goo blog サービス終了のお知らせ 

団塊オヤジの短編小説goo

Since 11.20.2008・時事ニュース・雑学・うんちく・豆知識・写真・動画・似顔絵師。雑学は、責任を持てません。

「月下氷人【げっかひょうじん】」について考える

2010-06-18 09:32:00 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

中国の「晋書」の中にある、狐策(こさく)という男が月の光る氷の上に立っていると、氷の下に人がいて、その人と話をした夢を見たという話からきた言葉で、仲人をさす。

この夢を見た狐策は、策紞(さくたん)という占い師に夢の話をして占ってもらったところ、「氷の下は陰、氷の上は陽だが、陰と陽が話し合ったのだから、氷が溶けるころにあなたは結婚の仲立ちをするだろう」と予言され、その翌日に土地の有力者から「息子の結婚の仲立ちをしてほしい」という依頼を受けた。結果、その結婚はうまくいったという謂れからきている言葉。

Photo Photo_2

 

冰人ひょうじん【氷人】辞書:大辞泉

《晋の令狐策(れいこさく)が、ある夜、氷の上に立って氷の下の人と話した夢を見た。これを占いの名人索紞(さくたん)が媒酌をする前兆だと夢解きし、実際にそのとおりになったという「晋書」索紞伝の故事から》媒酌人。仲人。月下氷人。

月下老人

【げっかろうじん】

月下氷人、仲人、媒酌人。“月老”ともいう。

唐代、韋固(いご)という人が月夜に老人が書物をひも解いているのに出あった。その書物を覗いてみたが1字も読めなかったので、老人に尋ねたところ、それは天下の人の縁組を記した本で、老人は縁組を司る神であることが分かったという伝説から。

 “月下氷人”は“月下老人”であったり“氷人”といわれたりしますがどれも意味は仲人、媒酌人のことであり、日本で専ら使われる“月下氷人”は“月下老人”と“氷人”を組み合わせて“月下氷人”となったかと思います。

  “月下老人”の由来を紹介した「続幽怪録」は唐の李復言により書かれたものですがその話を紹介しましょう。

*********************

Photo_3

唐朝の時に韋固という名の人が居りました。ある時彼は宋城というところに旅をしました。一日中街をぶらついて、とうとう夜になってしまいました。ふと見ると月光の下で一人の老人が「赤い紐」がはみ出た袋に凭れかかって本を読んでいるのを見かけました。

韋固は大いに好奇心を持って老人にたずねました。「あなたは何の本を読んでいるのですか?」老人が答えて言いました。「この本は世の中の男女の婚姻のことが書いてあるのだよ」

韋固はそれを聞いてなおさら興味がわいたので、重ねてたずねました。「あの袋の中の“赤い紐”は何に使うのですか?」老人は笑って言いました。「この赤い紐は将来夫婦になる男女の魂を結ぶのに使うのだよ。例え男女が仇同士であったり、遠く離れていたりしたとしても、この赤い紐で彼らの魂を結ぶだけで、夫婦になれるのだよ」

韋固はそれを聞いてとても信じられませんでした。老人は彼に冗談を言ったのだと思いましたが、やはり好奇心を捨てきれず、もう少し何かたずねようと思った時には、老人はすでに立ち上がり本と袋を持って、隣の米市という街の方へ歩き出しましたので韋固も老人について行きました。

米市の街に着くと、そこで彼らは三歳くらいの女の子を抱いた盲目の女が、こちらへ向かって来るのを見ました。老人は韋固に「あの盲目の女に抱かれた少女は、あなたの将来の妻ですよ。」と言いました。丁度その時、一人の気の狂った男がいきなり現れて、あっという間に少女の額のあたりを刃物でひと突きして逃げ去りました。それは一瞬の出来事で、幸い少女の命には別状はなかったのですが、気が付くといつのまにかあの老人は影も形も見えなくなっていたのです。

そのことがあって14年後に、韋固は素敵な婚約者を得ました。相手は相州の王奏(おうそう)という名の郡主の娘で、育ちも良く、美しい人でしたが、眉の間に小さな傷跡が有るのが気になりました。韋固は胸騒ぎがして王奏に「彼女の眉の間の傷跡はどうしたのですか?」とたずねました。

 王奏は言いました。「話すのも腹が立つのだが、14年前の宋城でのこと、ある日保母が私の娘を抱いて米市という街を通りかかると、一人の気のふれた男が突然現れて理由も無く娘を刺したのだ。幸い命には別状がなかったものの、あのように傷跡が残ってしまった」

韋固はそれを聞いて大変驚き、14年前のあの時の出来事がありありと頭によみがえってきたのです。そして恐る恐る王奏に聞きました。「もしかしてその保母は盲目の女ではありませんでしたか?」王奏は驚いて言いました。「その通りだ、でもどうやってそのことを知ったのだ。」

韋固は大変に驚きしばらくは口もきけませんでしたが、やがて落着くと14年前に月下で老人に会ったことの一部始終を話しました。それを聞いて王奏はしばらくのあいだ本当かどうか信じられない様子でした。

韋固は月下の老人の話が決して冗談などではなかったことがはっきりと分りました。そして自分たちの婚姻は本当に神が定めたものだということが分りました。 韋固夫婦は改めてこの婚姻を大切に思い、お互いを大事にしながら暮らしました。

この故事の言い伝えによって、人々は「婚姻は月下老人に赤い紐で結ばれることによって縁組が決まる」と信じ、以後媒酌人のことを”月下老人”、略して”月老”と呼ぶようになりました。

Photo_4

 

夫婦になる約束をすることを「赤縄(せきじょう)の契(ちぎ)りを結ぶ 」というようになりました。「赤い糸」の原典はここにあったのです。

したっけ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« MY GARDEN 2010.06.17「大甘... | トップ | MY GARDEN 2010.06.18「スズ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑学・豆知識・うんちく・小ネタ」カテゴリの最新記事