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「虎穴にいらずんば虎子を得ず」について考える

2010-01-21 12:54:01 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

虎穴(こけつ)に入()らずんば虎子(こじ)を得ず

Photo_3 《「後漢書」班超伝から》危険を冒さなければ、大きな成功は得られないことのたとえ。

辞書:大辞泉

後漢の班超(はんちょう)の言葉に由来する。

Photo 後漢(ごかん:25 - 220年)は中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢と紛らわしいので、現在では東漢と言うことが多くなってきた(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。

Photo_2 班 超(はんちょう、32 - 102年(建武9 - 永元14年)中国後漢の軍人。字は仲升(ちゅうしょう)。班固の弟。西域(現 在の新疆ウイグル自治区あたり)に匈奴(きょうど:前3世紀末から後1世紀末にかけて、モンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族。)を追って後漢の勢力を広げ、その後は西域都護として長く西域を保持した。

『後漢書』では「燕頷虎鬚(えんがんこしゅう:ツバメのあごとトラのヒゲをもつ顔)」と描写される。

Photo_4父班彪、兄班固、妹班昭と班超の一家は歴史家一家であった。班超も兄と一緒に幼い頃から歴史を学んでいたが、明帝の勅命により将軍竇固(とうこ)の匈奴討伐軍が組織されると参加した。

鄯善国(ぜんぜんこく)に使者として行った時に、初めは歓迎されたが次第に雰囲気が悪くなってきた。その時匈奴の使者も来ていたのである。

このままでは殺されると考えた班超は怯える部下達に「虎穴に入らずんば虎子を得ず不入虎穴焉得虎子)」と勇気付けて、匈奴の一団に切り込んだ。班超たちは36人しかおらず匈奴ははるかに多かったが奇襲を受けた匈奴の使者達は慌てふためき、見事班超たちの大勝に終わった。

鄯善国

楼蘭(ろうらん:推定されている現地名はクロライナ)は現在の中国領新疆(しんきょう)ウイグル自治区に存在した都市、及びその都市を中心とした国家。西域南道沿い、孔雀河下流のロプノール湖の西岸に位置し、シルクロード交易で栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。

誰が、何のために虎穴に入るのか?3

漢の時代の故事成語ですが、当時、虎の毛皮が高値で取引きされていました。

Photo_5 中でも子どもの毛皮は柔らかく、特に貴重だったからだそうです。

虎の子を得るためには、死をも覚悟して虎の穴に入らなければならないが、その代わり、運良く虎の子を手に入れることができれば大もうけをすることができる、ということから、大きな成功を望むとしたら、それなりの危険を冒す覚悟をもたなければならない、という教えです。

したっけ。

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