乳房(にゅうぼう、ちぶさ)とは哺乳類の雌が持つ授乳器官。単に乳(ちち)あるいはお乳と も言い、俗に「おっぱい」とも呼ばれる。
性的アピールとしての乳房の役割について、動物学者、デゾモンド・モリス(Desmond Morris、1928年1月24日― )の『裸のサル』によると、ヒトの祖先が四足歩行していた時代は尻が赤く大きければ性的なアピールが出来た。やがて二足歩行をする様になるに従い、目線が上がり尻での性的アピールは目立たなくなった。そのため胸部を大きくし谷間が尻の代替品として機能し始めた。それが時を経て、いつの間にかバストそのものが性的器官の一つとして認識されるようになった、という説がある。
この他にも乳房の発達とその性的意味に関しては多くの議論があり、定説はない。性的な意味を否定する説すらある。
今でも、モンローウォークに代表されるように、臀部は非常にウエイトの高いセックスアピールの器官として認知されています。
また、ヒトの乳房は、神経終末が集中している乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。医学博士の志賀貢によると、クリトリスの性感を100とすると、乳首の感度は80前後という事である。
現在の西欧や日本に関して言えば、乳房の存在は明らかな性的アピールであり、女性の肉体の性的魅力の大きな要素をなしている。女性特有の器官である乳房の大小は、近年社会的にも影響が大きく、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い。また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ事がある。
また、性行為においては、乳房への愛撫は大きな位置を占める。歴史をたどっても、女性の乳房に性的意味を付したと思われる例は枚挙にいとまがない。そのような点から、乳房は性的意味合いを持って進化したのだと考えるのはある程度は当然であろう。
では、なぜヒトにだけこのような進化が起きたかであるが、上記のようにモリスはこれをヒトが直立姿勢を取り、四つ足の姿勢を取らなくなったことに依るとした。多くのサル類では発情期に雌の尻が色づき、これを雄に示す行動が知られる。立位ではこれが出来ないため、似たような構造が胸に発達したという説である。
また、性的愛撫の対象になったことに関しても、正面から向き合う交尾姿勢を取るようになったことから、直接に触れる位置にある乳房がその役割を担うようになったとする説もある。常時発達した状態にあることも、発情期に関係なく性的交渉を持つようになったことと関係づけて理解できるとする。
他方、このような説に対する反論も根強い。特に問題なのは、サル類においては、乳房が発達するのは妊娠期か育児期間であるという点である。つまり、ヒトの先祖において、まだ現在のような乳房でなかった時点ではサルと同じであった可能性が高い。とすれば、乳房が発達した雌は、子供を持っている、言い換えれば新たな子供を作れない状態にあり、そのような雌は求愛の対象にならないはずである。求愛の対象外であるサインとなり得る「発達した乳房」が性的魅力を持ち得るはずがないというのである。
未開発の地で暮らしているヒトたちの中には、裸同然で生活しているものもいる。布をまとっていても、乳房をあらわにしているヒトたちもいる。それらのヒトたちは乳房に性的関心を持っているとは思えない。
さらに、乳房の性的意味合いすら否定する説もある。現在社会では明らかに乳房を魅力としているが、過去の他の社会では必ずしもそれを認めない例があるというのがその理由のひとつである。
たとえば「江戸時代の日本においても田舎で暑いときは普通に女性が上半 身裸であり」が乳房に性的意味を感じたためか、単にある肉体的特徴としか見なさない、当たり前の存在と見なしたからなのか、判断できません。しかし、和服が乳房の形を隠す方向に進んだことは間違いない。その反面「柳腰」という言葉があるように臀部には性的魅力を持っていたことは間違いない。ヒトの場合、生育歴や文化の影響が大きく深いため、種としての本来のあり方、といった議論が難しい面もある。
なぜヒトは発情期を失ったのか。ヒトやサルの性についての著書を多数持つ京都大学名誉教授・大島 清氏によれば、その理由はこうだ。
「ヒトの脳の前頭葉が異常に発達したからでしょう。前頭葉はヒトの精神活動をつかさどっていますが、それが肥大し、本能にも影響するようになった。それに、普通の動物であれば、のべつまくなし交尾可能なら、排卵期に交尾したくなくなる可能性が高まって生殖効率が下がる。
ところが、ヒトは妊娠期間が長く、一度にそれほど多くの子は産めないし、脳が大きいと胎内発育に時間がかかるため、危険も大きい。子育ても非常に長く大変で、もし育児途中で命を失わせでもしたら、子が欲しくとも次の発情期まで待たねばならない。いっそ発情期をなくして、交尾・妊娠する可能性を増やそうという選択をヒトという種はとったのかもしれません」
つまり、知性の発達とともにヒトはいつでも発情できる動物になったというわけだ。発情期だからと単純に交尾していては、人類としての理性に関わる。
ともあれ、こうしてヒトは発情期を失ったという説が有力のようである。
動物は本能で子孫を残す為に発情し、子孫を残す目的で交尾をします。
人間は本能で交尾をする時もありますがそうでない時もあります。本能のみで行動している訳ではないのです。本能で交尾をしようとすると犯罪になる恐れさえあります。
つまり行動や理性に抑制をかける事が出来る動物なので発情させる事によって、無理矢理子孫を残したりせずに自分達の考えで、しかも動物と違って絶滅の危険をある程度回避出来る状態で子孫を残す事が出来るようになった為、発情がコントロール出来るようになったのです。
私たち人間は、自分の性器が他者、とりわけ異性の他者に見られることに強い羞恥心を感じる。植物は、自分の性器である花を、それこそ「華々しく」誇示し、動物も、自分の性器の露出を恥ずかしいとも何とも思っていない。なぜ人間だけが恥ずかしそうに自分の性器を隠さなければならないのか。
私たちが、性器を隠蔽(いんぺい)しなければならないのは、セックスをタブー化するためなのかもしれない。しかし、この推測は、なぜセックスをタブーにしなければならないのかという新たな問いを生じさせる。セックスをタブー視している動物は人間だけである。
動物の中には、隠れてセックスをするものもいるが、それは交尾中に捕食動物に狙われないようにするためとか、メスを独占しているアルファオスの目を盗むためといった動機に基づくのであって、恥ずかしいから人目を避けて性交するという動物は人間だけである。
文化によっては、人前でのセックスが宗教的儀式として行われるところもあるが、そうした例外は、かえって衆人環視の元にセックスすることの非日常性を証拠立てている。
1914年(大正年)のアメリカでのこと。彼女はふと思い立って、2枚のハンカチとリボンを使い、胸を覆う下着をつくった。これがあればコルセットはいらないと友人たちにも好評で、「私にもつくって」との依頼が相次いだ。気をよくした彼女は、この下着を「バックレス・ブラジャー」と命名し、特許を取得した。
彼女の名は、マリー・F・ジャイコフ。元手は2枚のハンカチとリボンを合わせて5ドル。製品の権利を売ったときの値段は1万5千ドルだったそうです。
日本にブラジャーが広まったのは洋服が一般的となった戦後のこと。
余談ですが、若い、つまり未熟なメスを好む哺乳類はヒトだけだそうです。
したっけ。