さて、科学的には、人どおりが少ない道を歩いているのに、マスク着用は必要ありません。2メートル離れていれば唾液飛沫は顔に到達しない。道端で、大声で井戸端会議をしない限り、その場での感染はないでしょう。しかもそうすればマスクの有無にかかわらずリスクは大きい。長時間の会話など濃厚接触のあと手で鼻や口に触れれば感染はあります。人々はそれを知らないのでしょうか?
マスクを使えば顔が見えにくい。これは髭剃りや化粧の手間が省けます。だいたいが、化粧しているかどうか人に見られるのも煩わしい、という気持ちがあるでしょう。さらに茶色い歯を隠す、歯並びを隠す、顎ラインを隠す、アイラインを強調するなど、美容アイテムとしても使える。政府がくれたこのマスクは洗うと小さくなって顎が大きく見える。美容の点で落第のようです。若い女性がこれをつけている姿は見かけません。
しかし、面白いのは社会心理学的な理由です。マスクは視線を防げる。あるいは防げているような気分になれる、といわれます。他人からの視線が怖い、あるいは怖いというほどではないが、不快だ、という人はかなりいるようです。人に表情を読まれることが不快だ、あるいはそのために他人の前で自分の表情をコントロールしていなくてはいけないので面倒だ、という気持ちでしょう。
人間は、機嫌がよくないと口の形がへの字になったり、とがったりしてきます。一人で外を歩いているとき、ふつう、たいていの人は、それほど機嫌が良いわけではない。それをマスクで隠せる。これは便利。この目的で使っている人はかなり多いらしい。
さらに顔ばれ防止、匿名性、名無しさん、忍者や透明人間になれるような感じがする。コミュニケーションゼロですませると思える。すれ違う人を無視しても許されるような気がします。
その目的でつけると伊達マスクといわれます。伊達メガネ、伊達スマホ、伊達ヘッドフォン、伊達フードなど他人とすれ違う時、あるいは同室にいるときでも、目をそらし相手がいないものとしてしまう。自他の存在感を消す効果がある便利なアイテムと思われているようです。
防具をまとうのが好きだとしてもそれをつけているには、なにか、それなりの正当な理由が必要です。花粉防護、寒冷防護、顔ばれ防護、鼻に飛び込む虫からの防護・・・本当の目的は何なのか?本人も自覚していなかった。それがいまや、正当な理由は、言うまでもない、アウトブレーク阻止です。
いずれにせよ、マスク装着者は、自分の身体に作用しようとする災厄を恐れている、という自分の姿勢を隠す気はないようです。自分は相当な安全志向である、あるいは、人見知り性格である、だからマスクは外せません、あいさつやコミュニケーションは勘弁して、というメッセージを発することをよしとする。その含意が公共の場でのマスク装着に伴う。十字架のネックレスや魔よけのイレズミなどもそのたぐいでしょう。
逆に、この時節、少数であることにひるまない非装着者は、自分はそこまで安全志向ではない、身体は頑丈だし弱虫ではないから多少の感染リスクは怖くない。臆病者とか人見知りと思われるのは恥だ。自分は明るく挨拶できる。コミュニケーションは好きだし、大事だと思っている、という明らかなメッセージを発していることになります。
