それはその通りでしょう。そして私たちの身体がそういう欲求を持つようになったのは、人類が誕生したころ、それが生活の上で必要であったから、といえます。初期の現生人類(ホモサピエンス)も、今の私たちが知りたいと感じるような諸々の物事、あるいは大人の私たちは知りたいと思わないけれども幼児や幼稚園児が知りたいと思っているらしい物事(サンタクロースや怪獣etc.)、などに好奇心あるいは探究心を持つ必要があった。あるいは正確に言えば、人類は初期のころからそのような好奇心ないし探究心を備えた身体を持つことが生存に有利であった。そういう進化の歴史があった、といえます。
動物、植物、鉱物、気象、天文など、自然のありさまに好奇心を持つことは、自然の中での狩猟採集の生活に必要だったでしょう。人間の行動、心理に興味を持つことは緊密に組織された社会の発展に必要だったでしょう。道具、機械、施設設備など人工物に興味を持つことは、技術・産業社会の発展を支える役割を果たしたと思われます。
生活技術や生産技術、軍事技術、あるいは言語技術、芸術に興味を持つ。ゲームやスポーツに興味を持つ。書籍、本、学問、科学、社会、政治、経済に興味を持つ。これらに関する真実、現実、正しい在り方、を知りたい、という気持ちは人類共通であり、数十万年前から人類の発展の土台になっていたと考えられます。
真実を知ったうえで、自分がどう動けばどうなるかを予測する。そして今どう行動すべきかを知る。そして実行する。真実を知りたいという欲求は、これからの行動の結果を予測し、より良い行動を計画するために必要です。逆に言えば、人は行動を計画するために、真実を求める、という構造が見えてきます。
人は真実を知ることでより良い行動、つまり生存に有利な行動を計画し実行する。この場合、人にとっては、生存に有利な行動を導く予測をもたらす物事が真実であるといえます。
ここで大胆な仮説を立ててみましょう。
ある物事を人が真実だと思うときは、その物事を真実として受け入れて行動することが生存に有利である場合であり、その場合に限る、と仮定する。
たとえば、天気予報を聞いて、傘を持っていこうとするとき、その人は天気予報を真実だと思っている、ということになります。傘は多少重いですが雨に濡れないほうがコストは少ない、つまり生存に有利です。生存に有利である行動を導く物事は真実である、となります。逆に、天気予報で「午後は雨になる」と言っているのを聞いても傘を持っていかない場合、その人は天気予報を真実だと思っていない、ということです。
またたとえば、ある女優の結婚生活が破綻したという記事を週刊誌で読んで、友人にその噂を「本当だよ」と伝えたとき、その人はそのゴシップを真実だと思っている。同じ記事を読んでも、友人にその噂を本当だと伝えない場合、その人はそのゴシップを真実だとは思っていない、ということです。