哲学の科学

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私はなぜマスクをするのか(4)

2020-05-30 | yy73私はなぜマスクをするのか

歴史上最大といわれる今回のパンデミックですが、統計(感染率、死亡率、失業率その他データ)によれば日本での感染制御は欧米諸国よりずっとうまくいっているようです。これに全員マスク現象がどこまで貢献しているのかは評価が分かれています。
理論はいろいろありますが、現象の事実として、今回、東アジアの感染制御は成績がよい。これらの国でのマスク装着率は高い。それが報道されるから、ふだんマスクが嫌いな欧米の人々も最近はマスクをつけたがっているようです。

鶏が先か卵が先か?マスクをするから感染率が低いのか、感染率が低く保てる社会の人々がマスクを好むのか?あるいは別のある要因が結果としてマスク高装着率と低感染率を同時に引き出しているのか?
社会的自意識のカルチャーによる違いがあるかのようである点が興味を惹かれます。つくれば、風が吹くから桶屋が儲かる式の理論がいろいろできるでしょう。
たとえば、仲間は信用しないが権威には盲従する大衆は、マスクによる仲間との社交性の低減は受け入れる一方、政府に誘導されやすく外出禁止、越境禁止、自主隔離などの規制を受け入れやすい、という理論。悪く言えば盲従、よく言えば自主規律的。欧米のジャーナリストなどが批判あるいは賞賛の論調として書いています。しかし本当でしょうか?
あるいは、自己防衛が強い生活態度が働いて、健康管理に熱心、あるいは他者の視線を嫌って不快でもマスクを常用する。閉鎖的で非社交的なので交流の少なくなる退屈な外出禁止を守ることがつらくない。などという理論もありそうです。これもけなせば臆病、褒めれば慎重、である国民性といえる。







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私はなぜマスクをするのか(3)

2020-05-23 | yy73私はなぜマスクをするのか

さて、科学的には、人どおりが少ない道を歩いているのに、マスク着用は必要ありません。2メートル離れていれば唾液飛沫は顔に到達しない。道端で、大声で井戸端会議をしない限り、その場での感染はないでしょう。しかもそうすればマスクの有無にかかわらずリスクは大きい。長時間の会話など濃厚接触のあと手で鼻や口に触れれば感染はあります。人々はそれを知らないのでしょうか?
マスクを使えば顔が見えにくい。これは髭剃りや化粧の手間が省けます。だいたいが、化粧しているかどうか人に見られるのも煩わしい、という気持ちがあるでしょう。さらに茶色い歯を隠す、歯並びを隠す、顎ラインを隠す、アイラインを強調するなど、美容アイテムとしても使える。政府がくれたこのマスクは洗うと小さくなって顎が大きく見える。美容の点で落第のようです。若い女性がこれをつけている姿は見かけません。
しかし、面白いのは社会心理学的な理由です。マスクは視線を防げる。あるいは防げているような気分になれる、といわれます。他人からの視線が怖い、あるいは怖いというほどではないが、不快だ、という人はかなりいるようです。人に表情を読まれることが不快だ、あるいはそのために他人の前で自分の表情をコントロールしていなくてはいけないので面倒だ、という気持ちでしょう。

人間は、機嫌がよくないと口の形がへの字になったり、とがったりしてきます。一人で外を歩いているとき、ふつう、たいていの人は、それほど機嫌が良いわけではない。それをマスクで隠せる。これは便利。この目的で使っている人はかなり多いらしい。
さらに顔ばれ防止、匿名性、名無しさん、忍者や透明人間になれるような感じがする。コミュニケーションゼロですませると思える。すれ違う人を無視しても許されるような気がします。
その目的でつけると伊達マスクといわれます。伊達メガネ、伊達スマホ、伊達ヘッドフォン、伊達フードなど他人とすれ違う時、あるいは同室にいるときでも、目をそらし相手がいないものとしてしまう。自他の存在感を消す効果がある便利なアイテムと思われているようです。
防具をまとうのが好きだとしてもそれをつけているには、なにか、それなりの正当な理由が必要です。花粉防護、寒冷防護、顔ばれ防護、鼻に飛び込む虫からの防護・・・本当の目的は何なのか?本人も自覚していなかった。それがいまや、正当な理由は、言うまでもない、アウトブレーク阻止です。

いずれにせよ、マスク装着者は、自分の身体に作用しようとする災厄を恐れている、という自分の姿勢を隠す気はないようです。自分は相当な安全志向である、あるいは、人見知り性格である、だからマスクは外せません、あいさつやコミュニケーションは勘弁して、というメッセージを発することをよしとする。その含意が公共の場でのマスク装着に伴う。十字架のネックレスや魔よけのイレズミなどもそのたぐいでしょう。
逆に、この時節、少数であることにひるまない非装着者は、自分はそこまで安全志向ではない、身体は頑丈だし弱虫ではないから多少の感染リスクは怖くない。臆病者とか人見知りと思われるのは恥だ。自分は明るく挨拶できる。コミュニケーションは好きだし、大事だと思っている、という明らかなメッセージを発していることになります。






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私はなぜマスクをするのか(2)

2020-05-16 | yy73私はなぜマスクをするのか


したがって必須の防御アイテムというまでの有効性はないようですが、そう思いたい魅力がマスクにはあります。この防具を身につけなければ外出は危険で歩けない、という信念が常識になってきたようです。
テレビで政府、行政や有識者あるいはアナウンサーの言っていることを注意深く聞くと、マスクをつけろとは言ってはいますが、それは社会の感染拡大を防ぐためという含意で言っていて、マスクで他人の出すウイルスの危険を遮断できるからとは言っていません。
人々が自己防衛に必須と誤解してマスクを常用すれば結果的に感染拡大を抑制できるのであえて誤解を放置しておこう、という暗黙の了解が行政とマスコミの側にはあるのでしょう。

そういう状況ですが、この防具は、先日までどこの店でも売り切れでした。政府が全世帯に郵送したのも、異常な需要を抑制するためだ、と官房長官は言っていました。見えない恐ろしい敵に備えるには、ワラでも棒切れでも、それしかなければ握りしめていたい、という不安心理を政府はよく理解しているのでしょう。
開店前から並んで抱えるだけ買い占めている人がたくさんいたそうで、テレビが映していました。流通過程で多数が闇に流れるのでしょう。
ちなみに闇市場も一種の市場であるのでそれなりの効用があります。つまりどうしても欲しい場合、数倍の高値を出せばどこかで買えます。これも原始的な意味で需要供給曲線に沿ったマーケット原理でしょう。この瞬時的高価格バブルは、マーケット理論の通り、政府の介入も不必要なくらい短期間で崩壊したようです。
まずだれもが所有しているという社会心理学的圧力がかかる。レアなアイテムは、手に入りにくいという理由によって、スパイラルに希少価値が上がる。どうしても手に入れたくなります。自分だけ所有できない、となったら大変です。

しかし、なぜそこまでしてマスクを確保し常時それを装着しなければならないのか?
筆者は政府に支給されたマスクを洗って使っていますが、そのほかに押し入れから探し出した不織布マスク一箱とN95もあったので買いだめに行きませんでした。案外早く出回りが戻りましたが。






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私はなぜマスクをするのか(1)

2020-05-09 | yy73私はなぜマスクをするのか

(73 私はなぜマスクをするのか begin)





73 私はなぜマスクをするのか?

郵便受けにマスクが入っていました。政府が全国民に郵送したという。とりあえずそれを顔につけて散歩に出かけました。不要不急ではなく健康維持のために。
出歩いている人はまばらですが、皆マスクをしている。私もしています。
しかし、私はなぜマスクをするのか?
マスクをする理由について検索すると、膨大な数のインターネット書き込みが、医学的、疫学的、美容的、心理的、社会的あるいはカルチャー的な理由を語っています。
筆者の場合、その理由は、はっきりしています。皆がマスクをしているから私もしているのです。
緊急事態宣言が出て以来、道行く人々は全員がマスクをしています。たまにしていない顔を見ると、西洋人です。その西洋人も二人連れのうちの女性はマスクをしたりしているので、全くしていないのは幼児と犬だけです。
そういう事情ですからマスクをしていないとコンビニにも入りづらい。葬式にサングラスで出席しているみたいな違和感が醸しだされてしまいそうです。

テレビなどの街頭インタビューを見ると、他人からのウイルスが自分の中に侵入するのを防ぐための必須アイテム、と人々は信じ込んでいるようですが、西洋医学の常識では違うようです。
くしゃみなど唾液飛沫の空中拡散は二メートル以上は到達しません。一方、対面の(数十センチまでの)至近距離でマスクなしの人の(せき、くしゃみ、大声など)強い呼気に伴う(感染可能危険濃度の)唾液飛沫は受ける人のマスクを通して目鼻の粘膜に達する確率が相当高まるようです。いずれにせよ、その場合、ゴーグルなどで目からの感染も防がないと自己防御の目的では片手落ちでしょう。
つまりマスクは、感染していない人の自己防衛には効果が薄いが、自分が感染していた場合、感染を拡大する源となることを防ぐには有効である、とのことです。






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勉強が嫌いな人々(20)

2020-05-02 | yy72勉強が嫌いな人々


アルバイトや正規就業が大学生や高校生にも解禁されれば、経済的な自立は早まり、実家から出たり、働いたり遊んだり恋愛したりが自由になります。
ほとんどの学生の実質の生活がそうなってくると、ようやく世間も親も、大学や高校が形式だけのものとなり実際は不要なことに気づいてくるでしょう。
そうなれば形骸化したシステムはついには消えていく。全員高校へ行くという十代の宿命も消えていきます。そのうち中学校へ行かなくても不安はないという時代になる。
勉強が嫌いな人は勉強しなくてもよい、好きな人はいくらでも勉強すればよい。勉強と収入とは無関係。社会的地位とも無関係、となります。つまり多様なライフスタイルが十代から始まります。
そういう時代になってもそれが現実となれば、これはこれでつらいことや悲しいことは多い。もしかしたら勉強よりも苦しいことも多々あるでしょう。若者にユートピアは来ません。しかし、選択の自由は広がる。それが幸せかどうか?
たぶんですが、今よりかなり気持ちがよい世界になるでしょう。■






(勉強が嫌いな人々 end)



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