現代社会という特殊な環境が人類の身体の潜在的な特徴を浮き出させている例はいくつもあります。たとえば、メタボリックシンドローム。肥満が成人病を引き起こして死因の多くを占めている。アルコール依存症、ニコチン依存症。あるいは人口爆発、あるいは逆に少子高齢化なども現代社会に対応する人類の身体機構の異常適応ともいえます。
これらの現象は、狩猟採集生活に適応して進化した人類の身体が現代社会の環境に過剰反応している例である、とみなすことができます。通貨システムの蔓延という現象もこの異常な身体適応であると言うと、奇異な議論に聞こえてしまいそうですが、現象としては似ています。
人類以外の動物は目の前の餌や異性にかぶりつきますが、人類はそうではない。人類の身体機構は、目の前にある餌や異性を獲得する行動よりも別の行動を優先するように作られている、といえます。それは集団行動であったり、予防的行動であったり、ときには儀礼的あるいは宗教的といわれる行動であったりします。要するに人類という動物種は社会的価値が高いといえる行動を優先する場面が多い。
私たち人類の身体は、他の動物に比べて特に、社会的価値に強く共鳴する機構になっている。人間は、物質的な環境に適応するためである以上に、仲間と作っている社会に適応するために物事や自分の身体を操作することを優先する。
そうなっているとすれば、貨幣を獲得することのように社会的価値の高い行動は、栄養価の高い餌や繁殖機能の高い異性を獲得することに優先するはずでしょう。逆に言えば、そのような人類の身体機構が貨幣の出現をもたらした、といえます。
私たちの身体がお金に鋭敏に反応し、その反応を基礎として社会が構成され、人生が構成されている。たしかにこれはうまくいっています。逆に、通貨システムが成り立っていなければ、現代の高度な産業システムも高効率の生産性もありえませんから、私たち現代人の生活そのものが成り立ち得ないでしょう。
それにつけてもお金が欲しい。私たちのこの思いが社会を成り立たせています。
なぜお金が欲しいのか、生きていくためにお金が欲しい。物を買いたいからお金が欲しい。あるいは、なぜ欲しいのかよく分からないけれどもお金が欲しい。皆の口癖をまねて言っているうちに欲しくなってしまうのかもしれません。お金が欲しいと言ってしまうから買いたいものを考えてしまうのかもしれません。いずれにしても、私たちが自分にはお金が必要だと思っていることは事実です。その事実を土台として現代の社会は築かれている、といえます。
お金なんかいらない、と私たちが本気で思ったならば、その瞬間に現代社会を成り立たせているすべては崩壊するでしょう。しかし本気でそれを心配する必要はありません。なぜならば(拙稿が主張するように)私たちの身体がお金なんかいらないと本気で思うような構造にはなっていないことを、現代人はだれもが知っているからです。■
(38 貨幣の力学 end)