確かに、吉田松陰が言ったように、発展なければ衰退する。しかしこのインターネット全盛の時代に、どこに発展の道があるか?今の傾向を推し進めた先に展開がある、と思うことは安易に過ぎるだろう。大展開があるとすれは、私たちが思いもしない方角でしょう。であればそれは、今想像できない。大災害、エイリアンの襲来、など、であるはずです。徐々には来ない。来るとしても、十年くらいで世界が一変する。コロナが大災害というひともいますが、あれはわかりやすく、まあ、予想通りでありました。
黒船が来る前の江戸の市民。太平の眠りを楽しみながらも、夜ぐっすり眠る日々も長くないかもしれん、と思っていました。ええじゃないか踊り、現実逃避、ニヒリズムの気分があったのでしょう。
マスメディアが大産業になり、個人はそれについていく。ついていけば、ある程度は、楽しい。しかし現代、テレビもインターネットも飽きが来はじめています。情報を大量に、あまねく行きわたらせる、電子通信の驚異的能力が質的に限界に達してしまったのではないでしょうか。そこからは、反転して、個人に分割されていく。インターネットを開けると、いまや、あなたのための情報、というものがまず現れてきます。視聴履歴の管理、嗜好分析、個人追跡の技術は急速に発達しています。その間違いも多いが、間違いをものともせず、執拗に追い続ける迫力に脅威を感じます。
インターネットの源泉、つまりその資金源、それを作り続ける人々の収入を支えるシステムは、巨大なものに成長してきます。これを維持し、回転させ続けるエネルギー、資金は、スポンサー、政府支出、会費、課金、として流入する。回転は年々、成長し、これに関わる人の数も、生活時間も大きくなります。これはよいことなのか?正しい情報が行き渡ることは、よいことでしょう。偽の情報も、間違った情報も、同じくらい大量に、頻繁に行きわたります。 動画やレポーター、解説者、フィクション、感情の伝達。そこには個人の打算、趣味、意図、自我、の表明から生成される集団の打算、趣味、意図、自我、の存在が浮き出されます。絵画のような幻影ともいえる空間が、現実空間の内部に相当の量を占めて存在してきている、といえます。
筆者は、近頃、年を取りすぎた(現在七八歳)せいか、自分が見ている風景が、記憶にあるあれだ、と分かるのに一瞬の時間遅れを感じます。見当識障害、というか、記憶している風景と視覚で感知している風景を同じものと思えない時があります。バーチャルリアリティを見るようです。知っている場所なのに違う風に見える。町が次々と改築されているのも原因だし、外人が多くなっているのも、違和感に関係しているかもしれません。もしかしたらマスクが少なくなったことも関与してとも言えます。しかしここで言いたいのは、これはインターネットのせいではないか、という思いです。インターネットの中に入ると、自分がそこをよく知っているように錯覚してしまいます。それが記憶にたっぷりたまってくると、現実を見ているのに、これは、どこかで見たあれだろう、としてインターネットの経験を取り出してしまうようになる。それがあるのでしょう。
これはインターネットが犯人なのか?違うでしょう。自分が、現実を適当に分かってしまう能力を持っているから、というほうが正解。現代の現実世界では、新鮮な経験ができない。そのわりに、インターネットではバーチャルな情報が拾えます。断片的であるがゆえに、もっともらしい、と思ってしまいます。テレビやインターネット、町の風景などを混ぜ合わせると、もっともらしい、現実らしいものを感じてしまいます。そういうものには、自分の直感が、底のほうでしっかり影響しているはずです。しかしそれは自覚できない。たとえば景気がよくなってきている、とか、不景気が続きそう、とか、空気のような感じです。そこから抜け出せれば、それは見える。しかし、抜ける前は、自覚はできません。
夕べ、数日ぶりにテレビを見ていたら、テレビ朝日で池上潔が昭和百年の歴史を語っていました。日本の学校制度は、占領期GHQの担当者が米国での自分の出身州の制度を持ち込んだからできた、という池上の解説に、スタジオの人々が驚いた顔をしているのが映されていました。社会人の知識は、テレビで作られることをテレビ自身が知っているようです。テレビのトーク番組は、ゲストが笑いで混ぜ返したりして、空気をつくりだします。インターネットの場合は、テレビ風の動画もあり、識者の解説や語りもあり、空気は一定しません。その分、ユーザーは自由を感ずることができます。逆に孤独も感じます。コメントなど書き込む側になれば参加意識も持てる、と同時に責任も感じる。そういうものは感じたくないユーザーは隠れていることもできます。つまり参加の自由とインサイダーの居心地の良さ、のグラジュエーションがあります。それ全体の自由と冷たさがインターネットの特徴でもあります。
悪天候で散歩にも行かず、座りっぱなしだったので、長椅子で腰を伸ばしました。いつも、布団をたたんでおいてあるので寝心地がよい。いつのまにか、夢を見ていました。「課長、業務計画を説明させてください」課長席の前のソファーに座ると、書類を拡げます。「あ、そのコピー、古いよ」と言われて、えっ、とたじろいだところで目が覚めました。たぶん、五十年前の記憶がよみがえってきていたのでしょう。
目が覚めると、もう十時。すぐ寝るしかない。布団を拡げながら寝落ち。風邪薬が効きすぎたのか、年を取りすぎたのか、寝つきがよすぎます。それで、本稿も昨日はパス。ごめん、といたします.
YouTubeで成田 悠輔氏が石破総理大臣と対談しているので、顔を洗う前に出だしを見て、一時停止にしておきました。頭を乾かしてから、再開すると、案の定、徹底激論とかいう大げさなタイトルのわりにふつうの話をしていて、選挙は義務制にしたらとか、有権者を大事に、とか首相は言っていました。中身よりも、テレビに出たがらないように見える人と首相が一対一で対談するという設定が、めあたらしい。YouTubeも役に立っている、と思いました。オールドメディアも緊張するでしょう。
結局、誰かが作っていて、誰かがそれに乗っているから、存在している、はずですが。
