語源は「ありやなしや」と言うひらがな言葉だとする説があります。これを漢文で書くと「有耶無耶」となり、これをそのまま「うやむや」と読んだという説です。
つまり、この説が本当なら、誕生の順番は「ありやなしや」から、「有耶無耶」となり、「うやむや」となったということです。
ところが、実際には「うやむや」という言葉を、「有耶無耶」と書き換えたために「ありやなしや」という言葉が誕生したという説もあります。
つまり、「うやむや」というのは「もやもや」と同じように、本質的には「やまとことば」だったと考えられるというものです。
「有耶無耶」語源説はもっともらしいのですが、これも後付の眉唾らしいのです。
では、「やまとことば」って何かということになります。
漢字の読み方には、古代中国での読み方「音読み」と、日本でしか通用しない読み方「訓読み」がありますよね。この訓読みが「やまとことば」です。もちろん全部がそうではありませんが・・・。
こんな面白い話を見つけました。
南から不動、大師、観音の三つから三崎の名がつきました。三崎公園は、秋田県と山形県の県境にある標高70メートルの三崎山一帯です。鳥海山噴火の溶岩で形成され、海水の浸食で切り立った崖が続きます。
公園内に現存する三崎山旧街道は、箱根の山より険しいといわれ、日本海側の街道随一の難所として知られました。「地獄谷」「駒泣かせ」「沓掛」などの地名が当時をしのばせてくれます。また、松尾芭蕉が象潟をめざして「奥の細道」の旅をした街道としても有名です。
『三崎山の手長足長伝説』
今から1200年程前、三崎山に恐ろしい怪物が住んでいて、そこを通る旅人を捕らえて食べていました。この怪物は、手が長くて鳥海山まで届き、足は飛島までひとまたぎできたといいます。住んでいた岩の洞窟付近には人間の骨が散らばっていました。この怪物を退治しようと出かけていった武士も、帰ってくる人はほとんどいませんでした。道行く人々はおそるおそる三崎山を通っていたのです。
ところが、関所付近の林に三本足のカラスが住んでいて、近くに手長足長がいるときは「ウヤ」と鳴き、いないときは「ムヤ」と鳴きました。ここを通る人々は、これを聞き分けて通るようになりました。それ以来、この関所を「有耶無耶の関」と呼ぶようになりました。
折りから来合わせた慈覚大師はこの手長足長の話を聞いて退治に出かけましたが、捕らえられてしまったのです。しかし手長足長は、大師の鋭い眼力と慈しみの心に負け、しまいには、降参してしまいました。大師は、散らばっている人間の骨を集めて埋め、そこには五輪塔を建てて冥福を祈りました。
その後、手長足長が人間の肉を食べなくなると、タブの木の実を食べさせました。それからというもの、道行く人々も、カラスの鳴き声を聞き分ける必要も無くなり、安心して通ることができるようになったのです。大師が、三崎を去る時に、たくさんのタブの実を蒔いていきました。それが現在、三崎山にうっそうと茂るタブの木なのです。
この「有耶無耶の関」は飛鳥時代からあったそうです。いるかいないかを烏に頼るとは、なんとも「うやむや」な話です。この話が「うやむや」の語源だとすると、鳴き声ですから「有耶無耶」とはなりません。日本語には擬声語や擬態語が多くあります。
有耶無耶(うやむや)の関は蝦夷の侵入を防ぐために9世紀頃に築かれたと言われる関だといわれます。現在の国道7号の山形県と秋田県の県境、三崎峠付近であったとされます。しかし異説があり、国道286号線が通っている笹谷峠(宮城県と山形県の県境)付近に有耶無耶の関はあったとする説もあり、どこに関があったのかは実は分かっていません。
したっけ。
アハハッ♪
その人、うやむやにしたいでしょうね(笑)
辞める時、そんなことだろうとは予想がついていたけど。。。☆
いいタイミングでしたね。
代表選のおかげで、何とか「うやむや」に・・・。
したっけ。