の国が到来します。

あなたも「真の神の国」に生きたい、そう思いませんか?【転載 続く】