今年も年賀状の心配をする時期になってまいりました。
どれくらいだそうか?
どんな図柄にしようか?
印刷屋の出来あいで間に合わそうか?
いろいろ考えていると思います。
1年に1度、それぞれの健康を祝い、無事息災を願う心情は、人類普遍のものなのです。
そのような年賀の習慣は、当初、家族内や狭い共同体内で、お互いに顔を合わせて行われていたのでしょう。しかし、社会が複雑化するにしたがい、その日に直接会えない親戚・知人の数も増えてきます。そんな人に対して、年賀の意を伝えるため、文字や紙の普及とともに書状が交わされるようになったことも容易に想像できます。
ことに、陰陽道などの影響で正月が重視され、儒教など礼節を旨とする文化が根づいた東アジア(中国・朝鮮半島・日本)では、古くから、そういった「年賀の書状」が交わされていたのです。
その「年賀の書状」が成り立つには、「暦」と、「紙と文字」の普及が不可欠です。もちろんそれだけでなく、その書状を送り届ける通信の手段も必要でしょう。
■604(推古12)年 正月初めて暦日を用いる
日本に百済から中国式の暦が伝わったのは6世紀中頃、それが大和朝廷に正式に採用されるのは7世紀の初めです。漢字の伝来はそれより古く、紀元前後と考えられていますが、当初は木片に書かれるのが普通で、紙が比較的容易に手に入るようになるのは6世紀以降です。
■646(大化2)年 「飛駅使」制度、「朝賀の式」始まる
その後、7世紀中盤の大化の改新によりさまざまな制度が整えられ、政治的な伝令書を届けるために畿内各所に駅馬を置く「飛駅使」制度が始まります。遠くの人との書状のやりとりが行われるようになるのは、これ以降と見ていいでしょう。ここで面白いのは、同じ年に、天皇が諸臣の賀を受ける「朝賀の式」が制度化されていることです。
■10世紀(平安時代) 藤原明衡著「雲州消息」成立
それらから推察すると、日本で「年賀の書状」が取り交わされるのは、7世紀後半(奈良時代)以降のことだと思われます。では、「日本で最初の年賀状」はいつ誰によって出されたのかといえば、残念ながら史料は残っておらず、正確なことはわかりません。
しかし、平安後期に藤原明衡によってまとめられた往来物(おうらいもの・手紙文例集)「雲州消息」には、年始の挨拶を含む文例が数編収められており、この頃には、少なくとも貴族階級の中には、離れた所にいる人への「年賀の書状」が広まっていたと考えられます。
■1185(文治1)年 鎌倉幕府「鎌倉飛脚」開始
その後、中世・戦国期を通じ、「駅伝」「飛脚」などの制度が徐々に確立してくると、一般の書状はもとより、年賀のための書状も多くなっていったと考えられます。戦国大名が賀詞を述べた書状なども多く現存しています。
■1590(天正18)年 家康「継飛脚」開始
さらに江戸期に入ると、街道の整備とともに「飛脚」制度が充実していき、江戸中期には、町人文化の爆発的な隆盛とともに、遠隔地だけでなく、江戸市中を配達する「町飛脚」なども多く現れます。武士階級だけでなく、庶民が手紙を出すことが、普通になってきたわけです。その背景には、寺子屋など庶民教育の急速な普及があったのです。江戸後期にはすでに、日本は世界一、就学率、識字率の高い国だったとも言われます。その寺子屋で読本や習字の手本として使われていたのは、主には前述の往来物と呼ばれる書物です。つまり「よみ・かき・そろばん」の「よみ」と「かき」は、手紙の読み方、書き方を習っていたのです。
■1615(元和1)年 大阪・京都城内「御用飛脚」開始
■1663(寛文3)年 民営の「町飛脚」開始
そうしたことから、すでに江戸時代には、「年賀の書状」が、身近な存在であったと思われます。もっとも、それは、必ずしも1月1日に出されたのではなく、結構のんびりしたものではあったようです。1702(元禄15)年に編まれた雑俳撰集「当世俳諧楊梅(とうせいはいかいやまもも)」には、こんな句が載っています。
「六月に 年始の礼は かへり花」
年賀の手紙の返礼が、梅雨の頃届いていたのでは、狂い咲きに例えられても仕方ありません。
■1870(明治3)年 前島密、郵便制度創設
■1871(明治4)年 明治政府、郵便開始
■1873(明治6)年 郵便はがき発行
■1885(明治18)年 逓信省発足
はがきで歳の始まりを祝う習慣は、洋の東西を問わず、1900年頃から盛んになってきました。日本では、明治6年に官製はがきが発行されて以来、年賀状の習慣は少しずつ増え続け、七福神や鶴、松竹梅などをテーマとしたデザインが主流でしたが、明治33年(1900年)私製はがきの取り扱いが始まり、一挙に年賀状文化が花開く事になります。
十二支が本格的に登場するのは丁度この時期です。官製はがきだと紙が小さいので民間でカラー印刷をするのは難しかったのが、私製はがきだと、大きな紙で印刷して断裁して仕上げられるため、当時の石版印刷やエンボスの技術を使って、美しい干支のはがきが数多く作られ、発売されました。
■1890(明治23)年 年賀状繁忙期の1月1日~3日までの集配度数を減らす
■1899(明治32)年 指定局で年賀郵便物特別取扱開始
■1900(明治33)年 私製はがき認可(新郵便法)
■1905(明治38)年 全局で年賀郵便はがき特別取扱開始
■1906(明治39)年 年賀特別郵便規則公布 法的に制度確立
■1907(明治40)年 通数制限撤廃 ポストへの投函も可能となる
明治42年(1909年)が酉の年にあたりますので、写真のようにこの年の年賀状に発売されたはがきが、本格的なとりの年賀状(私製)の始まりということになります。
年賀状についての新聞記事(明治14年~32年) (ていぱーくホームページより) ●中外郵便週報 1881-0103(明治14年) 「郵便局員は屠蘇気分で正月を祝っていると世の中の人は思っているが、実は元旦にポストの差入口よりあふれんばかりの取り集めている…」 (以下資料提供・林丈二氏) ●改進新聞 1884-1201-1(明治17年)火曜日 「大蔵省印刷局にては、来年一月の年始に使用するため、日の出松などを彩色せる年始郵便端書を発行さるる趣きなり。」 ●時事新報 1885-0108-2(明治18年)木曜日 「毎年一月一日、東京市街郵便物の配達は、ただ一回なりしが、本年よりは三回を増加して、午前に二回、午後に二回、都合四回になりたり」 ●絵入自由新聞 1885-0108-2(明治18年)木曜日 「年始状増加、年々各地より横浜港に達する年始状は三万枚前後なりしが、本年は大いに増加し六万枚以上に昇りしという」 ●時事新報 1892-0102-4(明治25年)土曜日 「郵便年札の違礼 近年年始の回礼を略し、郵便に託して新年を賀するは多事なる当世には適当の方便なるも、未だ新年に入らざる年末中、早くも謹賀新年の郵便を発するより、まれには旧ろう中年始状の先方へ達したる箇所もありしよし。守旧家にはこれを違礼なりと言うもありしと」 ●都新聞 1894-0105-6(明治27年)金曜日 「三日間の郵便物 東京郵便電信局において一、二、三の三日間市内に配達せし信書の総数は 一日、四十万一千八十四通 二日、五十万一千四百四十三通 三日、四十七万三千六百九十通 にて、これを昨年一月の三日間に比するに、昨年は三日間において三十八万以上に上りしことなかりしも、本年は四十万以下に下りしことなし。しかして昨年は十五名の掛員のところ、臨時二名の補助員を雇入れ補助せしも、本年は十五名限りにて補助をば雇入れざりしよし」 ●読売新聞 1899-0108-4(明治32年)日曜日 投書「何事も簡便の世の中ながら年始状の活版刷なると肉筆なると、そを受けたる人の感、何(いず)れか深き。(感慨生)」 |
明治38年に1億枚(推定)を突破した年賀状は、明治39年末に郵便規則が施行され、取扱期間が12月15日~29日と定められたこともあり、明治40年の年賀状は2年前の4倍に近い4億枚に達した。(年賀状の4億枚という数字は、この年度の全郵便物の30%を超える数字だった)
明治39年用の年賀状を機に、それまでとは一線を画する美しい私製の年賀はがきが市販されるようになり、年を経る毎にその枚数(種類も)増えていった。
明治42年(戌年)の年賀状に至っては1500種類を超える絵葉書が市販され、街の絵葉書屋が賑わった。
年賀状といえば、日本固有の文化のように考えがちですが、欧米でもクリスマスカードやイースターを祝うカードと並んで年賀状も大変盛んな時期がありました。1900年前後、エンゼルや時計、カレンダーや四葉のクローバーなど様々なモチーフを使った年賀状が発売され、交換されています。
ただ、欧米では年賀状のブームは、習慣として定着せず、1920年頃を境に、ほとんどその姿を消し、クリスマスカードで年賀をかねる事が主流となっていきます。これは日本と比較して考えると、歳を十二支になぞらえる習慣のあるなしが、この文化の違いになってきたのは明らかであり、日本人の見立ての思想が年賀状文化を支えているといえます。
明治から、大正、昭和のはじめにかけて順調に伸びてきた年賀状も昭和16年の開戦とともに、一時期ほとんどがその姿を消してしまったのですが、戦後、昭和24年から発行され始めたお年玉付き年賀はがきとともに、再び息の長い文化として定着してきました。
100年以上の時を経て、今の私たちが見ても美しい、感性豊かなはがきとなっています。はがきの白い部分は細かいエンボス(浮き出し)加工が施され、まるで芸術品のようです。
この日本の文化とも言える「年賀状」を「アケオメ」で済まして良いものでしょうか。
念のため申し添えますが、来年は申年です。
過去記事↓
【かってにせんでん部】
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っています。
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
☆ミニマルシェ12月のイベントのご案内☆ ☆ショップ イベント☆... ”アロマで大掃除!スプレー&クレンザー作り” ”お肌にやさしいアロマクリーム作り” ☆ミニミニマルシェ☆ ☆カウントダウンパーティー☆(予定)
店内はすっかりクリスマスモードです。
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したっけ。
毛筆年賀状手本 | |
クリエーター情報なし | |
木耳社 |
それは何と申し上げていいのか・・・^^
したっけ。
ぎりぎりにならないと・・・。
同じです^^
したっけ。
入院してる義父の具合が。。。
どうなるか。。。
年があけ、いただいた年賀状にお返しするかと思います。
うちもまだ全然です。
早く用意しなくっちゃなんだけど。
毎年ぎりぎりなんよね。
私もずいぶん減らしたんですが、最近また増えてきました。
友達が増えたってことは嬉しいですよ^^
したっけ。
久しぶりに私も版画にしようと思っています。
これからです^^
したっけ。
いつもありがとうございます♪
年賀状は毎年出すのは減らして
今年は10枚以内で写真を入れて
プリントアウトするだけです。
今日も訪問が遅くなりすみません。
宛名書き
5分の1くらい(汗)
年賀状で
その方の様子わかります。
いつまでも
なくなってほしくない風習
ですね。
・・はなこころ
毎年かいてますよ。
友達の輪、大事にしてますからね^^
したっけ。
ネットで世界中に挨拶出来るし^^
年賀状は、普段付き合いができないかたとの年に一度の交友だったりしますよね。
ああ、アイツまだ元気だったんだ・・・^^
したっけ。
最近は出さない方も多いようですが、もらうと嬉しいですよね^^
したっけ。
何種類か作りました。
都月さんみたいに絵を上手に描けるといいのですけど^^
表書きとひとことを筆で添えてます。
気がすすまないでいたのですけど、年賀状は日本の文化ですね。
まだ1/3ぐらいしかやってないので頑張ります^^
いただいた方にゆっくり近況報告なんてだめかなあ。