goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学の科学

science of philosophy

デジタルその魅力と退屈(9)

2021-12-18 | yy80デジタルその魅力と退屈


もし革命でないとすればだれも怖がらない。同時に熱心に追従する人は少ない。それでも徐々に便利なものから取り入れられる、ということになるでしょう。
洋装化の場合なら兵士、鉄道員、看護婦、警察官の服装などから始まる。デジタル化は政府、行政、大企業から始まるでしょう。それからスマホの個人ユーザーが便利なものを使いこなします。それがどこまで行くか?
変化を嫌がる人は実は相当多い。報酬につられてあるいは不便から逃れるためにいやいやデジタルを取り入れるが、なかなか普及しません。それに行政や企業の末端の人は変化が嫌いです。上からの圧力に迎合して形だけの見かけを装うからかえって面倒なことになったりします。

人々が好きでないデジタルは形骸化し、陳腐化します。予算の無駄遣いに見えてきます。そして見捨てられる。そういう虚しいものにあふれる世の中は退屈です。もし不幸にも、それがデジタル社会の行きつく先であるとすれば、本気で頑張る人はあまり多くないでしょう。■


    
(80 デジタルその魅力と退屈 end)









自然科学ランキング
コメント

デジタルその魅力と退屈(8)

2021-12-11 | yy80デジタルその魅力と退屈


仮にデジタルが革命を起こすとしても、平和な革命はない。革命は急激な進歩であり輝く希望ではある。しかし実際、革命で多くの人は不幸になります。それを知っている世代は内心、進歩と革命を嫌っています。
政府がデジタルの旗を振っても多くの法人や個人が内心で嫌いなものは浸透しません。強引に形だけ進めれば逆に形骸化が明らかになり、推進側の権威は低下するでしょう。失望と退屈が残ります。
外国の成功例を観察すると喜んで使われるシステムが普及に成功しています。グーグル、アイフォン、スマホ、ライン、アマゾンなど若い世代が嬉々として参加することで浸透しました。
先端のデジタル技術を応用してアニメ、ゲーム、ポルノ、オークション、ユーチューブ、ズームなど次々とサブカルチャーがメジャーカルチャーになりあがり成功者になっていきました。権威ある新聞、テレビ、書籍なども懸命にデジタルを利用して性能向上をはかっていますが、利用者は減り続け、だんだんと見捨てられていきます。
現代に顕著なそれらの現象がデジタルをプラットフォームとして社会の表層を変えていきます。先日来、ついに政府が旗を振り始め、行政、大企業、教育、生活産業がデジタル導入(DⅩというらしい)を急いでいるようです。
明治の洋装化のようです。和服はもうだめだ。靴を履いて帽子をかぶらなくては古い人間に見られてしまいます。世間から見捨てられます。最新のスマホを買って、どんどんアプリを使いこなさなくてはなりません。
これは大衆運動なのか?文明開化なのか?これがデジタル革命なのでしょうか?






自然科学ランキング
コメント

デジタルその魅力と退屈(7)

2021-12-04 | yy80デジタルその魅力と退屈


今世紀に入ってから目立つ米国や中国の躍進は創始者、成功者に資源が集中する投資システムの勝利です。そうであるとすれば、ある意味対極にある日本のシステムを破壊する改革がなされなければ時代を変えるというところまではできません。
その世界観が嫌いだといいながら敗者にならないために全国民が髷を切るのか?前世紀に大成功した日本システムを捨てて逆方向に舵を切ることができるでしょうか?
新たな技術が出現するときの常ですが、そこに資源を集中できる政府や大資本、大企業など強者がさらに有利になり格差が拡大し、末端の個人は抵抗しにくくなります。いつの間にか滔々たる流れになっているデジタルのおかげで個人としてはそこそこ便利な生活にはなったが、その底に無力感と退屈が深くよどんでいるような時代になっているのかもしれません。
パンデミックでの人心の動揺を機会として政治力が分配をコントロールできる時代が来た、という観測もあります。
戦争など危機感の時代には強くなった政府が分配を強化し、平和が戻ると市場が格差を拡大する(二〇一三年 トマ・ピケティ「二十一世紀の資本 LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」)という経験を年寄りは人生の中で経験もしています。
若い人は、ときには、将来に期待できる、別のときは、期待できない、とマスコミなど世相に頼りたくなります。が、マスコミは人心の変化を拡大して反映するだけです。やはり政治システムの循環論(紀元前2世紀 ポリュビオス「歴史」)が説くように、平和が続けば格差が拡大し、高まる不満が強権を生み同時に国内での分配を強化していくでしょう。






自然科学ランキング
コメント

デジタル その魅力と退屈(6)

2021-11-29 | yy80デジタルその魅力と退屈


たとえばスマホで新しい人生を開くことができるのであれば、それがあり得るでしょう。ユーチューブで自分が千倍に大きくなれるならば、新しい時代が来るのかもしれません。巨大サーバーをつないで高速データ処理を拡大すれば新しい世界があらわれるでしょう。
本当にそうであれば、それは時代を変革するといえる。デジタル革命といえるかもしれません。

ここまでの技術とシステムでその革命は可能なのか?
スマホとユーチューブとインスタグラムと、マイナンバーとメタバースのちょっと先にその世界はあるのか?
それともそれはちょっとではなく、ずっと先の時代、家事ロボットが家電店で買えるくらいにデジタル技術が発達する必要があるのでしょうか?

いまこの国でデジタルが注目される理由は、グローバルに展開する情報産業の巨大化と行政のデジタル化による福祉安全のインフラ効率化、特に中国をはじめとする東アジア新興国のデジタルシステムの成功に比較される日本の国力低下への危機意識でしょう。
前世紀後半、バブル崩壊してから、じりじりと世界的発展に乗り遅れて陳腐化したこの国の行政サービスと産業システムインフラの再構築は当然優先されるべきものです。しかしそのためのデジタル化が正しく進められたとしても、それで時代を変革する革命になるとは思えません。
だれひとり改革から取り残されないとしてもそれで個々人の人生が変わるわけではないでしょう。生活が便利になることで人は少しだけ幸せになりますが、新しい世界を見つけてそこに飛び込み人生をかけて夢中になることとは違います。






自然科学ランキング
コメント

デジタルその魅力と退屈(5)

2021-11-20 | yy80デジタルその魅力と退屈


最近あらゆる場面に出現しつつあるデジタルセンサー類。指タッチで動くデジタルシステムの中身は、当然コンピュータで動いています。だれがいつ、どこで、どのデータをタッチしたか?それが数値の列になって世界中から集められる。膨大なそれらの数値を超高速で適当に足したり引いたり掛けたり割ったりすれば世界の動きが出力されるはずです。多数の人の心が見える、伝わる。収集され、配布される。
そしてすべては記録されます。証拠が残る。事務が迅速簡便になる。透明になる。安全、確実になる。物とお金を確実に世界中に移動できます。
人々がそうしたいからそうなる。したいようにできる。そうであれば人々はその分幸福になっているはずです。

こうして、デジタル時代はたしかに来ました。しかしそれは何時代の後に来たことになるのか?
鉄道時代、電気時代が来て、自動車時代。続いて飛行機時代が来て、この次は宇宙時代というときに、デジタル時代が割り込んできたらしい。
ダイナマイト、鉄道、電気、自動車、合成化学は百年の間に目を見張らせる発展をみせ世界を変革し人々の人生を大変換しました。結果、人口は限りなく増え平均寿命は延びました。単純にいえば、人類は発生以来、最高の幸福期に至った、といえます。
さてしかし、デジタルはさらに人類の幸福を加速することができるのか?
自動車や電気を使いこなせるようになったとき、人間はひとりひとり、力が百倍になったような気がしました。新しく出現したそれを使うことで元気になり、新しい人生を見つけ出しその新しい世界で頑張りたくなりました。
今の時代、デジタルは人間を元気にすることができるのか?











自然科学ランキング
コメント

デジタルその魅力と退屈(4)

2021-11-12 | yy80デジタルその魅力と退屈


こうなると、デジタルが日常生活の場をも徐々に侵食してくることは防ぎきれない。なにもかもコンピュータに取り込まれ、人間はデジタルモニターに出力される数字やパターンを眺めていればよい、となります。
そうなって改めて考えてみると、人間というものは、そもそも、アナログな存在ではなくて、デジタルなものなのではないだろうか、と思いたくなります。もしかしたらデジタルこそが世界の本質であって、アナログはデジタルの幻影にすぎない、のではないだろうか?
人間の脳が神経細胞のオンオフで動いていることからして、すべての感覚や思考は脳内のデジタルデータで表現されているはずです。そうであればアナログ表現はデジタルデータを簡約したような、平均曲線でなぞったような存在ということになります。
世界の本質がデジタルであるとすれば、高性能なコンピュータの出現により物事元来の生のデジタルデータがそのまま処理できるようになってその出力が人間の目で見えるようになった、ということか?これが自然現象の模擬なのか、あるいは模擬ではなくて、これが生の自然そのものなのでしょうか。
たとえばデジタルとはそぐわない最たるものであると思える私自身の手足。もしかしたらこれもデジタルでできているのかもしれません。指はラテン語でデジタス。だからデジタル、とはジョークですが、これ全く冗談ともいえません。
たとえば、動物の五本指の発生起源は、最近の生物学では、デジタルシミュレーションで解明されています。コンピュータ科学の始祖の一人であるアラン・チューリング(一九一二年-一九五四年)が提唱した生物パターンチューリングモデルによる骨格や組織の発生理論(二〇一〇年 近藤 滋、三浦 岳「Reaction-Diffusion Model as a Framework for Understanding Biological Pattern Formation」)にもとづいて、胎児の手足が体幹から伸びてきて五本の指ができるまでのシミュレーションが多く作られています。











自然科学ランキング
コメント

デジタルその魅力と退屈(3)

2021-11-06 | yy80デジタルその魅力と退屈


そもそもアナログがすべての始まりでデジタルは後から来た、となっています。新しく台頭する成り上がり者はどこか怪しい、危ない。という感覚が我々アナログ世代にはある。若い世代ほどデジタルにどっぷりつかっています。コンピュータが気味悪い、という感覚は今の若い人にはない。四六時中デジタルをしていればデジタルが本物と思うようになるのは当然でしょう。
では、しかし、本当にデジタルが本物なのか?昔の人はコンピュータがなかったからアナログな計算尺で設計することが最先端技術と思っていました。今は最初からコンピュータで設計します。
アナログはいまや不便の象徴です。世界は実はアナログでできているが、コンピュータを使えるデジタルのほうが便利だからデジタルになっていくのか?いや、そうではなくて、実はもともと世界はデジタルでできているのではないのか?
前世紀の初めころ、量子力学がつくられたころ、似たような議論がありました。物質はアナログな波動なのか、それともデジタルな粒子なのか?結論として、原子より小さい世界ではデジタルなモデルを本物とするほうが実験を説明しやすいから正しいとしよう、ということになった。
しかし巨視的な人間の日常生活の場では量子力学の計算は超複雑すぎて実行不可能。そこでは科学としても従来のようにアナログでものを取り扱うしかない、ということになりました。
その後、アナログの領土はじりじりとデジタルによって侵略されていきます。生物学の世界観でも、物事は分子単位、細胞単位の相互作用で決まっていく。つまりアナログではなくてデジタルである、となる。
脳の構造機能も細胞単位。したがって人間の精神世界も結局はデジタル、というのが現代科学の世界観になりつつあります。科学の風景でも、流量計や濃度計を使って装置を組む実験に代わってコンピュータシミュレーションが解析手段の主流になってきています。









自然科学ランキング
コメント

デジタル その魅力と退屈(2)

2021-10-30 | yy80デジタルその魅力と退屈


デジタルという語はラテン語のdigitus指、から来ていますが、まさに指でボタンを触るシステムと解すれば当たっている。
指で軽くタッチすることでほとんどのシステムを動かせるようになっている社会は便利な社会です。軽い、心地よい社会です。これをデジタル社会という。
デジタル社会形成基本法(二〇二一年九月一日施行)の施行によって日本も国を挙げてアナログからデジタルに変身することになりました。

デジタルはアナログより高級。本当かな。筆者が若いころ、AD変換機(アナログデジタルコンバータ)を見ると、やはりアナログはさっさとデジタルにしてしまえばよいのだ、と直感していました。そう感じるエンジニアは多かったでしょう。
筆者が学生のころ、デジタルを扱う離散数学は連続値の関数解析や確率論より幼稚な低レベル数学というイメージでした。簡単なものが好きな筆者は微分方程式より差分方程式の勉強のほうが楽だった覚えがあります。そのころ確率過程を二値還元した推定モデル(誤差楕円体による推定法と宇宙航行への応用NASDA-TR-7,1977)を考案したことがあります。

テレビもいつの間にかデジタルになりました。その前に写真機がデジカメになった。当然ビデオもそうなりました。時計も電話もすぐそうなった。銀行窓口はいつまで残っているのか?会社の仕事も学校の授業もリモートになる。そのうち自動車も電車も完全自動運転になって運転手という語はエレベーターガールと同じ死語になります。
昔、コーラが自動販売されているのを見て驚きました。今はアマゾンが巨大な自動販売機ですね。こうなると人間もマインクラフトの四角人物のように直方体の手足を高速で振り回す存在になるのかな?









自然科学ランキング
コメント

デジタル その魅力と退屈(1)

2021-10-23 | yy80デジタルその魅力と退屈


(80  デジタル その魅力と退屈  begin)




80  デジタル その魅力と退屈

昔、男はタバコを吸うときが至福の瞬間でした。今は、男も女も、スマホを操作しているとき癒されています。
歩きタバコは消えたが、代わりに歩きスマホは全盛。親指でゲーム入力。あるいはライン、ユーチューブの操作。自分が世界を探索し変革してるように思えます。おもに親指で。
寝るまでスマホを握りしめているという人も多いそうです。簡単に言って、スマホは人を世界につなげる。つながっていることで、人は安心し気持ちよくなるらしいですね。
首都圏で震度5地震のとき電車再開まで駅で待たされた人々は、全員スマホで時間つぶしができたようです。刹那的ではあってもユーザーは幸せになっている。逆にいえば、持ち合わせていない人は不幸、となるのでしょう。
スマホの社会貢献度はかつてのタバコより大きい。歩きタバコより歩きスマホの方が多い。産業規模も大きくなるばかりでしょう。タバコは病的な欠点がありましたがスマホは依存性があるとはいっても身体への悪影響はあまり言われていません。
現在のスマホの基本デザインはスティーブ・ジョブズ(一九五五年― 二〇一一年)のiPhone(二〇〇七年)によっています。スマートな美しい形状はたぶん歴史に残るマスターピースになるでしょう。
ジョブズという人は天才発明家・デザイナーです。自分の手でこの世にないものを作り出して売りまくりたい。それも美しいすばらしいものを。
美しくすばらしい、だれもが喜ぶものとは何か?
今の世では、それはコンピュータを内蔵する機器になります。その中をデジタルデータが流れるものになる。つまりこれからは、デジタルな時代ですね。







自然科学ランキング
コメント

文献